最強獣の献身
2018.01.19 更新:1/1
ご感想に寄せられた【良かったねガァク!】というたくさんのお祝いの言葉と、【ガァクのイクメン生活】の妄想に後押しされた、おまけの話。
最初から最後まで、みっちりとガァクオンリーですので、ガァク好きな方へ捧げます。
事あるごとに、里のナーヴァルたちは言った。
「――お前は、いずれ長を引き継ぐ器だ。なのに何故」
「――何故そうまでして、サァラを選ぶのだ」
ナーヴァルとしてあるまじき奇行を繰り返していたサァラ。あいつは昔から里の中で特殊な存在であったが、自分も大概、変な位置にあったと思う。
たった一頭の雌のため、長の立場を継ぐ栄誉を自ら捨ててしまったのだから。
馬鹿な事をしたと、つくづく思う。だが、後悔は――今もまったくない。
「ブォオオオオオオ!!」
激昂した唸り声が、森の静けさを破った。
茶褐色の毛皮に包まれる獣の身体は大きく震え、突き出た牙の向こうから呼気を激しく上げていた。
それに怯むでもなくガァクは真正面から見据え、突進してくる巨体を喰らい付いて受け止める。顎の力のみで獣を宙に浮かせると、そのまま地面へ叩き落とした。
一瞬、獣の意識が衝撃に飲まれ、身動きを止める。無防備に仰向けで晒される獣の喉へ、ガァクは素早く牙を食い込ませた。
我に返った獣は激しく暴れ、逃れようと四肢をばたつかせたが――やがて、その動きを止める。
静けさが再び戻った頃、ガァクは牙をゆっくりと離した。
「……ふむ、まずまずの大きさだな。朝はこれだけで十分か」
ひとり呟き、獣を咥え直し、足早に出発する。その途中、いくつもの実をぶら下げる木が見えたので、枝ごと引っこ抜き、住処へ戻った。
里を出てから、早半年。第二の住処として選んだ、水場が近く、高台にあり、日当たりや見晴らしも良い洞窟は、暮らし慣れた故郷のように生活に随分と馴染んだ。
最初の頃は、多くの森の生き物たちがこの場所を狙っていたため、あれら全てを追い払い縄張りを獲得するのはさすがのガァクも面倒であったが……おかげで快適な環境を手に入れる事に成功した。
ガァクにとっても――つがいにとっても。
「あ、ガァク、おかえり」
洞窟の入り口付近に寝転がっていたサァラが、伏せた顔を上げる。二つ足の獣人の姿ではなく、四つ足の獣の姿だ。
同族の中で他に居ないほど細く小柄なサァラだが、ほっそりとした白い躯体と艶やかな紅色のたてがみは、記憶にあるどの同胞よりも美しい。白い朝陽を受け、目映く輝いている。
毎日、飽きもせず、しつこく毛づくろいをしているからなのだろうな……。
呆れながらも、ガァクは彼女の美しさに目を細める。
「サァラ、外に居たのか」
「うん。ガァクが出掛けてから、すぐに起きちゃってね。でも平気、危ない事は無かったよ」
「気をつけろ、何があるか分からん」
以前よりもナーヴァルの自覚は生まれたが、それでもサァラが貧弱な事には変わらない。二つ足でも四つ足でも、遙かに体格の勝るガァクからすれば、庇護すべき弱い存在なのだ。
「……ほら、お前の分を採ってきたぞ。こういうのを食べるんだろう」
「わあ、ありがとう。持ってきてもらえるなんて嬉しいねえ。枝ごとだけど……」
木の実を手渡すと、サァラは満面の笑みを浮かべる。
何をそんなありがたがる必要があるのか……。巣を離れる事が出来ない雌の分も、雄が動くのは至極当然であり、雄の宿命だろうに。
そう言われて気分が悪くなるという事はないものの、未だに、サァラの発想は謎だった。
腹を十分に膨らませた後、ガァクはサァラに気をつけるよう入念に言い聞かせ、ナーヴァルの里へ向かった。
出来れば今のサァラを置いて住処を離れたくはなかったが、他ならぬ彼女が「落ち着いてきたし、ちょっとくらい手伝ってきなよ」と言うものだから、仕方がない。
