第27話 対比の天秤、それぞれの舞台
無垢な少女エリシアが「親殺しの重罪人」として広場で灰に帰った、その翌日。
王都ファルミナの空気は、奇妙なほどに平穏だった。
誰もその事件について深く語ろうとはしない。
ただ、民衆の心の空白は、唯一残された「血統の証明」——サラ・セレスティアへの信仰によって急速に埋め尽くされようとしていた。
聖堂の回廊を歩くサラの唇は、誰にも見えぬ角度で、満足げに吊り上がっていた。
「ふふ……これでいいのよ。」
足取りは軽い。
昨日、広場で灰になった少女のことなど、思い出す価値もない。
「正面から戦うしか脳のなかったお姉様は、自分で死地に向かっていった。
私の地位を脅かす存在は、いつだって自滅してくれる。」
サラは指先で胸元の聖印をなぞる。
その仕草は“悲劇に耐える健気な聖女”そのものだったが、
瞳の奥では、冷たい光が揺れていた。
「いいえ……私が始末しなくてもいいの。
この国は、私のために勝手に人を殺す。
私のために勝手に罪を作り、勝手に正義を掲げる。」
「だから私は、ただ微笑んでいればいい。
それだけで、誰もが私の望む形に動いてくれる。」
サラは礼拝堂へ向かう扉の前で立ち止まり、
ゆっくりと“聖女の仮面”を被り直した。
その瞬間、彼女の表情から悪意の影は完全に消え、
代わりに、民衆が愛してやまない“光の象徴”が現れた。
「さあ……今日も、私の正しさを信じてくれる人々のために祈りましょう。」
国を揺るがす陰謀が、
完璧な“善”の形をして完結した瞬間だった。
* * *
一方、城塞都市エルゼンフォート。
その一角にそびえる魔王城、玉座の間。
漆黒の巨大な玉座に、小さな少女がちょこんと腰掛けていた。
見た目は、人間でいえば六歳ほど。
腰まで伸びる艶やかな黒髪、そして左右に小さな角が1本ずつ覗いている。
大きな紫色の瞳に、白く柔らかな頬。
黒と深紫を基調とした豪奢なドレスは紛れもなく王の装いなのだが――いかんせん、本人が小さい。
玉座に深く腰掛ければ、足は床に届かない。
ぷらぷら。
その幼い少女こそ、魔族の頂点に君臨する存在。
――魔王である。
「ねーデスサイズー。
勇者たちと聖女、どうなったの?」
頭には魔王の証たる黒い王冠
――なのだが、少し大きいのか、時折ずり落ちそうになっている。
「……魔王様、王冠が」
「ん」
ずれていた王冠を直してもらう。
「それで?」
「はっ。横峯の攻撃により聖女は瀕死。
しかし勇者三条が処断をためらい、随伴していたホーリードラゴンが介入、聖女を回収。
そのまま戦域外へ離脱しております。生存はほぼ確実かと。」
「……なーんだ、逃げたんだ。さっさと滅びちゃえばいいのに。」
「どちらも滅びてはいませんが、勇者は魔王様の隠れ蓑として今はまだ大事な存在です。とはいえ、聖女と勇者は完全に敵対、さらには王国とも断絶しております。悪くはありません。」
「つまりぃ、私が今から出撃して人類滅亡させていい?」
魔王は玉座の上に立ち上がって小さな両手を大きく左右に広げた。
「ふっふっふー……お膳立ては十分ね!あなたも待ちわびたでしょ!!」
広げた両手を畳んで腕を組み、得意げに顎を上げる。
「まず私が勇者の剣を、こう――バシッ! って受け止めるでしょ?」
「…………」
「それで勇者が『ば、馬鹿な!? 俺の剣を指一本で!?』って驚くの!」
びしっ、と人差し指を立てる。
「そしたら私が言うの。『これが勇者? ずいぶんと可愛いのね』って!」
「…………」
「で、聖女が後ろから攻撃してくるんだけど――私は見もしないで避ける!」
ひょいっ。
「避ける!避ける!避ける!」
ひょいっ、ひょいっ、ひょいっ!
っと、玉座のひじ掛けの上でちょっとバランスを崩したが、
本人は華麗に避けたつもりらしい。
「『そんな……! 二人がかりでも傷ひとつ……!?』」
いつの間にか聖女役まで自分でやっている。
「そして最後に――」
ばさっ!
存在しないマントを翻すように、小さな身体を回転させる。
「ふっふっふー……人類よ! 魔王である私の前にひれ伏すがいい!」
びしっ!
完璧に決まった。……本人の中では。
「という感じで、私の圧勝ね!ウォーミングアップにもならないわ」
「魔王様」
「なに?」
「まずは……お座りください」
沈黙の時間が静かに流れる……
「なんで!?」
* * *
その頃、同じ城塞都市エルゼンフォートの一室。
勇者三条は、聖女との戦いを思い返していた。
「……俺には、覚悟が足りなかったのか?」
その言葉を聞いた宮本が、ゆっくりと立ち上がる。
「ふむ……聖女にとどめを刺せなかった自分には、覚悟がない、か。実に浅薄な結論だ。」
「だが、ここで問うべきは『何をもって覚悟とするか』という定義そのものだ。」
「仮に、無抵抗となった者の命を奪うことが覚悟であるならば、眠る者を殺す暗殺者こそ、この世で最も覚悟に満ちた勇者ということになる。」
「しかしながら、我々は聖女と正面から戦い、その力を打ち破った。すなわち、勝敗は貴様が剣を止める以前に、すでに確定している。」
「よって、とどめを刺さなかったのではない。勝者である貴様には、もはや刺す必要がなかったのだ。」
「にもかかわらず、貴様は聖女を逃したと考えている。だが、戦場に残ったのは貴様であり、背を向けて去ったのは聖女だ。この事実をもって、いったいどちらが逃げたと断じ得る?」
「さらに、聖女を殺せば、彼女の可能性はその場で消滅する。だが、生かせば、彼女は自らの敗北と向き合い、己の正義を問い、再び立ち上がるか否かを選択せねばなるまい。」
「つまり貴様は、聖女から命を奪ったのではない。敗北を背負って生きるという、死よりも困難な試練を与えたのだ。」
「ゆえに、貴様の行為は覚悟の欠如ではない。敵の未来さえも己の選択に組み込む、勝者の余裕に他ならぬ。」
「そして最後に――美学の観点から言わせてもらえば、倒れた女に剣を突き刺して勝利を完成させるなど、あまりにも凡庸だ。」
「完膚なきまでに打ち破り、その命だけは助けてやる。」
「そちらの方が、圧倒的にカッコいい!!!!」
誰にも理解されない完全自己満足のポージングで、落ち込んだ三条を励ます宮本であった。
「……お前、結局カッコつけたいだけだろ」
三条は呆れたように息を吐いた。
だが、その口元には、ほんのわずかな笑みが戻っていた。
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