第42話: 本当の敵
◆リーゼ視点
夜。食堂。
テーブルの上に紙束を広げた。
聖教会の増援部隊が持っていた文書。今日の小競り合いの後、よしこが「ごはんの時間やろ!」と叫んで全員が止まった隙に、逃げ帰った兵たちが置いていった荷物から回収したものだ。
分析魔法を発動した。指先に淡い光が灯る。
紙面の文字が浮かび上がる。暗号化された部分も、インクの重なりから書き直された箇所も、全て読める。これが私の魔法だ。剣も振れない、盾も持てない、走ることもできない。
でも——読むことだけは、誰にも負けない。
スープの湯気が視界の端で揺れている。よしこが温め直してくれたやつだ。
飲みたいけど、今は——先にこれを終わらせる。
「……リーゼ。何読んでんだ」
レオンが向かいの椅子に座った。スープの器を両手で持っている。
「増援部隊の書類。……聖教会の内部文書」
「読めんのかよ、あんなの」
「……読める」
レオンは字が読めない。私は読める。だからパーティでは私が地図も看板も全部読んできた。
でも今、読んでいるのは地図じゃない。
もっと——冷たいものだ。
◆リーゼ視点
最初の文書。勇者派遣記録。
「……読み上げる」
ガルドが厨房からパンを持ってきた。温かい。焼きたてだ。この時間に焼いてくれたのか。テーブルに全員分並べている。ミーナが小さく「ありがとうございます」と言った。トールはもう食べている。
シオンが席についた。背筋を伸ばして。スプーンには触れていない。
「歴代勇者派遣記録。文書番号、聖歴427年付」
声に感情を入れない。入れたら読めなくなる。
「第1期勇者——聖歴381年派遣。帰還——なし」
「第2期勇者——聖歴385年派遣。帰還——なし」
「第3期勇者——聖歴389年派遣。帰還——なし」
読み上げた。淡々と。数字だけ。
「……第12期まで同じ。全員——帰還なし」
レオンのスプーンが止まった。
「飛ばす。記録は47期まである」
47期。47人の勇者。
「帰還者——」
一拍、置いた。置かなければよかった。でも——喉が詰まった。
「——ゼロ」
食堂が静かになった。
スープの湯気だけが動いている。
「……47人?」
レオンの声が低い。
「47人。聖歴381年から現在まで、46年間で47名が派遣されている。最年少は13歳。最年長は17歳。全員が孤児院出身。全員が——帰っていない」
次の文書を広げた。
「勇者育成費。年間予算——」
数字を読んだ。
「——ゼロ」
「……ゼロ?」
ガルドの声だ。パンを持つ手が止まっている。
「正確には『聖騎士育成費に包含』と記載されている。……個別の勇者に対する予算配分はない。装備は『最低限の支給品』。食料補給の項目は——存在しない」
レオンが黙っている。
知っていたのだろう。装備がボロボロだったこと。補給がなかったこと。帰り道を教えてもらえなかったこと。
次。
「勇者帰還時の受け入れ計画書——」
ページをめくった。白紙だった。
「……白紙」
「白紙って——」
「計画が存在しない。帰ってくることを想定していない」
スプーンを握る手が白くなっていることに気づいた。
——気づいたけれど、手を緩められない。
「結論」
声を出した。私の声だ。震えていない。震えてはいない。
「これは討伐任務ではない」
テーブルの上の紙束を見下ろした。インクと羊皮紙。数字と記録。47人分の名前と、47個の「帰還——なし」。
「——処分」
言った。
食堂の空気が凍った。
よしこがスープの鍋を持ったまま立っている。いつもの笑顔が——ない。深紅の目が、静かに私を見ている。
「……リーゼちゃん」
「……まだ続きがある」
「もうええよ」
よしこが鍋をテーブルに置いた。私の器にスープを注いだ。
「先にスープ飲み(^^) 手ぇ、白なっとるで」
……見られていた。
スプーンを持ち直した。一口飲んだ。
温かい。玉ねぎが甘い。
——47人は、こんなスープを飲んだことがあっただろうか。
飲んだことがなかっただろう。だから帰ってこなかった——のではなく。
帰る場所が、最初からなかった。
◆レオン視点
知ってた。
全部——知ってた。
