第41話 勇者と魔王
「……誠司」
涼は浅い呼吸を繰り返しながら、小さく呟いた。
「ボクを……背負ってくれないか」
その一言に、その場の空気が止まる。
「え?」
蒼真が思わず声を漏らした。
「涼、俺が__」
言い終える前に、タクが慌てて割って入って来た。
「ちょ、ちょっと待って!」
「若頭にそんなこと頼んじゃ駄目っすよ!」
「普通、おんぶなんて頼める相手じゃないっすから!」
ヒナも誠司を見る。
確かに威圧感はある。
初対面なら、声を掛けるだけでも緊張する相手だ。
だが。
誠司は眉一つ動かさなかった。
「ああ」
ただ一言だけ答える。
「その程度、容易いことだ」
自然な足取りで涼の前まで歩くと、何の迷いもなく背中を向けた。
そして。
片膝を地面につく。
「乗れ」
その声には命令でも威圧でもなく、ごく自然な優しさがあった。
「えぇぇぇっ!?」
タクが大きく目を見開く。
「若頭がおんぶっすか!?」
「今日、槍でも降るんじゃないっすか!?」
誠司は反応しない。
涼は小さく息を整えると、ゆっくり身体を起こした。
まだ力は戻っていない。
ふらつく身体を支えながら、一歩ずつ誠司へ近付く。
「リョー」
ヒナが心配そうに手を伸ばす。
「大丈夫?」
涼は小さく笑った。
「うん」
「少し休めば、大丈夫だから」
その笑顔はいつもの優しい笑顔だった。
しかし、その顔色はまだ青白い。
涼はそっと誠司の肩へ手を置いた。
その瞬間だった。
(……やっぱり)
身体の奥に残っていた黒が動き出す。
橋本から吸収した負の感情。
苦しみ。
孤独。
絶望。
その残滓が、まるで居場所を見つけたかのように、誠司へ流れ始めた。
ゆっくりと。
しかし確実に。
黒は涼の身体を離れ、誠司の中へ吸い込まれていく。
(この人なら……。)
(受け止められる。)
涼は静かに目を閉じた。
一方。
誠司も同じことを感じていた。
(やはり……)
(余の力を満たす存在)
流れ込んでくる負の力は、少しも苦しくない。
むしろ乾いた大地へ雨が染み込むように、自分の力へと変わっていく。
魔王だった頃も、このような感覚を覚えたことはなかった。
(不思議だ)
(少女に触れると、力が満ちていくとは……)
誠司は静かに立ち上がる。
背中の少女は驚くほど軽かった。
「じゃあ……」
ヒナは周囲を見回した。
「とりあえず、琴音ちゃんを家まで送ろう」
「うん」
琴音も頷く。
蒼真は少しだけ悔しそうな顔をしていた。
「……何で俺じゃないんだよ」
「え?」
ヒナが苦笑する。
「だってリョーが『誠司』って言ったじゃん」
「それでもさぁ……」
蒼真は納得できないまま頭を掻いた。
その様子を見たタクは吹き出す。
「少年」
「諦めろ!」
「若頭に勝てる男なんて、この世にいねぇから」
「そんの、勝負してねぇ!」
蒼真は即座に言い返した。
そのやり取りを背中で聞きながら、誠司は静かに歩き始める。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で、背中の少女へ問い掛けた。
「貴様は……何者だ」
その一言に。
涼はゆっくりと目を開いた。
勇者と魔王。
二人だけに聞こえる会話が、静かに始まろうとしていた。
夕暮れの住宅街。
先を歩くヒナと琴音。
少し後ろでは、橋本を支えながら歩く蒼真とタクが何やら言い合っている。
その少し後方。
誠司と、その背には涼がいた。
「……何者だ」
誠司の低い声が静かに響く。
涼はその問いに、問いで返した。
「魔王よ」
誠司の足が、わずかに止まる。
「……何だと」
「君は、魔王だろ」
誠司はゆっくりと息を吐く。
胸の奥で、何かが反応した。
忘れたはずの記憶。
消えたはずの魔王としての本能。
そのすべてが、その一言で静かに目を覚ましていく。
「貴様……。何者だ!」
今度は先ほどよりも低く、ドスの効いた声だった。
涼は静かに答える。
「ボクは勇者リョウ」
「君を倒すため、仲間と共に魔王城まで辿り着いた勇者だ」
敵意はない。
恨みもない。
ただ事実だけを語る穏やかな声だった。
誠司は黙ったまま歩き続ける。
『勇者』
その言葉だけで、身体が一瞬強張る。
だが、それもすぐに解けていった。
不思議だった。
怒りもない。
屈辱もない。
あるのは納得だけだった。
「……そうか」
誠司は小さく笑う。
「涼よ。お前が勇者か」
「あの時、余の前に立ち」
「余が敗北を認めた唯一の存在」
その言葉に、涼も静かに微笑んだ。
「覚えていたんだね」
「ああ、はっきり覚えているぞ。それより今は、お前の存在の方が気になっていた」
涼に触れた時、
力が満ちた。
傷が癒えた。
説明できなかった現象。
その答えが今、ようやく一つに繋がった。
「なるほど」
「だから余は、お前に惹かれていたのか」
「これも因果というものだろう」
涼は小さく空を見上げた。
夕焼けが少しずつ藍色へ変わり始めている。
「不思議だね」
「前世では命を懸けて戦った相手なのに」
「今のボクは、君を宿敵だとは思えない」
「俺もだ」
誠司は即座に答えた。
「憎しみなど湧かぬ」
「むしろ」
少しだけ笑う。
「背負っていて心地良い」
涼も思わず笑ってしまう。
「魔王にそんなことを言われるとはね」
少しだけ沈黙が流れた。
その静かな時間の中で、涼は尋ねる。
「魔王」
「いや。御堂誠司!」
「君の目的は何だ!」
誠司は少しだけ考える。
前世なら即答していただろう。
『世界を支配する』
それが魔王だった。
しかし。
今は違う。
「余は魔王だ」
「この世界を統べることも考えた」
そして静かに笑った。
「勇者よ」
「笑うなら笑えばいい」
「今の余は……」
「仲間という存在に興味がある」
「そして、それを奪うものが許せない」
「そして、守るために戦うことを選ぶだろう」
誠司は笑っていた。
それは。
前世の魔王には決して存在しなかった、人間らしい笑顔だった。
涼はその横顔を見つめ、小さく頷く。
「ボクも同じだ」
「人を救うために戦っている」
「だから」
「君が本当に守るために戦うというのなら」
「ボクたちは、もう敵じゃないのかもしれないね」
誠司は何も答えなかった。
そして、
その沈黙こそが答えだった。
勇者と魔王。
かつて世界の命運を懸けて剣を交えた二人は、前世とはまったく違う形で、再び出会った。
だが、この時の二人はまだ知らない。
この再会が、世界の理を大きく変えていく最初の一歩になることを。




