愛の言霊
「……エレナ。いい加減、僕を『鑑賞物』のように見るのはやめて、一人の『男』として扱ってほしいと言ったはずだよ?」
公爵邸の広大な寝室。月の光が差し込むバルコニーを背に、カリスト閣下は呆れたような、それでいてひどく愉悦に満ちた声を漏らしました。
目の前の私は、シルクの寝具にくるまりながら、閣下の「風呂上がり姿」という名の、人類の至宝を前にして硬直していました。
(……待って。無理。無理です。濡れた黒髪から滴る雫が、閣下の鋼のようにしなやかで美しい胸筋を滑り落ちていく様は、まさに世界の神秘を凝縮した流星群! あの雫が通った道筋は、銀河の如き煌めきを永遠に刻みつけるはず……!)
――パチッ、パチパチッ!
私が心の中で(というか、ほぼ口に出して)叫んだ瞬間、閣下の濡れた肌の上を滑る水滴が、本当に小さなダイヤモンドの粒に変わって床にこぼれ落ちました。
「……またやったね、エレナ。君がそうやって僕を神格化するたびに、僕は君を抱きしめるのが難しくなる。宝石を纏ったままでは、君の肌を傷つけてしまうだろう?」
カリスト様は苦笑しながら、床に散らばる「雫だったダイヤモンド」を無造作に踏み越え、私のすぐそばに腰を下ろしました。
ベッドが沈み、彼の体温が伝わってきます。
「閣下……。でも、閣下があまりに尊いのが悪いのです。私の言霊は、ただ真実を述べているに過ぎません!」
「真実、か。なら、これも真実として上書きしてもらおうか」
カリスト様は私の後頭部に手を回し、逃がさないように指を絡めました。彼の瞳は、もはや面白がっているだけの観察者のものではありません。
「君の言う『聖なる導き』だの『至高の癒やし』だのという言葉は、もうお腹いっぱいだ。……今夜は、もっと泥臭くて、独占欲にまみれた言葉を聞きたい。……例えば、『君がいなければ、僕は一秒たりとも正気でいられない』とかね」
(……ひえっ! 推しが! 私への依存を! 逆設定してきた!?)
「そ、そんな……。閣下は、私がいなくても世界を統べる絶対者で……」
「いいや、違う」
カリスト様は私の唇を親指でなぞり、その言葉を遮りました。
「君が僕を『唯一無二』だと定義したその日から、僕の世界の軸は君にすり替わったんだ。……責任を取りなよ、エレナ。僕をこんな、一人の女に執着する無様な男に変えたのは、君の愛なんだから」
カリスト様の顔が近づき、鼻先が触れ合います。
「さあ、言ってごらん。……君の言霊で、僕を一生、君という名の檻から出られないように縛り付けてみせて」
(……ああ。この人は、どこまで腹黒くて、どこまで愛おしいんだろう)
私は降参するように目を閉じ、彼の首に腕を回しました。
もはやオタクとしての賛辞ではありません。一人の女性として、心からの「呪い」を口にします。
「……閣下。あなたは、私がいなければ呼吸をすることさえ忘れてしまう、不完全な半身です。私に愛されている実感がなければ、その魔力も権力も、すべては砂のように虚しく消えてしまう……。あなたは一生、私の言葉という名の鎖に繋がれて、私の隣でしか生きられないんです」
――ゴォォォォォォ……!
部屋中の空気が、甘く重い魔力で満たされました。
二人の影が壁に長く伸び、それが一つに溶け合うように重なります。
「……最高だよ、エレナ。その呪い、喜んで受け入れよう」
カリスト様は、満足げに喉を鳴らして笑うと、私を深い、深い愛の渦へと沈めていきました。
翌朝。
公爵邸の全使用人が目撃したのは、主人の部屋の扉や窓から、見たこともないほど豪華な「金色の蔓」が絡みつき、邸宅全体を一つの巨大な宝飾品のように包み込んでしまった光景でした。
それは、主人の執着と、夫人の言霊が創り出した、世界で最も甘く、決して破られることのない「永遠の檻」の象徴。
二人の設定改変は、これからも続きます。
今度は、二人の間に生まれる「天使のような微笑みで世界を浄化する奇跡の御子」について、私が語り始めるその日まで。




