第99話: なぜお前の国民は戦う
ヴィクトルの指揮所は、静かだった。
異常なほどに静かだった。
投影盤が青白い光を放ち、戦況データが絶え間なく更新されている。兵力配置、損耗率、補給線の効率指標——すべてが数値化され、最適な行動案がリアルタイムで表示される。
完璧なシステムだった。
だが——システムの外側に、人の気配がない。
ヴィクトルの指揮所には参謀がいなかった。幕僚もいなかった。AIが全ての判断を出し、ゴーレムがそれを実行する。人間はただ、AIの指示を伝達する中継点に過ぎない。
「武器の脆化率、七十三パーセント」
AIの合成音声が数値を読み上げた。
「代替武器の確保が急務。レンハルト・コードからの供給申し出を受諾することが最適解です。受諾しますか?」
「……ああ」
ヴィクトルは答えた。
答えた——が、その声に意志はなかった。AIが「受諾が最適」と言ったから、受諾した。それだけのことだった。
窓の外を見た。
レーヴェンの兵士たちが、隊列を組んで移動している。整然としている。命令通りに動いている。無駄がない。
だが——その隊列の中に、志願兵はいなかった。
予備兵力として後方に待機していた市民は、避難施設の中で静かに座っている。AIが「市民の戦闘参加は損耗率を悪化させる」と判断したからだ。合理的だ。正しい。
正しいはずなのに。
ヴィクトルは、先ほどの通信を思い出していた。レンの声。その背後に聞こえた雑音。槌の音。子供の声。パンの匂い——は、通信では伝わらないが、なぜか想像できた。
あの混沌とした音は、何だったのか。
報告が入った。
前線の兵士から、直接の通信だった。AIの回線ではなく、個人の精霊通信を使った非公式ルートだ。
「ヴィクトル陛下。前線よりご報告します。——レンハルト王の共同鍛造武器が届きました。使用して……よろしいでしょうか」
「使え。AIの承認を待つ必要はない」
「……ですが、AIが装備変更の最適タイミングを計算中で——」
「使えと言っている」
ヴィクトルの声に、珍しく感情が混じった。
通信が切れた後、ヴィクトルは椅子の背に沈み込んだ。
——AIの承認を待つ。
自分の兵士が、武器を手にするのにAIの許可を求めている。壊れた剣を握ったまま、次の指示を待っている。目の前に使える武器があるのに。
なぜだ。
俺が——そう教えたからだ。
AIに従え。AIが最適だ。自分で考えるな。考えるのは非効率だ。
それが——ノイマン王国レーヴェン朝の、十年間の教育だった。
戦場の片隅で、ヴィクトルはレンの陣地を遠目に見た。
双眼の精霊術で拡大した視界に映ったのは——混沌だった。
鍛冶屋が武器を打っている。子供が報告書を読んでいる。パン屋が食糧を配っている。兵士と民間人が入り混じって動いている。統率が取れているとは言い難い。効率は最悪だろう。
だが——全員が動いている。
指示を待っている者が、一人もいない。
ヴィクトルは——視界を切った。
「……なぜだ」
誰に言うでもなく、呟いた。
日が傾き始めた頃、前線で小康状態が訪れた。
ヴィクトルは自ら前線視察に出た。AIは「前線訪問は指揮官リスクが5.2%上昇する」と警告したが、無視した。初めてだった。
前線に着いた時、最初に目に入ったのはカイルだった。
血まみれの革鎧。折れた大剣の代わりに、ヴォルフの刻印が入った新しい剣を握っている。傷だらけの腕で剣を振り、仲間に声をかけ、笑っている。
笑っている。
戦場で、笑っている男がいる。
「よう、東の王様」
カイルが声をかけてきた。遠慮のない声だった。
「見に来たのか? ちょうどいい。お前んとこの兵士に飯を配ってるぞ。食ったほうがいい」
「……なぜ、お前はそんなに平気でいられる」
「平気じゃねえよ。腕が三本折れそうだし、昨日から二時間しか寝てない。——でも、隣に仲間がいるからな。それだけで立ってられるもんだ」
カイルの隣に、若い兵士が立っていた。砂色の髪。まだ新しい革鎧。大きな青緑の目が、ヴィクトルを見上げている。
「ルッツ。こいつがレーヴェンの王様だ」
「は、初めまして! ルッツです!」
