第70話: あんたが直さなきゃ
レンは執務机に突っ伏したまま、動けなかった。
窓の外ではゴーレムの足音が規則正しく響いている。昨日の暴動で壊れた市場通りの露店を、別のゴーレムが黙々と修復していた。壊したのもゴーレムなら、直すのもゴーレム。人間はそのどちらにも関われない。
——俺が作ったシステムが、人の居場所を奪っている。
頭ではわかっていた。自動化の恩恵が街を豊かにした。物価は下がり、危険な仕事は減り、生産性は十倍になった。前世のスタートアップで散々やった「効率化」を、この世界でもやっただけだ。
だが前世では見えなかったものが、ここでは見える。
フィオの泣き顔。「先生のせいだ!」と叫ぶ声。カイルの「俺たちの仕事を返せ!」という怒号。ハンナが伝えてきた、半分シャッターが下りた商店街。
——前世でも、俺の自動化で仕事を失った人がいたはずだ。ただ、顔が見えなかっただけで。
「あんた、いつまでそうしてるわけ」
扉が開いた。ノックは——なかった。
レンが顔を上げると、エルナがパンの籠を抱えて立っていた。目が据わっている。怒っているのか、呆れているのか。たぶん両方だ。
「……エルナ」
「昼過ぎよ。朝から何も食べてないでしょ」
籠をドン、と机の上に置かれた。レンの書類が数枚、風圧で飛んだ。
「悪い。食欲が——」
「食べなさい」
有無を言わさない声だった。エルナがパンを一つ取り出して、レンの前に置いた。焼きたてではない。少し冷めている。でも表面の焦げ目が均一ではなくて、端っこが少しだけ膨らんでいる。エルナの手で成形した証拠だ。
レンはパンを受け取った。齧った。噛むと、小麦の甘さが口の中に広がる。
「……うまい」
「当たり前でしょ」
エルナが窓際に腰を下ろした。レンの反対側。机を挟んで向き合う形になった。
沈黙が続いた。ゴーレムの足音だけが、窓の向こうで響いている。
「エルナ」
「なに」
「……怒ってるか。俺に」
エルナが——少し間を置いた。
「怒ってない」
「嘘だろ」
「嘘じゃない。——怒ってたのは昨日まで。今は呆れてる」
レンは苦笑した。呆れてる、の方がきつい。
「フィオの父ちゃんのこと。カイルのこと。商店街のこと。——全部あんたのせいだとは言わない」
エルナの声が、静かだった。いつもの弾丸のような口調ではない。
「ゴーレムが便利なのは事実だし、物価が下がったのもあんたのおかげだし、あたしだって窯の薪割りをゴーレムに頼んでる。全部否定するのは嘘になる」
「……ああ」
「でもさ」
エルナがレンを見た。まっすぐに。
「あんたが直さなきゃ、誰が直すの」
レンの手が——止まった。パンを持ったまま。
「あんたが作ったんでしょ、このシステム。あんたが広めたんでしょ、ゴーレムの自動化を。なら——壊れた部分を直すのも、あんたの仕事じゃないの」
「……」
「泣いてる暇があるなら手を動かしなさいよ。あんた、手を動かしてる時が一番マシな顔してるんだから」
レンは——しばらく黙っていた。
感動した時に黙る癖があることは、自分でもわかっている。だが今回は、感動とは少し違う。殴られた感覚に近い。的確すぎて、反論の余地がない。
「……30点だ」
「はぁ?」
「その言い方。辛辣すぎる。もうちょっとオブラートに——」
「オブラートに包んでほしかったら、メイラさんに言ってもらえば?」
「……すまん」
「で、どうするの」
レンは頭を掻いた。いつもの癖だ。
「正直、まだわからん。AIに聞いてみたけど——」
「AIになんて聞いたの」
「『ゴーレム自動化で失業した人々をどうすべきか』」
「で?」
「『全自動化を維持し、不満分子を再教育すべき』だと」
エルナが眉をひそめた。
「……それ、人間を直せって言ってるの?」
「そういうことになるな」
「ばっかじゃないの。壊れたのはシステムの方でしょ。人間が壊れたんじゃなくて、仕組みが人間に合ってないだけじゃん」
レンは——目を閉じた。