里を離れても、同胞たちを気に掛けるその心根の優しさが、彼女の良いところなのだろうが……。
「大丈夫、ちゃんと巣を守ってるから!」
自信満々に言い放つところに、不安しか感じない。
さっさと帰ってこようと、ガァクは今日も強く思うのであった。
――大森林の奥深くに存在する、ナーヴァルの里。
顔見知りの仲間たちが過ごす故郷へ懐かしさと共にガァクは踏み入れたが、真っ先に彼を迎えたのは気忙しい空気であった。
側を横切るナーヴァルたちは皆、慌ただしい足取りで行き来し、食料の確保と分配に追われている。ガァクの存在に、半数は気付いていないだろう。が、仕方のない事だ。
子を作る季節が過ぎ去った今、つがいを得たナーヴァルたちの間には続々と子が生まれている。里の中に幼い生命が溢れ、喜ばしい反面、最も忙しい時期が里に到来したのだ。
気の抜けない赤子を抱えた雌は、住処からほとんど出られず、乳をやりながら子を守っている。動けなくなった雌の分だけ、雄と、つがいを得なかったナーヴァルたちが協力して動き、彼女たちの抜けた分の仕事を補い合うが……今回は、つがいになったナーヴァルが多いらしい。里の中の仕事と狩りをこなす面子が、少々頼りなく見える。
その不足分を補うため、ガァクも時折、里へ足を運んでいた。それはサァラの願いでもあるが、里から受けた恩を返すだけの心は、ガァクにもあるのだ。
まず向かう場所は、里の最奥。一際大きく構える、立派な造りをした巣である。
そこで暮らしているのは、里の中で最も強いナーヴァル。縄張と同胞を守り、多くの生き物を退け、その座を守り続ける歴戦の士である――。
キャンキャン! キュウ! キャワン!
「ガァクか、よく来たな。ああ気を付けろ、お前の足元を今、子が歩いている」
厳かな低い声と共に、賑やかな甲高い鳴き声が、ガァクを迎え入れた。
他のナーヴァルたちと同様に、長のところにも子が生まれ、四つ足の白い幼獣がヨチヨチと歩き回っていた。ナーヴァルの特徴である太い牙や爪、赤いたてがみを持たず、二つ足の姿にも当分なれない幼獣は、ガァクへ近付き匂いを嗅いだ後、覚束ない足取りで母親のもとへ戻ってゆく。
「長のところも、変わらず賑やかですね」
里一番の戦士である事を物語る、古傷だらけの頑強な身体を持つ長の周囲には、三頭の雌と幼獣が横たわって寛いでいる。
――複数の雌とつがいになり、複数の子を成して自らの血を多く残せるのは、最も強いナーヴァルの特権。
長の座に居続けるので、複数の雌と子の相手をするのも、実に手馴れている。一頭に偏る事なく、平等に慈しむその様子に、今度そのコツを教わりたいとガァクは密かに思う。
「今回の季節では、つがいを作ったものたちがそこそこ多くてな。里の中が幼い命で溢れている。お前たちのところはどうだ、問題は起きていないか」
「はい、特には。俺も……サァラも、変わりないです」
長は、鋭気に溢れた深紅の双眸を細めると、そうか、と呟いた。
厳格な低い声に含まれた微かな安堵を、ガァクは確かに感じ取った。
「……今日の狩りに加わってくれるのだろう。その前に、少し付き合え」
長の言葉に、ガァクは否と答えず、静かにその後ろへ追従した。
里の外れへ進んだ長は、風景を一望出来る場所で立ち止まると、四つ足の姿から二つ足の姿へ転じた。
強靭な戦士たちの中でも際立って目立つ巨体を誇るガァクに、まったく引けを取らない長の獣の身体が、二本足で立つ獣人の姿へゆっくりと収縮してゆく。数多くの戦いに挑んできた事を物語る、無数の古傷に塗れた風貌は、二つ足の姿であってもその威風を失う事はない。
ガァクもそれに倣い、二つ足の姿に変わると、長の隣へ肩を並べる。
