第68話: 俺たちの仕事を返せ
フィオの拳が、執務室の扉を叩いた。ノックではない。怒りだった。
「先生っ!」
扉が開く前に、レンは覚悟した。半年で街の色が変わった——その対価が、今、やってくる。
かつて職人たちの槌音と商人の呼び声で賑わっていた通りが、今は静まり返っている。三軒に一軒、木製の板が打ち付けられた店がある。「閉店」の張り紙が、半年前の日付のまま色褪せている。
代わりに聞こえるのは、ゴーレムの足音だった。
ずしん、ずしん——規則正しいリズムで荷を運ぶ運搬用ゴーレム。通りの奥では建築用ゴーレムが資材を積み上げている。鍛冶用ゴーレムの工場からは、人間の槌音とは違う、均一で無機質な金属音が途切れなく響いていた。
——俺が作ったシステムだ。
レンは足を止めた。
教育改革から半年。学舎は軌道に乗り、第二期生の募集も始まった。フィオたち卒業生は学舎の助手やダリウスの下で研修を始めている。他国からの視察も増えた。
だが、その間に——別の問題が膨らんでいた。
ゴーレム自動化は、アルゴリズを豊かにした。生産性は上がり、物価は下がり、インフラは整った。AIの経済レポートは成長率8%と弾き出している。
数字の上では、成功している。
だが——数字に映らないものがある。
閉まった店の前で、老人が一人、ベンチに座っていた。元織物工のハインリヒだ。レンの顔を認めると、目を逸らした。
「……おはようございます、陛下」
「おはよう、ハインリヒさん。調子はどうですか」
「ええ。暇ですよ。——暇なのが、仕事みたいなもんです」
声に刺はなかった。ただ、空っぽだった。
レンは何か言おうとして、言葉が見つからなかった。
立ち去るレンの背中に、ハインリヒの小さな声が届いた。
「陛下。わしの織った布は、ゴーレムのと同じでしたかね」
振り返れなかった。
フィオは、父の鍛冶場で最後の火を見ていた。
窯の中で炭が赤く燃えている。もう新しい炭は足さない。今日が最後だと、父ちゃんが今朝言った。朝食の時、味噌汁を啜りながら、何でもないことのように。
「フィオ。今日で鍛冶場を閉める」
匙が止まった。
「……なんで」
「注文がない。半年前から一件もない。ゴーレムの鍛冶場が、わしの半分の値段で倍の量を打つ。勝てん」
父ちゃんの声は平坦だった。怒りもなかった。諦めもなかった。ただ、事実を述べていた。鍛冶師が鉄の温度を見極めるように、正確に。
「父ちゃんの包丁の方が——」
「フィオ」
父ちゃんが遮った。
「わかっとる。わしの刃物の方が長持ちする。だが、三倍の値段で半分しか売れん。算数の問題じゃ。お前は学舎で習ったろう」
——算数の問題。
フィオは唇を噛んだ。先生がいつも言っていた。「数字は嘘をつかない。でも、数字だけが真実じゃない」と。
数字は父ちゃんの鍛冶場を殺した。
窯の火が小さくなっていく。父ちゃんがふいごに手をかけない。いつもなら、朝一番でふいごを踏んで、窯の温度を上げるのに。
フィオは窯の前に座り込んだ。膝を抱えた。
炭が一つ、ぱちりと弾けた。
父ちゃんが窯の横に積んであった道具を、一つずつ布で包んでいく。槌。鉗子。砥石。型。——全部、祖父ちゃんの代から使ってきた道具だ。
「父ちゃん」
「ん」
「先生に、言ってくる」
「言ってどうする」
「わかんない。でも——黙ってたら、もっとダメじゃん」
