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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第77話: リーゼの料理

◆リーゼ視点




 早朝。まだ誰も起きていない。


 厨房に入った。




 かまどの前に立つ。火は落ちている。灰が白い。昨夜のうちにガルドが片付けた後だ。薪の匂いが微かに残っている。




 ——やると決めたのは、昨日の夜。




 ベッドの中で、天井を見ながら考えていた。


 明日——よしこに、料理を作ろう。




 自分でも、馬鹿みたいだと思った。


 私は料理をしたことがない。八歳で路上に放り出されてから、「食べる」こと自体をやめていた人間だ。


 それが——料理を作る。




 馬鹿みたい。




 でも——やりたい。








 火を起こす。


 マッチを擦った。手が震えた。三回目で火がついた。


 薪をかまどに入れる。小さな炎が赤く揺れた。




 ——ガルドに教わった手順を思い出す。




 三日前。ガルドが厨房で野菜スープを仕込んでいた。私はたまたま通りかかった——と、自分では思っている。


 本当は、匂いに誘われた。


 ガルドの作るスープの匂いは「素直」だ。ごまかしがない。よしこの料理と似ている。




「あ、リーゼさん」


「……通りかかっただけ」


「えっと、今スープ作ってて……見ます?」


「……別に」




 見た。




 ガルドは嬉しそうに——本人は気づいていないだろうが、声が弾んでいた——工程を説明してくれた。


 野菜の切り方。水の量。塩の加減。火の強さ。




「コツはね、弱火でじっくり煮ることなんです。野菜が柔らかくなるまで。焦らないで」


「……焦らない」


「はい。焦ると焦げます。……僕も最初、焦がしました。えへへ」




 あの「えへへ」を聞いた時——私は。


 自分でも作れるかもしれない、と。少しだけ思った。








 鍋を出した。


 棚から。重い。両手で持ち上げた。ガルドは片手で持っていたのに。




 水を入れた。鍋に。量は——このくらいだったはず。


 二人分。よしこと、私の分。




 野菜を出す。


 ニンジン。ジャガイモ。玉ねぎ。玉ねぎの皮が乾いてぱりぱり鳴った。


 昨夜のうちに、食料庫からこっそり取っておいた。ティアに見つかったら「何にお使いですか」と聞かれる。説明する自信がなかった。




 まな板の上にニンジンを置いた。


 包丁を握った。




 ——手が、震えている。




 剣は持てる。杖も振れる。分析魔法の詠唱で指先がブレたことはない。


 なのに——包丁を握ると、手が震える。




 馬鹿みたい。




 切った。


 斜めに入った。ニンジンが転がった。もう一度。今度は厚く切りすぎた。三度目。薄すぎた。




 四度目で——やっと、それなりの厚さになった。




 ガルドは均一に切っていた。同じ厚さ、同じ大きさ。あの大きな手で、器用に。


 私の切った野菜は——不揃いだ。大きいのと小さいのが混ざっている。




「……いい。味は同じ」




 自分に言い聞かせた。


 よしこの口癖が頭をよぎる。「不格好でもええんやで。味は一緒や(^^)」


 ——あれはパンの話だった。スープにも適用されるかどうかは知らない。




 ジャガイモの皮を剥いた。


 厚く剥きすぎた。可食部がずいぶん小さくなった。もったいない。




 玉ねぎを切った。


 涙が出た。




 ——料理で泣くとは思わなかった。玉ねぎのせいだ。それ以外の理由はない。








 鍋に野菜を入れた。


 水が跳ねた。熱い。


 慌てて手を引いた。——ガルドは平気な顔で入れていたのに。あの子の手は、もう火に慣れているのだろう。厚い手。パンを焼く手。




 塩を入れた。


 どのくらいだったか——ひとつまみ。ガルドが「最初は控えめに」と言っていた。後から足せる。引くのは難しい。


 料理の、最初のルール。




 胡椒を少し。月桂樹の葉を一枚。


 ガルドが「香りが変わるから」と教えてくれた。




