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バウツェン

 一八一三年五月二十一日、バウツェンの戦い。


「わが軍は十万未満です! 敵はどう見ても我々を上回っている。ここで足を止めるのは自殺以外の何物でもないです! さっさとシレジアに撤退しましょう!」


 リュッツェンでの敗北後、撤退中だった連合軍の本営で、ミュッフリンクが必死に正論を叫んでいた。だが、その悲鳴は一蹴される。


「がははは! ベルナドットなどいらん! ここで立ち止まって、ナポレオンの鼻っ面に強烈な一撃をブチ込めばそれで終わる!!」


 七十歳の猛将ブリュッヘルが、前回のリュッツェンで撃たれた傷口から絶賛出血して制服を真っ赤に染めながら、サーベルをぶん回して咆哮する。


「閣下!! 傷口が開いて血が噴き出しています! 二週間前の怪我が治っていないのに、なぜ普通に馬に乗って大声を上げられるのですか! 医学的にも自殺行為です!」


「うるせえミュッフリンク! 痛いのは気のせいだ! 包帯をキツく巻けば血は止まる! ほら見ろ、シャルンホルストも包帯ぐるぐる巻きで頑張ってるぞ!」 


 その横では、同じく足を撃たれた参謀長のシャルンホルストが、青白い顔で手作りの槍を配っていた。

「そうですよ、ブリュッヘル閣下……。この程度の怪我、気合で……うぐっ」


「人間なら気合で怪我が治るわけないでしょう! ブリュッへル閣下とは違うんですから、シャルンホルスト閣下は今すぐ横になってください!」 


 ミュッフリンクの制止も虚しく、副参謀長のグナイゼナウは、行軍の為に太鼓を超高速の爆音で乱打(ドコ、ドコドコドコ、ドン!!!)し始めた。


 ロシア軍の制服を着たクラウゼヴィッツまで、横でバイオリンを力任せに激しく掻き鳴らし始めた。不協和音の爆音が響き渡る。


(兵站が乏しい軍を、重傷者と出血中の老人が指揮する。これで勝てたら神の奇跡だ!) ミュッフリンクは心の中で絶叫した。



 初日に力攻めで連合軍を粉砕したナポレオンは、翌日には包囲網を閉じる為に、ネイ元帥へ「敵の背後を完全に遮断せよ」と命令する。だが、騎兵のないフランス軍にはそれは不可能な命令だった。ネイは目の前の小さな村の敵すら排除できず、連合軍の退路は開かれたままであった。


「ブリュッへル閣下! 大変です! 右翼からはスルト元帥、正面からはナポレオン、ネイ元帥が後ろの村を攻撃してます!」

 ミュッフリンクが泡を吹いて報告するが、ブリュッヘルはますます愉快そうに吠える。


「がははは! 後ろはまだ空いてるな! 全軍、前進こうたいだァ!!」


「閣下、後ろに走るのを『前進』と言わないでください!」


「やかましいミュッフリンク! 全軍、全速力で気合で『前進こうたい』!!」 


 グナイゼナウが超高速で「退却の太鼓」をぶち鳴らすなか、ブリュッヘルは血走った目で兵たちを率い、シレジアまで高速で退却していった。



 同じ頃、シュトラールズントの港。


 ベルナドットは、届いた敗戦の報を聞き、ソーントンたちを見据えた。


「……馬鹿な連中だ。あれほど、皇帝が死に物狂いの時は正面からぶつかるなと言ったのに。彼らの『気合』という数式には、勝利という解が含まれていないのが分かっていないらしい」


 さらにそこへ、西方の戦況が追い打ちをかける。テッテンボルンによって鮮やかに解放されたハンブルクが、鉄の元帥ダヴーの猛攻によって陥落したのだ。


 傍らでブラへ伯爵が唇をんだ。


「殿下、連合軍の主力は二度の敗戦で手痛い打撃を受けています。ただ、王太子の指示通りに動いていたビューロー、タウエンツェーン、ヴィンツィンゲローデらの各軍団、そしてチェルニショフの騎兵隊は、これらの戦いに巻き込まれず無傷を保っております」


「いいだろう、彼らがいればナポレオンに勝てる。次は私の番だ」


 ベルナドットは、迎えに来た英国大使ソーントンと、オーストリアの密使ナイペルクを振り返った。


「この盤面を、私が片付けてやる。ただし、英国の資金は忘れないで頂きたい。そして、メッテルニヒに伝えてくれ。邪魔だけはしないでもらいたいと」


 ベルナドットの視線は、もはや目の前の敗戦にはなかった。彼はすでに、ナポレオンという怪物を「詰ませる」ための、より巨大で客観的な最終定理を証明し始めていた。


「全軍の再編成と補給を進めよ。焦って動く必要はない。しばらくは、ここでじっくりと腰を据えるぞ」

もうこいつらが主人公で良いのでは? 歴史家がブリュッセルを主人公にしたがる理由が良く分かりました。

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