1-25 謝罪の在り処(3)
「お話は分かりましたわ。でも私の謝罪も、聞き入れて下さい」
涙を拭って、ちょっと恥ずかしそうに頬を染めて俯くリリに、そう目の前に立ったトリシアの気配を感じて顔を上げる。
謝罪……と言われたけれど。
でもあの日トリシアが思わずリリのヴァイオリンを手に焦っていたのは、多分学芸祭の殿下のパートナーがどこの馬の骨ともしれない学生であることを知って、不平と不満を抱いていたせいではないだろうか。
だったらあんな状況になったのも理解できなくはない。
そう困った顔をしていたら、早速、重たいため息を吐かれた。
「謙虚なのか。それともずれていらっしゃるのか……判断が付かないところですが」
「えーっと……」
「私。多分貴女に、嫉妬をしていましたの」
「はい……」
うん。それは、何となくわかる。
どこの誰ともわからない一般人が、いきなり王子様と共演? 普通に考えて、数百人単位の発狂を買うことは間違いない出来事だ。
正直リリも、それが嫌でギリギリまで学芸祭への出演に引け腰だったわけだ。
「あの時……この部屋で貴女にお会いした時、貴女がちゃんと私に対して、『それは私のものなので返してください』と責めなかったことと、『殿下のパートナ―を務める自信があります』と言わなかったことについては、私、今も貴女に腹を立てています」
「は、はい……」
いや、そんなこと言えるはず有りません。なんて言葉は今にも喉から出かかっていたけれど、頑張って飲み込んでおいた。
でないと、トリシア嬢の向こうでギラギラとこちらを睨みつけている生徒会長さんがどうなるのか、ものすごく怖かったから。
うん。さっき自分で、パートナーの自覚を持ってなくてすみません、って、謝罪したばかりだものね。蒸し返したりなんてしない。そこまで馬鹿じゃない。
「でも勝手に腹を立ててヴァイオリンが無かったなら、なんて考えてしまったのは事実です。その後ろめたさと、非難されるのが怖いというプライドが私を焦らせて、そのせいで取り乱して貴女の大切なヴァイオリンを傷つけてしまったことは間違いありません。その上、すぐに謝罪をしなければならなかったのに、私、勝手に慌てて、勝手に焦って。それで……」
チラリと視線を落としたトリシアの目が、もうすっかりと傷もふさがって包帯も取れたリリの指を見た。
弦を切って怪我をしたことなんて、一度や二度じゃない。
元よりこの世界での弦は羊の腸から作られる純正ガット弦で、昔使っていた合成素材に比べたら、張りも柔らかくて鋭さも比べ物になんてならない。こんなものは数日で完治する、些細な怪我だ。
腕の打撲はいささか尾を引いたが、それだって大したものではない。
責任を感じさせるほどのものではない。
ただ、そう……ヴァイオリンの事については。
それについては確かに少しだけ……いや。かなり、胸が痛いけれど。
「あの。私の、ヴァイオリンは……」
実のところずっと聞きたかったことで、恐る恐ると口から出してみたその問いは、流石にちょっと震えてしまった。
「それについてはもう少しだけ。私に、預けていただけませんこと?」
でもそうきっぱりと返ってきたトリシアの言葉には、はて、と首を傾げて顔を上げる。
「あの……ですが……」
「お父様にお願いをして、国で一番の修復師を紹介していただきましたのっ! アンブロシアの腕利きとは参りませんが、きっと。必ず、元通りにして見せますからっ」
「っあ……」
パチパチと目を瞬かせたリリは、顔を真っ赤にして俯くトリシアにしばし呆然として、それからゆっくりと、思わず口をほころばせた。
なんだかちょっぴり見た目が怖くて、おっかない人かと思っていたけれど……違った。
もしかしたらあれからずっと、責任を感じていたのだろうか。
壊れてしまったヴァイオリンを元通りにするために。
リリに……謝罪を、するために。
「本当は、ちゃんと元通りにしてから、謝罪と一緒にお返ししようと思っていたんですっ。なのに貴女ときたらッ」
先に誠意を形にしようとしたのだが、その間リリがちっともそのことに触れなかったことが、どうやら逆に彼女を不安にさせていたらしい。
重ね重ね、なんだか申し訳ない。
「いえ……すみません。これは責任転嫁ですわね」
ひとまずそう息をついて取り乱した声色を鎮めると、少しいい辛そうにチラチラとリリを見やる。
「あの……事情はそういうわけですが。ただこの件については、貴女のお知り合いの方が……もしかしたら、腕は良いかもしれなくて。もし迷惑だというのなら……すぐにでもお返しして……」
「トリシア様」
思わずぎゅっ、と握った手に、ぱっと持ちあがった不安そうな面差しが、何だか少し可愛らしい。
だなんて言ったら……怒らせてしまうだろうか。
「有難うございます。ご厚意、受け取らせていただきます」
そう答えた瞬間の、ほっと安堵したような面差しが、リリをも安堵させてくれる。
