2-3 綿花即興曲(2)
2-3-1 ユーシス視点
リリ嬢とはどういう人か――。
そう問われたら、彼女を良く知らない多くの人が、『寡黙で、儚げで、どこか神秘的な人だ』などとうっとり答えたかもしれない。
同じ問いをラウルにしたら『こまこましてて、なかなか懐かない小動物みたいで可愛いよねぇ』なんて言っていた。
だがもしユーシスが今誰かに同じ問いをされたならば、答えはただ一つ。
『変』だ。
それもただの変じゃない。『ものすごく変』だ。
いっそ、奇妙と称してもいいかもしれない。
あれほどおかしなものは見たことが無いと、言わざるを得ない。
『わったー、わったー、わったわたー。もっふー、もっふー、もっふもふー。もっふーふもったーらわっさーわさー。わっさーさわったーらもっさーもさー♪』
皆が仕事でまとまって部屋を離れたせいか、一際静かになった生徒会室に、かすかに聞こえてきた歌声は、あるいは錯覚か、頭が変にでもなったのかと疑うようなものだった。
以前のユーシスなら、先ず真っ先に自分の頭を疑ったに違いない。
だがその難解極まりない歌詞を思いつきそうな人物にすでに心当たりがある今となっては、迷うことなく、目が一点を見つめた。
あの扉の向こうに、犯人はいる。
『わっさりすぎてー、もっさりしたらー、めったーめたー♪』
何やら曲調が不穏になって来た。
『めったりしたら、ずったーずたー♪』
おい。ずったずたになったら駄目だろう。
『ずったかずったー、ずったらたー♪』
ずったら? ずったずたはどうした! 気になるだろう!
『ずったらたーで、ふっわふわー。ふんわか野原でぽっかーぽかー♪』
よ、よし。何とか無事に危機は回避できたようで……。
『ふっわりぽっかでぽよぽよしたらー、めったりしたくて、めったーめたー♪』
またか!
大丈夫なのか? 彼女の頭の中はちゃんと大丈夫なのか?
そうハラハラした挙句、手元の仕事に一切手が付いていないのを見た瞬間、ため息が出た。
何という作業妨害だ。
これは一つ……めったらないようにと指導すべきか。
いや待て。指導すべきはそこでいいのだろうか?
何やらちっともまとまらない混乱を抱えながら、問題の扉へと足を進めてノブに手をかける。
『メッテァリア、ララーンテナ、レ、ドレッシエン、ス、テラー♪』
突然奇怪な歌に交じった神聖古語に、一瞬ドキリと手がすくんだ。
彼女はその言葉の意味を理解していないと言ったけれど、ユーシスは幼少より、“彼女の実父”から、王族の教養としてそれを学んでいる。
今彼女がきっと訳も分からず、めっためたから連想して適当に口ずさんだ一節は、ドレッセンの言葉に直すならばこう――『慈愛の乙女は人の王の子に愛の花を捧ぐ』。
ここでいうス・テラー……愛の花は、神聖学者の間では、綿の花のことだなどと言われている。
そのことを彼女は、知っているのだろうか……。
『てらってらー、ら、ふらってらー、ら、わふっわらー、てらー♪』
いや。絶対に知らないに違いない。
『てふってふってー、わらっわらってー、わさっわさったーらもさっもさー。もさったーらめさっちゃうーはしっかたーがないのっ。だってもっふもっふなんだもの~♪』
「よし、出来た!」
扉を開けた先で、そう目をキラキラに輝かせて完成した書類を掲げている無邪気な顔に、咎めようとしてたはずの気持ちは何処へ行ったのやら。思わず、ふっ、と口が緩んでいた。
まったく。他人の作業妨害をしておきながら、自分は瞬く間に仕事を終えているなど……度し難い無礼だ。
ふわふわと揺れるくすんだピンクアッシュのブロンドが、実に呑気に宙をそよぐ。
この世界にただ唯一の、未だ謎深きアリスト山の山肌の色の髪だ。
でもそんな険しい山とは打って変わったふわふわの髪に、触れたい、と思ったのはほとんど無意識の事で、いっそあの頭をぐりぐりと押し付けて制裁でも加えてやろうか。
なんて考えていたのがばれたのか。
「きゃひぃ!」
人の顔を見た瞬間悲鳴を上げるとは……。
「ッ、でんっ、かっ! いつから扉っ」
