その十二
「フィー、次は私と踊ってくれるよね?」
「ええ。もちろん」
フィオナをランスロットに奪われたアレクシスは、秋波を送る令嬢たちを無視してワイングラスを手に取った。フィオナ以外とは踊るつもりなどないというアレクシスの無言の表明に、令嬢たちはおとなしく引き下がるしかない。
多くのカップルがダンスフロアへ進み、デビュタントたちはそれぞれファーストダンスの時とは違う男性の手を取る。
ダンスフロアへの人の出入りがなくなると、二曲目の演奏が始まる。
混み合うダンスフロアの中で、さすがは帝国の皇女という優雅さで踊るアリシアはよく目立つ。ステップを踏むたび効果的に広がる赤がアリシアをより一層美しく見せる。アリシアのドレスは豪華なだけでなく、計算されつくしているのだ。
「ねえ、ごらんになって。皇女殿下のあのダイヤモンドとルビー」
アリシアが身につけている宝石の輝きに女性たちは目を輝かせる。
「帝国はダイヤモンドがよく採れると聞きますもの。たくさんお持ちなのでしょうね」
「特にあのダイヤモンドの髪飾りが素敵ね。キラキラと揺れるから目で追ってしまうわ」
「本当ね。小さなダイヤモンドもああしてたくさん並んでいると美しいわね」
「あれがパキナラ侯爵のご子息が贈られたバラの朝露なのでしょう?」
「そうみたいよ。それにしても次から次に宝石を贈られるなんて、うらやましいわね」
ダイヤモンドの話題が聞こえてきたエドワードはダンスフロアに目を向け、アリシアのダイヤモンドの髪飾りを感慨深げに見た。
ランプレスト王国を強く豊かにしたい。それが帝国の圧力に怯える父王を見て育ったエドワードの願いだ。王太子としてエドワードはいくつもの国家事業を立ち上げてきたが、その中でも特に力を入れてきたのがダイヤモンド事業だ。
ダイヤモンド原石のうち八割は透明感がない。それらは研磨剤や切削剤などとして使われる。宝石になるのは残りの二割だ。その二割を加工する時、どうしてもダイヤモンドを削り落とさなければならず、ダイヤモンドの欠片と粉ができてしまう。ダイヤモンドの粉は研磨に使われるのだが、同時に生まれたダイヤモンドの欠片は使い道に困る。工業用に回すにはもったいない品質だが、宝飾品に加工するには手間がかかりすぎて利益がでないのだ。
エドワードはダイヤモンドの加工場を視察した時、そのダイヤモンドの欠片に目をつけた。加工技術の向上を図り、宝飾品として売ることができれば、かなりの利益を出せると思ったのだ。
市場の独占のためにダイヤモンド事業は極秘で進めてきた。技術の革新には年月と資金を要したが、努力はようやく実を結んだ。ダイヤモンド事業の成功はもうすぐそこまで来ている。
エドワードの耳に届いているとも知らず、女性たちは噂話に花を咲かせ続ける。
「でもうらやましいと言えば第二王女殿下よね」
「ええ、本当に。あの氷のプリンスがあんなにも甘い笑みを浮かべられるなんて驚いたわ」
「あんな目で見つめられたら、好きにならずにはいられないわよね」
「何でも王女殿下のためなら、宝石鉱山でもプレゼントするとおっしゃったそうよ」
「まあ、情熱的ね」
「そう、情熱的なのよ。何でも今夜の舞踏会で二度目のプロポーズをするのですって」
「まあ、素敵。今夜は王女殿下から目が離せないわね」
女性たちの視線がフィオナに向かう。フィオナとランスロットはまるで恋人同士のように微笑み合いながら踊っている。その二人をじっと見つめているアレクシスを見つけて、エドワードはその場を離れた。
「ねえ、フィー。アレクシスが私を睨んでいるよ」
アレクシスの鋭い視線に気がついたランスロットの言葉をフィオナは信じない。
「そんなはずありませんわ」
「じゃあ、自分の目で確かめてごらんよ」
アレクシスを見せようと、ランスロットは片手を上げてくるりとフィオナを一回転させた。しかしフィオナの瞳に飛びこんできたのはアレクシスではなく、美しく翻る鮮烈な赤だった。
