第53話:インフラの脅迫と、ベンダーロックインの罠
というわけで前回からの続きです
本格的な冬将軍が王都を包み込み、石畳に薄氷が張るようになった十二月の上旬。
私は、隙間風の入り込むギルドの一階窓口で、手元の羽ペンを完璧なリズムで走らせながら、本日の【定時退勤後の絶対目標】に深く思いを馳せていた。
今夜の標的は、王都の裏路地にひっそりと暖簾を掲げる小料理屋『冬牡丹』の冬季限定メニュー。
——『牡蠣と白子の極上・痛風鍋』である。
昆布と鰹節で丁寧に引いた黄金色の出汁に、特製の味噌を溶かし込んだ熱々のスープ。その中で、ぷっくりと太った大粒の三陸産……いや、王都近海産の生牡蠣と、とろけるような真鱈の白子が、豆腐やネギと共にグツグツと煮え滾る。
一口スープを飲めば、海のミルクとも呼ばれる牡蠣の濃厚なエキスと、白子のクリーミーなコクが口いっぱいに広がり、冷え切った内臓を芯から温め尽くしてくれる。まさに冬の味覚の暴力。罪悪感と引き換えに得られる、圧倒的な多幸感の奔流だ。
(……この贅沢鍋を心置きなく堪能できるのも、来週支給される予定の【冬季特別賞与】があるからこそね。前回の『長老パスワード忘れ事件』で金貨五百枚の臨時収入をギルドにもたらしたのだから、私の評価は最高ランクのS判定。……完璧な冬のマネープランだわ……あとは……)
私が脳内でポン酢に紅葉おろしを添えていた、まさにその時だった。
『ガァァァンッ!!』
ギルドの重厚な扉が、蹴り破られるような勢いで開かれた。
フロアにいた冒険者たちが「なんだ!?」と武器に手をかけるが、現れた者たちの姿を見て、すぐにその手を引っ込めた。
「エルフ……? また精霊の森の連中ですか?」
隣の窓口で、ルークがいかにも面倒くさそうに呟く。
吹雪と共に足を踏み入れたのは、数名のハイエルフの集団だった。
しかし、その中心にいるのは前回の長老セレシュティンではない。冷たい美貌と、いかにも神経質そうな鋭い眼光を持つ、若きハイエルフの男だった。
彼は豪奢なローブではなく、機能的で無駄のない、幾何学的な魔法陣が縫い込まれた魔導技官の服を身に纏っている。
二階から慌てて降りてきたギルドマスターのバーンズが、顔を引きつらせた。
「こ、これは……精霊の森の高位技術官、ルシエン殿! 本日はどのようなご用件で……」
「挨拶は不要だ、無能な人間の代表よ」
ルシエンは、マスターの言葉を冷たく遮り、傲慢な足取りで私の窓口の真正面へと進み出た。
「先日、我が森の尊き長老セレシュティン様が、突然の隠居を宣言された。……人間側は『結界の不具合は長老のパスワード忘れが原因だった』などという下劣なデマを流しているようだが、我々技術局の解析により、全く別の真実が判明した」
ルシエンは、細い指先で空中に複雑な魔力グラフ(ホログラム)を投影した。
「結界のパスワードが弾かれたのは、長老の記憶違いなどではない。貴様ら人間が王都で運用している古びた『魔力浄化システム』から、不規則な魔力ノイズ(電波干渉)が漏れ出し、我が森の結界の通信プロトコルを乱したせいだ!」
「な、なんだって……!?」
マスターが目を丸くする。
私は窓口から一歩も動かず、内心で深いため息をついた。
(……出たわね。「自分の上司がやらかしたミス(エラー)」を認めたくないがために、無理やり「システム環境のせい」にこじつけて責任転嫁してくる、厄介なベンダーの技術者)
「つまり、根本的な原因は脆弱なインフラを放置している貴様ら人間にある。……よって、我々精霊の森・技術局は、王都に対し通告する」
ルシエンは、巻物(契約書)をバサリとマスターの顔の前に突きつけた。
「現在の王都の魔力浄化システムは旧式すぎて危険だ。直ちに、我々エルフが開発した最新規格『シルヴァン・プロトコルVer.X』への全面アップデートを行え。……ついては、来月からの年間ライセンス料(保守運用費)を、これまでの【十倍】の金貨一万枚に引き上げるものとする」
