第48話: 建国祭の準備
執務室の机の上に、アルゴリズの市街地図が広げられていた。
その上に、半透明の精霊灯で描かれた光の設計図が重なっている。屋台の配置。舞台の位置。花火の打ち上げ場所。人の動線。ゴーレムの警備ルート。精霊灯の照明計画。救護所の設置箇所。トイレの数——トイレの数まで。
建国祭。
アルゴリズが都市国家として産声を上げてから初めての、国を挙げた祭りだ。
「……完璧だな」
レンは椅子に座ったまま、自分が生成した設計図を眺めた。
AIに「建国祭の全体設計をしてくれ」と命じたのが昨晩。一晩で出てきた設計図は、前世で見たどんなイベント設計書より精緻だった。来場者の動線は渋滞を起こさないよう最適化され、屋台の配置は売上が最大化するよう計算されている。花火の打ち上げ角度は風向きを考慮済み。雨天時の代替プランまで三パターン。
問題は——完璧すぎることだ。
「レンハルト殿」
ダリウスが書類の束を抱えて入ってきた。いつもより束が厚い。
「建国祭の許可申請書類ですが——」
「あるんですか。申請書類」
「当然です。屋台の出店許可、火気使用許可、ゴーレム動員許可、精霊灯の増設許可、花火の使用許可、臨時トイレの設置許可、警備配置の承認書——」
「何個あるんですか」
「四十七通です」
「祭りより書類の方が多いですね」
「規定です」
ダリウスの顔に感情はなかった。いや、あった。疲労と、微かな誇り。四十七通の書類を作ったのは彼自身だろう。そしてそれを処理するのも彼だ。
「で、この設計図ですが——」
ダリウスが光の設計図を覗き込んだ。
「……完璧ですね」
「でしょう」
「完璧すぎて、気味が悪い」
「ダリウスさんもそう思いますか」
「前回の通商条約の件を思い出してください。ペトラ殿が選んだのは——」
「俺が手直しした不格好な方だった。わかってます」
レンは頭を掻いた。
完璧なものは、人の心を動かさない。ペトラとの条約交渉で学んだはずだ。だが——祭りの設計図をどう「不完璧」にすればいいのか。
「少し隙を作りますか」
「隙、とは」
「屋台の配置を、ちょっとだけ崩す。完璧な格子状じゃなくて、路地裏に一軒だけ隠れた屋台があるとか。花火の順番を、あえて一発だけタイミングをずらすとか」
ダリウスが眼鏡を押し上げた。
「……わざわざ不具合を仕込む、と?」
「不具合じゃないです。遊びです」
「遊び」
「ダリウスさんにはわからないかもしれませんけど」
「辞表を出したい」
「出さないでください」
昼過ぎ。
レンが祭りの設計図を広場で確認していると、カイルが鍛錬帰りの汗だくの体で近づいてきた。
「おう、レン。祭りやるんだって?」
「ああ。建国祭。アルゴリズの最初の祭りだ」
「いいな! 飯は出るのか!?」
「出る。屋台が三十六軒」
「最高じゃねえか! ——で?」
「で、って何だ」
「エルナちゃん、誘ったのか?」
レンの手が止まった。
設計図の上に置いた指が、微かに震えた——のを、カイルは見逃さなかった。
「誘ってねえのかよ」
「……これから」
「これから? 祭り三日後だぞ?」
「知ってる」
「お前、国を三ヶ月で建てたくせに、女一人誘えないのか」
「国を建てるのとは難易度が違う」
レンは本気だった。国家運営の方がまだマシだ。AIに命じれば最適な統治計画が出てくる。だがエルナを祭りに誘う方法は——AIに聞いても碌な答えが返ってこない。
というか、聞いた。
今朝。
時間を巻き戻す。今朝のこと。
レンは執務室で一人、スキル【生成AI】に問いかけた。
——エルナを建国祭に誘いたい。最適な誘い文句を生成してくれ。
三秒で出力が返ってきた。
候補一。
「お嬢さん、今宵の星は貴女のために輝いている——共に、この国の祝福を分かち合ってはくれないだろうか」
「くっさ」
即座に却下した。