フィオナのステップがほんの少し乱れた。
「ごめんなさい、ランス兄様」
フィオナの微笑みに憂いが忍びこむ。それをランスロットは無視できない。
「フィー、どうかしたの?」
ためらいを呑みこんで、フィオナはランスロットに訊いた。
「……私のドレス、変でしょう?」
フィオナが今日のドレスを選んだ理由を知るランスロットは、フィオナを励ますように微笑んで言った。
「ちっとも変じゃないよ。すごく似合ってる」
「でも、私だけこんなドレスで、アレク様は変に思われているかもしれないわ」
「アレク様か、フィーはアレクシスとずいぶん親しくなったんだね。でもアレクシスにはドレスの違いなんて絶対にわからないって、私は断言できるよ」
フィオナの瞳がどうしてとランスロットに問う。
「だってアレクシスの目にはほかの令嬢なんて入っていないんだよ。フィーしか見ていないんだから、違いなんてわかるはずがない」
フィオナはルドヴィックの好みに合わせてデビュタントドレスを仕立てた。細身でシンプルなドレスが好きだと、清楚なドレスを着たフィオナが見たいと、ルドヴィックがよく言っていたのだ。婚約破棄が決まってもフィオナは違うドレスを選べなかった。ルドヴィックの目に少しでもきれいに映りたかったのだ。それはフィオナの未練であり、意地でもあった。しかし今のフィオナはルドヴィックではなくアレクシスの目を気にしている。
「ねえ、ランス兄様。もう一度回して」
小さく回るフィオナの愛らしさに、アレクシスだけでなく、多くの男性が目を奪われる。
「ほら。ドレスの裾が広がらないから、ターンがきれいに見えないわ」
「フィーはダンスがうまいから、裾の広がりや装飾でごまかす必要などないよ」
「そんなことないわ。ドレスの裾は広がったほうが断然美しいもの。あんなふうに」
フィオナの瞳に映る赤をランスロットも見る。
「皇女が気になるかい?」
そう問われて、フィオナは大人びた微笑みを浮かべた。それを見て、ランスロットの胸はかすかに痛む。フィオナが自分の手を必要としなくなる日が近いことをランスロットは感じたのだ。
「エディ兄様のダイヤモンドがよく似合っていらっしゃるわ」
アリシアの髪を彩るルビーの赤バラはルドヴィックの情熱かもしれないが、そのバラから垂れる美しいダイヤモンドの雫はエドワードの情熱であることをフィオナは知っている。
「宝石に負けない美しい人」
アリシアを見てもフィオナの心は乱れない。けれど何も感じないわけではないのだ。フィオナの心はルドヴィックを愛していたことをまだ忘れてはいない。
「フィーは宝石など必要ないくらいきれいだよ」
ランスロットの言葉が真実であることは周囲の視線が証明しているのだが、そのことにフィオナはまったく気づいていない。
「公爵家嫡男が社交をおろそかにしていいのかい?」
笑顔のエドワードと目が合ったアレクシスは慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません、殿下。今日だけはお許しを」
「よく言うよ、アレクシス。普段は私の護衛にかこつけて舞踏会になど参加もしないくせに」
王太子と話しているというのに、アレクシスの視線はすぐにダンスフロアに戻ってしまう。
「ランスにもそんな目を向けるとはアレクシスは嫉妬深いのだね」
「そんなことは」
ありませんと続けられない正直なアレクシスにエドワードは笑みを深める。
「まあいい。ところでフィオナとはどうなっているんだい?」
アレクシスは返す言葉を見つけられない。今の状態をどう説明していいのかわからないのだ。
「ランスには何でも言うくせに、私にはだんまりとはひどいな」
「そういうわけではありません」
「私に邪魔されたくなかったら話すべきだと思うけどね。例えば今夜の二度目の求婚のこととか」
アレクシスが洗いざらい話すまで、それほど時間はかからなかった。