 蓋をした。弱火にした。


 焦らない。野菜が柔らかくなるまで。




 ——待つ。




 かまどの前に座った。鍋の蓋の隙間から、湯気が漏れている。ぐつぐつ、ことこと。水が沸く音。




 静かだ。


 早朝の厨房。誰もいない。湯気と、火の音だけ。




 ここは——よしこの場所だ。


 よしこが毎朝立つ場所。ガルドが毎日パンを焼く場所。ティアが皿を並べる場所。トールが三杯おかわりする場所。




 私は——この場所で何もしたことがなかった。


 食べるだけだった。出されたものを。作ってもらったものを。受け取るだけ。




 ——それが嫌だった、と。気づいたのは最近だ。








 蓋を開けた。


 湯気が顔にかかった。温かい。




 ニンジンに竹串を刺した。ガルドが「すっと通ったら火が通った合図」と言っていた。


 ——すっと、通った。




 味見をする。


 スプーンで掬った。ふうふう、と息を吹きかけた。


 口に入れた。




「…………」




 ——味がする。




 ニンジンの甘さ。ジャガイモのほくほくした食感。玉ねぎのとろけた旨味。塩はちょうどいい。月桂樹の香りが——ほんのり。




 美味しい。




「……美味しい」




 声に出した。


 厨房に、自分の声が響いた。




 誰も聞いていない。


 でも——自分の耳に届いた。




 私が作ったスープ。


 私の手で切った、不揃いな野菜のスープ。


 美味しい。




 あの日を思い出す。


 よしこのお粥を食べた日。「美味しい」と言えなかった。言ったら——生きたいと認めることになるから。


 言えなかった。長い時間がかかった。少しずつ食べられるようになって、少しずつ「美味しい」と思えるようになって。




 今——自分で作ったスープに、自分で「美味しい」と言えた。




 目の奥が、熱い。




 玉ねぎのせいだ。






◆よしこ視点




 朝。


 目が覚めた。


 いつもの時間。窓の外が白み始めとる。




 ——匂い。




 厨房から、何か匂いがする。


 スープの匂い。野菜と塩と、月桂樹。




 ガルくんかな。今日は早いなぁ。


 起き上がって、廊下に出た。




 厨房の前で——足が止まった。




 扉の隙間から、細い背中が見えた。




 銀色のショートボブ。使い古しのローブ。小柄な——




「……リーゼちゃん?」




 リーゼちゃんが——振り返った。


 エプロンをしている。サイズが合ってへん。紐が長すぎて、二回巻いている。ガルくんのエプロンを借りたんやろか。大きすぎる。




 手が——赤い。包丁を使った跡。慣れない手つきで野菜を切ったんやな。




 かまどに火が入っている。鍋が乗っている。湯気が出ている。




「……おはよう」




 リーゼちゃんが、いつもの無表情で言った。


 でも——声が少し上擦っている。




「おは——」




 待って。


 この子。料理——しとるん?




「リーゼちゃん、あんた……」


「……スープ」




 リーゼちゃんがまな板の上を見た。


 ニンジンの皮。ジャガイモの皮。玉ねぎの端っこ。——散らかっとる。慣れてへん切り方の痕跡。皮が厚い。端が不揃い。




「作った。——スープを」




 声が小さかった。




「……ガルドに教わった。野菜スープ。同じように……やった、つもり」




 リーゼちゃんが——鍋の方を見た。




「具が不揃い。ニンジンが大きすぎるのと小さすぎるのがある。ジャガイモは皮を剥きすぎた。玉ねぎは——」


「リーゼちゃん」


「……たぶん、見た目はよくない。ガルドのようには——」




 止めた。


 この子、自分のスープの欠点を並べ始めとる。


 いつもの癖や。分析して、客観的に。自分に点数をつけて。




「リーゼちゃん」




「……なに」




 鍋の蓋を開けた。


 湯気が立った。


 中を見た。




 ——ニンジンが大きいのも小さいのも、ジャガイモもしっかり煮えとる。火の通りが均一やないかもしれん。けど、野菜の甘い匂いがしとる。塩加減は——嗅いだだけでわかる。ちょうどええ。




