第78話: 姫様ご到着
白銀の行列が、朝靄の街道を割って進んでくる。
レンは城壁の上から、その光景を眺めていた。先頭の旗には獅子と百合の紋章——セントラリア王国の国旗だ。騎馬が二十、荷馬車が十、そして中央に一際大きな白い馬車。車体に青と銀の装飾が施され、窓枠に結界魔法の紋様が淡く光っている。
「……おいおい。使節団って言うから十人くらいかと思ったら」
「総勢六十名。護衛騎士二十、侍女十二、外交官六、技術視察員四、その他随行員。——昨夜の時点で報告しました。お聞きになっていましたか?」
ダリウスが横に立っている。右手に書類の束、左手に替えのペン。いつもの装備だ。
「聞いてました。数字がでかすぎて現実感がなかっただけです」
「現実です。宿泊施設の手配、食事の段取り、通行許可証の発行——全て昨夜のうちに済ませました。私は三時間しか寝ておりません」
「いつものことでしょう」
「いつものことだから問題なのです」
ダリウスの目の下のクマが、いつもの一・五倍に濃い。レンは少しだけ申し訳なさを感じたが、口には出さなかった。出すとダリウスが余計に怒る。
行列が近づいてくる。
城門の前に、歓迎の列が整えられている。カイルが戦士団を率いて左に、メイラがアルゴリズ学院の代表として右に。イグニスは人型化して城壁の上にいる——「出迎えなど面倒だ」と言いつつ、好奇心で覗きに来ている。
レンは城壁を降りて、正門の前に立った。
——セントラリア。大陸中央の伝統魔法大国。
そしてArc6で判明した、ゴーレム暴走工作の出所候補の一つ。
ダリウスの報告書が頭の中で再生される。『ゴーレムの制御魔法陣に、外部から微細な改竄が加えられていた痕跡があります。精霊ネットワーク経由で、暴走を誘発するコードが注入されていた——』
複数の国に動機がある。セントラリアか、レーヴェンか、ハンデルスか。まだ特定はできていない。
だが——今日来るのは、セントラリアだ。
表面上は友好的な外交訪問。裏で何を掴もうとしているのか。あるいは——本当に友好なのか。
前世のCTO時代を思い出す。取引先の笑顔が本物かどうかを見極めるのは、デバッグより難しかった。
「見極める必要がある、か」
小さく呟いた。
白い馬車が城門の前に止まった。
馬車の扉が開く前に、一人の騎士が飛び降りた。
銀髪、短めに整えられた髪。白銀の騎士鎧に、王家の紋章が刻まれたマント。端正な顔立ちの右頬に、古い傷跡がある。身長は百八十を超えている。鋼色の目が——まっすぐにレンを射抜いた。
レンの横で、カイルが小さく口笛を吹いた。
「いい体してんな」
「品評会じゃないぞ」
「剣士は体つき見りゃ強さがわかる。あいつ、相当やるぜ」
騎士——アルデンが、馬車の扉を開けた。
手を差し伸べる。
白い手袋をした手が、その上に乗った。
——降りてきたのは、別世界の存在だった。
プラチナブロンドの長い髪が、朝の光を受けて白銀に輝いている。腰まで届く髪をティアラで留め、白と青のドレスが風にそよいでいる。深い青の瞳は——氷のように冷たく、透明で、知性を湛えている。
セレスティア姫。
立ち姿だけで、彼女が王族であることが伝わってくる。背筋の伸び方、顎の角度、視線の高さ。全てが「上に立つ者」として設計されている。
「……スペック高ぇな」
レンの口から、思わず前世の言葉が漏れた。
セレスティアの視線が、城門をくぐり、街を見渡した。
通りの両側にゴーレムが並んでいる。清掃用ゴーレムが朝の落ち葉を掃き、運搬用ゴーレムが市場へ荷物を運んでいる。街灯を管理する小型ゴーレムが精霊灯の点検をしている。
そして——手作りギルドの金のハンマー紋章を掲げた店と、ゴーレム製品を並べる店が隣り合って営業している通り。
セレスティアの視線が——止まった。
「この国、すべてゴーレムが動かしているの?」
声が通った。気品のある、だが容赦のない声。
「——王は何をしているのかしら」
レンは——頭を掻いた。
「いや、全部じゃないです。半分くらいはゴーレムで、残り半分は人間が——」
「半分もゴーレムですの?」
セレスティアの眉が微かに上がった。驚きではなく、品定めの表情だ。
「正確には四十七パーセント。残りは人間と精霊の協業です」
「数字はお上手ですのね。では、その四十七パーセントのゴーレムが止まったら、この国はどうなります?」
「——止まらないように設計してあります」
「設計は万全ではなくてよ? つい先月、ゴーレムが暴走したと聞いておりますけれど」
レンは黙った。
的確だ。初手で弱点を突いてきた。——この姫、交渉のプロだ。
「レンハルト殿ですわね。わたくし、セントラリア王国第一王女セレスティアです。お招きいただき、感謝いたしますわ」
一礼。完璧な角度。計算された優雅さ。