装備がボロボロだったこと。鎧は継ぎ接ぎだらけで、剣は刃こぼれしてて、マントは破れてた。
補給がなかったこと。食料も水も地図も、何もくれなかった。「勇者なんだから自分で何とかしろ」って言われた。
帰り道を教えてもらえなかったこと。行きの道順だけ渡されて、帰りのことは——一言もなかった。
知ってた。14歳の時から、薄々。
でも——名前をつけなかった。
「使い捨て」って言葉は知ってた。でも自分に当てはめなかった。
「処分」って言葉も知ってた。でも自分のことだとは——思わないようにしてた。
リーゼの声が、その蓋をこじ開けた。
「……知ってた」
声が出た。
全員が俺を見た。ガルドの目が潤んでる。トールは固まってる。ミーナは——笑顔のまま、目だけが揺れてる。
シオンの灰色の目が、初めて——何かを映してる。
「知ってて、目を逸らしてた」
スープの器を見下ろした。湯気が顔にかかる。目が熱いのはそのせいだと思いたい。
「だって——認めたら、俺たちは最初から、誰にも必要とされてなかったってことだろ」
孤児院を飛び出して。
ストリートで生きて。
聖剣に選ばれた時——初めて「必要とされた」と思った。
勇者だ。世界を救う勇者だ。俺は——必要とされてる。
違った。
必要とされてたんじゃない。ちょうどよかっただけだ。死んでも困らない。帰ってこなくても困らない。予算はゼロ。受け入れ計画は白紙。
最初から——捨てる前提で送り出されてた。
「……レオン」
リーゼの声だ。静かだ。いつも通りだ。でも——スプーンを握る手が、まだ白い。
「おまえも、知ってたのか」
「……私たちは。最低限の装備だった。食料はなかった。帰り道は教えてもらえなかった」
リーゼが目を伏せた。
「……知っていた。でも、認めたら——歩けなくなると思った」
そうだ。
認めたら終わりだと思った。「勇者」って肩書きが嘘だと認めたら——俺たちには何も残らない。
ガルドが立ち上がった。大きな体が、震えている。
「ぼ、僕……パン、追加で焼いてきます……」
泣きそうな声だ。でもガルドは泣く代わりに——厨房に走った。
あいつはいつもそうだ。泣きたい時に、パンを焼く。
よしこが黙って俺の器にスープを足した。
「……食べな、レオンくん(^^)」
声がいつもより——少しだけ、低かった。
食べた。一口だけ。
——あの日。
ボロボロで魔王城にたどり着いた日。
よしこが「ごはん食べた?」って聞いてくれた。
あの一言が——どれだけ救いだったか。
47人の勇者は、聞いてもらえなかったのだ。誰にも。
スープが喉を通った。温かい。
……くそ。目が熱い。
◆シオン視点
処分。
リーゼ殿が読み上げた資料の内容を整理する。
歴代勇者47名。帰還者ゼロ。予算ゼロ。受け入れ計画なし。
これは——。
「……処分……?」
声が出た。
自分の声だと——認識するのに、一拍かかった。
教会で教わったことを思い出す。
「お前は選ばれた戦士だ」。聖剣に選ばれ、訓練を受け、最高級の装備を与えられた。食事は——冷たいパンとスープだった。
装備は最高級。
食事は最低限。
レオン殿には装備すら与えられなかった。
自分には装備が与えられた。——それは「期待」ではなく「成功確率を上げるための投資」だったのか。
帰還率ゼロ。
47人が送り出され、47人が帰ってこなかった。自分は48人目だ。
48人目。
トールを見た。大きな体が固まっている。パンを握ったまま、噛むことを忘れている。
ミーナを見た。笑顔のまま——唇が震えている。
自分たちは——。
「自分たちは……処分対象だった……?」
声が震えた。
震えたことに気づいた。
これは何だ。
体の奥から、何かが込み上げてくる。名前のつかない反応。教会では——こんなものを教わらなかった。
怒り、だろうか。
悲しみ、だろうか。
わからない。自分の中で名前のついていない感情が、胸を突き上げている。
「……命令に従ってきた」
独り言だった。自分に向けて言っている。
「訓練を受けた。聖剣を授かった。魔王を倒せと命じられた。——全て、命令に従ってきた」
レオン殿が俺を見ている。緑の目が——痛そうだ。
自分と同じ目をしている。知っていた人間の目。
「それは——命令ではなく。処分の、ための——」