エルナの言葉が、前世の記憶と重なった。スタートアップで「ユーザーが悪い」と言い張って、UIの改善を怠った時のことを。結局、直すべきだったのはいつもシステムの方だった。
「……そうだな。エルナの方が正しい」
「当たり前でしょ」
エルナが立ち上がった。
「あたしは店に戻る。パンは全部食べなさい。——あと、顔洗いなさい。クマが酷い」
「はい……」
扉が閉まった。エルナの足音が廊下に遠ざかっていく。
レンは残りのパンを全部食べた。冷めていたけど、うまかった。
夕方。レンは執務室の水鏡を起動した。
水鏡は精霊ノエルが管理する遠距離通信手段だ。水の膜に映像と音声を乗せて、大陸の向こう側とも会話ができる。
映し出されたのは——東の大国、ノイマン王国の玉座の間。
ヴィクトル・レーヴェンが、相変わらず完璧な姿勢で座っていた。銀色の髪。氷のような青い目。十五歳とは思えない冷徹さが、水面越しにも伝わってくる。
「珍しいな、レンハルト。お前から通信を寄越すとは」
ヴィクトルの声は平坦だった。感情が読めない。
「ヴィクトル。お前の国のことで聞きたい」
「聞け」
「失業率」
ヴィクトルが——一瞬だけ、口角を上げた。笑みではない。嘲りに近い。
「0%だ」
レンの予想通りの答え。だが、確認したかった。
「ゴーレムの自動化を進めて、どうやって0%を維持してるんだ」
「簡単だ。全国民にAIが最適な職務を割り当てている。農民だった者は今日から技師になり、技師だった者は今日から管理者になる。AIの指示通りに動けば、誰一人として失業しない」
「……本人の意志は?」
「意志?」
ヴィクトルが首を傾げた。本気でわからない、という顔だった。
「意志がなぜ必要だ。AIが最適な配置を算出している。本人の希望より、AIの判断の方が精度が高い。好きな仕事に就きたいという非合理的な欲求に付き合う必要はない」
レンは——拳を握った。机の下で、見えないように。
「お前の国の民は、幸せか」
水鏡の向こうで、ヴィクトルが沈黙した。
長い沈黙だった。水面が微かに揺れている。精霊ノエルの力が、二つの国の距離を繋いでいる。
「効率的だろう?」
ヴィクトルが答えた。質問には答えていない。
「不満もない。不満を感じる暇もないからな。AIが一日のスケジュールを秒単位で最適化している。食事の内容も、睡眠時間も、娯楽の種類も。全てがAIの判断に基づいている」
「それは——」
「朝起きてから夜寝るまで、何一つ自分で決めなくていい。迷う必要がない。選ぶ必要がない。——楽だぞ?」
ヴィクトルの声が、ほんの少しだけ——柔らかくなった。それがレンには、かえって恐ろしかった。
「お前は今、ゴーレムの失業問題で悩んでいるのだろう」
「……ああ」
「私の国ではその問題は存在しない。AIが全てを最適に配置する。誰も失業しない。誰も不満を持たない。誰も——」
「誰も、自分で何も決めていない」
レンの声が、静かに割り込んだ。
水鏡の向こうで、ヴィクトルの目が細くなった。
「決める必要がないからだ」
「俺の仲間に、パン屋の女がいる」
「知っている。お前の国の報告書に載っていた」
「あいつは毎朝三時に起きて、自分の手で生地をこねて、自分の勘で焼き加減を決めてる。AIに聞かないで。非効率だろ? ゴーレムにやらせた方が速いし、均一に焼ける」
「その通りだ」
「でもあいつのパンは、ゴーレムのパンと違う味がする」
「栄養価に差異がないなら、味覚の差は心理的バイアスだ」
「かもな。でも——あいつが自分で決めて、自分の手で焼いたから出る味なんだ。それを最適化の対象にしたら——」
レンが——一瞬、言葉に詰まった。
「それを最適化したら、あいつは、あいつじゃなくなる」
ヴィクトルは無表情だった。水鏡の映像が微かに揺れる。
「レンハルト。お前は感傷的だ」
「かもな」
「感傷は最適化の障害だ」
「それは幸せか?」
