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【10】甘く綾なす(4)

「あれ。竜治と沙耶子さんだ」


 人通りの多い商店街の片隅。アイスクリンを食べ終えた後も花壇の端に腰掛けていたら、ふいに声をかけられた。


「デートか、竜治。沙耶子さんに洋服着せて、楽しそうで何よりなこって」

「珍しい。こんなところで会うなんて」


 こちらに歩み寄る晴一に竜が返す。「非番なんだよ」と苦々しく笑う晴一は着物姿で、駒下駄がジャリ、と土道を踏んだ。鼻緒の紺をひっかける素足が少し寒そうだ。


「晴一。昨日は弁当を届けてくれてありがとう」


 私が礼を言えば、晴一は愛嬌の良い笑顔を向ける。


「いえいえ。無事に渡せて良かったです。……まぁ、忍び込んだんですけど」

「俺の部屋、二階にありまして。すぐ外に梅が植わってるんですよ。昔から、登り降りできるくらい大きいんです」


 竜はそう付け加えると、ニヤリと笑みをこぼす。この顔なら昔からやっているに違いない。家人の目を盗んでは部屋を抜け出す竜の姿が容易に想像できた。


「あの……晴一さん」


 話の後で、晴一の袖がちょん、と背後から引かれる。街の賑わいに埋もれてしまいそうな、か細い声で晴一の名を呼んだのは、一人の少女だった。歳はおそらく十六、七。桜色の着物がなんとも可愛らしく、少女のたおやかな雰囲気に合っている。気付いた晴一が、後ろから現れた彼女を横にくるよう促す。私たち二人に見せるようにして彼は言う。


志穂(しほ)さんです。今度結婚するんですよ、俺たち」

「……こんにちは」


 晴一に合わせて少女が頭を下げる。彼女は私と竜を順に見ると、少しうつむくようにして視線を外す。素っ気ないというより、ぼんやりしたような印象だ。「おめでとう」と二人に言えば、形式的に礼を返された。形だけの返事をしたのは晴一も然りだった。


「じゃあ、俺たちは行きますね。竜も沙耶子さんもどうか楽しんで」


 もう一度軽い会釈をして、二人は通りの向こうへ歩き出した。食べきったアイスクリンの棒を唇に添える。削り立ての木の匂いを感じながら、ふむ、と先ほどの二人を思い返す。無意識に棒を吸えば、木の味がほろ苦い。


「結婚の話、聞いてなかったな」

「向こうは知りませんけど、晴一は乗り気じゃないらしいですよ。一緒になれば慣れるだろうとは言ってましたけどね」


 恋仲に見えなかった理由はそれか。年上にあたる晴一はともかく、相手の少女はやけに気が引けた感じだった。仲睦まじいとは言えない距離感だったが、事前に付き合いを始められるのは良いな、と思う。結婚当日に初めて顔を合わせたという話もよくあるから、それこそ晴一の言うように『慣らし』ができるのはありがたい。


「なんというか控え目な、可愛らしい子だったな」

「大人しく見えて、したたかそうですよねー」

「そうか?」


 相手の感想を漏らせば、竜から少し意外な答えが返ってきた。通りの先、二人の後ろ姿を眺めると、少女が隣の晴一を見上げて袖を引っ張っているのが見える。それに従ったのか、晴一は緩慢な動作で少女の腰に手を回す。その寸前、彼がチラリとこちらを気にかけたように見えた。



*****



 帰りの沿線は赤に滲んでいた。夕映えの松林を突き進む汽車は白煙を吐きながら、周囲の景色を後ろへ後ろへと追いやっていく。


 晴一たちと別れた後は手持無沙汰に街を歩いた。昼飯は二十銭のハヤシライス。午後は鎮守神の白山さまにお参りすると、神社に隣接した公園と河川の堤防で気ままに過ごした。


 楽しい時間が過ぎるのは速いな、と流れていく車窓の景色を眺める。あっという間に日が傾いて、洋裁店へ預けていた着物を取りに行ったのも内心はしぶしぶだった。今だって汽車は勝手に町へと帰るが、後ろ髪を引かれる思いだ。

 今日が終わるのは寂しい。だが、それ以上に胸が幸福感で満ちているのも確かだった。


「竜、ありがとう。同じ空気を吸わせてもらったみたいで、嬉しかった」

「いつも同じ空気を吸ってますよ。……俺はちゃんとここにいますから」


 一日楽しませてくれたことを隣の竜に感謝すれば、彼はへらっといつも通りの笑みを作る。夕方の温もりに包まれながら座席に座り直す。一日歩き通した私の肢体が緋色の椅子に沈み、心地が良い。普段は出すことのない脹脛(ふくらはぎ)に違和感を感じ、すすと脚を擦り合わせると、その様子をじっと見ていた竜が静かに口を開いた。


「沙耶子さん。俺はきっかけあってこういう格好をし始めて。今もずっと続けてますけど、別に新しいものとか、外のものだけが好きなわけじゃないんです」


 ガタン、と車体が揺れる。休日の前日だからだろうか。行きよりも人が少ない。松林から夕日に染まる海岸沿いに抜けると、彼は続ける。


「昔の匂いがするこの港町も好きです。実家(うち)も、合わないところはあるけど、良い仕事をしてると思ってます。……でも。俺、帝都で仕事がしたいんです。何でもいいわけじゃなくて、うちの仕事を」


 潮の香りが辺りに漂う。車内を軽く見渡すと、いくつかの車窓が半分ほど開いていた。落ち着いた竜の言葉に、ただ「そうか」とだけ答える。予想できていたことだった。仕事をせずふらつく竜だが、そんな彼の中にも家業への意慾が息づいていることは知っていた。彼はいつ何時も、実家の商品を誇らしげに話していたから。


「親父の遺志だけじゃなくて、俺の夢なんですよ。帝都から、この町の水産物を国中に広めたい」


 海は自身に落ちてくる夕日をただ静かに受け入れていた。赤く揺らぐ海面にはじきに帰港するだろう、数隻の船が浮かんでいる。あれらに積まれた漁の成果は港を始まりに、漁業で成り立つこの町の内外へと伝わっていくのだ。そうして明日の人々の食となり、財となる。


 この町に住む人々はそれぞれの役割をこなしながら、互いの仕事を支え合い、褒め合い、連綿と続く海の豊饒(ほうじょう)に感謝している。いい町だと思う。いい町だからこそ、竜はあえてここを出て、故郷の良さを広めたいと言う。


「沙耶子さん。俺と一緒に帝都に来てくれませんか」


 ドクン、と心臓が跳ね打つ。横に座る竜を見れば、彼は座席に片手を付き、私を正面に見据えていた。


「沙耶子さんの家の仕事は、帝都からの仕送りでかなり楽になると思うんです。鈴生家に直接入るわけじゃないから、こちらから結納金は出しても支度は正直要りません。葉太も中学校に進学できるかもしれない」


 「何よりも」と竜は言葉を紡ぐ。澄んだ瞳には夕日にも似た深い熱情が加わり、私を捉えて離さない。汽車の音が、潮騒(しおさい)が遠くなり、二人だけの世界に放り込まれる。まるで海に揉まれ揺られるかのように、心が直に揺さぶられる。


 自身の想いを確かな形にしようと、彼は丁寧に唇を開いた。


「愛してます、沙耶子さん。俺と結婚して下さい」

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