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9.山中瞳

 「ちょっと瞳! やる気ないんなら代わりなよ!」

 第二クオーターのタイムアウトでベンチに引き上げるやいなや、陽子が苛立ちを隠さずに言った。他の子はドリンクを飲んだり汗を拭いたりしていて黙っている。瞳は何も言い返せなかった。パスミス、ファンブル、ドリブルミス。言い訳できないほど今日はターンオーバーが多かった。集中力が足りない。自分でもわかっているけど、ボールが手につかない。瞳はバッシュの紐を見ていた。

 「先生。瞳を代えてください。」

 陽子が顧問の下石先生に進言する。

 「……そうね。山中さん。このクオーターはちょっとお休みしましょうか。相川さん、山中さんの代わりに入って。」

 瞳は前半の途中で交代を告げられた。こんな大事な試合を後輩に任せることになってしまって、自分が情けなかった。タオルをグっと握って顔の汗を拭う。涙が出たら一気に壊れてしまいそうで必死にこらえた。

 「先生。……ちょっと、顔を洗ってきます。」

 瞳は喉の奥から何とか絞り出してそう言うと、ミーティングの輪から抜けた。コートを離れる背中に「瞳! 前半までだからね! それまでは何とかしとくから!」陽子の声が響いた。


 フロアから廊下に出るとすっと一筋の風が冷たくて心地よかった。バッシュが床を掴む音やドリブル、応援の声がくぐもって聞こえる。

 (あー何やってんだろう、私)

 瞳はあてもなく廊下を歩いた。ーー佐伯先生が見ているかもしれない。それなのにこの体たらく。つくづく瞳は自分が情けなくなった。

 今日の朝、市民プラザの駐輪場に自転車を止めて体育館に入る前、陽子が寄ってきて言った。

 「瞳! あれ幸太郎の車じゃない? 絶対そうだよ。」

 陽子の指さす方を見ると、見覚えのある車が止まっていた。

 「ないない。そんなことあるわけないでしょ。」

 「うちらの試合見に来たんだよ! くぅ~気合入るぅ!」

 陽子は跳ねるように入口へと向かった。瞳は立ち止まってもう一度よく車を見た。遠くに古い軽自動車が佇んでいる。確かにそれは塾の駐車場の端っこでいつも見る車とよく似ていた。

 瞳は荷物を手に取りなおして体育館へ向かう途中でまた振り返った。

 「いや、そんなまさかね。」


 瞳は冷たい壁を背にして廊下に座っていた。背中から熱を奪われていく感覚に身を任せて窓の外の植え込みを見るともなく見ていると、動く人影が目に入った。心臓が突然飛び上がる。ーー佐伯先生だ!

 反射的に立ち上がった瞳は窓ガラスをたたいて呼び止めようとしたが、佐伯先生は気付かない。瞳は廊下を走ってエントランスを抜け、植込みの方を探した。佐伯先生が驚いた様子でこちらを見ている。

 「先生!」

 「よう山中。どうしたんだこんなところで。」

 佐伯先生は本を数冊抱えていた。

 「先生こそこんなところで何してるんですか?」

 呼吸も整わないうちに瞳は聞いた。

 「俺はあれだよ。図書館に本を借りにきたんだよ。お前こそそんな格好で、今試合中じゃないのか? 試合はどうしたんだ?」

 「……私は交代しました。今中でみんなは試合やってます。ポイントガード失格です。」

 瞳はうなだれた。

 「……山中、ポイントガードの役割って何だ?」

 佐伯は手にした本を鞄に詰めながら聞いた。

 「……ボールを運んでパスを回してアシストして、それができない時には自分でも得点すること……です。」

 瞳はまっすぐ目を見て答えた。両手は強く握られていた。

 「そうだ、その通りだ。でもな一つだけ、一番大事なことを忘れてる。

 チームを勝たせることだ。」

 糸を引くような速球をど真ん中に投げ込まれたような思いで佐伯先生を見る。

 「山中。全部自分でやろうとしてないか? 確かに山中なら一人でできるかもしれない。でもな、もっと周りを頼っていいんだ。頼って頼られて、それがバスケじゃないのか? 試合に出てる五人だけじゃない。ベンチには監督や他のメンバーもいる。それがチームじゃないのか?」

 瞳の中で何かが軽くなった感覚があった。 

 「はい。」

 「よし。わかったならはよコートに戻らな。まだ試合中なんだろ?」

 「はい。あの……先生は見ていかないんですか?」

 瞳は気になっていたことを尋ねた。

 「俺はもう帰るよ。授業の準備もあるし。ほら早くお行き。皆が待ってるよ。ポイントガードがいなきゃチームが締まらないだろ?」

 「わかりました。行ってきます。」

 瞳は少しだけ頭を下げてコートの方へ走った。

 「おう。頑張れよ7番。」

 佐伯はポケットから車の鍵を取り出して駐車場へ歩いた。


 瞳がフロアに戻ると試合はまだ続いていた。ベンチの後輩たちが帰ってきた瞳を見つけると、雛のような目を向けた。下石先生と目が合い瞳は無言でうなずいた。14-22。負けている。前半の残り時間はあとわずかだ。「ディフェンスー! ここ一本大事だよー!」瞳は声の限りで仲間を応援した。

 試合の半分を終えて引き上げたロッカールームの空気は重かった。

 「えーみなさん、前半が終わって今は負けていますけど、後半は悔いのないように一生懸命試合して、勝っても負けても後悔のないようにしましょう。」

 顧問の下石先生の言葉が空しく通過していく。試合に出ていたみんなは疲れて呼吸が荒れていた。後輩たちは小さく固まって肩を落としている。誰の動く気配も感じられない。瞳は下石先生の言葉が続かないことを五秒待ってから立ち上がった。

 「七瀬、ありがとうね。私が不甲斐ないばっかりに。」

 最初に後輩へ声をかけた。

 「千鶴、リバウンドだよ。千鶴がリバウンド取れればこの試合勝てるから。」

 「楓、空いたら打っていいから。どんどん打っていこう。」

 「ねね、向こうの六番ボール下げる癖あるからね。積極的に狙っていこ。」

 最後に陽子の前に立った。陽子はいつもより疲れてるのかドリンクのボトルを持ったまま顔を上げない。

 「陽子。このチームのエースは陽子なんだから、自信持って。あんたが動けば相手も動く。そこからうちらのバスケは始まるんだよ。」

 ドリンクを一口口に含んだ陽子が顔を上げて瞳を見る。口の中を飲み干してから言う。

 「で、誰がその最初のパスをくれるんだ?」

 陽子は瞳の目を見て笑っている。瞳はためらって下石先生の方を見た。その背中を陽子は勢いよく押した。

 「……先生。後半から私を出してください!」

 瞳は覚悟を決めてそう言った。

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