愛夢
4章エピローグです。
――NEST、所長室。
紙をめくる音だけが、静かな部屋に響く。
白い報告書の一番上には、赤い文字で所外秘。タイトルは
『中村陽太に関する経過報告』
対象者:中村陽太 3歳
精神波レベル:2程度
現状:安定
所長が眉をひそめながら読み進めていく。
「報告は受けていたが……まだまだわからない事が多いな。」
「全くです。」
「……セカイを持つ安定したレベル2?我々の基準にはなかったと思うが?」
「ありません。まぁレベル自体こちらが決めた不確実なものですが。」
「しかも対象者は起きていると。」
「はい。」
向かいに座る真琴は、手元の端末から目を上げた。
「現在は退院して児童養護施設に入所。不安定さはあるものの他の新規の子の時よりはずっと落ち着いているそうです。」
「まるで愛着の問題がない子のように。か。」
「はい。」
真琴が画面を操作するとモニターに波形が映った。細かく上下していた線が、一定の間隔でゆっくりと揺れている。
「起こすまでとは、まるで違います」
所長は波形を見つめた。
「セカイは?」
「報告書の通り、残っています。」
「……対象者を連れ出しても安定していると?」
「はい。」
「ただ、私たちが陽太君を寝かせた場所からはしばらくすると消えていました。再調査時に自分のセカイの中に陽太君を確認しています。報告書にも記載しましたが、私達と同じようにセカイと現実を往復できる状態と考えます。」
所長は報告書へ目を戻した。
「陽太君自身は?」
「面会に行きましたが、私達の事は覚えていないようでした。」
「完全に君達と同じ状態ではないんだね?」
「はい。」
「再調査時の記録もご確認ください。」
紙をめくる音が響く。
「状況終了後、もう一度、私含め3人で陽太君のセカイへ行きました。その際、街並みは最後に見た状態でしたが一点大きな違いが。母親がいました。」
所長の眉が動く。
「様子は?」
「安定しています。会話もできました。驚くことに自分が夢の存在だと自覚しているようでした。覚えている限りの会話の記録もそちらに。」
「…………」
真琴は少し黙った。
「私が一番面白かったのはここです。」
「『私の役割は陽太を夢で支える事。そして私がいなくなっても大丈夫なようにする事です』」
「……」
所長はしばらく黙っていた。
「事実、陽太君は現実を過ごし、夢の中ではお母さんに会える。陽太君が現実の話をお母さんにしているのも聞いています。」
所長が再び報告書へ視線を落とす。パラパラとめくる。
「真琴くん。」
「はい。」
「原因についての記載は無いが原因は?」
「……」
「書いていません。」
「それは見れば分かる。なぜだね?君にしては珍しいじゃないか。」
所長が報告書を机の上に置く。
「いつもなら、可能性くらいは並べるだろう?」
「……」
真琴がペンを取り、紙の上で止まった後ペンを回し始める。
「所長は……愛やら奇跡やらを信じますか?」
「いきなりなんだね?」
所長が軽く笑う。
「愛も奇跡も存在し、起こりうる事だと考えているよ?ただ、我々のような人間が証拠もなく答えをそれにする事はしてはいけないと思うがね。」
「……ですよね!」
ペンを置く。
「仮説はありますが荒唐無稽な話なんです。証拠もありません。」
「……」
「やはりちゃんと確認してこそですよね。」
真琴は端末を閉じた。
「だから今は、分からないことは分からないままにしておきます。」
所長は何も言わなかった。
「失礼しました。」
真琴を見送ると、所長は机上の写真立てを眺める。妻と娘と一緒に撮った平凡な写真だ。
「愛とか奇跡とか、ね。」
ため息をつくと山積みの仕事に戻った。
♢ ♢ ♢
時は少し戻り、陽太君のセカイ突入の翌日。
「……痛っ」
目を開ける。
白い天井がぼやけて見えた。頭がガンガンする。
「……ここ……」
喉が乾いている。身体を起こそうと、両腕に力を入れた。
「っ……!」
ついた腕に鈍い痛みが走った。思わず手を離す。
「っつ!!!」
今度は背中に痛みが走る。
「……いってぇ。」
ズキ、ズキ、と痛みが脈を打つ。身体を少し動かしただけで、肩甲骨のあたりが引きつる。
「……なんだよ、これ」
昨日の光景が頭をよぎった。飛んできた瓦礫。澪を突き飛ばした感触。背中から地面へ叩きつけられた衝撃。光の中での出来事。
「澪は!?」
当然ながら返事はない。起きようとして痛みに悶える。
「もう一回……寝れば、」
目を閉じた。
「…………。」
眠れない。身体は重いし痛いのに意識だけがしっかりしている。
「……無理か」
痛みに顔をしかめ、枕元のスマートフォンを取る。
(今日は大学を休もう)
そう決めて、真琴へ連絡を入れた。数回の呼び出し音。
『もしもし?』
「真琴さん。」
『悠真くん? 起きたの?』
「はい」
『良かった〜向こうでは酷い怪我だったからね。体は大丈夫?』
