表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/63

第61話: 和平の壁

◆カイン視点




 夕食が終わった。


 12人の食卓。二日目の夜。——慣れていない。慣れてはいけない気もする。だが、スプーンを置いた皿は空だった。




 食後、メルが密書の返答を仕上げた。ヴェルザが確認し、封蝋を押した。


 明日、持ち帰る。


 和平交渉の第一歩——国王陛下が望んだものが、今、懐の中にある。




 食堂から出た。


 廊下を歩いた。




 ——客間に向かう途中で、足が止まった。







 中庭に面した廊下に——人がいた。


 白い鎧。短い黒髪。壁にもたれて、立っている。


 シオン。


 夕食の席にいた。端の方で。スープを静かに飲み、パンを半分残した。——食が細い。




「……シオン」




 声をかけた。少年が——こちらを見た。灰色の目が、暗い廊下の中でわずかに光っている。




「カイン殿」


「食堂に戻らないのか」


「…………」




 シオンが——壁から背を離した。姿勢が正される。教会仕込みの直立。




「自分は——食後の空気が、まだ慣れません」


「……食後の空気?」


「皆が笑っている空気です。自分は——何をすればいいのかわかりません」




 ——わかる。


 私も、何をすればいいのかわからなかった。焼き菓子を5つ食べている間は考えなくて済んだが。




「……私もだ」


「…………」




 二人で——中庭に面した廊下に立った。


 夜の空気が冷たい。花壇の花が月明かりに白く見える。








「カイン殿」




 シオンが——前を向いたまま言った。




「和平は——成るのですか」


「……努力する」


「聖教会が——反対しているのですね」




 知っている。この少年は——教会の兵士だった。教会が育て、教会が送り込んだ「完璧な勇者」。




「……ああ。大神官グレイヴスが反対している。魔族は滅ぼすべき敵だと——教会の教義がそう定めている」


「…………」


「国王陛下は和平を望んでおられる。だが教会の影響力は大きい。公にはできない。だから私が——非公式の使者として来た」




 シオンが——黙った。


 しばらく、二人の呼吸だけが聞こえた。




「カイン殿。自分は——教会の兵士でした」


「……ああ」


「自分は、教会に育てられました。孤児院から選ばれて。聖剣の訓練を受けて。魔王を倒すことが自分の存在理由だと——教えられて」




 声に感情がない。事実を述べているだけ。——だが、その「事実」の重さを、この少年は理解しているのだろうか。




「教会が正しいと——自分はそう信じていました」


「…………」


「魔王は人類の敵。魔族は滅ぼすべき存在。聖教の教えです。自分は——その教えに従って、ここに来ました」




 シオンが——中庭の花壇を見た。よしこが植えた花。赤と白と青。




「ここに来て——よしこ殿にスープをもらいました」




 声が——ほんの少し、揺れた。




「美味しかった。——自分は、教会で食事をしていました。毎日同じ食事。温かくも冷たくもない。味も——覚えていません」


「…………」


「よしこ殿のスープは——味がしました。塩が効いていて、ニンジンが甘くて……自分は、涙が出ました。なぜ涙が出るのかわかりませんでした」




 ——この少年は。


 15歳。食事で泣いた経験がなかった。「美味しい」という感情を知らなかった。


 教会が育てた「完璧な勇者」。——感情を殺して。




「今は——わかります」


「何が」


「美味しいから泣いたのです。——それだけです」




 シオンが——また前を向いた。








「カイン殿」


「……なんだ」


「教会が——間違っていたと、認めることは」




 言葉が途切れた。




「……自分の、存在理由が消えることと——同じです」




 ——。




 私は——何も言えなかった。


 この少年の問いに、答えを持っていない。




「自分は——よしこ殿のスープが美味しいと思います。ここの生活が——嫌ではありません。レオン殿のように、命令なしで動けるようになりたいとも思います」


「…………」


「でも——教会が間違っていたと認めたら、自分は何のためにここに来たのかわからなくなります」




 月明かりが——シオンの白い鎧を照らしている。傷一つない鎧。教会が用意した、完璧な装備。


 レオンのボロボロの革鎧とは——正反対だ。




「……シオン」


「はい」




 言った。言わなければならないと思った。




「私も——同じだ」




 シオンの灰色の目が——こちらを見た。




「私は王国騎士団の副長だ。王の命令に従い、国を守ることが仕事だ。——だが教会とも深い関係がある。騎士の叙任式は教会が執り行い、祈祷は大神官が捧げる。私の剣は——教会の祝福を受けている」