でもすぐにキッと顔色を引き締めた彼女は、多分とっても不器用な人なのだろう。
「あ、後から文句など言わないで下さいよッ」
「はい。言いません」
「それからっ……」
それから、それから、と、顔を真っ赤に、何だかちょっと言い辛そうにして。
「……誰かに相談できないほどに、貴女にとって大切なものだったのでしょう? それにも関わらず、私も、自分のしでかしたことが怖くて、すぐに貴女に謝罪できませんでした。それをどうか、許してください」
ごめんなさい、と頭を下げたトリシアに、なんだかほぅ、と、胸の内が温まる思いがした。
きっと彼女だって、まだ腑に落ちない事ばかりだろうに。
どうしてリリみたいなポッと出の一年が、殿下のパートナーだったのか。どうしてそのリリが、おどおどとしてはっきり説明をしなかったのか。
もやもやしていることばかりだろうに。
なのにきちんと謝罪できるこの人は、なんだかリリにはちょっと眩しすぎる。
「はい。お許しします。それに、私も。ちゃんと言えなくて。どっちつかずな態度で、学芸祭のことも曖昧にしてしまって、自覚もなくて。多分それで、先輩を腹立たせたんですよね? だから私も。ごめんなさい」
私の謝罪も、聞いてください、と頭を下げたリリに、ほっと顔を上げたトリシアは、そんなお人よしな少女にため息を溢した。
何処からどう考えても悪いのは自分なのに。まったく。おかしな子だ。
「でしたら、もう心は決まっていらっしゃるのよね?」
「えーっと……心?」
キョトリと首を傾げるリリに、「当然でしょう?」と再びため息を吐いたトリシアは、クルリと生徒会長を振り返る。
「殿下。聞いての通り、ことの発端はすべて私のせいです。私が勝手に嫉妬して、リリさんの大切なヴァイオリンを壊した上に、怪我をさせてしまいました。そのせいでリリさんは学芸祭を欠席せざるを得なくなったのであり、その責任はすべて私に有ります」
「あぁ。それで?」
「状況を鑑みれば、リリさんはすぐにでも私を責めて訴えることも、非難することもできたはずです。いいえ。普通ならそうして、すべての責任を私に突きつけるべきでした」
「でもそうしたら君は、益々プライドに傷を付けられて意固地にならざるを得なかっただろうな」
そう取り繕うことなく言いにくいことをズバリとおっしゃった殿下には、トリシアもハァ、とため息を吐きながら頭を抱えた。
腹立たしいことに、まったくもってその通りであり、反論の余地が無い。
実際の所、他人の大切な楽器を壊してから数日、いつリリが自分を責めにやって来るのかと戦々恐々として、怯えていたのだ。
『自分は悪くない。あの子が悪いのよ。全部あの子が――』
そんな思いに、壊れたヴァイオリンを放置して、遠ざけて、何もかも放り出して。
だというのに、いつまでたっても彼女はやってこなかった。
誰もトリシアを責めない。誰からも、責められない。
恐る恐る生徒会室に顔を出したところで、誰も事情は知らず、ユーシスもいつもと変わらない態度で、そしてここに、リリがいない。
それがトリシアを困惑させた。
どうして?
どうしてあの子は、私を責めないの?
どうしてすべての責任を押し付けないの?
悪いのは、自分なのに――。
「己の不利益も鑑みず、不用意に他人を責めもせず……少々お人よしが過ぎるという気はしないでもありませんが。ですがリリさんの取った行動は、常に慎重であるべき上に立つ者――貴族として誉れるべきものであり、高潔な人柄であることは紛れもないと確信しております」
「あ、あのー……」
何だか、それはいくらなんでも言い過ぎではありません? と慌てふためくリリに足りないのは、多分自信と自覚だ。
でもそれさえあれば、この人は多分、馬鹿馬鹿しいほどに広い器と寛容な心を持った、馬鹿馬鹿しいくらいにお人好しで、高潔な人柄なのだ。
多分殿下は……それを、分かっていて、この子を選んだのだ。
それに気が付けなかった自分が、愚かしい。
「従って、殿下。私は生徒会副議長として、リリ・クラウベル・アリストフォーゼ嬢が生徒会役員に相応しいことを認め、その生徒会入りを歓迎させていただきます」
「え、えぇっ?」
何でそうなるんですか?! と慌ててトリシアの袖を引っ張るリリ嬢の面差しは、どうにもそわそわとして困惑気で、ちっともそれを望んでいないようにも見えた。
でもそんな意をくみ取ってやる必要なんてない。
彼女にその自覚さえ芽生えれば、間違いなく、彼女はこの生徒会に相応しい人物に違いないのだ。
それを、この有能な人材を求める会長が、放っておくはずがない。
「ということだそうだが。リリ嬢。君は?」
「ま、待ってください、殿下。元よりその件は大茶会の時の不測の事態に対処するための応急措置であって、というかあの内容不明の強制署名のせいでそんな感じになっていましたが、でもあの書類……」
少し困ったように、ちら、ちらと視線をさまよわせたリリは、カリ、と頬を掻いて。