「今も、不思議でならない。お前とサァラが、まさかつがいになるとは」
しみじみと、長は呟いた。
「サァラは、色んな意味で変わり者だった。ナーヴァルらしからぬ、我らが同胞。それと同じくらいに――お前も、相当な変わり者であった」
ガァクも、自覚はしていた。サァラが昔から“変わり者”と呼ばれてきたように、己もまたそうであったのだと。
――そもそもサァラは、昔から、良くも悪くも非常に目立つ雌であった。
始まりは、同じ時期に生まれた幼獣たちが一箇所に集められ、集団で過ごすようになった時だったという。
森の強者ナーヴァルといえど、幼い内は何の力も持たない幼獣。誤って森へ出れば、簡単に捕食されてしまう、庇護の必要な存在だ。従ってこの間、幼獣の主な仕事は、寝る事と遊ぶ事である。
多くの子が鳴き騒いでいる中で、昔のサァラはというと――不気味なほど静かに過ごし、取っ組み合いすらしなかったという。
むしろ、ぐずる子がいれば、ヨタヨタとした覚束ない足取りで近付き、懸命にあやしていたらしい。サァラとて、成獣たちに世話される身であったくせに、だ。
しかも後から知った事実だが、今でこそ立派なガァクも昔はよく泣く雄の子で、誰よりもサァラにあやされた回数が多かったそうだ。しかも、サァラが側に来るとどんなに激しく泣きぐずっていようと一瞬で眠りに落ちたらしい。
覚えのない過去を聞かされたあの時、ガァクは猛烈な恥ずかしさに襲われ、初めて死にたいと思った。
しかし、物静かで手の掛からないサァラは、何故か生肉を受け付けず、食事の時には我先に逃げ出した。成獣たちがどうにか食べさせようとすると、この時ばかりは激しく泣きじゃくって抵抗したのだという。
そして幼獣たちは、成長すると共にナーヴァルとしての本能が目覚め始め、狩りの練習や力試しが雌雄問わずに発生するのだが……サァラだけはあるまじき苦手意識を持っていたらしく、常にやられ役となっていた。
――その結果、木の実の類で成長し、爪も牙も身体も小さく、歴代稀に見る最弱のナーヴァルが出来上がった。
どうしてああなったのか、今も成獣たちは首を捻っている。
同世代のガァクもそう思ったし、つがいになった今でも、サァラの有様はつくづく不思議だった。
――しかし、それが悪いという事は、意外にもなかった。
戦いにおいて欠片ほどの役にも立たないサァラは、それを埋め合わせるように、里の中の仕事に大きく貢献した。
戦いから退いた老ナーヴァルたちの中へ率先して混じっていった彼女は、毛皮や装飾品を同世代の誰よりも上手に繕ったし、幼い子たちのお守りに励んだ。怪我をした子や、体調を崩した子が居た時には、誰かに頼まれたわけでもないのに、治るまで付きっきりで励ましていた。
森の強者たるナーヴァルは、その強さに自信はあるものの、戦闘以外の面については大雑把で苦手としているものが多い。この点については、サァラはとりわけ力を発揮し、他の追随を許さなかった。
そのため、幼獣たちは何かにつけて「サァラ、サァラ」と懐いてしまったし、老ナーヴァルたちも細かい作業が得意で話し相手になってくれるサァラを可愛がり――そしてこれが腹立たしいのだが、同世代の雄たちは言葉にこそしなかったがサァラをよく目で追いかけていた。
小柄で、華奢で、とりわけ温厚なサァラ。
良くも悪くも非常に目立つ彼女は、常にその動向を見られてきた。
本人は「私はナーヴァルの中で貧弱だからこれでいいの」と自らが弱い事を自覚していたが、里の中でその存在が大きくなっていた事に関しては全く気付いていなかった。
だから、サァラが人間の騒動を起こした責を負い里を出るなどと素っ頓狂な宣言をした際、上から下まで大騒ぎする羽目になったのだ。