ルッツが直立不動で敬礼した。敬礼の形がどこか歪んでいるのは、カイルの真似をしているからだろう。
ヴィクトルは——ルッツを見た。
この若者は、明らかに実戦経験が浅い。剣の握り方にまだ迷いがある。足の運びに無駄が多い。AIの分析なら「前線配置は不適格」と即座に判定するだろう。
「お前は、なぜ前線にいる」
「え? それは——」
ルッツが一瞬、考えた。それから真っ直ぐにヴィクトルを見た。
「カイルさんが前にいるからです。俺も、隣にいたいって思ったから」
「AIの適性判定は受けたのか」
「あいてい? 何すか、それ」
ルッツが首を傾げた。カイルが笑った。
「こいつにそんな難しいこと聞いても無駄だぞ。——ルッツ。休憩終わりだ。行くぞ」
「はい、カイルさん!」
ルッツが駆け出した。カイルが後を追う。二人の背中が前線に消えていく。
ヴィクトルは——立ち尽くしていた。
レンの指揮所を訪ねたのは、その夜だった。
戦場に設けられた簡易テントの中で、レンは投影盤に向かっていた。目の下に濃いクマができている。徹夜は二日目らしい。机の上に、食べかけのパンが置いてあった。
「ヴィクトル。——珍しいな、自分で来るなんて」
「……」
ヴィクトルは——入り口に立ったまま、動かなかった。
テントの中に人の気配が満ちている。ダリウスが書類を整理している。隅でフィオの班が報告書を読んでいる。エルナがお茶を淹れている。雑然としている。非効率だ。
だが——生きている。
「レンハルト」
「ん」
「今日の戦場を見た。お前の国民が——」
ヴィクトルは、一度言葉を切った。
AIに聞けば、適切な言い回しが出てくる。だがそれでは意味がない。自分の言葉で——言わなければ。
「……なぜだ。俺の方が正しいはずなのに。俺の軍の方が強いのに。なぜ、お前の国民は戦うんだ」
テントの中が、一瞬だけ静かになった。
フィオの手が止まった。ダリウスが顔を上げた。エルナが湯気の立つカップを持ったまま、ヴィクトルを見た。
レンは——投影盤から目を離した。
椅子を回してヴィクトルに向き直った。
「強制してない。自分で決めたんだ」
「……わかっている。だからこそ聞いている。なぜ、自分で決められるんだ」
「それは——」
レンは頭を掻いた。答えを探しているようだった。AIに聞いてもいい質問だった。でも——聞かなかった。
「お前が十年かけて、国民から"自分で決める"習慣を奪ったからだ」
「……」
「ヴィクトル。お前は十年間、国民に『AIに従え』って教えてきた。全部AIが決める。食事も、仕事も、戦い方も。——結果、お前の国民は指示がないと動けなくなった」
「俺は、最適な国を作ろうとした」
「最適な国はできた。でも、国民が消えた。——いや、体はいるけど。意志が消えた」
ヴィクトルの拳が、白くなるまで握りしめられた。
「……俺のやり方は、間違っていたのか」
「全部が間違ってたとは言わない。お前の国は効率的だし、平時なら問題ない。でも——想定外のことが起きた時、AIの指示にない状況が来た時、お前の国民には選択肢がない。考える訓練をしてないからだ」
エルナが、黙ってヴィクトルにお茶を差し出した。
ヴィクトルは——カップを受け取った。手が、微かに震えていた。
「パン屋の……」
「エルナ。もう覚えてよ、あたしの名前」
「……エルナ」
「飲みなさい。冷めるよ」
ヴィクトルは——お茶を飲んだ。
温かかった。それだけの感想だったが——なぜか、胸に染みた。
夜が更けた。
レンとヴィクトルは、テントの外で星を見ていた。
前線は静まっている。明日の第三波に備えて、交代制の休息が始まっていた。篝火の周りで兵士たちが毛布にくるまっている。
「レンハルト」
「ん」
「あのルッツという兵士。あいつの戦闘適性は低い」
「知ってる」
「カイルに足を引っ張られるリスクがある」
「そうかもな」
「……なのに、なぜ前線にいる」
「カイルが許したからだ」
レンはそう言って、遠くの篝火を見た。カイルとルッツが並んで座っている影が見えた。ルッツが何かを話して、カイルが笑っている。
