第25話:顔の見えないクレーマーと、17時の不協和音
新シリーズです!
「……定時まで、あと五分」
私は手元の羽ペンをインク壺に戻し、誰にも聞こえない声で呟いた。
時刻は十六時五十五分。窓口業務の最終受付はすでに終了し、ギルド内の喧騒も心地よい凪の時間を迎えつつある。
今日の私の脳内は、裏路地のドワーフ兄弟が営む居酒屋の『クラーケンの唐揚げ・特製タルタルソース添え』で完全に占拠されていた。揚げたての熱い衣を噛み破り、溢れる海鮮の旨味を冷えたエールで迎え撃つ。その完璧な退勤シークエンスに、一切の妥協は許されない。
「あ、アイラさん! 大変です、第二通信回線がパンクしそうです!」
私の平穏な脳内会議をぶち壊すように、相棒のルークが悲鳴を上げた。
彼が指差す先、ギルドのカウンター奥に設置された『遠隔通信魔道具』が、異常な警告音と共に赤く明滅している。
「落ち着きなさい、ルーク。コールセンター……いえ、ギルドの窓口においてパニックは伝染するわ。深呼吸して、状況を報告しなさい」
「は、はい! あの、さっきから高ランクの冒険者さんたちから、『至急、クエスト報酬の振込先口座を変更してほしい』という通信が相次いでいて……! 他の窓口の先輩たちも対応に追われています!」
私は眉をひそめた。
振込先の変更? しかも高ランク冒険者が、揃いも揃ってこの終業間際に?
「……不自然ね。イレギュラーな集中呼出には、必ず裏があるわ」
私は自分のデスクから一歩も動かず、手元の魔力回線を操作して、ルークの通信機に繋がっている音声を私のインカム(受信用の小型魔道具)へと転送させた。
『——だから、急いでるって言ってるだろ! 俺だよ、Aランクのゲイルだ! ギルド証を落としちまって、今の口座が凍結されそうなんだ。すぐにこの新しい番号に報酬を振り込んでくれ!』
インカムから聞こえてきたのは、確かに常連の剣士・ゲイルの粗暴だが憎めない声だった。
隣の窓口では、焦った新人の受付嬢が「は、はい! すぐに手続きを……!」と書類にサインしようとしている。
「……待ちなさい」
私は新人の手元を、魔力で作った小さな風の塊でピシャリと叩いて制止した。
そして、通信機に向かって、最高級の「営業用スマイルボイス」を放つ。
「お電話……通信ありがとうございます。王都支部窓口責任者のアイラが代わりました。ゲイル様ですね、いつもギルドへのご貢献、感謝いたします」
『あ? ああ、アイラちゃんか。頼むよ、本当に急いでるんだ。早く処理してくれ』
相手の声は、焦燥感を煽るようにまくしたてている。
だが、私の【残響の波紋】は、絶対にごまかせない。
私の視界に映る「ゲイルの声」は、本来なら燃えるような真紅の波紋を描くはずだ。
しかし今、通信機から漏れ出ている音の波紋は——まるで継ぎ接ぎされた安物の布のように、不自然なノイズが混じった濁った灰色をしていた。
(……音声模倣魔法。それも、かなり精巧な合成音声ね)
顔が見えないことをいいことに、声帯の波長を似せて本人になりすます。前世の言葉で言えば、典型的な『オレオレ詐欺』だ。
私は手元のタイマーを作動させ、あえて言葉を切った。
無言。
一秒、二秒、三秒。
『……おい? 聞こえてるのか? 早くしろよ!』
コールセンターにおいて、これを『サイレンス・アナリシス(沈黙分析)』と呼ぶ。
人は嘘を吐いている時、相手の沈黙に対して過剰な不安を抱く。本物のゲイルなら「おい無視すんな!」と即座に怒鳴るが、この偽物は不安を処理するための「〇・五秒のラグ」が生じていた。
「申し訳ございません、回線の確認をしておりました」
私は氷のように冷たい声で応じた。
「ところでゲイル様。手続きの前に一つ確認(ナレッジベース認証)がございます。先週、ワイバーンに噛まれた『左腕』のお怪我の具合は、いかがですか?」
『……えっ? あ、ああ、左腕な。もうすっかり良くなったぜ。ポーションが効いてな』
ビンゴ。
本物のゲイルは右利きで、先週戦ったのはワイバーンではなくジャイアント・ボアだ。怪我など一切していない。
相手が事前情報を持たない「アドリブ」に弱いことを見抜いた私は、容赦なくシャッターを下ろした。
「左様でございますか。では、ギルド規約第十二条第三項『虚偽申告による本人確認不一致』に基づき、本件の振込変更手続きは【凍結】いたします」
『なっ!? ふざけんな、俺はゲイルだぞ! 上のモンを出せ!』
「私が窓口の最高責任者です。これ以上の要求は業務妨害とみなし、王都騎士団へ通信の逆探知を依頼しますが、いかがなさいますか?」
『チッ……!』
乱暴に通信が切断される音が響いた。
「アイラさん……今の、ゲイルさんじゃなかったんですか?」
呆然とするルークを尻目に、私はギルド内に響き渡るよう、腹の底から通る「SV(管理職)の号令」を放った。
「全窓口、業務ストップ!! 現在進行中の『振込先変更』の遠隔通信はすべて詐欺です! 一件たりとも決済を通さないで!」
私の声に、ギルド内の受付嬢たちが一斉に手を止め、通信機を切った。
間一髪。もし決済が通っていれば、莫大なギルドの資金がダミー口座に吸い込まれていたはずだ。
「ルーク。今すぐ過去三日間の『遠隔通信ログ』を持ってきなさい。……おそらくこれは、単発の詐欺じゃない。組織的なソーシャル・エンジニアリング(心理的隙を突いた情報奪取)よ」
私は壁の時計を見上げた。
十七時一分。……私の定時は、無惨にも過ぎ去っていた。
「……私のクラーケンの唐揚げを冷めさせた罪、万死に値するわね」
顔の見えないクレーマーどもに、究極の「事務的報復」を下す。
私は残業確定の溜息をつきながら、分厚い規約集を開いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




