表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/55

自己増殖する物流システム

 最強の「質量」を見せつけたスウェーデン軍。そして、その勢いを背負って西へ向かうヴォロンツォフたち。北方軍の「大掃除」は、いよいよ欧州の西端を制し、フランス絶対防衛圏こっきょうのぼうへきへと迫ろうとしていた。


 一八一三年冬、低地諸国へと向かう途上。 西進する北方軍の前に、ハンブルク方面から転戦してきたテッテンボルンの軽騎兵(コサック)が合流を果たした。


 天幕から姿を現したビューローは、馬を降りる若き指揮官の姿に目を細めた。テッテンボルンは泥にまみれながらも、品のある仕草で脱帽し、差し出された手をがっしりと握りしめる。


「お久しぶりです、閣下。王太子(ベルナドット)の命令により、閣下の周囲を回る鋭い刃として戻ってまいりました」


「相変わらず賑やかな男だ。だが……君と肩を並べて戦えるのは心強い」

 あの冬、絶望の底にいた己の館へ土足で踏み込んできた、この男の肩をビューローは静かに叩いた。



 一八一三年冬、低地諸国。ビューローは、ベルナドットから預かった「三万」という数字の真実に到達していた。

「なるほど、殿下。三万とは攻撃のための数ではなく、『兵站へいたんの質を最高密度で維持できる限界の数』であったというわけか」

 最前線では、テッテンボルンがコサックを率いて疾風のように駆け抜けていた。彼は占領下の都市に現れては、ある虚報フェイクを撒き散らした。


「見ろ! 背後にはベルナドット直率の、十万の本隊が続いているぞ! 抵抗すれば、あのライプツィヒの鉄槌てっついが下ると思え!」


 実際には三万にすぎぬ軍勢を、彼は情報の霧によって巨大な怪物に見せかけた。恐怖と期待に揺れる各都市は、テッテンボルンが姿を現すなり、戦わずして門を開けたのである。


 テッテンボルンが撒いた情報の霧は、敵の指揮官マクドナルの判断力を完全に奪っていた。かつてカッツバッハの石投げで破産した元帥は、再び恐怖という呪縛にとらわれる。彼はまともな防衛線を敷くことなく、戦火を交える前にライン川の向こう──フランス本土こっきょうのうちがわへと後退した。


 ビューローは、テッテンボルンがこじ開けた都市へ次々と入城した。

「諸君、今日から君たちは自由だ。だが、自由を守るには剣がいる。直ちに自警団を組織せよ。武器と糧食はわが軍が供与する!」


 ビューローは都市自らに防衛軍を組織させ、プロイセン流の規律を叩き込んだ。自軍の三万を分割・消耗させることなく、現地で「増殖」させた即席の軍に要塞の包囲を任せる。


 フランスの十万の守備隊は、各要塞に孤立したまま、遮断された情報のなかで「連合軍の大津波」が来たと信じ込み、その身動きを完全に封じられた。


 ビューローが都市を落とすたびに、そこはベルナドット直轄の「補給拠点」へと塗り替えられた。

 そして、補給拠点には、英国とスウェーデンから水路と陸路を伝って、完璧に管理されたパンと弾薬が届く。デンマークを落として兵站線を安全にした事と、ベルナドットの「事務仕事」が、三万の軍に十万の守備隊を圧倒するエネルギーを供給し続けていた。


「殿下の言った通りだ。この進軍はただの進撃ではない。補給路の等式をひとつずつ繋いでいく、巨大なパズルのようなものだ」 


 そこへ、北方を屈服させたヴォロンツォフと、ヴィンツィンゲローデ、チェルニショフが合流した。

「閣下、お待たせしました! 殿下より『仕上げを手伝え』との言いつけです!」


 チェルニショフが笑いながら現れると、ビューローは満足げに鼻を鳴らした。

「よく来てくれた。テッテンボルンが撒いた虚報のおかげで、フランス兵たちは震え上がっている。貴公らの『質量』が加われば、もはや包囲するまでもなく、彼らは計算を諦めるだろう」


 ヴォロンツォフは、整然と管理された占領地の物流を見て、深くめ息をついた。

「……素晴らしい。三万の軍が十万を飲み込みながら、逆に兵数を増やして進撃している。閣下、これが殿下の言っていた『簡単な仕事』の正体なのですね」


 ボイエンは茫然ぼうぜんとしていた。こんなものを戦争と呼んでよいのか。

「三万がいつの間にか五万、六万と膨れ上がっている。しかも、一度として補給が途絶えていない」


 ボイエンは日記帳に何を書けばいいのか分からぬまま、空を仰いでいた。

「……これは戦争ではありません。自己増殖する物流システムです。シャルンホルスト閣下の遺言にあった『気合』など、どこにも入り込む余地がありませんよ。ナポレオンの守備隊が要塞のなかで飢えている間に、我々はオランダの最高級のバターを塗ったパンを食べている……。これが、あのガスコーニュ人の導き出した、非情なまでに美しい『正解』なのです」


 低地諸国は、ベルナドットが描いた「兵站へいたんの等式」通りに、次々と北方軍の軍門に降っていったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