「カイルは最初、ルッツを前線に出すのを嫌がった。まだ早いって。でもルッツが——」
「何と言った」
「『先輩を守るのは後輩の仕事です』って。——バカだよな。守られる側が守ろうとしてる」
「非合理的だ」
「ああ。非合理的だ。——でも、それが人間だろ」
ヴィクトルは——黙った。
星を見ていた。この世界の星座は、前世とは違う配置だった。だがそれすら、AIに名前を聞いたことしかなかった。自分で見上げたことが、何回あっただろう。
「レンハルト」
「ん」
「……俺も、自分で決めてみたい」
レンが振り向いた。
ヴィクトルの顔に、AIの出力にはない表情があった。困惑。迷い。そして——ほんの微かな、決意。
「何をだ」
「まだわからない。——だが、次は自分で考える。AIに聞く前に」
「……そうか」
レンは——笑った。
「遅すぎるくらいだけどな」
「うるさい」
ヴィクトルが——初めて、レンに感情的な言葉を返した。
その時、ノエルの声が割り込んだ。
「主様。——少々、気になることが」
「ノエル、何だ」
「敵の動きが、妙に規則的です」
レンの目が細くなった。
「規則的?」
「はい。魔王軍の部隊移動を水鏡で追っているのですが……まるで何かの手順書に従っているような動きです。攻撃のタイミング、撤退の判断、増援の投入——すべてが一定のパターンに従っている」
「パターンが読みやすいのは助かるけど……」
「助かるのは事実です。ですが——あまりにも都合が良すぎませんか?」
レンは考え込んだ。
確かに、魔王軍の動きは予測しやすかった。第一波も第二波も、ある程度の事前予測が当たった。それはレンの戦略が優れているからだと思っていたが——ノエルの指摘は別の可能性を示唆している。
「まるで——読ませているかのような」
「わたくしの推測にすぎません。しかし、長年情報を集めてきた精霊の勘として申し上げます。——この規則性は、自然ではありません」
レンは答えようとした。だがその瞬間、北東の空が赤く燃えた。
「第三波、来ます!」
ダリウスの声がテントの中から響いた。
レンは立ち上がった。ヴィクトルも立ち上がった。
ノエルの指摘は、頭の片隅に残った。だが今は——考えている暇がない。
「ヴィクトル」
「なんだ」
「お前の兵士にも共同鍛造武器を渡した。——指揮は、自分で出せ。AIに聞くなよ」
「……」
ヴィクトルは——少しだけ、口角を上げた。笑みというには硬かったが、初めて見る表情だった。
「やってみる」
二人は、それぞれの指揮所に走った。
夜空を赤い炎が照らしている。第三波が来る。だが——今夜の二つの変化は、戦場の形を変えるかもしれない。
ヴィクトルが、自分で考え始めた。
そして、ノエルの言葉が、まだ耳に残っている。
——この規則性は、自然ではない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第99話「なぜお前の国民は戦う」。ヴィクトル視点で始まるこのエピソードは、書いていて最も胸が痛いものでした。
ヴィクトルの兵士がAIの承認を待って武器を持てないシーン。「壊れた剣を握ったまま、次の指示を待っている」。この光景は、AIに全てを委ねた国の帰結です。効率的な国を作ったはずが、国民の意志を消してしまった。ヴィクトルはそれに気づき始めています。
「なぜお前の国民は戦うんだ」という問いに、レンは「自分で決めたんだ」と答えます。シンプルですが、この一言がこの作品の核心です。AIの指示ではなく、自分の意志で動く。それだけのことが、十年間AIに従い続けた国では失われてしまった。
カイルとルッツのシーンも書きたかった場面です。「先輩を守るのは後輩の仕事です」。非合理的で、馬鹿げていて——でも人間的な台詞。ヴィクトルが「非合理的だ」と言い、レンが「それが人間だろ」と返す。この対比が好きです。
そしてノエルの違和感。「敵の動きが妙に規則的」「まるで手順書に従っているような」。この伏線がどこに繋がるか——覚えておいてください。
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