弱いくせに一度決めた事に関しては梃子でも動かないサァラなので、結局、誰も止める事は出来なかった。
現在でも、里の外へ出たサァラを、長を始め多くのナーヴァルが気に掛け、里の出入りを容認している。
ここまでさせるのだから……ある意味では、サァラは大物だと思う。
「――もっとも、お前はお前で、問題児だったがな。場合によっては、サァラの奇行以上に面倒を起こしてくれたものだ」
ガァクの隣で、長は深い溜め息を響かせた。
「最弱のサァラに対して、お前は稀に見る強さを誇る戦士。だというのに、サァラが関わると後先考えぬ馬鹿な行動にばかり走った」
人間の子を助けたサァラが、同胞たちとの間に不和を生じさせた時。
それらの責を負い、里を出るとある日突拍子のない宣言をした時。
真っ先に反応し、場を乱してきたのは――他でもないガァクである。
そもそも、人間の子を里へ入れる事になった原因は……サァラだけでなく、その場で噛み殺さなかったガァクにもある。
サァラを想うがゆえに、孤立する事も厭わない行動を取ってきた。そしてそれは、今に始まった事ではない。過去に何度も、似たような事をしでかしてきている。持って生まれた頑丈すぎる精神のおかげで、ガァクは全く気にも留めずへこたれる事もなかったが、代わりに里の成獣たちを大いに悩ませた。
そして、極めつけが――。
「私の立場を受け継ぎ、里を導いてゆく器であったと、誰もが認めていたのだがな。まさか、里を離れたサァラの後を追っていくとは」
「誰も、納得はしないでしょう。俺自身も、こんな長は認められない」
同世代の中で頭角を現し、里の戦士たちとも同等に張り合い、数多くの森の生き物と戦って勝利してきた。
今やガァクを下せるのは、目の前にいるこのナーヴァルだけだろう。
それほどに強くなったと、ガァクも自負している。しかし選んだのは、長の後を継ぐ事ではなく、歴代最弱のナーヴァルの側に居る事であった。それだけ、たったそれだけの事で、ガァクは多くの栄誉を捨てた。
下に落ちこそすれ、上に上がる事は二度と叶わない、凡庸の兵になるなど……他のナーヴァルならば発狂ものだろう。
しかし、後悔と自責の念は、欠片もなかった。
「どう呼ばれようと構わない。サァラの側に居て、サァラを守れるのなら」
「……まあ、そうだな。お前も昔から、サァラと同じで“変わり者”だった。……しかし、ようやくつがいを得たかと、安心もしているがな。子を作る季節に何度入っても、お前ときたら『サァラ以外は嫌だ』の一点張りだ」
思い出したガァクは、僅かに沈黙する。
繁殖の季節に入るたび、ガァクがどの雌とつがいになるのか、どの雌がガァクを射止めるのかと、同胞たちは大いに注目した。だが、ガァクは頑として動かず、同胞たちは落胆を隠さなかった。それに気付かぬほど、ガァクも愚かではないが……。
あれはもう、仕方がなかった。まさか選んだ雌が、季節に入るたび住処に引き籠もって出てこなくなるなど、思ってもいなかったのだ。
おまけに、サァラを狙う若い雄がこの季節になると特にちらつき、ガァクという最強の壁があってもなお近寄ろうとしていた。これを蹴散らす作業に追われ、ガァク自身が接触出来た試しは一度もない。
……第一、他の雌など、その辺の雑草くらいにしか見えなかった。
彼女は昔から、若い雌たちの中で、飛び抜けて小綺麗で優しかったのだ。
「……まったく、お前もお前で、奇妙な奴だ。何故、それほどまでして、サァラを選ぶのか」
ガァクは、静かに瞑目する。
今まで、何度も、投げられてきた言葉だ。ナーヴァルの戦士としての道を、何故好き好んで外れるのか、と。
きっとサァラも同じように言われてきたのだろう。そう思えば、言われ続けた言葉に嫌悪はなかった。