言葉が途切れた。
喉が動かない。
トールが——立ち上がった。
黙って全員の器を集め始めた。空になった器。まだ残っている器。
「……トール?」
「……おかわり。取ってくる」
トールの声は低かった。震えていた。でも——手は動いていた。
全員分の器を大きな手で器用に重ねて、厨房に向かった。
ガルドが厨房から顔を出した。目が赤い。パンの粉が頬についている。
「あ……ト、トールくん……パン、焼けたよ……」
「……ありがとう。ガルド」
二人の大きな背中が、厨房の入り口で並んだ。185cmと190cm。
トールが器を渡した。ガルドが受け取った。二人とも何も言わなかった。
——自分は。
動けなかった。椅子に座ったまま、動けなかった。
命令がないからではない。
体の中で——名前のない何かが、暴れていた。
「シオンくん(^^)」
よしこが——しゃがんだ。
また、しゃがんだ。自分の目線まで身を下げて。深紅の目が、近い。
「スープ、ぬるなってもうたな。温め直すわ(^^)」
自分の器を手に取った。それだけだった。何も言わなかった。
「処分」について何か言うのかと思った。教会を責めるのかと思った。
——スープを温め直しただけだった。
「はい。あったかいの(^^)」
新しい湯気が立つ器を、目の前に置かれた。
スプーンを持った。
持っただけだ。口に運ばない。
47人の勇者は、温かいスープを飲んだことがあったのだろうか。
リーゼ殿と同じことを考えている自分に気づいた。
——飲んだことがなかっただろう。
スプーンを口に運んだ。
温かい。
玉ねぎが甘い。にんじんが柔らかい。ガルド殿が作ったスープ。よしこが温め直したスープ。
飲んだ。
もう一口。
もう一口。
器が空になった。
「……もう一杯」
声が出た。
自分の声だった。命令ではない。任務でもない。分析結果でもない。
名前のない感情のまま——スープを、求めていた。
「もちろん(^^)」
よしこが笑った。いつもの笑顔だ。
レオン殿が——小さく、笑った。苦い笑いだった。でも——温かい方の苦さだった。
「……おかわりか。やってんな、お前も」
「…………」
やっている。
自分も——やっている。
命令ではなく。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第42話「本当の敵」。この作品で最も重い回だと思います。
帰還率ゼロ。47人の勇者が全員、帰ってこなかった。これが「制度」として46年間運用されていた。予算ゼロ。受け入れ計画は白紙。——最初から、帰ってくることを想定していなかった。
リーゼが数字を読み上げるシーンは、感情ではなく数字で真実を突きつける形にしました。リーゼの強みは分析魔法です。感情で語らない。データで語る。だからこそ重い。でもスプーンを握る手が白くなっている。感情を出さないこの子が、体で怒っている。
レオンの「知ってた。知ってて、目を逸らしてた」。これが一番書きたかった台詞です。14歳で送り出された時から薄々気づいていた。装備がボロボロだったこと。帰り道を教えてもらえなかったこと。でも名前をつけなかった。名前をつけたら——自分が「必要とされていなかった」ことを認めることになるから。
そしてシオン。「処分」という言葉に、命令以外の理由で初めて動揺しました。自分の中に名前のない感情があることに気づいた。怒りなのか悲しみなのかわからない。でも——スープを求めた。「もう一杯」と言った。感情の名前はわからなくても、温かいものを求める体は正直です。
トールが黙って全員の器を集めたシーン。EP039でガルドに「無理しなくていいんだよ」と言ってもらった少年が、今度は自分から動いた。言葉ではなく、行動で。大きな体が、誰かのために動いている。
次回、第43話「よしこ、叱る」。この作品で、ただ一度だけの「叱り」です。よしこが保育士として、大司教に正面から向き合います。——怒るのではなく、叱る。その違いが、よしこの40年です。
ブックマーク・評価をいただけると、47人の勇者たちの名前が少しだけ温かくなります。感想もお待ちしています。




