後編
体が重い。頭が痛い。視界が回る。
はい、わたし盛岡二葉は絶賛二日酔いに苦しめられています。
「あ〝ー、のみすぎたぁ…………は?」
寝起きとお酒のせいで掠れた声で呻いた後、天井を仰ぎ見て固まった。
「え? ここ、どこ?」
落ち着け、私。まずは状況確認だ。
今いるのはふかふかの布団の上。着ているものは肌触りのいい浴衣。これどっちも絶対高いやつだ。
もしやと思い枕元を見るときちんと畳まれた私の服と荷物が置いてある。
そのまま視線を巡らせると、床の間を飾る高そうな掛け軸や調度品、障子の向こうに見える庭園にはししおどし。
田舎でもこんなに立派な庭がある家はあまりない。畑がある家は多いんだけどね。
理解が追いつかなくてポカンとしていると縁側に面した障子が開いた。
「あ、起きてる。気分はどうッスか?」
「え?」
「どぞ。二日酔いの薬、持ってきたッス」
声がした方を見ればそこにはお盆をもった金髪でヤンキーっぽい若い男の子。
次いで厳ついお兄さんが顔を出す。しかし、私はその顔面の凶悪さに思わず喉が引き攣ってしまった。
そんな事に気付いていないのか慣れているのか、私が起きているのを確認すると厳ついさんはどこかに向かって声を張った。
「若ー! お嬢さんがお目覚めですぜー!」
——声、頭に響く!
不意打ちの大声につい頭を押さえたら、厳ついさんは慌てて口を押さえた。
「おっと、すいやせんねぇ。若はすぐ来ると思うんでちょいと待ってくだせぇ」
「はぁ」
これは多分私に対して気を遣ってくれているんだと思う。だって笑顔だもん。けど、それでも顔は怖い。ごめんなさい。
「あ、その前に風呂入ります?」
入りません。あなたと私は初対面、それでお風呂とかどんだけ図々しいんだ私。
だが、そんな事を厳ついさんに言える度胸が私にあるはずもなく、ゆるゆると首を横に振るに止まった。
「テメェら、何してやがる!」
そこへ響いた突然の咆哮。
——びっくりした! びっくりした‼︎ 今度は誰⁉︎
大げさなまでに肩が跳ねたのは私だけじゃなかったようだ。金髪さんも焦っている。あ、厳ついさんは普通だ。
金髪さんと厳ついさんの視線の先、縁側を進んでくる荒い足音と共に二度目の咆哮が轟いた。
「散れ! ここには近づくなっつっただろうが!」
「さーせんしたー!」
お盆を怒鳴った人に渡してバタバタと走っていく金髪さん。対して厳ついさんはその場に留まり、至極真面目な顔でこう言った。
「若、お嬢さんはまだ顔色悪いんで盛るのはなしですよ。気持ちは分かりますけどね、そこはダメですよ」
真面目な忠告なのに怒鳴った人が厳ついさんを蹴った。多分イラッとしたんだろうな。
「いいから散れ」
——厳ついさん相手になんて事を!
ドスの効いた声に直接言われてない私が縮こまってしまう。
そんなやり取りの後、去り際にこっちを見た厳ついさんがいい笑顔でサムズアップして行った。
——え⁉︎ なにどゆこと⁉︎
もう一度言うが私と厳ついさんは初対面だ。それで笑顔の意味を察しろなんて土台無理な話である。安心要素のない笑顔を置いていかないでほしい。
どんな怖い人がきたのかと戦々恐々としていたら、障子をさらに開けて現れたのはよく知る人で。
「え? 蓮ちゃん?」
ポロリと溢れた呟きに蓮ちゃんの眉間からしわが消えた。そして、向けられたのは私が知るいつもの表情。
「おはよう。気分はどう?」
「うん、ちゃんと二日酔い」
まるでさっきまでのやり取りは夢か何か気と思うほどに、話し方も声の高さも仕草も全てが私の知る蓮ちゃんのもので。
二日酔いのせいかな、ちょっと何が起こってるのか分からない。
とりあえず気になったことを片っ端から聞いていこう。
「……あのさ、ここはどこ?」
「アタシの実家。あの店からだと、うちよりこっちの方が近かったから」
「実家⁉︎」
まさかのワードに思わず叫んで頭を抱えた。
それは自分の大声が二日酔いの頭に響いたことと、なんでもっと帰りのことを考えて店を選ばなかったのかと言う後悔と、都内で日本庭園がある立派な家ってどゆこと⁉︎ って言う混乱と。
呻く私に呆れた声が降ってくる。
「バカね。はい、水と薬」
「……ありがとう」
「アンタ、酔い潰れたのよ。覚えてる?」
「大丈夫、察した」
