第八話「為景、越中半国と虎御前を押し付けられる」
永正15年(1518年)
越中国に進軍した為景の軍は、“能登守護”畠山義総の軍と連携し、神保慶宗と一向一揆の軍を攻め立てていた。
為景の軍は士気が高い事もあり連戦連勝であったが、途中で能登に一向一揆が迫り畠山義総が一時撤退するなどし、この年は神保慶宗を追い詰めるまでには至らず、冬となり越後へと撤兵する。
翌永正16年(1519年)
”越中新川郡守護代”である椎名勢が慶宗の側につく等があり、畠山義総の軍が大敗をし、“越中守護代”遊佐慶親が討ち死にをするなど、反撃を食らう事もあったが、ついに二上城まで神保慶宗を追い詰め、討ち果たすのであった。
-長尾為景-
ついに終わった。
親父、敵は討ったぜ……
まぁ親父の事だから『そんな事よりも越後をまとめる事を考えろ!』とか言いそうだけどな。
戦が終わった俺は、今後の事を決める為、畠山卜山殿と畠山義総殿と会談を行った。
そこで卜山殿は胸に秘していただろう事を話し始めた。
「わしも歳じゃし、越中を治めるには力不足である事を感じたのじゃ。
この越中の地はわしが他に治める河内・紀伊から飛び地じゃから、必然的にかかわる時間も少なくなる。だからこそ強い者に守護代をやって貰いたいと思っておる。
椎名や遊佐が討ち死にした事もあるし、義総殿と為景殿に守護代をお任せしたいのだが、如何か?」
この卜山殿の決意は固いようであった。
そのため俺と義総殿はどの様に越中を分けるかを相談するが、これもすぐに決まった。
越中の中で礪波郡と射水郡(越中の西側、加賀・能登寄り)を義総殿、
婦負郡と新川郡(越中の東側、越後寄り)を俺が納めることとなった。
領地的には俺の方が広いんだが、義総殿は一向宗の事もあり、あまり広くても収めきれないと思ったのか、これで納得していた。
義総殿は卜山殿に許可を得て、慶宗の弟だが卜山殿についた神保慶明を、そのまま自分の名代として使うらしい。
……領地の分け方と良い、能登は一向一揆のせいで本気で余裕が無い様子だ。
そして俺も“越後守護代”である事から、手のものを越中に置く事を卜山殿に了承させた。
さて、領地が増えるのは良いんだが、この土地は本気で面倒だから信用できる奴じゃねぇと無理だな。
・・・・・
卜山殿、義総殿が退室し、俺の傍で共に話しを聞いていた定満が声を掛けてくる。
「為景殿、越中は誰に任せるのですか?実績的には中条殿などが適任かと思われますが……」
「定満、お前がやれ」
俺の言葉を予想していなかったのか、定満は目を見開いた。
まぁ、予想通り驚かせる事が出来て、俺としてはしてやったりって所だ。
「しかし、私は縁戚とは言えつい先年為景殿に叛いた身、長年支えられた他の方のほうがよろしいのでは?」
「なに中条のとっつぁん達も、こんなに一向宗の力が強い土地は貰いたくねぇだろ。それに……お前なら納められるだろ?」
中条や安田を揚北から抜いちまったら、本庄や色部等が反抗した時の押さえが無くなると言う理由もある。
だがそれよりも俺は定満を買っている。
俺はこれから越後を更にまとめる為に奔走する事になる。背後を任せられる実力と信頼がある将は定満を置いて他にいねぇ。
挑発的に言った俺の言葉に、定満もまた挑発的に言った。
「では、為景殿のご期待にお応え出来るように、全力を尽くしましょう」
こうして為景は越中半国の実質的な支配者となり、勢力を拡大させた。
”越後守護代”と兼任して“越中婦負郡・新川郡守護代”となる為景は、定満と連携して越後・越中から一向宗の勢力排除に尽力する事となる。
だが、今はそれよりも大事な問題が為景にはあった。
-宇佐美定満-
越中の戦が終わり長尾家の家臣が集まった場で、私は為景殿に1つのお願いをした。
「側室をとれだぁ?」
為景殿は心底嫌そうな顔をしてそう言った。
だがこれは譲れない事であるのだから、私は続けて話す。
「えぇ、理由は言われなくても解っていますよね?」
「……道一だけじゃ何かあった時に困るからだな」
やはり解っておられる。
為景殿の子は嫡男である道一丸殿だけだが、これでは戦や病で何かあった時に長尾家が断絶してしまう。
越中半国を手に入れたことで為景殿の影響力が増し、さぁこれからと言う時にそれでは不味い。
第一に為景殿ですら、何があるか解らないのが戦場の習い。
それは能景殿の件で為景殿も解っているはず。だからこそ、この様に問いかけたのだ。
「先日奥方が倒れられた件も聞きましたが、為景殿は奥方が身体が弱い事から失うのを恐れて、いつまでも2人目の子を作ろうとなさらないんでしょう?
