116.狂乱の国王
かくして、紆余曲折があったものの、ザイン王国とアルスライン帝国の戦争は終結と相成った。
戦勝国は帝国であったが、彼の国は敗戦国である王国に不利益な要求を突きつけることなかった。
それどころか、皇帝ザーカリウス・ヴァン・アルスラインは決闘に臨んだ王弟レイドール・ザインの武勇を讃えて、一連の戦いで奪った領土の返還まで確約してくれた。
レイドールとザーカリウス――両国の代表者同士の会談の後、外交官が作成した書面によって正式に和平条約を交わされた。
これにより数十年にわたって大小の戦いを繰り広げていた王国と帝国は共存の道を歩むことになり、侵略者の脅威を逃れたザイン王国の民はつかの間の平和を謳歌することになった。
一方で、そんな平和を喜ぶことができない人間もまた存在した。
ザイン王国王都。王宮の奥にある国王の寝室にて、グラナード・ザインは一人で部屋に閉じ籠もっていた。
「どこだ……私はいったい、どこで間違えたというのだ?」
カーテンを閉め切った部屋は昼間だというのに薄暗く、蝋燭の一本も灯されていない。
広く、暗い部屋の片隅に膝を抱えてうずくまり、グラナードはひたすら自問する。
今から一週間ほど前、王都より東にあるブレイン要塞にてレイドールと皇帝ザーカリウスの決闘が行われた。
結果はレイドールの敗北。これによりザイン王国はアルスライン帝国に不利な形で終戦を迎えることになり、帝国側の要求を呑むことになってしまった。
しかし――突きつけられた要求はあまりにも軽いもので、本当に自分達が敗北者なのかと疑わしくなるようなものだった。
そして、帝国からその譲渡を引き出したのは国王であるグラナードでも交渉役の外交官でもない。
決闘に負けたはずのレイドール・ザインその人だった。
「レイドール……! お前はどこまで私を虚仮にするというのだ……!」
グラナードが顔面の皮を掻きむしりながら唸る。
今回の決闘が行われるにあたり、事前にブレイン要塞から指示を仰ぐ使者が来ていた。
グラナードとて何もしなかったわけではない。決闘の知らせを聞いてから、連日会議を開いて帝国への対策を話し合っていた。
しかし、高官全員を集めて開かれた会議は紛糾して意見が交わされたものの、最後の最後まで話が纏まることなく、何の対策も立てられないままに決闘の期日を迎えてしまったのだ。
そして、この結果である。
決闘に敗れたものの、帝国と和睦して敵軍を退かせたレイドールの評判は鰻登りに上がっている。
対して、最後まで決断できずに全てを弟に任せたグラナードは『優柔不断な王』として侮られるようになっていた。
宮廷内での立場は数ヶ月前と逆転してしまっており、表立って口に出すことはないが、『レイドール殿下の方が王にふさわしい』などと考えているものは少なくなかった。
元々、最近の宮廷には法務卿を筆頭として、レイドールを後押しする派閥が生まれていた。
彼らはこの機会にこぞってグラナード派の貴族や役人の切り崩しを始めている。もはやグラナードの味方がどれだけ残っているのか知れないくらいだ。
グラナードは自分に向けられる悪評から耳を閉ざし、やがて昼間から寝室に閉じこもるようになってしまった。
政務を放棄した王の態度にますます人心が離れていることに気がつきながら、それでもグラナードは耳をふさいで暗い部屋にうずくまる。
宰相のロックウッドが扉を叩いても、王妃である妻が扉を叩いても、グラナードは決して鍵をかけた扉を開こうとはしなかった。
「何故だ、レイドール……! どうしてお前は、この兄のために死んでくれなかったのだ……!」
思い出されるのは五年前。レイドールが聖剣ダーインスレイブに選ばれたときのことである。
自分を差し置いて聖剣に選ばれたレイドールを、グラナードは心から嫉妬し、憎悪した。
聖剣は王者の剣。王となるべき者が持つ剣である。
グラナードは先王が病で倒れてからと言うもの、ずっと摂政として国を支えてきた。
趣味の読書や乗馬も我慢して、食事や睡眠の時間すらも削って、ひたすらに国のために働いてきた。
それなのに、聖剣に選ばれたのはグラナードではなくレイドールである。グラナードは自分の努力と献身を否定され、自暴自棄になってしまった。
ゆえに、グラナードは弟のことを辺境へと追放した。
どうかそのまま死んでくれーーそう心から祈りながら、レイドールを魔物の巣窟へと追いやった。
もしもレイドールが魔物との戦いで死んでくれたのであれば、きっと自分は全てを許すことが出来るだろう。