エルナにこんなことを言ったら、パンの皮で殴られる。いや、パンの皮ではなく本体で殴られる。焼きたてのハードパンで。
候補二。
「建国祭の来場者数を最大化するため、パン屋エルナ殿の出店を正式に要請する。なお、個人的にも同行を希望する」
「行政文書か」
ダリウスなら喜ぶかもしれない。エルナは喜ばない。
候補三。
「俺の国の最初の祭りに、お前がいないのは——バグだ」
「……」
レンは三秒ほど考えた。
悪くはない。いや、ある意味自分らしい。だが——「バグ」はエルナに通じない。何度も使った比喩だ。もう少し、もう少しだけ——人間の言葉で。
候補四。
「エルナ、君と出会ってからの日々は、私の人生で最も——」
「止めろ止めろ止めろ」
レンは頭を抱えた。
AIの恋愛文章生成能力は、前世のウェブ小説の冒頭と同じ問題を抱えている。パターンは網羅しているが、全部テンプレなのだ。どこかで見たことのある文言。感動させようとする意図が透けて見える。計算された「真心」。——ヴィクトルが送っていた手紙と、同じだ。
AIは恋愛の最適解を知っている。
だがその最適解は、100点であると同時に0点だ。
「……自分で考えるか」
三十分後。レンの机の上には、丸めた羊皮紙が七つ転がっていた。
全部、書き出しで詰まった。
そして現在。
カイルが腕を組んで、真剣な顔でレンを見下ろしていた。
「いいか、レン。女を誘うのは簡単だ」
「お前に言われたくない」
「『エルナちゃん、一緒に祭り行こうぜ!』——これでいい。終わり」
「……お前、それでうまくいったことあるのか」
「一回もない」
「参考にならん」
「でも間違ってないだろ! 素直に言えばいいんだよ!」
素直に。
その二文字が一番難しい。
「難しいことはわからん」
カイルが得意の台詞を言った。
「でもな、お前がうじうじしてる間に、祭りは来るぞ。来て、終わる。誘わなかったら——お前、あとで死ぬほど後悔する。それだけはわかる」
——たまに、こいつは核心を突く。
レンは黙った。カイルは「じゃ、飯食ってくる!」と言って走り去った。後には、汗の匂いと、的確すぎる助言だけが残った。
さらに午後。
レンが市場を歩いていると、メイラが魔法書を抱えて小走りにやってきた。
「レンさん! 建国祭の件で相談が——」
「ああ、メイラ。何だ?」
「精霊灯の配置なんですけど、この設計図だと東側の通りの光量が足りません。精霊力の干渉パターンを考慮すると、三列目と五列目の間隔を——」
「さすがだな。修正しておく」
「あと——」
メイラが言葉を切った。丸眼鏡の奥の淡いグリーンの目が、レンの顔をじっと見ていた。
「レンさん、何か悩んでます?」
「いや——」
「嘘です。レンさんが設計図の修正を二つ返事で受け入れる時は、別のことで頭がいっぱいな時です」
レンは苦笑した。観察眼が鋭すぎる。
「……祭りに、誰かを誘いたいんだが」
「誰か」
「……」
「エルナさんですね」
「わかるのか」
「レンさんがそういう顔をする時は、大体エルナさんのことです」
メイラの声は穏やかだった。笑みもあった。だがその笑みの奥に、ほんの微かな——秋の夕暮れのような翳りがあることに、レンは気づかなかった。
「自分の言葉で言えばいいと思います。レンさんの言葉は——下手ですけど、ちゃんと伝わりますから」
「下手って」
「事実です」
メイラはにっこりと笑って、魔法書を胸に抱え直した。
「精霊灯の修正案、夕方までにまとめておきます。——頑張ってくださいね」
背を向ける直前、メイラの眼鏡が光を反射した。その反射の向こうの表情を、レンは見なかった。
夕刻。
レンが広場のベンチで頭を抱えていると、イグニスが炎の球体のまま肩の上に降りてきた。
「おい、術者。何をしている」
「……考え事」
「くだらん考え事だな。精霊ネットワーク越しにお前の魔力が不安定なのが見える。祭りの設計より乱れているぞ」