それならば側室を持って頂く他に方法はありません」
「……何もかもお見通しかよ、ちくしょう!」
為景殿は子供っぽく声を荒げるが席は立たない。
頭では必要性を理解しているが、感情が受け入れかねていると言ったところでしょうかね。
まぁ人に妹を押し付けたくせに(奥との仲は良いのですが)、自分は逃げようなんて事は私が許しません。
「それで、どこから嫁を貰えば良い?」
不機嫌さを隠そうともしないが、為景殿は理性で抑えて話を進める。
「越後統一を目指す以上、障害となるのは古志と上田の長尾家となりましょう。
そのどちらかから輿入れをし、生まれた子が女児であればもう片方に嫁がせる……がよろしいかと」
2つの長尾家は為景殿に取って代わろうと、虎視眈々と隙を狙っている。
現に顕定が攻め入ったときには、あっさりと向こうに寝返っていますしね。
為景殿の縁戚ともなれば、もう少し協力的になるでしょう。
「3つの長尾家を1つにまとめるって事だな。確か房景殿(古志長尾家)には年頃の娘が居たはずだな?」
殿も何だかんだ言って解っている。
きっと自分ですでに候補を調べていたのでしょう。
古志長尾家は上田長尾家と仲が悪く、房景殿は今回の越中侵攻でも兵を出してくれており、どちらかと言えば為景殿寄りの家です。
私も第一候補として考えていました。
「はい、少々男勝りですが美しい娘と言う評判です」
私はニヤリと笑い、為景殿の言葉を後押しする。
考えが一致した事から、為景殿は観念して動き出した。
「しょうがねぇな。親綱!」
「はっ!」
「話をまとめて来てくれ」
「心得ました」
呼ばれたのは直江親綱殿、彼ならば古志長尾家との話を難なくまとめられるでしょう。
さて、私は他の者達を取りまとめ、盛大に祝言の準備をしましょうか。
こうして、長尾房景の娘が側室となる事が決まる。
この娘こそ、後に上杉謙信の母となる虎御前その人であった。
-道一丸-
親父の元に新しく側室が来るらしい。
どうやら長尾房景の娘らしいから、虎御前で間違えないだろう。
良かった、どうやら謙信は無事に生まれてくるようだ。
歴史が変わってしまったかと冷や冷やしていたが、結果的には上手く行ったらしい。
まぁ毘沙門天のおっさんが、謙信が生まれないなんて事を、許すはずが無いしな。
……ところで、あそこで弥次郎達に混ざってチャンバラしている少女は誰だろう?
「姉ちゃんつえー!」「いったい何者なんだ!?」
「私のことは於虎と呼びなさい!」
「虎ねーちゃん!」「虎ねーちゃんだ!!」
「ちがーう!於虎だって!!」
「わぁ~怒った~」「虎が怒った~!!」
少女は弥次郎達と追いかけっこを始めた。
……あれが俺の義母になるの?
歴史が変わった影響で、本来は2年以上かかる戦を1年で済ませ、新川郡だけだった所を婦負郡まで為景の物となりました。
主に宇佐美さんのおかげですが、着々と長尾家が強くなっています。
彼は越中統治に婚姻外交に大忙しです。
そして謙信の母登場。史実とはちょっとだけ変えて側室になって貰いました。
ちなみに今回で幼少編を終わりにしまして、次回は一気に年代が飛びます。
次回、ついに謙信が……