つまりはこう言う事だ。
あの後、盛り上がって酔い潰れた私を蓮ちゃんが介抱してくれた。
連れて帰るにしても呑んでた居酒屋からは私のアパートよりも蓮ちゃんのマンションよりも、この実家の方が近かった。
私はそのまま和室で寝かされて、翌朝家の人と対面した。
そこへ蓮ちゃんが遅れて登場。はい、イマココ。
よし、とりあえず私がすべき事は分かった。
「迷惑かけてごめんなさい。連れて帰ってくれてありがとうございました」
渾身の土下座、これ一択。布団の上からで申し訳ないけど。
けれどもなかなか返事が返ってこないから、頭を下げた状態でチラリと目線だけ蓮ちゃんに向けた。
蓮ちゃんは胡座で頬杖をついてこっちを見てるけど、なぜか無言のまま。
どれくらいそうしてだだろう。蓮ちゃんはため息をついてから、しょうがないなと表情を崩してくれた。
「どういたしまして」
その言葉にホッとして体を起こす。
それにしてもあの無言はなんだったんだ。美人の無言は怖いんだぞ。一体何やらかした、私。
でも、聞くのは怖いからあえて違う話題にしよう。
「あのー、つかぬことをお聞きしますが、私浴衣に着替えてるんだけど、これって自分でした?」
「アタシよ。ついでに言うならメイクを落としたのもアタシ」
「ですよねー! ……お手数おかけしてすみません」
その言葉に私は再び地に伏した。いや、むしろ恥ずかしくて顔を上げられない。まじ何やってんだ私ぃぃぃ!
身悶える私をよそに蓮ちゃんは淡々としていて。
「いいのよ。アタシが他の野郎に触らせたくなかっただけだから」
「あれ? 女の人はいないの?」
「……母がいるけど寝てたから」
ひょっこりと頭を上げたけど、もう私は頭上げちゃいけない気がする。
——そうだよね。帰宅が深夜なら女の人がいても寝てるよね。
私はおでこを三度布団に擦り付けた。
「重ね重ね申し訳ございません」
「……もういいからソレやめなさい。さっきから目のやり場に困るのよ」
「え? うわ!」
蓮ちゃんの指摘する方に目を向けると浴衣の前が軽くはだけていた。何回も頭を上げたり下げたりしたせいかな。とりあえず引っ張っとけ!
しかし、なんだろう。若干気まずい。こうなったら次の話題だ、そうしよう。
「えーっと、さっきの人たちはご家族?」
「ある意味ね。湯淺組の構成員よ」
水を飲もうとした手が止まった。
——湯淺組。構成員。
お兄さんと弟さんにしては似てないと思ったけど、そりゃそうだ。
一般家庭に構成員はいない。だから、そう聞いて私が思いつくものは一つ。
「それってヤのつく自由業的な?」
「そうよ」
それはもうあっさりと蓮ちゃんは肯定する。道理で立派なお家な訳だ。
しかし待ちたまえ、私。蓮ちゃんはここを実家と言ったのだ。
「え? 蓮ちゃんも?」
「今は手伝い程度だけど大学卒業したらね。ま、うちは割とクリーンだから安心なさい」
「くりーん……ヤクザさんにクリーンってあるの」
「あるのよ」
「そっか。だから就活もしてなかったんだ」
「家業を継ぐんだから必要ないしね」
明かされたのは師事していたオネエ様がヤクザというなんとも盛り盛りな真実。
——ヤクザって言うのはいわゆるヤクザで、蓮ちゃんは今もヤクザで大学を卒業したらヤクザになる。
ダメだ、二日酔いのせいかうまく纏まらない。こめかみを揉んでなんとか頭を回そうとしてると、今度は蓮ちゃんから話を振ってきた。
「ねぇ、二葉。和服を着るって話なんだけど」
「へ? いきなりどうしたの?」
ガラリと変わった話題でまた私の頭の中は疑問符だらけ。
そんな私の頭の中を蓮ちゃんが知る由もなく、にっこり笑いながらこんな提案をしてきた。
「一緒に着るなら紋付袴と白無垢なんてどうかしら?」
「うん?」
「ああ、でもウエディングドレスもカクテルドレスも色打掛も着てほしいし」
「んん?」
「お色直しは何回にしましょうか?」
「はぃぃぃぃい⁉︎」
叫んだ私は悪くない。
蓮ちゃんはご機嫌に話を進めているけど、私は全く訳が分からない。
「え⁉︎ ちょっと待って! なんの話⁉︎」
「結婚式の話」
「なんで⁉︎ 付き合ってもないのに⁉︎」
そう、これは重要事項。私たちは付き合ってない。この関係を表すとするなら女子力アップの師匠と弟子。
