特別編後編:45秒の奇跡(ミラクル)
後編です
「……測定開始から三十分。現在、四十人終了」
私は隣の窓口で淡々と自分の業務をこなしながら、脳内のストップウォッチを動かし続けていた。
隣からは、ルークの硬い、しかし訓練された声が聞こえてくる。
「次の方どうぞ。……ギルド証をお預かりします。今回の依頼報告はゴブリン五匹ですね。証拠品と討伐証明書を照合……はい、相違ありません。報酬は銀貨三枚、端数は次回のデポジットに回しますか? 承知しました。サインをここに。……はい、お疲れ様でした。次の方!」
一連の動作、三九秒。
ルークは、私が叩き込んだ「スクリプトC(中級冒険者用・最短クロージング)」を忠実にトレースしている。
【残響の波紋】で見える彼の声の色は、極度の緊張を示す鮮やかな青。だが、その中心には私への恐怖——もとい、叩き込まれた「型」への絶対的な信頼という芯が通っていた。
シモン監査官が、懐中時計を片手に眉をひそめている。
「……正確だ。あまりに正確すぎる。まるで、あらかじめ決まった歯車を回しているような……」
当然だ。私がそう設計したのだから。
だが、平穏な試験は中盤で崩れる。
「おい、ちょっと待てよ。この報酬、計算が合わねえぞ!」
六十人目。行列に並んでいた「嫌がらせ屋」として有名なベテラン、通称『毒舌のザック』が窓口に拳を叩きつけた。
彼はわざと端数の計算に難癖をつけ、ルークを揺さぶり始めた。
「昨日の酒場で聞いた話じゃ、オークの耳はもう一枚高く売れるはずだ。おい、ガキ。説明しろよ。時間はたっぷりあるんだ、なあ?」
ルークの肩がビクリと跳ねる。声の色が、焦燥のオレンジに濁り始めた。
「あ、あの、規約では……ええと、その……」
対応時間、すでに二十秒経過。このままでは四五秒の壁を突破され、行列が崩壊する。
私は一歩も動かず、書類に視線を落としたまま、カウンターの下でルークの右足を軽く蹴った。
『リズムを戻せ』という合図。
そして、彼だけに聞こえる微細な周波数で、新しいスクリプトを「指示」する。
(ルーク。……スクリプトB-3。『威圧的復唱』に切り替え。……今の彼の発言をそのまま返し、規約の『音読』で主導権を奪いなさい。三、二、一……今!)
「……お客様。おっしゃるのは『昨日の酒場での噂話』、ですね?」
ルークの声が、私の誘導によって一気に温度を下げる。
「あ、ああ? そうだと言ってるだろ」
「承知いたしました。では、ギルド規約第五条・第三項『流言飛語に基づく報酬改定の拒否権』を読み上げます。……。はい、こちらにサインを。納得いただけない場合は、別室にて『一時間の規約講習会』への参加が必須となりますが、いかがされますか?」
ザックの顔が引きつった。一時間の講習など、血の気の多い冒険者には死刑宣告に等しい。
「……チッ、分かったよ! 書けばいいんだろ!」
「ありがとうございます。……三、二、一。はい、四五秒ジャスト。次の方どうぞ」
ルークの対応に、シモン監査官が目を見開く。
私は心の中で小さくガッツポーズをした。よし、これでイレギュラーへの対応ログも完璧。
そして、ついに運命の百人目。
現れたのは、王都でも有名な「超・難客」、老冒険者ボロスだった。
彼は引退間際で、過去の栄光を語り始めると日が暮れると言われる「話術の魔王」だ。
「……ふむ。若いのに手際が良いな。ところで、わしが昔、北の山脈で冬の嵐に遭った時の話を……」
監査官が「これは無理だろう」とニヤける。ボロスの話は一度始まれば最低三十分は止まらない。四五秒など、一文にも満たない時間だ。
ルークの呼吸が乱れる。
私は目を閉じた。集中力を高め、【残響の波紋】を最大限に広げる。
彼の声、心拍数、肺の動き。すべてを私のリズムに同期させる。
(ルーク。……深呼吸。……心拍数をBPM60に固定。……。今から私の『声』とシンクロしなさい。……一文字も漏らさず、アウトプットするのです)
私は隣の窓口で、手元の帳簿を指でなぞりながら、唇を微かに動かした。
ルークの口から、私の「事務的聖裁」が溢れ出す。
「ボロス様。北の山脈での冬の嵐——伝説の『氷結の三日間』のことですね。……。その功績により、貴殿にはギルド特則による『レジェンド優待・最短手続き権』が付与されています。英雄の貴重な時間を、このような事務作業で浪費させるわけには参りません」
ボロスが、言葉を失って口を開ける。
「な……?」
「そのお話の続きは、今夜、ギルド主催の酒場での講演として予約枠を確保しておきました。今はまず、この栄光ある引退届にサインを。……。それこそが、後進に道を示す『英雄の最後の事務』でございます」
ルークの言葉には、私の「威圧の低音」と「同情の共鳴音」が完璧にミックスされていた。
相手に「自分は特別だ」と思わせつつ、有無を言わせぬ論理で出口へと導く——これこそが、コールセンターで磨き上げた究極のクロージング。
ボロスは満足げに、そして何かに操られるようにサインを終えた。
「……。はい、四五秒。……。お疲れ様でした」
ルークがそう告げた瞬間。
ギルドの魔導時計が、十七時を告げる鐘を鳴らした。
合計処理時間、四五〇〇秒。
平均、四五秒ジャスト。
一秒の狂いもない、芸術的なまでの平均化。
シモン監査官は、持っていた万年筆を床に落とした。
「信じられん……。百人の冒険者を、一人の脱落者もなく、全く同じ時間で捌き切るなど……。これはもはや、魔法だ」
「いいえ。……事前の準備という名の『ログの最適化』の結果です」
私は立ち上がり、一秒の遅滞もなく窓口のシャッターをガラガラと下ろした。
ルークは椅子から崩れ落ち、泣きそうな顔でこちらを見ている。
「アイラさん……! 僕、合格、ですか……?」
「合格は当然。……でもルーク。九八人目、スタンプのインクが〇.二ミリほど外側に跳ねていました。明日の朝、窓口のクリーンアップ(清掃)を命じます」
「ええっ!? そんなところまで見てたんですか!?」
「当たり前でしょう。……さあ、十七時です。帰りますよ」
私はルークの返事も待たず、軽やかな足取りでギルドを後にした。
背後で「待ってくださいよぉ!」と追いかけてくるルークの足音。
今夜の串焼き屋の鶏もも肉は、きっといつも以上に格別なはずだ。
完璧なKPIを達成した後の、冷えたエールという報酬。
この「定時」を守るために、私は明日もまた、窓口という聖域から一歩も動かずに世界を裁く。
(完)
ありがとうございました!!