フィオは立ち上がった。スカートの裾についた灰を払った。
窯の火が、消えかけていた。
レンが執務室でダリウスと経済報告を確認していた時、扉が蹴り開けられた。
「先生!」
フィオが入ってきた。目が赤い。でも泣いてはいない。泣くのを我慢して、代わりに怒りに変えている——そういう顔だった。
「フィオ? どうした」
「父ちゃんの鍛冶場が閉まった!」
レンの手が止まった。ダリウスが書類から目を上げた。
「今朝、最後の火を消したよ。半年間、注文ゼロだって。ゴーレムの鍛冶場が全部持ってった」
「……そうか」
「『そうか』じゃないでしょ!」
フィオの声が跳ね上がった。
「先生のせいだ!」
言葉が、執務室の空気を凍らせた。
ダリウスが口を開きかけたが、レンが手で制した。
フィオの拳が震えていた。
「先生がゴーレムを作った。先生がAIで全部自動化した。先生が——学校で『考える力』なんて教えてる間に、父ちゃんの仕事がなくなった!」
声が震えていた。怒りなのか、悲しみなのか、自分でもわからないのだろう。フィオの目がレンをまっすぐ射抜いている。
——怒りと信頼が、同時にある目だ。
レンにはわかった。本当に信頼を失ったなら、ここには来ない。罵る相手を選んでいる時点で、フィオはまだ——先生を信じている。
だからこそ、軽い言葉で返してはいけない。
「……フィオ」
「なに」
「フィオの言う通りだ」
フィオが——一瞬、言葉を失った。
「ゴーレムを作ったのは俺だ。自動化を進めたのも俺だ。フィオの父さんの仕事がなくなったのは——俺の責任だ」
フィオの目が揺れた。反論を準備していたのに、肯定されて戸惑っている。
「でも——」
「でも、はまだ言わない。今は聞くだけでいい。フィオが怒ってるのは正しい」
レンは髪を掻き上げた。
ダリウスが静かに席を立ち、部屋を出て行った。扉を閉める音が小さく響いた。
フィオの拳が——少しだけ、緩んだ。
「……先生。あたし、考える力があっても、父ちゃんの仕事は守れなかった」
声が小さくなっていた。怒りが薄れて、その下にあった悲しみが顔を出し始めている。
「学舎で教わったことは、嘘じゃなかった。でも——足りなかった。考えることと、守ることは、違うじゃん」
レンは——黙った。
何秒か。長い沈黙だった。
「……ああ。足りなかった。俺は教育だけで全部解決できると思ってた。——それが間違いだった」
フィオが鼻を啜った。泣くまいとしている。
「先生」
「ん」
「直して。あんたが壊したんだから、あんたが直してよ」
——エルナと同じことを言う。
レンの口元が、かすかに動いた。苦笑でもない、微笑みでもない。ただ——受け止めた顔だった。
「わかった。直す。どうやるかはまだわからない。でも——絶対に直す」
フィオは目を擦った。擦ったのが涙なのか汗なのか、レンには見分けがつかなかった。たぶん、フィオもそういうことにしたいのだろう。
「……約束だからね」
「ああ。約束だ」
フィオが背を向けて、扉に向かった。扉の前で、一度だけ振り返った。
「先生」
「なんだ」
「ありがと」
声が——ほとんど聞こえないほど小さかった。扉が閉まった。
レンは——椅子に深く沈み込んだ。天井を見上げた。
——俺が壊した。俺が直す。
言うのは簡単だ。でも——どうやって?