「…………」


「和平の使者として来ることは——教会の教えに反している。魔族と交渉するなど、教義上はありえない。グレイヴスが知れば——私は異端者扱いだ」




 懐に——密書がある。国王の密書。そして——よしこの招待状の返答。




「だが私は——ここに来た。二度目だ。一度目は任務だった。二度目は——」




 言葉を選んだ。




「二度目は——自分の目で見たかった。あのシチューが、まだあるかどうか」


「…………」




 シオンが——わずかに、目を見開いた。


 この少年が表情を変えるのは——珍しい。




「……カイン殿も、食べ物の話になるのですね」


「……そういうわけでは」


「レオン殿もそうです。ここの人たちは——皆、食べ物の話をします」




 ——否定できなかった。








「カイン殿」


「……なんだ」




 シオンが——正面を向いた。中庭の花壇。月明かり。




「正しいことは——誰が決めるのですか」




 ——。


 廊下が静まった。




 正しいこと。


 教会は「魔族を滅ぼすこと」が正しいと言う。国王は「共存すること」が正しいと言う。


 よしこは——「ごはん食べにおいで」と言う。正しいも正しくないもない。ただ——「お腹すいてへん?」と聞くだけだ。




「……わからない」




 正直に言った。




「わからない。——だから、見に来た」


「…………」


「自分の目で見て、自分で判断する。それしかできない」




 シオンが——黙った。


 長い沈黙だった。




「……自分も——見に来たのかもしれません」


「……そうか」


「教会の命令で来ました。でも——今は、自分の目で見ています」




 シオンの灰色の目が——花壇を見ている。よしこが植えた花。先代魔王が植えたかった花。




「カイン殿。自分は——答えが出ません」


「……私もだ」


「でも——よしこ殿のスープは美味しい。それだけは——確かです」




 ——。




 笑いそうになった。堪えた。軍人として。




「……ああ。確かだ」








 客間に戻る前に——振り返った。


 シオンが——まだ廊下に立っていた。白い鎧。月明かり。


 15歳の勇者。教会が育てた完璧な兵士。——スープで泣いた少年。




「シオン」


「はい」


「明日——私は王都に帰る。密書の返答を持って」


「…………」


「グレイヴスに——報告しなければならないことがある」




 シオンの肩が——わずかに動いた。




「何を——報告されるのですか」


「見たことを。ありのまま」


「…………」


「魔王城で、12人が食卓を囲んでいた。魔王がシチューを出した。パンが美味かった。——それを、報告する」




 シオンが——長い間、私を見た。




「……グレイヴス殿は、信じないでしょう」


「だろうな」


「報告書に——何と書くのですか」


「…………」




 考えた。




「……前回も書けなかった。今回も——書けないだろう。だが、言葉にはする。信じてもらえなくても」




 シオンが——小さく頷いた。


 初めて——この少年が、軍人口調ではない仕草を見せた。




「……カイン殿」


「なんだ」


「……おやすみなさい」




 ——。


 おやすみ。


 教会式の就寝挨拶ではなく——ただの、おやすみ。


 この城で覚えたのだろう。よしこが毎晩、全員に言っている言葉。




「……ああ。おやすみ」




 客間に入った。


 扉を閉めた。




 ——報告書に、何と書けばいいのか。


 三度目の訪問で書けるようになるとは——思えなかった。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第61話「和平の壁」。カインとシオン、二人の「軍人」の夜の会話です。


和平の最大の壁は、聖教会。でもこの話で書きたかったのは「制度の壁」ではなく「心の壁」です。シオンにとって教会が間違っていたと認めることは、自分の存在理由を失うこと。カインにとっても、教会の祝福を受けた剣で魔族と握手することは、自分の騎士としての根幹を揺るがすこと。——二人とも、頭ではわかっている。でも心が追いつかない。


「正しいことは——誰が決めるのですか」。シオンの問いにカインは「わからない」としか答えられません。でも「だから見に来た」と言える。自分の目で見て、自分で判断する。それが今できる精一杯。


そして結局、二人とも「スープは美味しい」に帰着する。この城では——どんな深刻な話も、最後は食べ物に戻ります。


次回、第62話「ドルガの手紙」。不器用な男が、もっと不器用な手紙を書きます。


☆評価・ブクマ・感想をいただけると次話の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