レンが繰り返した。二度目の問い。
ヴィクトルが——今度は答えた。
「幸せかどうかは、最適化の対象外だ」
水鏡が、静かに波紋を広げた。
レンは黙っていた。言い返す言葉が見つからなかった。——いや、見つけられなかったのではない。言い返しても意味がないと、わかっていた。
ヴィクトルは本気でそう思っている。幸せは効率とは無関係な変数だから、最適化する必要がない。論理的には正しい。だが——
「ヴィクトル。一つだけ聞いていいか」
「聞け」
「お前は、今日何を食べた」
「……質問の意図が不明だ」
「いいから答えてくれ」
ヴィクトルが——少し間を置いた。
「朝食は穀物粥と果実。昼食は魚の蒸し物と根菜のスープ。全てAIが栄養バランスを最適化して——」
「美味かったか?」
「……栄養バランスは完璧だ」
「美味かったか?」
沈黙。
水鏡の向こうで、ヴィクトルの表情が——ほんの一瞬だけ、揺らいだように見えた。
「味覚は主観的指標であり、最適化の——」
「わかった。もういい」
レンが通信を切ろうとした。ヴィクトルが口を開いた。
「レンハルト」
「ん?」
「お前の方法は非効率だ。混乱と不満と暴動を生む。私の方法ならそれは起きない」
「ああ。お前の方が効率的だ。認める」
「……では、なぜ私の方法を選ばない」
レンは——笑った。疲れた笑いだった。
「効率じゃ測れないものがあるんだよ。パンの味とか、鍛冶師の誇りとか、十二歳の少女の怒りとか」
「非合理だ」
「そうだな。人間は非合理だ」
レンは——ふと、自分の言葉に違和感を覚えた。
——俺は今、確信を持って言えてるのか? エルナには「方法がわからない」と言ったばかりだ。非合理的なものの価値を信じてる。でも、それをどう守るのか、どう両立させるのか、まだ何一つ答えが見えてない。
だがそれでも——ヴィクトルの道だけは、選べない。
「——それでも、俺は人間のままでいたい。お前の国みたいに、人間をシステムの部品にはしたくない。たとえ答えがまだ見えてなくても」
ヴィクトルが——何か言いかけて、止めた。
「通信を切る」
「ああ。——ヴィクトル」
「なんだ」
「お前、たまには自分で飯を選んでみろ。不味くても、自分で選んだ飯は悪くないぞ」
「……余計な世話だ」
水鏡が消えた。水面が静かになり、ただの器に戻った。
夜。
レンは窓を開けて、夜風に当たっていた。
精霊灯に照らされた街並みが眼下に広がっている。壊れた露店はゴーレムが直した。通りは元通りの形になっている。だが——元通りに見えるだけだ。空き店舗の窓は暗いままで、人の気配がない。
イグニスが、炎の球体のまま窓辺に浮かんでいた。
「術者。あの銀髪の王と話しておったな」
「聞いてたのか」
「精霊は風の中の声を拾う。——嫌なら窓を閉めておけ」
「……別にいい」
レンが窓枠に肘をついた。夜風が髪を揺らす。
「あいつの国、失業率0%なんだと」
「知っておる。東方の精霊たちから聞いておる。——あの国の精霊は、みな沈黙しておるそうじゃ」
「沈黙?」
「指示通りに動くだけで、自分の意見を言わなくなった。精霊にも意志はある。じゃが、意志を表明しても聞き入れられないなら——やがて黙る」
レンは目を伏せた。
「……精霊も、人間も、同じか」
「当然じゃ。道具として扱えば、道具になる。主人として扱えば、主人になる。——わしがお前に口答えするのは、お前がわしを道具として扱わんからじゃ」
「……褒めてんのか、それ」
「褒めておらん。——事実を言っておるだけじゃ」
イグニスの炎が、少し明るくなった。
「術者。一つ忠告しておく」
「なんだ」
「お前が悩んでおるのは、"人間の居場所を奪った"ことじゃ。じゃが——居場所を返すだけでは足りん」
「……どういう意味だ」
「仕事を戻すだけなら簡単じゃ。ゴーレムを止めればいい。じゃが、それでは何も解決しておらん。ゴーレムを止めれば効率が落ち、暮らしが苦しくなる。元に戻すのではなく——新しい居場所を作らねばならん」
