96.東方の獅子と虐殺姫
時間はわずかに遡る。
レイドールとダレンが領主の屋敷に入っていくのを見送り、レイドール軍の兵士は事前に許可を取って屋敷のすぐ傍に陣地を張った。
広場に天幕を並べ、見張りの兵士を除いて各々が遠征の疲れを癒していく。
そんな兵士のもとへ町の人々が集まってきて、水や食料、酒などをふるまってきた。
陣地へと運び込まれてくるそれらの品に、軍の責任者の一人であるジャスティ・オイギストはピクリと眉を震わせる。
「物資の提供に感謝する。レイドール殿下にはしかと伝えておく」
「ははあ!」
「下がっていいぞ。後は我々が運んでおく」
恐縮する町の有力者にはそう告げたものの、ジャスティは酒と食料に手を付けようとする兵士に待ったをかける。
町の人々が去ったのを確認して、怒声を張り上げた。
「まだここは敵地である! 味方ではない相手から受け取ったものを、軽々しく口に入れるな!」
「は、ははっ! 申し訳ありません!」
喝を入れられた兵士は慌てて酒瓶から手を放し、その場で敬礼をする。
町に入って油断している部下に眉をひそめながらも、ジャスティは陣地の中から鋭い眼差しで周囲をうかがう。
(兵士を伏せている様子はない。となれば、降伏は偽りではないということか? ブラッド・カルシファーは何を考えているのかわからぬ男だが、愚者ではなかったはず。聖剣保持者である殿下をだまし討ちなどできないことは理解していると思うが……)
眼鏡の中縁をグイッと指で上げて、ジャスティは眉間にシワを寄せて難しい表情を作る。
ジャスティの生家であるオイギスト子爵家とカルシファー伯爵家は領地が隣接しており、交流もそれなりにある家同士である。
嫡男であるブラッド・カルシファーとジャスティは同年代ということもあり、幼い頃から顔を合わせることも多かった。
しかし、20年以上の付き合いにもかかわらず、ジャスティはブラッドの内面を量りかねていた。
(奴は武人でもなければ戦士でもない。頭の回転は悪くないが、文官や賢人でもない。悪巧みを得意とする男であったが……されど、ただの策略家や謀略家とは言い切れぬ『闇』を持っている)
例えるならば、狐狸や毒蛇の妖だろうか。
平然と人を化かして手玉に取り、隙を見て相手の体内に毒を注ぎ込む。
貴族の誇りを重んじているわけでもなく、金や色に溺れるわけでもない。
何を求め、望んでいるのかもはっきりとしない。どこまでも掴みどころのない霞のような男であった。
(まあいい……私が考えたところで詮無きことよ。奴がレイドール殿下の敵になるというのであれば、ただ討つだけのこと)
ジャスティは答えの出ない思考を中断させて、部下へと向き直った。
「……とりあえず、運び込まれた食料に薬物が仕込まれていないか確認しておくように。 交代で休憩しても構わんが、いつでも動けるようにしておけ」
「はっ!」
「私は町の様子を見て回ってくる。すぐに戻るが、問題があればライフェット卿の指示を仰ぐように」
部下に言い残して、ジャスティはレイドール軍の陣地から出て行こうとする。
町を見れば、そこを治めている貴族の性格がわかるものだ。カルトリスの町を見て回れば、ブラッドの思惑も少しは読めるかもしれない。
そんなことを思って足を踏み出したジャスティであったが、すぐに立ち止まることになった。
目の前に一人の女性が立ちふさがったのだ。
「貴女は……」
「久しぶりね、ジャスティ。お元気かしら?」
相手の女性の顔は見覚えがあった。
てっきり死んだものだとばかり思っていた女性。帝国との戦いで戦死したと聞いていたアンジェリカ・イルカスであった。
幽鬼のように佇んでいるアンジェリカにジャスティが固まってしまったのは数秒。すぐに納得したように頷いた。
「……そうか。それでブラッドはイルカスの家名を名乗っていたのだな」
ジャスティとて、ブラッドとアンジェリカが婚約関係にあることは知っていた。
ブラッドはアンジェリカと婚姻して、イルカス家に婿養子に入るという形をとることでカルシファーの名を捨てたのだ。