午後。冒険者ギルドの酒場で、カイルが机を叩いた。
「ふざけんな!」
周囲の冒険者たちが振り返った。だが、同意の目も多い。
ギルドの依頼掲示板が——ほとんど空だった。半年前まで隙間なく依頼書が貼られていた板が、今は木の地肌が見えている。
「採集依頼、ゴーレムが全部やってる。護衛依頼、ゴーレムが全部やってる。魔物討伐、ゴーレムが全部やってる! 俺たちの仕事を機械に取られた! 剣を振る場所がねえ!」
カイルがレンの前に立ちはだかった。レンはカウンターに座ったまま、カイルを見上げている。
「レン。お前は親友だ。だから正直に言う。——お前のゴーレム、やりすぎだ」
「……知ってる」
「知ってるなら何とかしろ!」
「今朝フィオにも同じこと言われた」
「フィオちゃんは正しい! あの子の父さんの鍛冶場、閉まったって聞いたぞ。織物屋のハインリヒじいさんも、運送屋のベルトも、農家のシュミットも——みんな廃業してる」
カイルの声が——怒りだけじゃなかった。
「俺はな、冒険者になって人の役に立ちたかった。魔物を倒して、人を守って、『ありがとう』って言われたかった。それが——剣を振る場所がなくなった。ゴーレムが全部やるなら、俺は何のためにいるんだ?」
レンは——カイルの目を見た。
前世で見た目と同じだった。リストラされたばかりのエンジニアの目。技術が進んで、自分のスキルが要らなくなった時の、あの空虚な目。
「カイル」
「なんだ」
「まだ答えは出てない。でも——お前が要らないなんてことは、絶対にない」
「……根拠は」
「根拠はない。直感だ」
「お前の口からそれが出るとは思わなかったな」
カイルが鼻で笑った。でも——少しだけ、肩の力が抜けた。
夕刻。エルナのパン屋に、ハンナが飛び込んできた。
「エルナ!」
ハンナの明るい茶髪のボブカットが乱れている。走ってきたのだ。そばかすの頬が紅潮している。
「どうしたの、ハンナ。息切らして」
「ねぇねぇ、聞いて。うちの隣の織物屋さんも店閉めたよ。今朝、おばさんが泣きながら荷物まとめてた。商店街、半分シャッター下りてる」
エルナの手が——パン生地をこねる手が、一瞬止まった。
「……半分?」
「うん。あたし、さっき数えてきた。四十二軒中、二十一軒。ちょうど半分」
ハンナの声は明るい。いつも明るい。だが今日は——明るさの裏に、不安が透けていた。
「パン屋さんもね、ゴーレムのパン工場ができてから、三軒閉まったよ。残ってるのはエルナのとこと、東通りのモーリッツさんだけ」
エルナは生地をこねる手を再開した。力を込めて、こねた。
「あたしの店は閉めないよ」
「うん、知ってる。エルナのパン、手作りだもんね。あたし好きだよ、ゴーレムのパンよりずっと」
「……ありがと」
「でもさ」
ハンナがカウンターに肘をついた。
「みんながそう思ってくれるとは限らないじゃん。ゴーレムのパン、銅マナ0.3だよ。エルナのは1だよ。三倍以上するんだよ」
「値段で負けてるのは知ってる」
「じゃあ、どうするの?」
「どうもしない。あたしは、あたしのパンを焼くだけ」
エルナの声は——静かだった。パン生地を叩く音だけが、工房に響いている。
「ねぇねぇ、エルナ」
「なに」
「レンくんは何か言ってた?」
「あいつは——今朝から顔色悪かった。たぶん、わかってる。自分が作ったシステムが問題を起こしてるって」
「そっか。レンくんも大変だね」
「大変でしょうね。——でも、あいつが撒いた種なんだから、あいつが刈るべきでしょ」
エルナがパン生地を叩いた。いつもより少し強く。
日が暮れた頃、レンは執務室の窓から市場通りを見下ろしていた。
精霊灯が灯り始める。通りにゴーレムの足音が響く。だが——人の姿が少ない。半年前の同じ時間帯なら、仕事帰りの職人や買い物客で賑わっていたはずだ。
イグニスが窓辺に浮かんでいた。炎の球体が、いつもより暗い赤色をしている。
「術者」
「ん」
「市場通りの東端。人が集まっている」
レンは身を乗り出した。精霊灯の光の中、ゴーレム鍛冶工場の前に——三十人、いや五十人ほどの人影が集まっていた。
手にプラカードを持っている者がいる。精霊灯の光で文字が読める。
——『俺たちの仕事を返せ』
——『ゴーレムは出て行け』
——『人間の街を取り戻そう』
「……デモだ」
レンが呟いた。
