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『幾何学の始まり 〜一八〇七年、ハノーヴァーの邂逅〜』

本作は、1813〜1814年のフランス戦役における歴史的事実をベースに書いた、歴史群像劇です。※執筆の下書き、補助(清書・表現の整理)にAIを使用しています。AI間接利用作品です。

一八〇七年、過渡期の混迷に揺れる旧ハノーヴァー総督府。


 西日に照らされた執務室には、硝煙の代わりに、吐き気がするほど濃密な「過去」が()ちていた。

 ベルナドットはスカーフの奥で疼く古傷を指先でなぞる。彼の視線の先には、敗戦国の屈辱を体現する三人の軍人が立っていた。


 完膚なきまでの「敗北」。


「……ウルムでの行軍、それとアウエルシュタットからの追撃戦、見事でしたよ、元帥閣下」

 沈黙を破ったのは、上着のボタンを緩めたまま、気だるげに壁に寄りかかるテッテンボルンだった。教養はあるものの、正規軍の枠には収まりきらない男。その声には敗将の悲壮感など欠片もなく、むしろよく出来たチェスの名局を称えるような、乾いた響きがあった。


「軍人が命より重いと信じ込んでいる『誇り』とやらを、貴公はただの行軍で綺麗にすり潰してみせた。退路を塞ぎ、彼らから戦う場を奪い去ることでね」


「戦場において、降伏は死よりも重い。そう言いたいのかね?」 

 ベルナドットの低く落ち着いた問いに、テッテンボルンは肩をすくめてみせる。


「さあ、誇りで飯が食えると思っている連中のことは分かりません。ただ、あの完璧な包囲網……老いぼれたちの頭じゃ、あと百年経っても理解できないでしょうな」


 皮肉混じりに語るテッテンボルンを見つめるベルナドットの眼差しには、敗者を嘲る色など微塵もなかった。


 二人のやり取りをよそに、最年長であるビューローは、窓の外で整然と行進するフランス兵を眺めていた。


「……私の弟、ハインリヒは獄中で死んだ。貴公らフランス軍にではなく、我らプロイセン軍の、旧態依然とした身内に葬られたのだ」

 ビューローの声には、テッテンボルンのような軽妙な諦観すら含まれていなかった。ただ、底知れない空虚がそこにあった。


 幼い子らは次々と病に倒れ、愛する妻は小さな娘と引き換えにこの世を去った。そればかりか、改革を叫んだ弟すら祖国に殺され、今や深い絶望だけが彼の手元に残されていた。

 皮肉にも、目の前のベルナドットが、ここハノーヴァーの地で理想的な「善政」を敷き、民に慕われているというあまりにも残酷な現実がそこにはあった。


「五十を過ぎて、私は何を信じればいいのだ。自国の腐敗か、それとも有能な敵の正義か」

 宿将の背中は、その葛藤の重さに耐えかねたように丸く見える。

 ベルナドットはただ、その言葉を真っ向から受け止めるように、黙って彼の苦悩を見つめていた。


 最年少のミュッフリンクが、丸めた地図をテーブルに叩きつける。

「感情論はたくさんだ。元帥閣下、この国境線の引き直しについてだ」


 彼はここ数週間、ベルナドットと国境画定という名の、目に見えない「戦争」を続けていた。

「一箇所を合意すれば、翌朝には別の地点で貴公の部下が杭を打ち直している。貴公との実務は、戦場で泥を這い回るよりも神経を摩耗させる。私の若さを、この無益な議論で浪費させるおつもりか!」


 明晰な頭脳を持つ三十一歳の将校は、ベルナドットの泥臭くも執拗な交渉術に限界まで苛立っていた。だが、焦燥を露わにするミュッフリンクを前に、ベルナドットはどこか楽しげな光を瞳に浮かべる。