レンは——イグニスの炎を見つめた。
「お前、意外と深いこと言うな」
「失礼じゃ。わしは常に深い」
「はいはい」
「はい、は一度でいい」
レンは笑った。だが、笑いはすぐに消えた。
新しい居場所を作る。——言うのは簡単だ。だが具体的にどうする。ゴーレムを止めず、人間の仕事も残し、両方が共存する仕組み。そんなものが——
エルナのパンが、脳裏に浮かんだ。
ゴーレムのパンと、エルナのパン。どちらも食える。どちらも栄養がある。でも——違う。何が違うのか、まだ言語化できない。
グレンの剣のことも考えた。ゴーレムの剣の方が精度はいい。でもグレンの剣には「癖」がある。その癖を好きだと言った弟子がいた。
共通項は——
「……人の手で作ったもの、か」
独り言が、夜風に消えた。
まだ答えは見えない。エルナに「直す」と約束した。だが何をどう直すのか、頭の中は真っ白だ。
ヴィクトルの道は選ばない。それだけは決めた。全国民をAIの部品にする方法なら、失業はゼロにできる。だがそれは——人間を辞めることと同義だ。
窓を閉めようとした手が、止まった。
通りの向こうに、エルナのパン屋の窓が見えた。灯りが——まだ点いている。この時間に。たぶん、明日の仕込みをしているのだろう。朝三時に起きるために、前の晩から下準備をする。
非効率だ。AIに聞けば最適なスケジュールが出る。ゴーレムに任せれば、エルナは朝まで寝ていられる。
でも——あの灯りが消えたら。
あの灯りが消えた世界は、たぶん、ヴィクトルの国と同じだ。
「イグニス」
「なんじゃ」
「明日、グレンのじいさんとエルナを呼んでくれ。——あと、あの商人ギルド長のマルクも」
「何をする気じゃ」
「まだわからん。でも——一人で考えてても、ろくな答えが出ない。それだけは、二十九年と十五年生きて学んだ」
イグニスの炎が、小さく揺れた。呆れたような、少しだけ安心したような——精霊の表情は、やはり読みにくい。
「……ようやく、動く気になったか」
「エルナに怒られたからな」
「あの娘は強い。お前より、よほど」
「否定しない」
窓を閉めた。
明日の朝、やることがある。答えはまだ見えない。でも——手は動かせる。
エルナの言葉が、耳に残っている。
——あんたが直さなきゃ、誰が直すの。
レンは灯りを消して、ベッドに倒れ込んだ。
明日は早い。グレン、エルナ、マルク——三人が揃えば、何かが動き出すはずだ。
窓の外で、精霊灯が一つ、明滅した。イグニスの警告か。それとも——
レンは目を閉じた。考えるのは、明日でいい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第70話「あんたが直さなきゃ」。第6アーク「ゴーレム恐慌」の第3話です。
今回は三つの対話を軸に描きました。エルナとの対話、ヴィクトルとの対話、イグニスとの対話。それぞれが異なる角度からレンに突き刺さります。
エルナの言葉は辛辣ですが、的確です。「あんたのせいだとは言わない。でも、あんたが直さなきゃ誰が直すの」。これは批判ではなく、信頼の表明です。直せると信じているから、直せと言う。エルナらしい愛情表現だと思います。
ヴィクトルの国は「全自動化の完成形」です。失業率0%。不満もない。だがそれは、人間がシステムの部品になった結果です。「幸せかどうかは、最適化の対象外だ」というヴィクトルの台詞は、効率至上主義の行き着く先を象徴しています。レンが「美味かったか?」と繰り返し聞く場面は、数値化できない「人間らしさ」をどう守るかという問いです。
次回、第71話「師匠の剣の癖」では、手作りの価値がもう少し具体的に見えてきます。グレンの工房と、エルナのパンと、イグニスの核心的な一言。
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