「本当は学校側にも、提出されていない偽書類なのではないですか?」
そう呟いたリリに、思わずユーシスも、ふっと声を漏らして笑みを浮かべた。
ほら、これだ。
一見頭が悪そうで、飄々として地に足がつかず、ふらふらとして見えるただの女の子。
だが変なところで妙に勘が鋭くて、侮れない。
「どうしてそう思う?」
「だって……他の生徒会の皆さんは私が生徒会に任命されただなんてことちっとも知りませんでしたし、寮を移らなくてもいい、学芸祭の準備も手伝わなくていい。そんな無責任なことをやっておいて、誰も私を咎めないどころか、会長である殿下もそんな私を放置していましたし……」
「学芸祭の件は? 生徒会枠で出るんだ。当然、出演者は生徒会役員であるべきだ。だったら君も、当然生徒会役員として正式登録されているはずでは?」
「えーっと……それは、私を試していらっしゃるんでしょうか……」
困った顔で首を傾げたリリに、またしてもユーシスはクスリと笑みを溢した。
どういうこと? と首を傾げているトリシアには、どうやら分からなかったらしいけれど。
「生徒会枠の演奏者は生徒会役員であるのが原則だが、“共演者”が何者であるのかについての縛りは存在しない。過去には学外の身内を連れてきた例も存在してる」
「え? そうなの、ですか?」
キョトンとしたトリシアの視線の先で、ユーシスは一つ頷いてみせた。
「リリ嬢。君はこの事を知っていたのか?」
「何を仰っているんです? 私が議事録の整理をしていたのは、殿下もご存じでしょう? それにわざとらしく、二百七番を探していたとか、そんなことも仰っていましたし。それを私に渡して整理させたのも、殿下です」
「あぁ。二百七番……昔、学芸祭の枠決めに関する定義づけが行なわれた際の議事録が収まっている号だ。そこでは生徒会枠については……」
「共演者の身分・立場に制限はない、と」
「よく見ていたな」
「殿下が私にヴァイオリンを強要してすぐ、回避する方法は無いのかと必死に調べましたから」
「なるほど」
クスクスと笑うユーシスに、リリも困ったようにため息を吐いた。
ユーシスが探していたくらいだ。きっとその議事録にヒントがあるはずと、先ず真っ先に調べた。
で、絶望した。
回避する方法、ないじゃん、と。
でなければ、大人しく練習に付き合ったりなんてしない。
同時に、すぐに気が付いた。
要するに自分が生徒会メンバーであろうがなかろうか、生徒会長の相方として学芸祭に参加する資格が存在するということ。
それをわざわざ、ユーシスが調べていたという事実。
あれ。これってもしかして……本当は私、ちゃんとした生徒会メンバーではないのかしら? なんて。
そんな思いが過ったのは、当然だ。
「生徒会役員になるには、役員三名以上。あるいは、生徒会長とその他役員一名以上の推薦が必要だ」
「……あぁ。会長の独断では決められないんですね」
道理で、とため息を吐くリリに、「だがしかし」と、机の引き出しから一枚の書類を取り出したユーシスは、それを机に置くと、チラリとトリシアを見やった。
その視線に、すぐに意を察したトリシアが、コクリと頷いて書類を見やり、すぐにもサインを綴る。
「あ、あーっ。あーっ!」
必死に声をあげるリリに、しかし虚しくあっという間にサインを綴ったトリシアが、ふっと口をほころばせながら、それを会長へと突き返す。
「良かったな、リリ嬢。これで無事、承認された」
「……あー……」
くそう。この、悪徳王子め……。
なんだか最初から最後まで、全部この人の掌で踊らされていた気がするのだが。
「あのー。ちなみに拒否権というのは……」
「サインをしたのは君だ」
そうピラリと見せつけられた書類に、ハァァァ、と、深い深いため息が零れ落ちた。
えぇ、えぇ。その通りですとも。
まったくもって、その通りですとも……。
「ようこそ、生徒会へ」
「……あの。この件、保留とか……」
「幸い明日は休日だ。速やかに寮を移動するように」
「あのー……」
「仕事の説明はまた後日する。全校生徒への告知は明日の内に掲示板に張り出しておく。トリシア。準備を」
「かしこまりましたわ、会長」
そう一礼するトリシアさんに、あのー……と、困惑気な声を漏らしたけれど、クルリと振り返ったトリシアの面差しに、配慮の二文字は無かった。
「そういうわけですから、リリさん。速やかに、荷物をまとめて引っ越しの準備をお願いいたしますわ」
「……」
えーっと。
えぇーっと?
これって多分、拒否とかそういうの、許されない感じの……。
「……ハイ」
深い深いため息とともに、仕方なく頷いたリリの肩の上で。
ふあぁぁぁっ、と呑気に欠伸を溢した黒猫さんに。
あれ。なんかこの子……確信犯? とか。
なんかそう、憎たらしいような。呆れたような。
……温かい、ような。
そんな心地に、困った顔で苦笑した。




