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 入って来たのは美春だった。



「マスター、ありがとう! やっちゃんに言ってくれたのねっ? あたしに電話するようにって」



 彼女はニッコリしながら明るく告げた。



 さっきとは打って変わってチャーミングに見える。



「連絡がありましたか。……そうですか。良かった」



 マスターも、にこやかに応じている。



「あたしね。本当はね。あいつを取っつかまえて、ギッタンギッタンのボロボロのギューの目に遭わせてくれるって思ってたのよ。でもね……さっき、素直に謝って来たから、許してあげたの」



 ギッタンギッタンのボロボロのギューの目とは……美春さんは言い方が、いちいち強烈だ。それは激しい気性の表れなのだろうが、良くも悪くも自分の気持ちを隠さない、正直さとも言える。



「名古屋でやり直して、自信がついたら、あたしを呼びたいって言うの。他の女とは別れたんだって。ふふん……あれで、かわいいとこもあるのよ」



 彼女が、そう告げた時、僕はヒヤヒヤした。別れた当の女達が、ここに居るのだ。



 彼女達は、美春の存在を知らない。



 違う男の話だと思っているのだろう。



 マスターと僕だけが、事の次第を知っているのだ。



 青井は、美春だけには正直に行き先を告げている。



 どういうことだろうか?



 彼は美春をいちばん恐れ、彼女から逃げていたのではなかったのか?



 僕には訳が解らない。





 美春の携帯が鳴った。



「あ、やっちゃん? ……どうしたの? えっ? これから? それは、いいけど……。えっ? なあに? あたしとチューしたいってこと? えっ、あんた、どこに居るのよ。ええっ? 朝まで、ぺろんぺろん? ぐりんぐりん? 眠らせない? バカッ! 人前で、そんなこと言うんじゃないのっ! うふん、いいけど……」



 聞いている方が……いや、聞かされている方が恥ずかしくなって来る。



 女達は笑いながら顔を見合わせている。



 美春はマスターに右手を小さく振り、携帯で話しながら、店を出て行った。



「ねえねえ、マスター。今の女、ずいぶん、さばけちゃってる感じだけど、いつも、あんななの?」



 夏樹が尋ねた。



「ふむ……まあ、そうです。あんな感じです」



「でも、笑っちゃうわよねえ。相手の男の顔を見てみたいもんだわ」



「ほんとっ! バカップルもイイとこだわっ」



 秋奈が合いの手を入れた。



「うぷっ……ぷぷぷぷーっ」



 女達の会話を聞いて、僕は堪らず吹いてしまった。



「ちょっと、なによ。あなただって、そう思ったでしょ?」



 秋奈が僕の顔を見ている。



「あっ、すいません。ええ、僕もそう思いました。相手の男の顔を見てみたいもんです。あはははっ」





「ねえ、マスター。このワンちゃん、あたしに、ちょうだい? だめかしら?」



 冬美がマスターに訊いた。



「この子ね。あたしの顔をじーっと見てから、寝ちゃったの。あたしをママだと思って安心しちゃったのよ」



 彼女は子犬に頬を擦り寄せている。



「ほうっ、それはそれは……。このワンちゃんは、あなたと縁があるのかも知れませんな。では、そうしてやって下さい」



「ありがと。じゃあ、あたし帰ります。この子に何か、おいしいもの作ってあげなきゃ。マスター、ご馳走さまでした」



 そう言って、冬美は帰って行った。





 マスターは、冬美の母性本能の強さを見抜いていたのかも知れない。



 男を従わせる気の強さと、母性本能の強さには何か相関があるのだろうか?



 僕が、ぼんやりと、そんなことを考えていると……



「縁か……」と夏樹が呟いた。



「縁です」



 マスターが短く応えた。



「そう、そうなのよね」



 夏樹は、何事かを思い出したのだろう。ひとりごちてカフェロワイヤルを飲み干した。



 マスターの解説が始まった。



「あのワンちゃんは、飼い主の何かの事情で捨てられてしまった。そこへ偶然、青井くんが通りがかり、彼に拾われて、ここへ連れて来られた。それは本人の意志ではない」



「ええ、たしかに」



「そして偶然にも、ここに犬の好きな三人の女性が居合わせた。その中で、冬美さんと目が合った。ワンちゃんは、なぜだか眠くなってしまった。安心したからです。これは、ワンちゃんと冬美さんの間に縁があったとしか言いようがないでしょう」




「じゃ、じゃあ、あたしとワンちゃんには縁がなかったっていうこと?」



 秋奈が問う。



「ところが、そうではないのです。秋奈さんと夏樹さんは、ワンちゃんが幸せになる為に、一役ひとやく買っているのです」



「ひとやく?」




「そう。冬美さんは夏樹さんや秋奈さんに先を越されて、ワンちゃんを抱くチャンスを逃してしまった。実は、その対抗心がワンちゃんへの愛情を深くしたのです」



「ふーん」



「それをマスターが感じ取って、冬美さんに抱かせたんですね?」



 僕は、いつしか会話に参加していた。



「まあ、そういうことです」



 マスターは、うまそうに煙草を吹かしている。



「あなた達は、そんな事を考えながら子犬を抱いたのではない。ただ可愛いから抱いただけでしょう」



「それは、そうよ。可愛いからよ」



「人の世というのは不思議なもので、自分の何気ない行動が、時には他人に影響を与えるのです」



「そうなの?」



 夏樹は、マスターの話が気になるようだ。



「そうです。例えば、もし彼が、そこでケーキを美味しそうに食べていたとしたなら、どうです? 急に食べたくなるでしょう。彼は、あなた達に、そう思わせてやろうなどと考えている訳ではない」



「あっ、それは、そうよね。ねえ、マスター。マスターが、そんなこと言うからケーキ食べたくなっちゃった」





 秋奈が甘えるように言った。



「だ、そうです。どうしますか?」



「えっ? 僕?」



 マスターは、突然、僕に話を振って来た。



「いや、まあ、ケーキぐらい、奢ってもイイですけど。どこで売ってるんですか?」



「ステキッ! あたし、あなたの事、気に入ったわ。さっきから見てるのに鈍感だけど。いいわ。今から、あたしの彼氏にしてあげる。年も同じぐらいだし。ねっ? 一緒にケーキ買いに行こうか?」



 秋奈は積極的な女性だ。



「成り行きで、そうなるのも縁です。二人で行ってらっしゃい」




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