「あんた、味見した?」




「……した」




「どうやった?」




 リーゼちゃんが——ほんの一瞬、口元が動いた。




「……美味しかった」




 自分から——言うた。




 「美味しい」って。




 あの子が。


 お粥を食べても「美味しい」と言えなかった、あの子が。


 「美味しいって言ったら生きたいって認めることになる」って——目を伏せていた、あの子が。




 自分で作った料理を、自分で「美味しい」と言えた。




 ——あかん。


 泣きそうやけど、まだ泣いたらあかん。ここで泣いたらこの子が驚く。




「……そっか(^^) 美味しいんやな」




「……うん」








 リーゼちゃんが器を出した。


 棚から。二つ。


 スープを注いだ。慎重に、こぼさないように。おたまの使い方がぎこちない。少しだけ器の縁に垂れた。


 布で拭いた。丁寧に。




 一つを——テーブルに置いた。




 湯気が立っている。


 ニンジンの橙色。ジャガイモの白。玉ねぎの透明な黄色。




 不揃いな具。大きいのも小さいのも。同じ鍋で煮えた野菜。




 綺麗ではない。


 でも——温かい匂いがする。




 リーゼちゃんが——テーブルの向こうに立っていた。




 薄い青の瞳が、まっすぐこちらを見ている。


 いつもの無表情。


 でも——手が。膝の横で握られた手が、小さく震えている。




「…………」




 口が開いた。




 唇が動いた。




「……食べて」




 ——。




 三文字。




 食べない子だった。


 食事を抜く癖がある子だった。


 「食べなくても動ける」と言い続けた子だった。




 八歳から、空腹を感じにくい体になった子。


 食べることは生きたいということだと——知らなかった子。


 「美味しい」と言えなかった子。




 その子が。




 自分で朝早く起きて。


 ガルくんに教わった手順で。


 震える手で野菜を切って。


 一人で火を起こして。


 鍋の前で座って待って。


 味見をして、「美味しい」と自分で言えて。


 器に注いで。


 わての前に置いて。




 ——「食べて」。




 スプーンを持った。


 震えとった。——わての手が。




 掬った。


 口に入れた。




「…………」




 ——。




 あったかい。




 野菜の甘さ。塩がちょうどええ。ニンジンが大きいのは、噛み応えがある。小さいのは柔らかくて、口の中で溶ける。ジャガイモがほくほくしとる。玉ねぎがとろけて甘い。


 月桂樹の香りが——ほんのり。




 ガルくんのスープと同じ味。でも、ちょっとだけ違う。ガルくんのより塩が控えめで、野菜が大きくて、火の入り方がばらばらで。




 不格好で。




 世界で一番——




「…………」




 目から——涙が出た。




 止められへん。




「リーゼちゃん……」




 声が震えた。


 スプーンを持つ手が震えた。涙がスープの中に落ちた。




「これ——」




「…………」




「めちゃくちゃ美味しいわ……」




 こぼれた。


 涙が。声が。全部。




「リーゼちゃん、これ……うまいわ……あんた、こんな美味しいスープ……」




 泣いとる。わてが。


 保育士40年やってきて、子どもの前で泣くことなんかほとんどなかった。泣いたら子どもが不安になるから。いつも笑顔。いつも「大丈夫やで(^^)」。


 でも——あかん。今日は無理。




「すごいな……リーゼちゃん……すごいなぁ……」




 涙が止まらへん。




 この子が——料理を作った。


 食べへんかった子が。


 食べることを避けていた子が。


 「生きたい」と思うのが怖かった子が。


 料理を作って。味見をして。「美味しい」と言って。


 わてに——「食べて」と。




 食べなさいって言ったのは、わてやった。


 「ちゃんと食べなさい」って。あの日、お粥を出して。




 その子が——わてに「食べて」と言ってくれた。




「……泣かないで」




 リーゼちゃんの声が——震えていた。




「……泣かないで、よしこ」




 名前で——呼んだ。


 あの子が。「魔王」でも「あなた」でもなく。




「泣くのは——」




 リーゼちゃんの薄い青の瞳に——光が溜まっていた。


 溢れた。


 頬を伝った。




「……泣くのは、わたしの——」




 最後まで言えなかった。


 リーゼちゃんが——両手で顔を覆った。


 肩が震えていた。




 泣いとる。


 この子が。感情を出さないこの子が。泣かないこの子が。




 立ち上がった。テーブルを回った。


 リーゼちゃんの隣に座った。


 肩に手を置いた。——細い肩。まだ痩せすぎ。もっと食べなあかん。




「リーゼちゃん」


「……っ」


「えらいな」




 リーゼちゃんの肩が——大きく震えた。




「よう頑張ったな。えらいえらい」


「……やめて……泣くから……」


「泣いてええんやで(^^)」




 リーゼちゃんが——顔を上げた。涙で目が赤い。前髪が濡れている。




「……美味しかった?」


「めちゃくちゃ美味しいわ(^^)」


「……本当に?」


「嘘なんかつかへんよ。保育士は嘘つかへんの」




 リーゼちゃんが——口元を歪めた。泣きながら。笑おうとしている。




「……不格好なスープ」


「不格好でもええんやで。味は一緒——いや、味も最高やわ」




