第六話 九紋龍(くもんりゅう)史進(ししん)
史進は、生まれながらに恵まれていた。
華陰県・史家村の保正の一人息子。
だが彼は、土を耕す手を持たなかった。
鍬ではなく、棒。
畑ではなく、武芸。
その執着は、母の命を削り、やがて奪った。
それでも史進は止まらない。
父は諦める。
ならばせめて、本物を与えようと。
浪人・李忠を武芸師範に雇う。
史進は武芸にのめり込んでいく。
そして――刺青を入れる。
龍が刻まれる。
九紋龍。
体だけではない。
生き方に。
ある夜。
庭で棒を振るう史進に、声が落ちる。
「なかなかの腕だ。しかしその腕では、達人には届かぬ」
振り返る。
そこにいたのは、ただの客ではなかった。
禁軍武術師範――王進。
豹子頭林冲の師であった男だった。
上官の高俅に因縁をつけられ都を落ち延びてきたのだ
武芸に自信過剰だった史進は勝負を申し出た。
勝負は、一瞬だった。
誇りも、腕も、叩き潰される。
だがその敗北は、終わりではない。
史進は地に伏し、頭を打ちつける。
「教えてくれ」
父の説得もあり、その覚悟を、王進は受け入れた。
半年。
骨が軋み、血が滲み、技が染み込む。
王進は史進の腕が熟達したのを見届けると史家村を去って延安府へ向かい、史進は涙ながらにこれを見送った。
しばらくして父が死ぬ。
史進は家を継ぐ。
だが運命は、畑を耕させない。
しばらくの後、華陰県・史家村を襲撃しに山賊が来る。
少華山――朱武、陳達、楊春。
戦う。
山賊の部下を斬る。
陳達を一騎討ちで破り捕らえる。
他の二人の首領が身に寸鉄も帯びずに陳達の釈放を求めにやって来る。
「我らは陳達と死ぬ日は同じという義兄弟の契りを交わしている。」
「陳達を解放するか、我らを陳達とともに処刑してくれ。」
それに史進の心は動く。
命を懸けて仲間を救おうとする、その“義”に。
敵だったはずの男たちと、酒を酌み交わす。
その選択が、すべてを壊す。
彼らとのやり取りの手紙が猟師の李吉に盗まれて役人に露見され、李吉を斬るなど捕り方と散々大立ち回りを演じる。
その後。自分たちの首領にとの三人の誘いを蹴る。
もう、後戻りはない。
家も、村も、過去も。
捨てて、歩き出す。
――故郷を出奔し放浪の旅に出る。
出会い。
魯達(後の魯智深)
と意気投合し、魯達が旅芸人の金老爺と金翠蓮父娘を恫喝している肉屋の鄭屠を撲殺したことで、李忠とともに役人に疑われてしまい、騒動に巻き込まれて魯達と李忠と別れる形で延安府を出奔して、師の王進を捜した。
だが――見つからない。
答えは、どこにもない。
僧となり、名を変え、姿を隠す。
それでも戦いは追ってくる。
魯智深となった魯達と再会し、
凶賊を斬る。
再び別れる。
また一人。
また旅。
そして――戻る。
最初に刃を交えた場所へ。
少華山――朱武、陳達、楊春。
かつての敵が、今は首領として迎える。
彼は、頷く。
百姓にはなれなかった。
善人でも、悪人でも収まらなかった。
だが一つだけ、確かなものがある。
義。
それだけを抱え、九紋龍史進は少華山に立つ。