(家名を捨てたのはカルシファー伯爵家への責任追及から逃れるためか? やはり狐は健在ということか)
「久しい。アンジェリカ殿。貴女の方こそ元気そうで…………いや、何でもない。失言であった」
ジャスティは発しかけた言葉を飲み込み、痛ましげに顔を歪めた。
アンジェリカは顔に包帯を巻いて顔の左半分を隠しており、さらに膝丈のスカートから伸びる左脚は金属製の義足になっている。
彼女がどれほどの激戦を潜り抜けてこの場に生き残ったかを思えば、軽々しく言葉をかけることなどできなかった。
身に纏っている空気も明らかに刺すような剣呑なものであり、虚ろな右目の奥には狂気の光が宿っているのをヒシヒシと感じる。
「……こんなことを言っても救いになどならないかもしれないが、貴女が生き残ってくれて本当に良かった」
ジャスティは考え込んだ末に、そんな言葉をアンジェリカへと向けた。それはジャスティにとって偽りない本心である。
ジャスティとアンジェリカはそれぞれが東方国境地域を代表する戦士として、『東方の獅子』、『イルカスの虐殺姫』などと呼ばれて畏怖の念を向けられている。
ジャスティは忠義の武人としてアンジェリカのことを高く評価しており、また、他言したことはなかったが一人の女性としても彼女のことを好ましく思っていた。
それは恋愛感情と云えるほど明確な思いではなかったものの、やはり少なからず憧れを向けていた女性が生き残っている姿には安堵してしまう。
しかし、同時にその変化には背中に氷を入れられたような危機感も覚えていた。
(触れれば切れるがごとき気配。研ぎ澄まされた空気はそのままだが……なんと危ういことだ)
淡い思いを寄せていて、ブラッドとの婚約を契機に思いを断ち切ったはずの女性の変貌した姿に、ジャスティは静かに拳を握り締める。
以前のアンジェリカ・イルカスは常に油断なく周りを威圧していたものの、同時に深い慈悲深さも兼ね備えている女性であった。
子供や弱者に優しく微笑んで手を差し伸べるアンジェリカの姿は『虐殺姫』と呼ばれる戦場での姿とはかけ離れており、多くの男が心を奪われたものである。
しかし――現在のアンジェリカは鋭さをそのままに、優しさや穏やかさが完全に抜け落ちている。
まるで悪魔に魂を奪われたかのように、人間味というものが失われていたのである。
「そう、心配してくれてありがとう」
己の身を案じるジャスティの言葉に、アンジェリカがそっけなく答えた。
指先で髪をつまんでいじりながらつまらなそうに言葉を重ねる。
「でも生き残っているのは私だけよ。両親も弟も、みんな死んでしまったわ」
「…………」
「あら、酷い顔をしているわよ。国のために戦って死ぬことは武人として恥ではないのだから、同情なんてしないでちょうだい」
「そうか……いや、そうだな。貴女の言う通りだ」
ジャスティは深々と頷いてアンジェリカの言葉に同意する。
「ご家族の勇戦に敬意を表する。心から」
「ありがとう。嬉しいわ」
アンジェリカが包帯の巻かれた顔でフッと微笑む。それはかつての彼女を思わせる、穏やかで透き通った笑みだった。
悲壮感の中にわずかに笑顔を見せたアンジェリカに、ジャスティの表情も緩んだ。
「ところで、ジャスティ。一つお願いがあるのだけど」
「お願い……? 私にできることならば如何なるものでも引き受けるが」
「そう、有り難いわね」
アンジェリカは穏やかな笑みを浮かべたまま、赤い唇をチロリと舐める。
以前の彼女であれば見せることがなかった色っぽい仕草に、ジャスティは驚いて息を呑む。
しかし、本当に驚愕させられるのはここからだった。
「だったらお願いね…………私のために死んでちょうだい?」
「なっ……」
アンジェリカのスカートがふわりと舞う。同時に、若鮎が水面から跳ねるように義足の左脚が躍動する。
頭蓋を蹴り砕くような勢いで放たれたハイキックに、ジャスティは瞠目して身体を硬直させた。
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