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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第73話: 帰る場所

◆ドルガ視点




 朝。


 目が覚めた。まだ暗い。窓の外に薄い光が差し込んでいる。


 ——今日だ。




 起き上がった。鎧を着けた。いつもの重装鎧。肩当てを留める。腰帯を締める。200年繰り返してきた動作。戦場に出る朝と同じ手順。


 ——今日は、戦場に出るわけじゃないが。




 食堂に向かった。


 廊下に、パンの匂いが漂っていた。——ガルドがもう焼き始めている。






◆ガルド視点




 暗いうちに起きた。


 厨房のかまどに火を入れた。小麦粉を量った。塩と水とバター。昨夜のうちに仕込んでおいた生地を棚から出す。


 ——今日は、グランさんが帰る日だ。




 普段より多めに焼く。いつもの丸パン。それから——旅に持っていけるように、硬めに焼いた保存用のパンも。


 ドルガさんに聞いた。「第三師団は千人だ」と。


 千人分は——さすがに無理だ。でも、副官が持って帰れるくらいは焼ける。




「……えっと、十個……二十個……」




 数えながら天板に並べた。丸いの、四角いの、少し大きいの。


 全部同じ味だけど。同じ生地だけど。——形が一つずつ違う。手で丸めるから。僕の手は大きいから、気をつけないと潰れる。


 でもよしこさんが言ってた。「不格好でもええんやで。味は一緒や(^^)」って。




 かまどから——パンが焼けた匂いがした。


 小麦とバターが混ざった、甘い匂い。


 この匂いが好きだ。この匂いがする場所が好きだ。——この城の厨房が、好きだ。






◆ドルガ視点




 食堂に入った。


 テーブルに——もう朝飯が並んでいた。


 ティアが皿を配っている。尻尾がぱたぱた揺れている。いつもより——少し動きが速い。


 グランが——席に座っていた。


 背筋がまっすぐ。両手は膝の上。いつもの副官の姿勢。だが——目の下が少し赤い。眠れなかったのか。あるいは昨夜も泣いたか。




「四天王殿。おはようございます」


「……座っていろ」




 向かいの席に座った。


 テーブルの上。パン。スープ。目玉焼き。果物。——ガルドの焼きたてパン。




「はいはい、朝ごはんやで(^^)」




 よしこが鍋を持ってきた。スープ。ニンジンとジャガイモ。いつもの匂い。


 よしこがグランの前に皿を置いた。




「グランさん、たくさん食べや(^^) 今日は長旅やろ?」


「は……はい。お世話になりました」


「お世話なんかしてへんよ(^^) ご飯食べただけやん」




 グランが——また困惑した顔をしている。


 魔王に「ご飯食べただけ」と言われている。200年の軍人が、おばちゃんに翻弄されている。


 ——俺も最初はそうだった。




「食え、グラン」


「はっ」




 パンを取った。ガルドの焼きたて。まだ温かい。ちぎったら湯気が出た。








 食べた。


 グランも食べた。スープを3杯。パンを4つ。目玉焼きを2個。


 ——昨日の歓迎の食事の時より、箸——いや、スプーンの動きが自然になっている。一晩で、この城の飯に慣れたか。




 食べ終わった。グランが——皿の上に残ったパンのかけらを見た。




「……四天王殿」


「なんだ」


「……こ、このパンを——第三師団の者たちにも——」




 声が——小さかった。副官にしては珍しく、小さい声だった。


 1000人分は無理だとわかっている。でも——味だけでも、持ち帰りたい。部下に食わせてやりたい。


 200年、配給の干し肉しか食っていない連中に。




「持っていけ」




 言った。




「——ガルドのパンだ。崩すなよ」




 グランの赤い目が——少し潤んだ。




「はっ……かしこまりました……!」






◆ガルド視点




 食堂の片隅で——聞いていた。


 ドルガさんが「ガルドのパンだ」と言った。


 僕のパン。僕が焼いたパン。それを——ドルガさんが、部下に持たせると言った。




「……えへへ」




 声が漏れた。


 慌てて口を押さえた。でも——嬉しい。すごく嬉しい。


 僕のパンが、魔王城の外に出ていく。第三師団の魔族たちが食べる。僕のことを知らない人たちが、僕の焼いたパンを食べる。




 トールが隣に立っていた。




「……ガルド。保存用のパン、あと十個焼くか」


「う、うん! 焼こう!」