「私の統治が気に入らぬなら、再び剣を取るがいい。だが、今は私の法に従ってもらう」


 ベルナドットが背もたれに体を預けると、椅子がギィ、と不穏な音を立てた。互いの鼓動が聞こえるほどの静寂。

 この部屋の四人を結びつけているのは、敬意などではなく、紛れもない「痛み」であった。しかし、刺すような視線を受けながら、ベルナドットはふっと口角を上げる。それまでの隙のない統治者の風格が霧散し、ガスコーニュ人特有の、どこか悪戯っぽくも陽気な笑みが浮かんだ。


「……まあ、待て。今日はそんな些細な、領土だの怨恨だのといった話のために君たちを呼んだわけじゃない」

 あまりに唐突で朗らかな声に、三人は毒気を抜かれたように押し黙る。ベルナドットは机の引き出しから、古びた、しかし大切に扱われてきた一冊の本を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。


「我々で、数学を嗜む会を開こうと思ってね」


「数学……?」

 壁に寄りかかっていたテッテンボルンが、呆気にとられたように声を漏らす。いつもは皮肉な笑みを絶やさない彼が、今ばかりは信じられないものを見る目でベルナドットを凝視していた。


 しかし、その本の表紙を目にした瞬間、ビューローの息が止まった。それは、獄死した弟ハインリヒが心血を注いだあの軍事幾何学の著作であった。


 ベルナドットの顔から笑みが消える。彼は椅子から立ち上がり、宿将の前に歩み寄ると、深々と頭を下げた。

「ビューロー閣下。貴公の弟君のことは……本当に、すまなかった。全力を尽くして彼を救おうとした。ナポレオン陛下をはじめ、持てる人脈のすべてを使って働きかけた。だが、私の力不足だった」


 その声に、支配者としての響きは完全に消え去っていた。あるのは、一人の人間としての痛切な後悔だけだ。

「ハインリヒ殿は、私が最も尊敬する人物の一人だった。この腐敗した時代に、知性と正義だけを武器に立ち向かった彼の高潔さを、私は心から愛していたのだ」


 ビューローは言葉を失い、震える手で弟の遺した本に触れた。

 自国プロイセンの軍部が「反逆者」として葬った弟を、あの日、自分たちを打ち倒した敵国の元帥が、誰よりも正当に評価し、救おうとしていた。その事実が、宿将の胸を激しく打った。


 最年少のミュッフリンクはその光景を理知的に分析しようとしたが、喉の奥が熱くなるのを抑えられなかった。国境画定で自分をあんなにも翻弄した男の、これが「真の顔」なのか。


 ベルナドットは再びガスコーニュ人らしい陽気さを取り戻し、穏やかな笑みをたたえて一同を見渡した。

「さあ、始めようじゃないか。ハインリヒの理論の美しさに比べれば、国境線の位置など些末な問題だ。今日は敵も味方もない。ただ、一人の偉大な知性を囲む友として語り合いたい」


 部屋を支配していた憎悪の霧が、一冊の本と、男の不器用なほどの誠実さによって静かに晴れていく。


「……まずは、この三角形の基線の応用についてだが。ミュッフリンク、君の意見を聞かせてくれないか」

 四十四歳のベルナドットが、三十一歳の知性に問いかける。ハノーヴァーの夕闇の中で、プロイセンで獄死した男の書物を研究するための、四人の奇妙な会が幕を開けた。

 もともと、ナポレオンとベルナドットのバディものをつくろうと思って調べていたら、北方軍というチートな存在を発掘してしまいました。ナポレオンがセントヘレナで、ずっとベルナドットの悪口を言っていた理由がよく分かります。

 ナポレオンにライプツィヒ、ラオン、パリ攻略戦、ワーテルローと4連勝しているのに、ほぼ無名のビューロー。弟がプロイセンに獄死させられている為か、プロイセンでの扱いすら酷いです。

 この時代の資料、プロパガンダが酷すぎて何が本当か分からないですが、ビューローの活躍は本当です。

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