「き、金貨、一万枚ぃぃッ!?」
マスターが白目を剥いてその場に崩れ落ちそうになる。
「な、無茶苦茶だ! 王都の年間予算の半分以上じゃないか! そんなもの、払えるわけがない!」
「払えないのであれば、来月から魔力浄化システムへの『コア術式の提供(API連携)』を完全に遮断する。王都中が淀んだ瘴気に包まれ、魔物で溢れ返ることになるが……それでも良いのか?」
ルシエンは、薄く嗜虐的な笑みを浮かべてマスターを見下ろした。
インフラの供給停止。都市の生命線を握られている人間側にとって、それは死刑宣告にも等しい脅迫だった。
「ひぃぃ……っ! わ、分かった、王都に掛け合ってみる……! 足りない分はギルドの予算を削ってでもなんとか……そうだ、今年度の職員の『冬季特別賞与』を全額カットして、備品代も削って……!」
「お待ちください(ホールド)」
ギルドのフロアに、絶対零度の冷気を孕んだ【SVボイス】が響き渡った。
私が発したたった一言で、マスターのパニックがピタリと止まり、ルシエンが不快そうに眉をひそめて私を見た。
「マスター。……今、なんとおっしゃいましたか?」
私は極上の『営業用スマイル・タイプS(処刑宣告)』を顔面に貼り付けたまま、ギルドマスターを静かに睨み据えた。
「と、冬季特別賞与を……カット、して……」
「当ギルドの労働規約第十二条。職員の正当な評価に基づく賞与の不当な減額は、重大なコンプライアンス違反にあたります。……私から痛風鍋(冬のモチベーション)を奪おうとするなら、明日から王都の機能が完全に停止することになりますが、よろしいですか?」
「ひっ!! も、申し訳ありませんアイラ君!! ボーナスは絶対に守ります!!」
マスターが土下座の勢いで平謝りする。
「……なんだ貴様は。一介の受付嬢が、このインフラの重大な交渉に口を挟むのか」
ルシエンが、見下すような目で私を睨みつけた。
「口を挟むなと言われたところで、黙っているわけにはいきません」
私は手元の端末(魔導水晶)を操作し、ルシエンが突きつけてきた契約書のデータをスキャンした。
「王都の魔力浄化システムは、長年エルフの皆様に保守運用を依頼してきた重要なインフラです。……しかし、他社に乗り換えるのが困難なシステムの中核を握っていることをいいことに、突然法外な値上げ(ライセンス料の十倍)を要求し、従わなければサービスを止めると脅迫する」
私は、現代のIT業界で最も恐れられ、最も悪質な手法の名称を、冷徹な声で宣告した。
「これは、典型的な【ベンダーロックイン(特定企業への過度な依存による搾取)】です。……到底、看過できるものではありません」
「ベンダー……ロックインだと?」
ルシエンが鼻で笑う。
「何と呼ぼうが勝手だが、現状の王都のインフラが我々の術式なしでは一日たりとも稼働しないのは、紛れもない事実だ。代わりなど存在しない。短命で無能な人間どもには、逆らう権利などないのだよ」
「……」
私は手元の砂時計に視線を落とした。時刻は十五時四十分。
痛風鍋の予約まで、残り一時間二十分。
私の冬のボーナス(正当な権利)を不当な値上げで脅かす、この傲慢なシステムアーキテクトの鼻っ柱をへし折るには、十分な時間だ。
「ルシエン様。システムが動いている以上、そこには必ず【設計思想】が存在します」
私は、窓口の椅子から一歩も動かずに、彼を見据えた。
「貴方がたが『独自の技術だ』と主張して囲い込んでいるそのブラックボックスを、窓口にて完全に解体させていただきます。……覚悟はよろしいですか?」
理不尽なインフラの独占を、論理の刃で叩き斬る。
私の冬のボーナスと痛風鍋を守るための、新たなる【ITサポート防衛戦】が、今、静かに幕を開けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