 二人で厨房に戻った。かまどの火がまだ赤い。


 追加の生地をこねた。トールが横で同じ動作をしている。体格がほぼ同じ二人が、並んで生地をこねている。


 もう何度もやった動作。剣を振るより、盾を構えるより——ずっと手に馴染なじんでいる。






◆ティア視点




 厨房の棚から——布を出した。


 白い麻の布。清潔なやつ。旅の道中で汚れないように、パンを包むための布。




 ガルド様とトール様が焼いた保存用のパン。丸くて、硬めに焼いてあって、崩れにくい。——上手に焼けている。


 数えた。二十四個。きれいに並んでいる。




「……一人で持てるかしら」




 グラン殿は徒歩で帰る。背嚢はいのうに入れるのだろう。二十四個は少し多いかもしれない。でも——減らすのは嫌だった。一つでも多く持っていってほしい。




 布で丁寧に包んだ。角を折って、紐で結ぶ。侍女の仕事。120年やってきた。包み物は得意だ。


 先代の時代は——武器や書類を包んだ。パンを包んだことはなかった。




 包み終わった。もう一つ——別の小さな包みを作った。




「お、お帰りの分のお菓子も……」




 蜂蜜のビスケット。よしこ様のレシピで、ガルド様が焼いたもの。六枚。布で包んで、紐を結んだ。


 旅の途中で——休憩の時に。甘いものが——あったほうが、いいと思う。


 魔王城の味。この城の味を——少しだけ。




 尻尾が——ぱたぱた揺れた。


 自分の意思とは関係なく。嬉しい時に勝手に動く。——止められない。でも今は、止めなくてもいい。






◆ドルガ視点




 城門の前。


 朝の光が差し込んでいる。空気が冷たい。まだ春の手前。吐く息が——少し白い。


 グランが——門の前に立っていた。


 背中に背嚢。中にはガルドのパン二十四個。ティアのビスケット六枚。——そして俺が字で書いた手紙の返事。




 城門の前に、俺とグランだけ——のつもりだった。


 だが。




「グランさん、気をつけてね(^^)」




 よしこが来た。


 後ろにガルドがいる。トールがいる。ティアが控えている。レオンが——壁にもたれて腕を組んでいる。素直に見送りに来たとは言わないだろう。




「こ、これは——皆様、お見送りなど——」




 グランが——慌てて頭を下げた。




「見送りも何も、朝の散歩やで(^^)」




 よしこが笑った。


 ——朝の散歩で城門まで来る奴がいるか。




「グランさん、道中の飯足りる?(^^) もうちょっと持っていく?」


「い、いえ——十分すぎるほど——」


「遠慮せんでええのに(^^)」




 ガルドが前に出た。




「あ、あの、グランさん!」


「は、はい」


「パン、崩さないように気をつけてください! 布で包んであるけど、衝撃に弱いので……!」


「は、はい——かしこまりまし——」


「あと、食べる前に少し温めると美味しいです! 火であぶるくらいで!」


「は……はい……」




 ガルドの目が——真剣だった。パンの扱いを説明する時のガルドは、いつもこうだ。戦場の話をしている時より真剣な顔をしている。




 トールが——一歩前に出た。




「……グランさん。塩味のやつが四個、甘味のが二個、入ってます。好みで選んでください」


「あ、ありがとうございます……」




 ティアが——小さな包みを差し出した。




「こ、これは——旅の途中の分です。ビスケットが六枚入っています。——お、お帰りの分のお菓子も……」


「……お菓子……」




 グランが——包みを受け取った。


 手が震えている。——魔王軍の副官が、ビスケットを渡されて手が震えている。








 全員が渡し終わった。


 レオンだけが——壁にもたれたまま動かなかった。


 グランがレオンを見た。




「……勇者殿。——お世話になりました」


「世話なんかしてねぇよ」




 レオンが——そっぽを向いた。


 こいつはいつもこうだ。




「……パンは食ったけどな」


「は?」


「お前が来てから、ガルドが張り切って多めに焼いてた。——おかげで俺も多く食えた。だから……まぁ、ありがとよ」




 レオンが——小さく手を上げた。


 グランが——目を見開いた。勇者に礼を言われた。いや、礼とも呼べないような言葉だが。




「……っ、はい。——ありがとうございます」








 みんなが——城門の内側に下がった。


 残ったのは、俺とグランだけ。




 城門の外。荒野へ続く道。第三師団の駐屯地までは二日の行程。この道を、グランは200年通い続けた。命令を届けに。報告を持って。


 ——今日は、パンを持って帰る。