「——ああ、レンでいいです。レンハルト・コード。アルゴリズの王……っていうか代表です」
「王が『代表』と名乗るのは謙遜かしら。それとも、自信がないのかしら」
「どっちもです」
レンが正直に答えた。
セレスティアが——一瞬、目を丸くした。王族の外交では聞かない返答だったらしい。
「……面白い方ですのね」
「よく言われます」
その横で、アルデンの鋼色の目がレンを睨んでいた。
「アルゴリズ王」
低い声。騎士的な丁寧さの奥に、隠しきれない敵意がある。
「私はセレスティア姫殿下の護衛騎士、アルデンです。姫殿下の安全は、私の命に代えてお守りする」
「大げさですよ。うちは治安いいですから。ゴーレムの巡回警備が——」
「AIで国を建てた男に、姫をお渡しするわけにはいかない」
空気が——凍った。
カイルが大剣の柄に手をかけた。イグニスが城壁の上で髪が燃え始めた。ダリウスが「外交儀礼に抵触しています」と小声で呟いた。
レンは——動かなかった。
アルデンの目を見た。敵意の奥に——苦しみがある。任務と信念の間で引き裂かれている男の目だ。前世で何度も見た。仕事が嫌いじゃないのに、上からの方針に従わざるを得ない中間管理職の目。
「アルデン」
セレスティアが静かに言った。
「わたくしが挨拶をしている最中ですわよ。無作法は後で叱りますから、今は黙っていなさい」
「……失礼しました、姫殿下」
アルデンが一歩退いた。だが目の奥の光は消えていない。
セレスティアがレンに向き直った。
「申し訳ありませんわ。うちの騎士は腕は立つのですが、口も立ちすぎて困りますの」
「いえ、正直な人は嫌いじゃないです」
「あら。では、わたくしとは合いそうですわね。——正直に申し上げますと、わたくしはこの国に、大変興味がありますの」
セレスティアの青い目が——レンを見上げた。
氷のような目。だがその奥に——本物の好奇心がある。
「AIで国を建てた男。——お手並み拝見させていただきますわ」
使節団の到着騒ぎが一段落した昼過ぎ。
エルナは工房でパンを焼いていた。
焼いていた——はずだった。
窯の前にしゃがみ込んで、火の加減を見つめている。ライ麦パンが膨らんでいく。いつもの作業。いつもの工房。小麦粉と酵母の匂い。何も変わらない。
——変わったのは、自分の胸の中だけだ。
朝、城門で使節団を迎える人だかりの中から、彼女はそれを見ていた。
白い馬車から降りてきた女性。プラチナブロンドの髪。青い瞳。白と青のドレス。王族の立ち振る舞い。全てが完璧で——全てが、自分と真逆だった。
「……きれいな人」
ぽつりと呟いた。
それから——自分の格好を見下ろした。
粉まみれのエプロン。生地がこびりついた手。爪の間に入り込んだ小麦粉。袖口のインク染み(昨日ダリウスに渡す売上報告書を書いた時のもの)。
……うん。
比べるのもバカバカしい。
あの姫様と自分を並べたら、それこそ——銀のティアラと、焦げたパンの耳くらいの差がある。
「エルナ、焦げてない?」
ハンナが裏口から顔を出した。
「え?」
「パン。焦げてるよ」
「——っ!」
慌てて窯を開けた。ライ麦パンの底が黒くなっていた。三十秒遅かったら炭になるところだった。
「あーあ。エルナが焦がすなんて珍しい」
「うるさい。ちょっと考え事してただけ」
「何の考え事?」
「……別に」
「嘘。あの姫様でしょ?」
エルナの手が止まった。
ハンナは恋愛方面の感知能力だけは精霊並みだ。嘘をついても三秒で見抜かれる。
「……見た。朝の行列」
「あたしも見た! すっごいきれいだったよね! あの髪! あの目! あのドレス! あのオーラ! ——で、レン君と話してた」
「……そう」
「エルナ」
「なに」
「大丈夫?」
「何が」
「あんたの顔」
「……あたしの顔がどうしたのよ」
「パンより焦げてる」
エルナが焦げたパンをハンナに投げた。ハンナがキャッチして、端っこをかじった。
「ん、焦げてるけど中は美味しい。さすがエルナ」
「……食べるな」
「ねぇ、あの姫様、なんでアルゴリズに来たか知ってる?」
「知らない。外交でしょ。あたしには関係ない」
「関係ないわけないでしょ。あんた、レン君の——」
「レン君のなんなのよ」
「パン屋でしょ」
「……そうだけど」
ハンナがにやりと笑った。エルナはその笑い方が嫌いだった。何もかも見透かしているような笑い方。
「ハンナ。余計なこと言わないでよ」
「あたしはいつも必要なことしか言わないよ」
「嘘つき」
「嘘ついたことないよ。——あ、エルナ。次のパンも焦げそうだよ」
「——っ!」
窯に向き直った。
パンに集中しなければ。パンだけに。パンのことだけ考えていればいい。
——きれいな人だった。
頭の中で、あの白と青のドレスが消えない。
午後。レンはダリウスと共に、使節団の宿泊施設への案内を終えた。