確かに私たちは暇があれば一緒にいるけど、それは蓮ちゃんのお節介という善意に私が未だに甘えて続けているからだ。
だと言うのに、蓮ちゃんはにっこり笑う。
「あら、アレだけ一緒にいたんだから付き合ってるも同義よー。それにアタシたち相思相愛だし。何も問題ないでしょ?」
「いやいやいやいや、問題しかないよ!」
「でもね、あの後ちゃんと了承得てるのよ。ほら証文もある」
「全く、記憶に、ございません!」
キッパリ言い切ると蓮ちゃんは残念そうな拗ねたような顔になった。
その可愛さに思わず負けそうになったけど、それよりも聞き流しちゃいけない単語があった。
「っていうか証文って何⁉︎ なんでそこだけヤクザっぽいの!」
「認識の違いを防ぐための基本よ。見る?」
そう言うと蓮ちゃんが証文を見せてくれた。内容はこうだ。
『甲 盛岡二葉は、乙 湯浅蓮と婚姻を結ぶ事に同意しました。これに伴い甲は乙の元へ速やかに住居を移し変えることとする』という文の後に、日付と私の自署、そして拇印。
自分のしたこととは言え頭を抱えずにはいられない。
「あのね、飲みすぎた私が悪いんだけど、本当覚えてなくて。だからこれは無効でしょ?」
「アンタが覚えてなくても、ちゃんとサインも拇印もしてあるから有効よ」
「ガッテム!」
笑顔の蓮ちゃんにばっさり斬られて私はショックを隠しきれない。打ちひしがれるあまり涙まで出てきた。
それでも私はしつこく食い下がる。
「ねぇ、ほんとのほんとに有効? だって何を話してこうなったかも覚えてないのに……」
そう言ったら蓮ちゃんの動きが止まった。しばらくして聞こえた大きなため息。しかもさっきよりも長いため息だ。
そして頭をガシガシとかきながら低い声で唸りだす。
「あぁぁぁ……ったく、よぉー」
その聞き慣れない低い声に肩が跳ねた。それにしても、今日ため息率高くない⁉︎
「あの……蓮ちゃん?」
色々と怖くなってきて、聞こうと思ったところで蓮ちゃんが顔を上げた。
真っ直ぐに見つめて不安を訴えてみるが、返ってきたのは不敵な笑み。
「ま、覚えてないならしょうがないわね。それじゃあ、今はアンタの意識もはっきりしてるワケだし? 改めて了承を貰おうかしら」
そう言って蓮ちゃんは姿勢を正した。纏う空気と一緒に表情も真剣なものになって、つられて私も姿勢を正す。
蓮ちゃんは目を閉じて深呼吸をすると、ゆっくり私と視線を合わせた。
「盛岡二葉さん」
「はい!」
「あなたのことが好きです。私と結婚を前提にお付き合いしてください」
いつもより低い湯浅蓮としての声で真っ直ぐに届けられたその心。
いきなり深く刺さった言葉に固まっていると、蓮ちゃんは眉を下げて語り出した。
「初めはね、本当にただのお節介だったのよ。だってアンタってばいかにも田舎から出てきましたって感じ丸出しで『あー、この子絶対カモにされる。骨の髄までしゃぶり取られる』としか思わなかったもの」
「まじかー! 蓮ちゃんありがとう! 私まだカモにされてない!」
「アタシが一緒にいるんだから当たり前でしょ」
それもそうか、と納得した。
蓮ちゃんとは入学してすぐに出会ったのだ。もちろんゼミやバイト先に友達はいるが、誰よりも長く一緒に居たのは蓮ちゃんだ。
「どんなに厳しくしても、どんなにしんどくても、アンタはちゃんと食らいついてきた。自分磨きだけじゃなくて、勉強もして、資格も取って、バイトして。根性あるなーって見直したのよ」
「えへへ、照れるー!」
「空回りして泣きついてきたり、ちゃんと出来た時には喜びと感謝を全身で表したり。見た目はどんどん変わっていくのに中身は素直なまんま。他の男も寄ってくるし危なっかしいたらありゃしない。だから常にアタシといるって思わせるためにも色々連れ回したんだけど」
「もしかして、テストと称したお出かけが増えたのって……」
思わず溢した言葉に蓮ちゃんが笑みを深めた。
「楽しいデートだったわね。映画館、水族館、遊園地、カフェ巡りにホテルディナー。夏はお祭りと海水浴も行ったわねー」
指折り上げられたのは確かに一緒に出かけた場所で、告げられた真意に私は慄くほかない。
「TPOに合わせた服とメイクがきちんと選べるかテストだって言ってたのに!」