群衆の声が、ここまで聞こえてきた。低い、腹の底から絞り出すような声。怒りと、悲しみと、行き場のない感情が混ざった声。
突然、ガラスの割れる音がした。
誰かがゴーレム工場の窓に石を投げたのだ。続いて二つ、三つ。群衆の一部が工場の門に押し寄せ始めた。
「暴徒化してる……」
レンが窓から離れた。
「ダリウスさんを呼んでくれ。イグニス、精霊ネットワークで衛兵隊に——」
「待て、術者」
イグニスの声が低かった。
「お前が衛兵を送ったら、どうなる?」
レンの足が止まった。
「……暴徒を力で抑えたら、もっと悪くなる」
「そうだ。あの者たちは、お前が作ったゴーレムに仕事を奪われた者たちだ。お前が送ったゴーレム衛兵に鎮圧されたら——憎しみは倍になるぞ」
レンは——後頭部を撫でた。
「……じゃあ、どうする」
「知らん。わしは精霊だ。人間の仕事の問題は、人間が解決しろ」
「ツンデレ精霊がいちばん正論言うの、やめてくれ」
「……ふん」
レンは窓の外を見た。
デモ隊の声が大きくなっている。石が飛ぶ。怒声が上がる。——でも、その声の中に、泣き声も混ざっていた。
群衆の最後列、街灯の影に——フードを深く被った人影が一つ。じっと動かず、デモ隊を見つめている。レンの視線に気づいたのか、影は静かに路地に消えた。
ハインリヒの声がよみがえった。「わしの織った布は、ゴーレムのと同じでしたかね」
フィオの声がよみがえった。「先生のせいだ!」
カイルの声がよみがえった。「俺は何のためにいるんだ?」
——俺が作ったシステムが、人の居場所を奪っている。
前世でも同じことが起きていた。AIが仕事を奪い、リストラが増え、社会が分断された。あの時、俺は技術者として「効率化は正義だ」と思っていた。非効率な仕事がなくなるのは進歩だと。
でも——進歩の裏で、ハインリヒのような人が静かにベンチに座っている。フィオの父が最後の火を消している。カイルが空っぽの依頼板を見つめている。
AIの経済レポートには、そういう人の顔は映らない。
「イグニス」
「なんだ」
「明日、ダリウスと緊急会議を開く。それから——マルクって商人ギルド長に会いたい。アポを取ってくれ」
「面倒だが、やってやらんこともない」
「頼む」
「頼まれたからやるのではない。——あの群衆の怒りが、精霊灯にまで飛び火したら面倒だからじゃ」
レンは窓を閉めた。
デモ隊の声が、ガラス越しにくぐもって聞こえる。
——前世では、この問題を解けなかった。技術を作る側にいて、壊れる側を見なかった。
今は——壊れる側の顔が見える。名前を知っている。パンの味を知っている。
だからこそ——逃げられない。
レンは机に向かった。白紙の羊皮紙にペンを走らせる。
「ゴーレム経済の構造的問題と対策案」——タイトルだけ書いて、ペンが止まった。
内容が浮かばない。
AIに聞けば、最適解をすぐに出してくれるだろう。でも——AIの最適解が作ったのが、今の問題だ。
AIに聞くべきか。人間が考えるべきか。
その答えすら、まだ出ない。
ペンを置いた。窓の外で、デモ隊の声がようやく小さくなり始めていた。誰かが宥めているのだろう。今夜は収まる。だが——明日はどうなるかわからない。
レンは灯りを消さなかった。
眠れる気がしなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第68話「俺たちの仕事を返せ」。第6アーク「ゴーレム恐慌」の第1話です。
教育改革の成果が芽吹く一方で、ゴーレム自動化という別の爆弾が炸裂しました。フィオの「先生のせいだ!」は、信頼しているからこそぶつけられる怒りです。彼女はArc5で「疑う力」を学びましたが、その力では父親の鍛冶場を守れなかった。「考えることと、守ることは、違う」――12歳の少女が突きつけたこの言葉が、レンにとって最も痛い一撃でした。
Arc6のテーマは「自動化が壊すのは仕事じゃない。人の誇りだ」。ハインリヒの「わしの織った布は、ゴーレムのと同じでしたかね」という問いに、レンはまだ答えられていません。前世では技術者の立場から「効率化は正義」と信じていた男が、今度は壊れる側の顔を見ながら同じ問題に向き合います。次話では、この混乱の裏で糸を引く者たちが姿を現します。
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