「……四天王殿」




 グランが——跪いた。片膝をつく。軍礼。200年変わらない動作。




「第三師団副官グラン。帰陣いたします」


「ああ」


「部下一同——お待ちしております。いつでもお帰りを」




 顔を上げた。赤い目が——まっすぐ俺を見ている。




 200年。こいつは俺の帰りを待ち続けた。遠征から。偵察から。戦場から。いつも門の前に立って、「お帰りなさいませ、四天王殿」と言った。


 俺が怪我をしていれば手当てをし、怒っていれば黙って従い、黙っていれば何も聞かなかった。




 ——待っている。1000人が待っている。俺の帰りを。




「……帰る」




 言った。




 グランの目が——光った。




「だがまだ帰らん」




 グランの——口が開いた。閉じた。


 何か言おうとして、やめた。




「……この城で、まだやることがある。——小僧どもの面倒を見んといかん」


「……は……はっ……」


「パン屋も——まだ半人前だ。あのでかぶつ、放っておくと焦がすからな」


「は……」


「それに——」




 城を振り返った。


 黒い石造りの城。門の向こうに中庭が見える。花壇がある。まだ花は咲いていない。


 煙突から——白い煙が上がっていた。厨房の煙。朝飯の片付けをしているのだろう。ガルドが追加で焼いたパンの残り火か。


 洗濯物が干してある。ティアが干したやつだ。白いシーツ。


 廊下の窓から——よしこの声が聞こえる。「お皿こっちに置いといてー(^^)」。




「——飯が美味い。もう少し食ってから帰る」




 グランが——唇を噛んだ。




「……四天王殿……」


「泣くな」


「泣いておりません……!」


「泣いてるだろう」


「……目から水が出ているだけです……」




 ——それを泣いてると言うんだ。




「……フン」




 腕を組んだ。




「グラン。部下に伝えろ」




 グランが——顔を上げた。涙が頬を伝っている。目から水が出ている。副官の顔が——200年で初めて崩れている。




「——ドルガは元気だ。パンが美味い」




 グランの肩が——揺れた。




「はっ……お伝えいたします……!」




 声が震えていた。軍人の声ではなかった。ただの——上官を慕う部下の声だった。




「……行け」


「はっ——」




 グランが立ち上がった。目を拭った。背筋を伸ばした。背嚢を背負い直した。


 ——パンが入っている背嚢。ビスケットが入っている背嚢。俺の手紙が入っている背嚢。


 いつもの軍装と、いつもの軍靴。


 だが中身が——違う。200年前の背嚢には、命令書と干し肉しか入っていなかった。




 グランが——歩き出した。


 城門を出た。石畳の道。荒野へ続く道。


 三歩。十歩。二十歩。




 ——振り返った。






◆ガルド視点




 城門の内側から——覗いていた。


 ドルガさんの背中越しに、グランさんが見える。道の上で——振り返っている。




 グランさんの目が——城を見ている。


 煙突から白い煙が上がっている。中庭に洗濯物が揺れている。門の前にドルガさんが立っている。腕を組んで、いつもの威圧的な姿勢で。


 ——でも、その姿勢のまま、動かない。グランさんが見えなくなるまで。




 グランさんが——深く頭を下げた。


 それから前を向いて、歩き出した。


 背中が——少しずつ小さくなっていく。背嚢の中に、僕のパンが入っている。




「……がんばれ……」




 小さく言った。聞こえないとわかっている。


 でも——僕のパンが届いてほしい。第三師団の人たちに。ドルガさんの部下たちに。


 僕の名前も顔も知らない魔族たちが——僕のパンを食べて、「美味い」と言ってくれたら。




「……えへへ」




 泣きそうになった。


 パン屋の夢が——少しだけ、形になった気がした。






◆ティア視点




 グランさんの姿が——道の向こうに消えた。


 朝の光の中を、一人で歩いていく。背嚢が少し重そうだ。——パンとビスケットが入っているから。わたしが包んだ分も。




 ドルガ様が——まだ門の前に立っていた。


 腕を組んで。城門に寄りかかって。赤い目が——道の先を見ている。




「……ドルガ様」




 声をかけた。おそるおそる。




「……なんだ」


「あの……お茶を、お持ちしましょうか」


「……」




 ドルガ様が——振り返った。


 怒っているかと思った。いつもの「フン」が来ると思った。




「……もらう」