「あら、ちゃんと合格点出してたんだしいいじゃない。それとも楽しくなかった?」
「それはもちろん楽しかったですとも!」
「良かったわ〜」
私の返事に蓮ちゃんはコロコロと笑ったかと思うと、スッと表情を改めた。
「だってこんなにもアタシ好みの可愛い女、他の男に渡したくないじゃない」
ああ、やばい。顔が熱い。
あまりにも真っ直ぐな言葉に私のHPはガンガン減る。もう白旗を振りたくなった。
「ま、護身術まで教えたのはやり過ぎだったけど、実際役にたったし良かったわ」
「ほんとそれ! お陰で怪我しなかったし、もう感謝しかありません! ありがとう!」
恥ずかしさも相まって食い気味にそう感謝を伝えると笑って受け取ってくれた。
それなのに、せっかくのほっこりした空気を蓮ちゃんが塗り替える。その目をギラリと光らせて。
「だから、いいわよね?」
「……いいって何が?」
「そりゃ……」
躙り寄る蓮ちゃんから離れようと布団の上で後ずさった。
——ダメだ。もういつものオネエ様じゃない。
目の前に迫る強烈な雄の色気。
私は動揺が隠せないのにそこから目が離せなくて。
うまく体が動かせないうちに唇が重なった。
チュッ、とリップ音を鳴らしてすぐに離れたけど、それがなんだ。私は今、混乱している。
そんな私に構わず、蓮ちゃんは口角を上げる。
それはつい『オネエ様!』と叫びたくなるような女性的な笑みじゃなくて、見惚れてしまうほどにカッコいい男の人の顔で。
「俺が手塩にかけて育てた果実を、俺が食ってもいいだろ?」
低い声で告げられた内容に肌が騒ついた。
それでも、自信に満ちた顔があまりにも眩しくて、いつかの魅入られた日を思い出す。
——いや、蓮ちゃんのことは好きだけどこれはその『すき』だっけ⁉︎ 確かに蓮ちゃんより綺麗でカッコいいと思う人も、一緒に居たいと思う人も、ガッカリさせたくないと思う人もいないけど!
そう考えてはたと気づく。
——私、さっきから蓮ちゃんを基準にしてない?
そうしている間にも、柔軟にして堅牢な腕の中に囲い込まれた。
向けられる視線に甘さが加わったことに気付いてなんだかこそばゆい。
顔のあちこちを啄む唇を避ける術は私にはなくて。
ああ、顔も体も熱くてしょうがない。
されるがままの私に蓮ちゃんがムッとしたような、心配したような声を出す。
「ちょっと。嫌ならちゃんと言いなさいよ。言質はとってあるけど無理強いする気はないんだから」
「あー、うん。なんと言うか、ね。……ごめん。ちょっと待って」
「二葉?」
触れられて嫌悪感がない。
——昨日のクソ野郎に触られた時なんか鳥肌がヤバかったのに。
口説かれても冗談だと思わない。
——他の人に言われた時は何も刺さらなかったのに。
暇な時に思い出しちゃうのも、喜んでもらいたいと、褒められたいと張り切ってしまうのも。
——全部蓮ちゃんだからだ。
この状況で、こうなって初めて思い至る自分の想いに、どうにも恥ずかしくなって手で顔を覆った。
「二葉。こっち見て」
懇願する声にチラリと指の隙間から見ると、期待と不安が混ざったような蓮ちゃんと目があった。
それにどうしようもなく胸が締め付けられて、湧き出た感情に名前をつけるならそれはきっと『愛おしい』。
だから、せめて不安は取り除いてあげたくて、今の精一杯を伝える。
「ちゃんと、最後まで責任持ってね」
「……当たり前でしょ。好きよ、二葉」
「えへへ、私も。蓮ちゃんのこと好きだよ」
まるでいつものやり取りに安心していたら、耳に吐息が掛かった。
「最期まで離してやらねぇから覚悟しろよ」
低い声で囁かれてまた一気に上がる体温。
ゾクリとした耳を押さえて睨み付けたら蓮ちゃんはとても嬉しそうに笑った。
そして、すかさず与えられた呼吸すらも奪われるような深いキス。
ただただ翻弄されて酸素を欲して喘ぐ私を舌なめずりをしながら眺める姿はどこからどう見ても男の人なのに。
「で、お色直しは何回にする?」
こうしてオネエ口調で問うてくる。
オネエとヤクザ。美意識高めの美人で女性的な姿とワイルドでカッコいい男性的な姿。
コロコロと変わるその様に早速振り回されて心臓が痛い。
——これ、早まったかも
盛岡二葉、二十歳。
どうやらオネエ様の弟子からヤクザの若様の嫁にジョブチェンジすることになりそうです。