「……塩、控えめすぎない?」


「ちょうどええ。野菜の味がわかるから(^^)」




「……ニンジン大きすぎた」


「噛み応えがあってええやん」




「……」


「……」




「……おかわり、ある?」




 ——。




 あの日と同じ言葉。


 お粥を食べ終わった後。リーゼちゃんが初めて言った言葉。


 「おかわり、ある?」




 今度は——自分で作ったスープの、おかわり。




「あるで(^^) 鍋にいっぱいあるやん。あんたが作ったやつ」




 リーゼちゃんが——立ち上がった。


 鍋のところに行った。おたまを持った。自分の器に注いだ。




 それから——わての器にも。




「……もう一杯」


「ありがとう(^^)」




 二杯目のスープ。


 同じ味。同じ温かさ。




 二人で食べた。


 早朝の厨房で。まだ誰も起きていない時間。湯気と涙の匂いの中で。






◆リーゼ視点




 食べ終わった。


 器が二つ。空っぽ。




 よしこが——目を拭いていた。まだ少し赤い。この人がこんなに泣くのを、初めて見た。いつも笑っている人。いつも(^^)の人。


 その人を——泣かせた。




 私のスープで。




「……ごめん。泣かせた」




「何言うてんの(^^) 嬉し泣きやで。嬉し泣きはノーカウント」


「……そんなルールはない」


「あるの(^^) 保育士のルール」


「……」




 嘘だ。そんなルール。




 でも——まぁ、いい。




 立ち上がった。器を二つ持った。




「洗うの、手伝おうか」




「……いい。私が洗う」


「ほんなら——」


「私が作った。だから、片付けも私がやる」




 よしこが——また目を潤ませた。




「あかん。また泣きそうやわ」


「……泣かないで」


「泣いてへん泣いてへん(^^)」




 泣いている。




 器を洗った。水が冷たい。スープの油がなかなか落ちない。ガルドはこれを毎日やっているのか。大変だ。


 鍋も洗った。重い。両手で持って、水をかけた。




 まな板を拭いた。包丁を棚に戻した。




 ——厨房が、元に戻った。




 足元に、ニンジンの皮が一切れ落ちていた。拾った。




 よしこが隣に立っていた。




「リーゼちゃん」


「……なに」


「また作ってな」




「…………」




「今度はガルくんと一緒に作ったら(^^) あの子喜ぶで」




「……考えておく」




 考えておく——は、私の「やる」だ。


 よしこは、もう知っている。




「ほな、朝ごはんの準備しよか(^^) そろそろみんな起きてくるわ」


「……うん」




 厨房の扉が開いた。


 朝の光が差し込んだ。廊下が白い。


 遠くで——足音がする。ガルドだ。あの重い足音。厨房に向かっている。毎朝一番にパンを焼きに来る。




「あ、リーゼさん! おはようございます! ……あれ、今日早いですね?」




「……早朝の散歩」


「へ? 厨房で散歩……?」


「……別に」




 ガルドが首を傾げた。


 よしこが笑っていた。




 ガルドのエプロンを外して、元の場所に掛けた。


 ——黙って借りたのは、後で謝ろう。いや、聞かれなければ言わなくていい。




 廊下に出た。




 かまどの火はまだ赤い。私が起こした火。ガルドがこれからパンを焼くのに使うだろう。




 ——私の火が、ガルドのパンを焼く。




 なんだか——変な気持ちだ。




 食堂に向かった。


 テーブルに——もうすぐみんなが座る。レオンが文句を言いながらパンを食べる。ドルガが黙ってスープを飲む。ピプが「おやつまだー?」と叫ぶ。ティアが皿を並べる。ヴェルザが溜息をつく。




 いつもの朝。




 でも今日は——いつもより少しだけ、この席に座る意味がわかる。




 食べるだけじゃない。


 作ることもできる。


 「食べて」と、言うことができる。




 窓の外。煙突から——白い煙が上がっていた。


 私の起こした火から始まった、朝の煙。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第77話「リーゼの料理」。この話の核心は、たった三文字です。「食べて」。


第7話を覚えていますか。リーゼは食べない子でした。「食べなくても動ける」と言い続けた子でした。よしこはお粥を作り、「食べるのは、生きたいってことやで」と語りかけました。リーゼは「美味しい」と言えなかった。「美味しいって言ったら——生きたいって認めることになる」から。


70話が経ちました。


リーゼは自分で朝早く起きて、ガルドに教わった手順で、震える手で野菜を切って、一人でスープを作りました。味見をして、「美味しい」と自分で言えました。そしてよしこに「食べて」と差し出した。


「食べなさい」と言った人に、「食べて」と返した。


よしこが泣いたのは、スープが美味しかったからだけではありません。「この子が、ここまで来た」という70話分の道のりが、あの一杯に詰まっていたからです。よしこは普段泣きません。保育士は子どもの前で泣かない——それがプロです。でも今日は無理でした。


不揃いな具。大きすぎるニンジン。皮を剥きすぎたジャガイモ。でも味はちゃんとする。ガルドが教えてくれたから。「不格好でもええんやで」——よしこの言葉が、リーゼの手を通って、スープになって帰ってきた。


次回、第78話「パン屋とお弁当屋」。ガルドが夢を宣言します。


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