「作業効率が上がるのであれば、君がこの部屋で何をしていて、何を歌っていようが一向に構わないが……。書記室の扉は案外薄いことを、知っているか?」
「わふっ!」
腹が立ったので更にいじめてやろうかと思ったが、頬が真っ赤に慌てふためく様子は思いがけずも可愛らしくて、つい目じりを下げて笑ってしまった。
あぁ……この子はあれだ。小さな頃、綿花の山に飛び込んで大怪我をしたクチだ。
きっと危ないことも承知で、でもいてもたってもいられずに、その大きな瞳をきらっきらに輝かせながら盛大に飛び込んだに違いない。
それはきっと……とても、可愛かっただろう。
「書類は?」
「おかげさまで“効率よく”終わりましたよ」
ぷくと頬を膨らませて不満そうに突き出された書類。
自分にこんなにも不敬な態度を取るのは彼女くらいなもので、でもそれが何故かちっとも嫌な気がしないのは何故なのだろう。
だが仕返しに、不備の一つでも見つけたら、めっためたなんかにするからだ、と文句の一つでも言ってやろう、と目を通して。しかしすぐにも、ぐっと口を引き結んで、真剣に文字だけを目が追った。
信じられない。
あんなふざけた歌を歌いながら作ったというのに、出来た書類はすこしもめっためたどころかずったずたでもない、非の打ち所のない書類だった。
端正で読みやすい、少し古語の装飾を残したような独特の字体。要点だけをきちんと取りまとめた、簡単だがとても丁寧な仕事。
僅かな装飾音の一つも取りこぼさずに再現する、彼女の音のように、緻密で計算され尽くした文字の羅列は、とても心地よい配列で、するりと頭に溶け込んできた。
完璧だ。
一体……彼女は何者なんだ、と、思わず視線を寄越したところで、自慢げな顔の一つもしているかと思いきや、どうしたことか。不安そうに肩をすくめて、まるでテスト結果を待つ子供みたいに緊張で凝り固まっていた。
それがなんだか、怯えた小栗鼠みたいで。
存分に褒めて甘やかしてあげたいような。そんな気がして。
「よくできている」
思わず伸ばした手が、細い髪に絡みつき、綿花などよりよほど柔らかな感触が指先を撫でる。
あぁ。なるほど……“なかなか懐かない小動物”、か。
確かにこれは……なにやら、小動物を愛でる感覚に近い。
このような至高の存在をずったずたのめっためたにしてしまうなど……やはり度し難い、などと浮かんだ苦笑に、一体彼女は何を思ったのか。
顔をこわばらせて硬直した様子は、何処からどう見てもこちらを警戒して焦っているようにしか見えなかった。
あぁ、駄目だ。このままこの顔を見ていたら、気に食わなくて、何やらもっと……もっと、触れたくなってしまう。
そんなことをして逃げられたら困る――。
慌ててパッと手を離し、早々と踵を返して、仕上がった書類を手に生徒会室に駆け込んだところで、壁に背を預けて慌ただしい鼓動を押さえつけた。
一体……私はどうしてしまったのか。
何を慌てて……。
「わっさわさか?! わっさわさが駄目だったんですかッ、殿下!」
やがて隣から聞こえた叫び声に、『いや、そうじゃない。めっためたが駄目だったんだ!』と突っ込みそうになった自分が最後の最後で理性を保って口を噤んだことを、本気で褒め称えたい。
同時に、完全に破綻した当初の目的と滅裂な思考に気が付くと、たちまち己の羞恥に顔が赤く染め上った。
何だ。これはまったく。何なのだ。
「……何を飲まれているんだ……私は」
カァと火の灯る顔を手のひらで覆いながら隠して見せたところで、その心の内ばかりは隠すことなどできようはずも無く。
大人しくなってしまった隣の部屋が、やたらと気にかかった。
あぁ、まったく。
まったく、まったく。
仕事が手に着かない。
微塵も手に着かない。
何をしているんだ、リリ・クラウベル・アリストフォーゼ。
早く。
早く、第二楽章を始めてくれないか――。
【キリエさんの攻略ノート】
①まじめに仕事をこなして好感度あっぷ! >あれ。これであってたはずにゃ?
②ふざけた歌で効率度あっぷ! >リ、リリ。王子に何か変なもの食べさせたにゃ……?