「理由なんてものはない。ただ、サァラを守ってやれるのは俺だけだと、思っただけだ」
自らの心に従った結果、その通りになった。後悔はない。むしろ、幸運だと言っても良い。
サァラとつがいになり、子を残せる場所に来れたのだから。
そしてこの場所は、季節が何度巡ろうと、他の雄に譲るつもりはない。もちろん、目の前に佇む、このナーヴァルにも――。
「……好きにしろ。お前はもう、里の掟には縛られぬ身。つがいを守り、子を守れ」
「言われるまでもなく、そうします」
「……そうだな。お前は、そう簡単に倒れはしないな。私の血を継いでいるのだから」
愉快そうに笑った長が、不意に、ガァクを見つめた。
「あるいは、お前が、新しい群れを作り、里を築くのかもしれないな」
「……長」
「ふ……長話が過ぎたな。もう狩りの時間だ、手伝ってやってくれ。今度は、サァラたちも連れてくるといい」
長は立ち上がると、元来た道を戻ってゆく。その後ろ姿は、里で暮らしていた時に何度も見た、厳格な長のものであったが――とうの昔に忘れた親という言葉を、何故だか思い出した。
◆◇◆
狩りを手伝い、再び戻った高台の洞窟では、賑やかな声が響いていた。
楽しそうに笑うサァラの声と――いくつもの、幼い鳴き声だ。
「――あ、おかえり。意外と早かったね。ほら、お父さんが帰ってきたよ」
獣の姿のサァラが身を起こすと、彼女の腹部から四つの白い塊がわらわらと飛び出した。
足取りは未だ覚束ないものの、自らの足で歩けるようになってきた、四匹の子である。
よろめきながらも懸命に駆け寄ってくる丸々とした子を、ガァクは順番に舐めてゆき、最後にサァラの首をひと舐めした。
「はーッ子育てって大変だね。お母さんナーヴァルはみんな、こんな思いをしてたんだなあ」
しみじみと告げたサァラの眼差しは、傍らで遊ぶ四匹の子に向けられている。
母親のくたびれた様子など気にもせず、子どもたちはもみくちゃになって地面を転がり、キャンキャンと鳴いて楽しげに遊んでいた。
……しかし、一度に四匹もの子を抱えた雌は、恐らくサァラだけなのだろう。
ガァクが記憶している限りでも、雌は一匹しか子を生んでこなかった。長のところでさえ、三頭の雌が居たから、三匹の子が存在していたのだ。
小柄なサァラから四匹もの子が生まれた時は、どのナーヴァルも驚愕し、あの長でさえ仰天し言葉を失っていた。
何から何まで、サァラは規格外の存在である。
「ねえ、里はどうだった? 何か事件とかなかった?」
「いつも通りだ。里でも多くの子が生まれ、皆が忙しそうにしていたぐらいで、問題はない。……ただ」
「うん?」
「長と、少し話をしてきた。今度は俺だけでなく、サァラと子を連れ全員で里に来いと」
サァラは顔を上げると「そっか」と呟き、赤い瞳を緩めた。
「長は、怖い雰囲気だけど、なんだかんだで優しいよね。私もガァクも、問題ばっかり起こしたのに」
「嬉しいか」
「そりゃあ、もちろん。でも……顔は出せても、一緒には暮らせないかな」
そうだろうな、とガァクも思う。
それは、人間の子どもを里に招いた責が、サァラにあるからではない。
子を多く生める特別な身体であるという事が、判明してしまったからだ。
群れの中で最も強い雄のみが、複数の雌をつがいにし、その血を多く残す。その掟のもとに群れは成り立っているが、自らの子孫を多く残したいと思うのは、雄の本能。そこにサァラが入ってしまっては、群れの秩序や力の均衡を壊しかねない。
あの厳格な長が居る間は、群れの崩壊など有り得ない事だが……。
彼女が里へ戻らないなら、ガァクも里へ戻る事はない。
「キュウ……」
「ん? 眠くなっちゃった?」