「うるさい」
「祭りの設計は完璧なのに、一人の人間を誘うことで精神が乱れる。——人間は非効率だな」
「お前に言われたくないって二回目」
イグニスの炎がゆらりと揺れた。
「数百年、人間の術者を見てきた。どいつもこいつも、同じところで躓く。戦争より恋が怖い。魔王より好きな女の前で緊張する。——お前も例外ではなかったか」
「例外じゃなかった」
「パン屋の娘を誘うのに、AIに聞いたんだろう」
「……なんでわかる」
「今朝、MCPの通信ログに残っていた。候補一、『お嬢さん、今宵の星は——』」
「やめろ!」
レンが叫んだ。広場の通行人が振り返った。
イグニスは構わず続けた。
「候補四まで全て却下。その判断は正しい。あの出力は——火の精霊たる者の美意識に照らしても、悪趣味だ」
「お前にも美意識あったのか」
「失礼な」
炎がぱちりと爆ぜた。
「いいか、術者。お前は国を建てた。AIなしでは建てられなかっただろう。だが——あの村娘を誘う言葉は、AIには作れん。なぜなら、その言葉に込めるべきものは、お前の中にしかない」
レンはイグニスを見上げた。炎の球体が夕日を受けて、赤く揺れている。
「……お前、たまにいいこと言うな」
「常にだ。お前が聞いていないだけだ。——ふん」
炎が少し大きくなった。
夜。
レンが宿舎に戻ろうとすると、通りの角でハンナに捕まった。
「ねぇねぇ、レン君」
「……ハンナ」
「建国祭、楽しみだね! あたしもう衣装決めたよ! ——で」
琥珀色の目がキラキラと光った。
「エルナ、誘った?」
「なんでみんな同じこと聞くんだ」
「だって見りゃわかるじゃん。今日一日ずっとそわそわしてたでしょ。広場でうろうろして、市場で立ち止まって、パン屋の前を三回通ったのに一回も入らなかった」
「……見てたのか」
「あたしの情報網を舐めないで。——で? まだなの?」
「まだだ」
「もう! あんたね、国は建てられるのに——」
「それも言われた」
ハンナが腰に手を当てた。
「いい? エルナは今、パン屋の裏で明日の仕込みをしてる。祭り用の特別パンを試作中。あと一時間は一人」
「……なんでそこまで知ってる」
「だから! あたしの情報網を! ——とにかく、今夜がチャンスだよ。明日からはエルナも祭りの準備で忙しくなる。今夜逃したら、当日に『偶然』を装って隣に来るしかなくなるよ?」
「それはそれで——」
「それは最悪! あたしが判定する! 最悪!」
ハンナに背中を押されて——文字通り、両手で背中を押されて——レンはパン屋の方向に歩き出した。
エルナのパン屋。裏口の灯りがついていた。
小窓から、小麦色の髪を束ねた後ろ姿が見える。エプロン姿で生地を捏ねている。額に汗が光っていた。
秋の夜風が、パンの焼ける匂いを運んでくる。
レンは裏口の前で足を止めた。
AIは沈黙していた。プロンプトを送っていないからだ。今夜は、送らない。
ポケットの中で、丸めた羊皮紙——七回目の書き損じ——が指に触れた。書こうとした言葉。全部、うまくいかなかった。
星がどうとか。運命がどうとか。出会いがどうとか。
全部、嘘だ。嘘じゃないが、自分の言葉じゃない。
自分の言葉は——
「あんた、そこで突っ立ってないで入りなさいよ」
扉が開いた。
エルナが粉だらけの手で腰に手を当て、呆れた顔でこちらを見ていた。
「小窓に映ってたわよ、あんたの影。三分もぼーっと立ってたでしょ」
「……ああ」
「何しに来たの」
パン生地の匂い。精霊灯の柔らかい光。エルナの緑の目が、まっすぐにこちらを見ている。
AIなら、この瞬間に最適な言葉を0.3秒で出力する。
レンには、出てこなかった。
だから——考えるのをやめた。
「祭り」
「うん」
「一緒に——行かないか」
それだけだった。
星も運命も出会いもない。ただ、八文字。
エルナが目を瞬いた。
一秒。二秒。三秒。
