97.裏切られた心
「『石壁』!」
ジャスティの目の前に石の壁が出現した。
恐るべき速さで迫ってきていた金属の義足はジャスティの頭部を破壊する代わりに、石の壁を打ち砕く。とっさに発動したために十分な魔力を練ることができず、不十分な硬度の石壁は音を立てて粉々に崩れた。
土の魔法で防いだのは意識してのことではない。長年の実戦経験から、反射的に防御行動をとっていただけのことである。
もしもわずかでも魔法の発動が遅れていれば、ジャスティの頭蓋骨は地面に落とした卵のように潰れていただろう。
「あら? 防いじゃうのね。約束が違うわ」
ハイキックを繰り出した義足を地面に下ろして、アンジェリカが不思議そうに言う。
「私の願いを聞いてくれるのではなかったのかしら? できれば大人しく死んで欲しかったのだけど……」
「アンジェリカ殿……いったい、どうして……」
「どうして? そんなことを訊くのならこちらも質問を返すわ。『どうして、帝国に寝返ったの』?」
「っ……!」
アンジェリカの詰問にジャスティが息を飲んだ。
慄然と背筋を震わせる男を、アンジェリカは濁った右目で睨みつける。
「もしもオイギスト家が裏切らずにイルカスに味方をしてくれたのであれば、私の家は滅びずに済んだかもしれないわ。東部八家すべてが協力していれば、帝国を押し返すことだってできたかもしれない。ねえ、教えてちょうだい。どうして、私達を裏切ったの?」
「俺は、いや、私は……」
思わず素の口調に戻りかけるジャスティであったが、それから先の言葉を絞り出すことができずに押し黙る。
帝国への寝返りを決めたのは父親であり、自分は徹底抗戦を主張した。
たとえ東部八家が団結していても、聖剣保持者を有する帝国軍に勝つことなどできなかった。
責められるべきなのは国境を破られ、我らに援軍も送らなかった王家と国軍ではないのか。
主張するべき言い訳はいくつかあったが、それを口にしたところでアンジェリカが納得するとは思えなかった。
ましてや、オイギスト子爵家が敵に寝返ったという過去が消えるわけではない。
ゆえに、ジャスティは違う言葉を口から吐いた。
「……たしかにオイギスト家は帝国に裏切った。その報いは受けるべきであろう。しかし、現在はレイドール殿下の傘下に入って忠義を尽くしている。私に手を出すことは貴女のためにも、イルカスのためにもならない。私を許せない気持ちはわかるが、今は抑えてもらえないだろうか?」
「今は抑える? 違うわ。今しかできないんじゃない」
ジャスティの説得に、アンジェリカは冷笑を返した。
「イルカスが王家の臣下として復権すれば、王族であるレイドール殿下の家臣である貴方に報復する機会は失われてしまう。だから、完全な復権が叶う前に済ませておかなければいけないんじゃない」
「アンジェリカ殿、貴女は……」
「さあ、早く殺されてちょうだいな。貴方を始末したら、次はエラディン父娘も殺しに行かないといけないから。シャーリーは妹のように可愛がっていたから殺さなければいけないのが気が咎めるわ」
当然の事実を突きつけるように淡々とした口調でアンジェリカは語った。
かつての友人――親しかった者達の殺害を容赦なく宣言する。
その迷いのない口調、ジャスティは悟った。
もはや目の前にいる女性はかつて自分が憧れた女騎士アンジェリカ・イルカスではない。
彼女はもう、後戻りできないところまで進んでしまった。復讐と狂気に憑りつかれた羅刹女へと変貌してしまったのだ。
「……私の命だけならば差し出しても構わなかったのだがな。さすがに他の者の命もかかっているとなれば殺されてやるわけにはいかぬ。アンジェリカ殿。貴女がこのまま暴走を続けるのであれば、この槍をもって止めさせていただく」
「あら……結局そうなっちゃうのね。いいわ、貴方は大切な友人だから爆砕させないでおこうと思ったけど、無抵抗な相手を殺すのも心が痛むから。誠心誠意、心を込めて粉々にしてあげる」
「……さらばだ。我が青春の日よ」
途方に暮れたような声音でポツリとつぶやき、ジャスティは愛用の槍をかつて憧れた女性に向ける。
アンジェリカもまた、服の下に隠していた短剣を取り出して、細い剣先をジャスティに突きつけた。
『東方の獅子』と『イルカスの虐殺姫』
ザイン王国東部国境地域において最強とされる二人の戦士。その戦いの火蓋が切られたのであった。
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