弟の死を心から嘆き悲しみ、自費で誰よりも立派な霊廟を建ててその魂を弔ったに違いない。
かつて愛した弟を、再び愛することができたはずなのに。
しかしーーグラナードの願いとは裏腹に、レイドールは生き残ってしまった。
生きて、帝国との戦争をきっかけに王都に戻ってきて、押し寄せる敵を薙ぎ払って英雄となった。
そして、今まさに自分から玉座を奪い取ろうとしている。
グラナードの願いは何一つ叶うことはなく、全てを奪われようとしている。
「違う……この国の王は私だ。レイドールじゃない。私が王なんだ……!」
-
グラナードは両手で顔を覆い、譫言で理不尽を嘆く。
どうして、自分は聖剣に選ばれなかったのか。
どうして、帝国はこの国に攻め込んできたのか。
どうして、レイドールは生き残ってしまったのか。
どうして、みんなレイドールを賞賛するのか。
どうして、自分は侮蔑されているのか。
ひたすら、ひたすら、グラナードは一心不乱に自問する。
回答が出ない、何の解決にもならない自問自答は朝から晩まで続けられた。
そして、いつもその先にある答えは一つである。
「私にも聖剣があったら……!」
聖剣があれば、帝国が攻めてきても追い払うことができた。追放した弟の手を借りることなく自分が英雄になることができた。
玉座を奪われることだってない。誰もが自分を賞賛したはずなのに。
自分が聖剣を持っていたのなら、全てが丸く納まったのだ。
グラナードは帝国の侵略からザイン王国を守り抜いた英雄として、王国中興の祖として歴史に名前を刻んだはずなのだ。
「間違っている、全てが間違っているのだ……私が聖剣に選ばれない世界がおかしい。私が聖剣を手にするべきだったのだ……!」
グラナードはギリギリと奥歯を噛みしめながら、狂気に目を血走らせた。
それは全く根拠のない、現実から目をそらした妄想である。
どれほどグラナードが聖剣を求めたとしても、ダインスレイブが選んだのはグラナードではなくレイドールなのだ。
目の前の事実を否定して、ありもしない仮定を述べることに意味などない。
たび重なる失策。それと裏腹に飛躍する弟の姿に、グラナードは完全にまともな思考を失っていた。
「そうだ、私にも聖剣があれば良かったのだ。聖剣さえあったならば、全てがうまくいったのだ……!」
聖剣があればーーグラナードはひたすらに繰り返す。
ぶつぶつと妄想を吐き、狂ったように顔の皮膚を爪でひっかく姿は完全に常軌を逸している。
その有り様を目にしたのなら、最後までグラナードに忠義を誓っている宰相ですら『国王としての職務は不可能』と見限るかも知れない。
国王グラナードにはもはや先も後も有りはしない。
そのまま正気を失ったまま、レイドールに玉座を奪われるのを待つだけとなっていた。
奇しくも、それはグラナードから名誉も臣下も全てを奪うというレイドールの目的に叶うものである。
このままレイドールが王都に帰還すれば、狂気に支配された王が幽閉されて、何の騒動も起こらないままに王権が譲渡されることになったかも知れない。
『そんなに、聖剣が欲しいのお?』
しかしーーそうはならなかった。
グラナードの独りよがりの妄想に応える声があった。
「は……?」
自分しかいない部屋に響いた第三者の声。グラナードが慌てて顔を上げて部屋の中を見回すが、誰の姿もない。
けれど、なおも姿なき声がグラナードに囁いた。
『そんなに聖剣が欲しいのならあ、ママがあげるわよお』
愉快そうな女性の声音がグラナードの耳朶を震わせる。
蜂蜜のように甘い音色が鼓膜から流れ込み、グラナードの脳髄にまで染み込んでいく。
「……う……がっ…………!」
『怖がらなくても大丈夫よお。ママの言う通りにすれば、ぜーんぶうまくいくからねえ』
「ひっ……ぎいっ…………があああああああっ!」
脳を、魂すらも支配するような女の声。
両手で耳を押さえてもなお入り込んでくる誘惑の言葉に、グラナードはガクガクと身体を震わせて眼球を裏返らせる。
すうっと背中から胸に、細く白い腕が回される。
いつの間にか背後にいた何者かがグラナードを抱きしめ、耳元に唇を寄せた。
『聖剣も、力も、復讐も。坊やが欲しがっているものを全部あげる。だからーーママと一緒に世界を滅ぼしにいきましょう?』
「っ…………!」
グラナードの視界の端に、耳に囁く女の髪が映る。
金細工のように輝く髪の一筋を見た途端、グラナードの意識が真っ白に塗りつぶされた。
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