21.山中瞳
冬期講習の最終日は土曜日だった。佐伯先生は「今年は休日返上だよ。」と、こぼしていた。おなじみとなったこの教室でのお昼も、今日が最後だと思うと名残惜しかった。いつも賑やかしの陽子も、今日は黙々と口にサンドイッチを運ぶだけだ。遥斗はもちろん何も話さない。佐伯先生も教卓の上に乗せたスマホを眺めながら、カップラーメンが出来るのを待っていた。瞳はお弁当の包みを広げながら、エアコンがグワングワンと作動する音を聞いていた。
「……先生の中三の時の話、聞きたいな。」
自分の発した声が場違いに静寂をぶつ切りにした気がして、一瞬で瞳の顔に血が上った。
「いいじゃん。聞かせてよ、幸太郎。」
陽子がすぐに同調してくれて、瞳はなんとか平静を取り繕った。
「ん? 俺か。
……俺の中三は何もなかったよ。」
カップラーメンの蓋を剥がして佐伯先生はそう言った。
「え?」
「またまたー 教えてくれたっていいじゃん、昔のことなんだから。」
「……本当に何もなかったんだよ。」
佐伯先生はかやくを開けてラーメンを作っている。
「怪しい。」
陽子は粘った。
「公民の教科書にもあったろ? 俺の中三はコロナ禍だったんだ。」
瞳はしまったと思った。
「学校は休校だったし、もちろん行事も中止。修学旅行もなくなったし、部活も最後はなかったようなもんだな。」
親の話やドキュメンタリーの映像で知ってはいたが、当時中学生だった佐伯先生の言葉は重みが違った。
「外出は必要最低限、外でマスクをしていないってだけで猛烈に批判される。緊急事態宣言も発令されて、世の中のありとあらゆるものが自粛自粛って空気だったな。」
ごく普通のことを話すように、佐伯先生はラーメンをすすった。瞳は強く目を閉じた。
「今じゃ当たり前になったけど、生徒一人一人にタブレットが貸与されて、リモートで授業を受けるとかね。学校に登校しても給食は黙って前を向いて食べるとか。信じられないだろ? 日本中がそうだったんだぜ。」
佐伯先生はコロナ禍を懐かしむ節さえあった。瞳は箸を置いて黙って聞いていた。
「お店もさ、営業してるだけで叩かれて、休業を余儀なくされたりね。もうみんな家から出ること自体が悪、って雰囲気だったな。」
佐伯先生はおにぎりを口に入れてスープを飲んだ。
「それでもさ、郵便とかは毎日来るんだよ。子供心に感動したよね。日本の物流を支えてくれる人たちにさ。」
佐伯先生は残ったラーメンの具を割りばしで集めている。
「やめろやめろ、お前ら。黙ってないで飯を食え。」
気付けば陽子もサンドイッチを手に持ったまま止まっていた。遥斗もいつになく神妙な面持ちだった。
「まぁ、公民的なことで言えば、デジタル化の促進だとか、キャッシュレス化が普及するきっかけになったとか、個人の権利と公共の福祉の点で語られることが多いかな。入試で出ることもあるから、ちゃんと答えられるようにしておくんだぞ。」
佐伯先生は食べ終わったごみを持って教室から出て行ってしまった。
瞳は残っていたお弁当を箸で口の奥に押し込んで無理やり食べきった。陽子は食べかけのサンドイッチを袋に戻してタブレットに向かっていた。遥斗は時間をかけてゆっくりと昼食を再開した。
こんなことがあっていいのだろうか。瞳は無性に悔しかった。どこにぶつければいいかわからない怒りは、それからしばらく瞳の中にくすぶっていた。
試験会場に向かう電車の中で、瞳はスマートフォンを見ていた。目的の駅に到着するというアナウンスが耳に入って画面を閉じた。床に置いていたバッグを少しだけ開けてスマホを滑り込ませる。入口の柱にもたれて見渡した車内には、同年代のそれぞれ違う制服姿が目立った。心臓がドクンと一度脈を打つ。この人達が今日のライバルかもしれない。瞳は鞄を肩にかけなおすと静かに目を閉じた。
午前中の筆記試験は余裕を持って終えることができた。午後の面接の案内を聞き終えた瞳は、問題用紙を丁寧に折って鞄に入れた。トイレを済ませて教室に戻る際に、マスクをしている人とすれ違った。胸の奥を柔らかくて小さな手で掴まれた気がした。教室の中にはマスクをしている子はいなかった。
瞳は自分の名前と番号の書かれた受験票を机の上に出して、順番が回ってくるのを待っていた。一組五人ずつが番号順に呼ばれ、教室の人数は次第に減っていった。口のすぐ下で心臓が鼓動を打っていて、その音が耳の奥から直接聞こえた。順番が近づいてくると、瞳は自分が緊張していることに気が付いた。番号が呼ばれた瞳は、前の人に続いて四番目に面接が行われる別の部屋に入った。
部屋の中央には長机があってその向こうに男の人と女の人が立っていた。奥の窓のブラインドが日射しでやたら白くて、部屋の中は思っていた以上に明るかった。机の前には椅子が五つ横に並べられ、瞳は「どうぞ。」と言われるまで立っていた。
面接が始まると、最初に自己紹介と中学校生活で力を入れて取り組んだことを聞かれた。左から順に瞳は四番目に答えた。続いて志望理由、自分の長所・短所という質問に、瞳は予め準備していた内容で回答した。周りの子も優等生的な回答、覚えてきたものを読み上げるような回答を並べた。水面に波の立たない、無風の面接は静かに続いた。
「高校に入学してやりたいことはありますか?」
――来た。
瞳が直近で想定回答を変更した質問だった。再び心臓の音が近づく。瞳は唾を飲んで、頭の中を全速で整理した。四番目と言う微かな猶予があって助かった。
「ありがとうございました。 続いて山中さん。高校でやりたいことはありますか?」
膝の上で握っていた拳に力が入る。
「はい。私は人と人が直接触れ合う機会を大切にしたいと思っています。」
瞳は面接官二人の目を交互に見た。
「スマートフォンやタブレットが個人に普及し、コミュニケーションの手段が多様化した今だからこそ、人と人が顔をあわせ、時差も温度差もなく共有できる空間を大切にしたいです――」
瞳は一生懸命考えていることを伝えようとした。途中からは頭の中と口がうまく連動しなくて、しどろもどろになっていたかもしれない。口の中が乾いて滑らかに言葉が出てこない。それでもこの質問にだけは自分なりに考えたことを伝えたかった。自分の頭で考え、それを自分の口で話すことが大事だと思っていた。
その後にいくつかあった質問に、自分がどう答えたのかは覚えていない。ただ面接が終わって部屋を出た時、ものすごく肩から力が抜けていくのがわかった。