 声が——少し低かった。いつもの粗暴な声とは違う。




「は、はい! すぐにお持ちします!」




 尻尾がぱたぱた揺れた。


 厨房に走った。走りながら——窓の外を見た。




 煙突から、まだ煙が出ていた。


 追加のパンを焼いた残り火。ガルド様の火。


 グランさんが振り返った時に見えたであろう——この城の煙。




 お茶を淹れた。カップを二つ。——いや、三つ。ドルガ様と、よしこ様と、わたしの分。


 前は——自分の分を淹れなかった。侍女は主人と同じものを飲まない。先代の時代のルール。


 でもよしこ様が「ティアちゃんの分は?(^^)」と聞くから。毎回聞くから。だから——三つ。




 盆に載せた。


 城門に向かった。






◆ドルガ視点




 ティアがお茶を持ってきた。


 カップが三つ。


 ——三つ?




「よしこ様の分と——わ、わたしの分も……」


「……フン」




 受け取った。


 飲んだ。温かい。少し甘い。蜂蜜が入っている。——ティアの淹れ方だ。ヴェルザより甘い。




 よしこが——隣に立った。




「グランさん、無事に着くとええな(^^)」


「ああ」


「パンいっぱい持たせたから、重かったかもしれへん(^^)」


「……軍人だ。あの程度の荷物は——」


「でも美味しいもん持ってたら、元気出るやろ(^^)」




 ——飯の話にしか聞こえない。が、よしこはいつもそうだ。飯の話をしているようで、別のことを言っている。




「……そうだな」




 パンを持って帰る副官。干し肉じゃない。パンだ。焼きたてだったパンだ。ガルドが朝早くから起きて焼いた。トールが塩味と甘味を分けた。ティアが布で包んだ。


 ——魔王城の温度が、あのパンに入っている。




「帰ったら第三師団の人も食べるんやろ?(^^) 次はもっとたくさん焼かなあかんな」


「……次?」


「また来るやろ? グランさん(^^)」




 よしこが——笑った。


 当たり前のように。また来ると。また食べに来ると。




「……ああ。——来るだろう」




 来る。グランは来る。あいつはそういう奴だ。


 今度は一人ではなく——部下を連れてくるかもしれない。


 第三師団の魔族たちが、この城門をくぐる日が来るかもしれない。


 パンの匂いを嗅いで、よしこに「お腹すいてない?(^^)」と聞かれて、困惑する部下たちの姿が——見えるようだ。




「……フン」




 お茶を飲んだ。


 城門の向こうに、もうグランの姿は見えない。朝の光が道を照らしている。




 城の中から——声が聞こえた。




「ドルガさーん! ビスケット焼けたでー!(^^)」


「……ああ」




 城に戻った。


 ティアとよしこが先を歩いている。ティアの尻尾が揺れている。よしこが何か話しかけて、ティアが「は、はい」と答えている。




 振り返った。一度だけ。


 城門の外。道が延びている。その先に——1000人がいる。俺の部下。




 ——ドルガは元気だ。この城のパンは――やっぱり美味い。




 帰る場所が、二つある。


 ここと——あそこ。どちらも、俺の場所。




 ——だが今日は、ここにいる。ビスケットが焼けたらしい。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第73話「帰る場所」。第67話で魔王城に来たグランが、帰ります。


ドルガの「帰る。だがまだ帰らん」は、矛盾しているようで矛盾していません。帰る場所がある。1000人の部下が待っている。でも、今はここにいたい。ここにも帰る場所がある。パンが美味い城がある。「帰る場所が二つある」というのは、ドルガにとっては人生で初めてのことです。


ガルドが朝早くから保存用のパンを焼いたシーン。第三師団の1000人に届けるには足りない。でも二十四個のパンが、「魔王城にはこういう味がある」と伝えてくれる。ガルドのパンが魔王城の外に出ていく。それは「パン屋の夢」の最初の一歩です。


ティアがビスケットを包むシーン。「お帰りの分のお菓子も」。先代の時代は武器と書類を包んでいた手が、今日はお菓子を包んでいる。同じ技術、違う中身。この城の変化は、いつもこういう小さなところに出ます。


グランが振り返った時に見えたもの——煙突からの煙。第66話でピプが言った言葉を思い出してください。「煙が出てるって——みんながいるってことなの」。グランにもきっと、同じものが見えたはずです。


次回、第74話「王の返事」。カインが魔王城に戻ります。


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