城の執務室に戻ると、イグニスが窓枠に腰掛けていた。人型のまま、赤い髪を風に靡かせている。
「あの姫、ただの外交訪問ではないな」
「わかるのか」
「精霊の勘だ。あの女の周りの空気は——氷属性に近い。冷たくて、密度が高い。知性と覚悟の密度だ」
「精霊ってそんなのも感じ取るのか」
「数百年生きていれば、な。——それより術者。あの騎士の方が問題だ」
「アルデンか」
「ああ。あいつの殺気は本物だ。剣の腕も相当のもの。カイルと同格か、あるいは——」
「カイルより上か」
「否定はしない」
レンは椅子に座った。机の上にダリウスが整えた書類が並んでいる。使節団の日程表、歓迎晩餐会の座席表、明日以降の視察スケジュール。
だが——レンの頭にあるのは書類じゃない。
セントラリアからの工作。
ゴーレム暴走を外部から誘発した痕跡。まだ犯人は特定できていないが、セントラリアは最有力候補の一つだ。
セレスティア姫が関わっているのか。それとも知らないのか。
あるいは——知っていて、その上で堂々と乗り込んできたのか。
「イグニス」
「なんだ」
「あの姫が『この国に大変興味がある』って言った時の空気、どう感じた?」
「嘘ではなかった。——が、全てが本音でもなかった。あの女は、感情の上に政治を重ねて話している。どこまでが本心で、どこからが外交なのか、精霊の感覚でも読み切れん」
「読み切れないのか」
「人間の政治は、精霊には理解しがたい。なぜ素直に話さんのだ」
「素直に話したら外交にならないからだよ」
「馬鹿馬鹿しい」
イグニスが窓枠から飛び降りた。炎が微かに揺れる。
「一つだけ言っておく。あの騎士——アルデン。あいつの殺気は、単なる護衛の使命感じゃない。もっと個人的な何かがある」
「個人的?」
「姫への忠誠の奥に——別の感情がある。人間なら、お前でもわかるだろう」
レンは首を傾げた。イグニスがため息をついた。
「……いや、お前にはわからんか。鈍感め」
「何がだよ」
「何でもない。——精霊ネットワークで使節団の動きを監視しておく。不審な動きがあれば知らせる」
「頼む」
イグニスが炎の球体に戻り、窓から消えた。
レンは一人、執務室に残された。
窓の外。夕方のアルゴリズ。
使節団の宿泊施設の周辺に、セントラリアの旗が立てられている。白銀の騎士たちが交代で巡回している。街の人々が珍しそうに眺めている。
二つの世界が——一つの街の中で、並んでいる。
ゴーレムが動く通りと、白銀の騎士が歩く通り。
AIで建てた国と、伝統で守る国。
「……面白い、と思ったら負けだぞ」
自分に言い聞かせた。
面白がっている場合じゃない。セントラリアの使節団の裏にある目的を、見極めなければならない。
だが——。
あの姫の目は、本物の好奇心だった。
「お手並み拝見」——その言葉には、敵意もあったが、それ以上に——知りたいという熱があった。
机の上の報告書に手を伸ばした。ダリウスが要約した使節団の目的。
『技術交流』『外交関係の強化』『同盟の可能性の模索』——表向きの目的が三つ並んでいる。
その下に、ダリウスの手書きのメモ。
『※本来の目的は不明。警戒レベルを通常の二段階上に設定しました。胃薬の在庫を確認してください』
レンは——少し笑った。
ダリウスらしい。
書類を閉じて、窓の外を見た。
東の空が夕焼けに染まり始めている。セントラリアの方角だ。
明日から、本当の外交が始まる。
剣ではなく言葉で。ゴーレムではなく人間の知恵で。
——来いよ、姫さん。
この国を見せてやる。光も、影も、全部な。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第78話「姫様ご到着」。第7アーク「恋と陰謀の宮廷」の第1話です。
ここからが恋愛編です。そして同時に、政治劇でもあります。
セレスティア姫、初手から容赦なかったですね。「この国、すべてゴーレムが動かしているの? ——王は何をしているのかしら」。的確すぎて、レンもダリウスも反論できない。彼女は頭が切れる。外見だけではなく、知性と政治センスを併せ持つ相手です。
護衛騎士アルデンの「AIで国を建てた男に、姫をお渡しするわけにはいかない」も印象的な初登場台詞になったかと思います。敵意の奥に何があるのか——それはこの先のエピソードで明らかになります。
そしてエルナ。パンを焦がすエルナ。あの姫様を見て、自分のエプロン姿を見下ろして——黙る。彼女の不安と強がりが、このアークの恋愛ラインを動かしていきます。
次話「政略婚という最適解」。セレスティアが本題を切り出します。そしてレンは——数字では否定できない提案を突きつけられます。
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