「俺は大丈夫です。ところで澪は?あの後どうなったんですか?」
『待って待って。順番に話すね。』
電話の向こうで、キーボードを叩く音がした。
『まず1番心配してる澪ちゃんだけど、無事だよ?君と一緒に運んでテントで寝かしてある。』
「無事なんですね?良かった……」
ひとまず一息つく。
「俺……大学、休みます。」
『うん。そのほうがいいよ』
「体中が痛くて。」
『やっぱりか』
「やっぱりって……昨日の怪我って、こんなに残るものなんですか?」
『……今回は、かなり強く受けたからね。』
少し間が空く。
『ユメセカイ内の怪我は現実には影響しない。というのは有名な話なんだけど、実際のところ、体へのフィードバックはありそうなんだよね。まぁ試した人がいないからどうなるかわからないんだけど……良くなったら話聞かせてね?』
「それで……あの後、どうなったんですか?」
『まず、倒れてた三人を外へ出したよ』
「三人?」
『悠真くん、澪ちゃん、陽太くん』
「……陽太君も」
『うん。全く覚えてない感じかな?』
悠真は布団の端を握った。
「陽太君は……?」
『起きたって報告はあったよ。今頃は検査中じゃないかな?』
「じゃあ、あのセカイは……?」
『うん。』
真琴の声が少し低くなる。
『残ってるんだよね〜。』
「……え?」
『セカイは壊れなかった。』
悠真は身体を起こした。
「でも、陽太君は?」
『精神波はレベル2くらいまで落ちてる』
「レベル2……」
『今夜、もう一度調べる予定』
「俺も行きます」
『ダメー。』
「でも、またお母さんとか出てきたら!」
『ダメ。』
今度は、はっきりとした声だった。
『頭も背中も酷かったでしょう?』
「……」
『今日は休んでて。』
「…………分かりました」
『それと』
「はい?」
『昨日の光について聞かせて。』
「……あれ、何だったんですか?」
『……そうか、きみがその状態か……横から見てたけど眩しいだけで何が起きてたかはわからないんだよ。』
光の前後を思い出そうとするがよく思い出せない。
「すみません、よく思い出せなくて。」
『そっか。頭打ってるからね。大丈夫。ゆっくり休んで。今夜、あのセカイがどうなったか調べる。ちゃんと報告するから悠真くんは気にしないで。』
「……分かりました。」
『じゃあ、ちゃんと休むこと。』
「はい」
ツーツーツー。通話が切れ、部屋が静かになる。
「……光、か」
横になり、重たい腕を上にかざす。
あの時ー
動けなかったあたりから記憶は曖昧だ。
澪を突き飛ばした感触、掲げた手。そして、
澪と自分の手から溢れた光。
「課題でもやれば眠くなるかな。」
ひとまず考えるのをやめてベッドから起き上がった。
♢ ♢ ♢
結局眠る事はできずに夜になってしまった。
電気を消した部屋の中、ヘッドライトの白い光が、カーテンの隙間を一瞬だけ横切る。
悠真は布団の中で目を閉じた。
昼間よりだいぶ身体が軽いが、まだあちこち少し動かすと痛みが走る。
「……」
瞼が落ち意識が薄れる。鐘の音が鳴っているような気がした。
次に目を開けた時――。
「お兄ちゃん。」
「……澪?」
テント内には誰もいない。いや、寝台に寝かされている澪がいた。
呼ばれた気がしたが、空耳だったか。
「なぁ澪。」
そっと寝台に腰掛ける。
「陽太君の事だけどさ……ずっとママを探してたんだよな?」
「家を壊して、街も壊して……それでも、ママ、ママって。」
『ママー!!』
耳の奥に、あの声が蘇る。
「……あんなに小さいのに」
悠真は拳を開いた。
「ずっと、一人で探してたんだよな」
空いた手で頭を撫でる。
「俺、最初はさ。ただ起こせばいいと思ってた。」
「……」
「眠ってるなら、起こして現実に戻せばいい。無理矢理でも三歳児一人ならって。」
「でも、最後にな?光の中で陽太君とお母さんを見た気がするんだ。」
「笑ってたんだよ。陽太君。すごく嬉しそうだった。」
「……お前が助けてくれたんだろう?」
握った手に、少しだけ力を込める。
「ありがとな。」
規則正しい寝息を聞きながら、ポツリとこぼす。
「……だから思ったんだ。」
「夢って、ただ逃げるための場所じゃないのかもしれないって。」
澪を見る。
「会いたい人に会えるなら、もう一度話したい人と話せるなら、それだけでも……意味があるんじゃないかな。」
澪は何も言わない。
「でもさ……会いたい人に会った後は……どうすればいいんだろうな。もう一度別れられるのかな。」
周りも静かだ。澪の寝息以外、何も聞こえない。
「俺、まだ分からないことばっかりだけど……考えてみるよ。」
澪の手を握る。
「だから……その時までは必ず、一緒にいてくれ。」
澪が隣で微笑んだ気がした。
そのまま隣に寝台を持って来て横になる。
どこまでも続く夢の中で――。
兄妹は寄り添い、眠りについた。
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