心臓が、うるさい。AIなら0.3秒で返ってくる。人間の三秒は——永遠に等しい。
「……急にどうしたの」
「別に深い意味は——」
「ふーん」
エルナが視線を逸らした。粉だらけの手で、耳のあたりの髪を撫でた。
「しょうがないわね。パン屋は祭りの日は忙しいけど——夕方からなら、まあ」
「……いいのか」
「いいって言ってるでしょ。何回言わせるの」
エルナの頬が——精霊灯の光のせいだけではなく——赤かった。
「あんたの言い方、相変わらず下手くそね」
「……何点だ」
「採点する気もない。論外。——でも」
「でも?」
「AIに聞かなかったでしょ」
レンは目を見開いた。
「……なんでわかる」
「AIの言葉はもっとキザなの。あんたの言葉は——いつも短くて、不器用で、何が言いたいか一瞬わかんない」
エルナが少しだけ——ほんの少しだけ——笑った。
「でも、あんたの言葉だからわかるの」
レンの胸の中で、何かがすとんと落ちた。
ヴィクトルの手紙を思い出した。完璧で、空っぽで。リーネが「あなたの言葉が聞きたかった」と言った。
自分の言葉は、八文字だった。100点には程遠い。
でも——伝わった。
「じゃ、夕方に迎えに来る」
「来なくていい。パン屋の前で待ってて」
「わかった」
「あと——」
エルナが扉を閉めかけて、止まった。
「あんた、丸めた紙がポケットから見えてるわよ。何書いたの」
レンは反射的にポケットを押さえた。
「何でもない」
「見せなさいよ」
「絶対に見せない」
「ふーん。まあいいわ。——おやすみ」
扉が閉まった。
レンは秋の夜空を見上げた。
星が出ている。今宵の星は、誰のためでもなく、ただ光っていた。
ポケットの中の羊皮紙を取り出した。七回目の書き損じ。
「エルナ、祭りに」——その先が書けなかった。
結局、書かずに言った方が良かった。
AIの0.3秒より、自分の八文字の方が——たぶん、重い。
レンは羊皮紙を丸め直して、夜道を歩き出した。
ふと——図書館の窓に、灯りが見えた。メイラだ。まだ魔法書を読んでいるのだろう。「頑張ってくださいね」と言ってくれた声が、耳に残っている。あの笑顔の奥にあった翳りが何だったのか、レンにはわからなかった。
三日後の建国祭。アルゴリズ初の祭り。AIが設計した完璧な祭りに、不完璧な人間たちが集まる。
——楽しみだ、と素直に思えたのは、AIのおかげではなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第48話「建国祭の準備」。国を建てた男が、たった八文字の「一緒に行かないか」に辿り着くまでの一日を描きました。
AIに「最適な誘い文句を生成してくれ」と聞いて、「お嬢さん、今宵の星は貴女のために輝いている」と返ってくるシーンは、書いていて一番笑いました。AIの恋愛文章生成って、確かにこういう「どこかで見たことある」テンプレートになりがちですよね。完璧だけど心がない。100点だけど0点。前話でリーネが語った「あなたの言葉が聞きたい」というテーマが、レンの側でも繰り返されています。
カイルの「素直に言えばいい」「一回もない」の流れは、この物語のカイルらしさの真骨頂だと思います。自分では成功したことがないのに、アドバイスだけは的確。それがカイルという男です。
メイラのシーンは、書いていて少し胸が痛みました。「レンさんの言葉は下手ですけど、ちゃんと伝わります」——その言葉が誰に向けられているのか、メイラ自身が一番わかっている。でも笑っている。この子の強さと切なさは、この先もっと描いていきます。
次話「一緒に行かないか」では、いよいよ祭り当日。射的の弾道計算失敗コメディと、二人の距離がじわじわ縮まる屋台めぐりをお届けします。
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