いつの間にか、四匹の子は遊ぶのを止め、サァラの腹部で丸くなっていた。ひとしきり身体を動かし、ようやく疲れたのだろう。良い位置を探るように身動ぎを繰り返した後、やがて寝息を立て始める。
「急に静かになっちゃった。あふ……」
釣られるように、サァラも口を大きく広げ、欠伸をこぼした。
「寝ていろ、見張っていてやる」
「ん、でも……」
「お前らを守れないほど、弱くはない」
ガァクは首を伸ばすと、サァラの首筋を軽く食んだ。毛繕いをするようにあやせば、くすぐったそうに身動ぎをしていた彼女の表情が、次第に眠たそうに緩んでゆく。
「じゃあ、ちょっとだけ、休む……」
「ああ、そうしろ」
そしてサァラは瞼を下ろすと、ガァクの強靭な身体に寄りかかり、あっという間に眠ってしまった。無防備な寝息が、ガァクの耳を掠めてゆく。
華奢で小柄で、爪も牙も頼りない、正しく“最弱”の呼び名が相応しい同胞。
昔から一向に改善されず、ガァクも鼻で笑った事はあったが――けして弱くはないと、近頃は思うのだ。
同胞の誰よりも細い身体で、四匹の子を決死の思いで生んでくれた。
それだけでない。ろくに戦えないくせに、一度だけ、彼女は自分に立ち向かってきた。勝てるはずがないと、分かりきっていただろうに。
(あの人間が、森へやって来てから)
金色の髪と、青色の両目を持つ、幼い人間。
あの人間との間に何があったのか、森を去った後も何故あの人間を気に掛けるのか、今もガァクは知らない。
というより、理解する事が出来ないと言った方が正しいのだろう。
ガァクには踏み入れられない“何か”が、あの二人の間にはっきりと存在している。
……正直、憎たらしい事この上ない。
大体、あの子どもは、同じ“匂い”がするのだ。
成りこそ小さいが、これと決めた事は是が非でも貫き通す“同類”の目をしていた。あれも恐らく、自らの願いのためなら、平気で道を逸れる雄だろう。
今はまだ幼いが、成長すれば、いずれ分かるに違いない。
(……いつかサァラは、あの人間を守ろうとして、森の外へ出る気がする)
サァラがそれをガァクへ口にした事はない。しかし、人間と進んで繋がろうとするサァラだ。そんな未来があってもおかしくはないし、むしろ仕方のない事だと、ガァクは思っている。
だからガァクも、彼女の傍らに居続ける。守り切るためにも、連れ帰るためにも――あの“最弱獣”の側には、居続けなければならないのだ。
(――だが、少しは、自惚れても良いか)
頑なに拒絶してきたサァラが、今はこうして、つがいとして側に居る。
自らの血を分けた子を生み、分け隔てなく慈しんでいる。
戦う事と、強くなる事しか知らなかったガァクにとって、それはあまりにも過ぎた幸福であった。
「んむむ……にゃ……」
ガァクの内心など知らず、サァラは無防備に眠りこけている。抱きかかえた四匹の子と共に、間の抜けた寝言を響かせて。
ガァクはこの日も、自らのつがいに呆れ果て――どうしようもない、愛おしさを噛みしめた。
存在感を放ちまくった脇役――ガァクに重点をおいた、おまけの話でした。
変わり者と呼ばれたサァラを彼はあんな風に追いかけたわけですから、きっと彼も本当はそういう風に呼ばれていたのだろうなと思って、書きました。
変わり者同士のナーヴァルの夫婦、長が言うように、未来で何か新しい事をしでかしそうですね。
そういうのを通し、遠い未来で芽吹くだろうたくさんの苦難の種を、別の形で開花させ昇華して欲しい。
そして彼の苦労と嫉妬は、きっと今後も続くのでしょう。
彼には一生涯、サァラの名を叫びながら必死に追いかけ回してもらいたい。(ザ・不憫)
ちょっとしたおまけの話ではありますが、楽しんで頂けたら嬉しいです!




