月の見える丘で
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零仁と新治を乗せた馬は潰れそうになりながらも、月明かりに照らされた街道をゆるゆると走っていた。新治がこっそり馬に回復魔法をかけていたらしく、合流地点まではどうにか保ちそうな気配だ。
行く手にはなだらかな丘がいくつかあり、その合間を縫うようにして街道が作られている。その丘の上には、銀色の満月が輝いていた。
「きれい……」
新治が言う通り――。星空が見下ろす初夏の草原が月光に照らされる様は、絵画のごとき美しさだった。これほどの景色は見たことがない。
二人を乗せた馬は斜面を登り、丘の上をかけていた。こうした丘をいくつか超えた先にある街道脇の小さな村が、グランスたちとの合流地点だ。
移ろう景色の中、新治がちらりと振り向いた。
「ねえ、ちょっと寄り道しちゃおっか? お馬さんも疲れてるし」
「我慢しろ。合流地点まであと少しなんだ。そこまで行けばいくらでも……」
「むぅ~。こういう時だけ、妙に真面目なんだから」
わざと頬を膨らませる新治が、妙に愛おしい。少しだけ機嫌を取るべく、なにをしてやろうか思案した時。
不意に、新治の表情が曇った。
「ウソ……ッ! レイジくんっ!」
鋭さの中に焦燥を滲ませた声に、零仁は迷わず双剣を抜き放った。
次の瞬間。
乗っていた馬の首が、見えない力で斬り落とされた。断末魔すら上げずに落ちる首の切れ目から、血が飛び散る。
「なん、だとッ……!」
新治を抱えて、力なく崩れ落ちる馬の亡骸からすんでのところで飛び降りる。
周囲に視線を向けると――いた。
対面の丘の上に、影がひとつ。髪を風にたなびかせながら、右手を振るう。
(もう一発……!)
「【音速剣刃】!」
右の双剣から、白雲の弧が飛んだ。丘と丘の間あたりまで差しかかったあたりの中空で、風船が割れるような音とともに消滅する。夜の闇を斬り裂き迫る、不可視の力とぶつかったのだ。
風が、吹く。
「移動したっ! 正面っ!」
新治の叫びに前方に視線を移すと、少し離れた場所にそれはいた。
知った顔の少女だ。肩先より少し長いくらいの、黒髪のミディアムロングが風になびく。月の光に照らされる白い肌と、涼やかな切れ長の目は、記憶の中に在る姿と変わらない。
(あいつは……!)
盗み見ては、嫌悪に陥り。時折、目が合うたびに妙な安堵を感じて。想いが同じならと、密かに夢見た相手。
「……こんなんじゃ殺れないかあ。ここまで近づくと、さすがに分かるんだね」
少女は事も無げに言いながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
身に纏う服は白地に金の縁取りが為されたキュロットスカートタイプの闘衣と、同じ装飾が為されたコート状の外套に変わっていた。すらりと伸びる足には黒いレギンスを履いているが、なぜか前より艶めかしさを感じる。右手には金の装飾が施された、サーベルらしき片手剣。
「……颯手ッ!」
この異世界における名は、【業嵐の魔女】。だが零仁は敢えて、己の知る名で少女を呼んだ。
そのことに満足したらしく、少女――颯手は嬉しそうに笑った。かつて目があった時に向けた笑顔と、同じだ。
「やっぱり夜に通るなら、ここしかないよねえ。ま、ずっと見てたんだけどさ」
「なんだと……⁉」
事も無げな颯手の言葉に、思わず顔をしかめた。
(俺のことをずっと見てた? 味方も級友も見捨てて……? 新治は気づかなかったのか?)
すると零仁の疑問を見透かしたように、颯手が笑った。先ほど見せた穏やかさはなく、多分に嘲りの色を含んでいる。
「新治さんの【星眼の巫女】さあ……自分で意識して範囲を変えるんでしょ。逆に言えば、なにもしないと自分の周りくらいしか分からない。千里眼の魔法で離れた位置からずっと見てたのに、気づかなかったもん」
「そ、それは……っ」
「図星みたいね。最初の脱走の時も私に気づいてなかったから、おかしいと思ったんだ。あのハゲもそんな程度の能力に、なに目の色変えてるんだか……」
身を強張らせる新治を尻目に見ながら、ドミナでの戦場を思い出す。本陣で生き残った者たち曰く。舘岡は新治が存在を検知してから、ほとんど間を置かずに本陣まで到達したらしい。
思うに颯手は、【星眼の巫女】の効果範囲とグランスの前のめりな性分を逆手に取り、自分を含めた最上位級部隊を主戦場の外に潜ませたのではないだろうか。
(【星眼の巫女】の特性を最初の時に見抜いてた……? まさかドミナの時も、それを見越して……⁉)
そしてグランスが戦場に出たタイミングで、最上位級の全員で強化魔法をかけた舘岡を、旧王派の本陣に走らせた。新治が本陣にいればよし、いなければグランスを討てばよいと、ヤマを張ったうえで。
(こいつがいなければ、カークスさんは……ッ! でもそうまでして、何がしたいんだ……?)
零仁の疑問をよそに、颯手は手にしたサーベルの背で自らの肩を叩いた。
「さてと。もう疲れたでしょ? あれだけ派手に暴れたんだから魔力だってないだろうし。もうおとなしく投降してよ、悪いようにはしないから」
「何が目的だ。勝ちも味方も捨てて……。お前の欲しいものは何なんだ?」
「……もう、鈍いのは相変わらずだなぁ」
颯手はじりりと双剣を構える零仁を、穏やかな笑顔で見つめる。
「私が欲しいのは、たった一人……あなたです。零仁くん」
風が、吹いた。
空気の流れに乗って耳に届いた言葉の意味が、理解できない。
「は……?」
「そんな顔しなくたっていいじゃない、新治さんにバラされてるんだからさ。零仁くんが追放された時だって、私のところに小間使いにでも来てくれたらいいな、って思って言ったのに……ああなったし」
想いを寄せる女性に、下の名前で呼ばれる。男なら誰しも憧れるシチュエーションだろう。
だが今は目の前で話す想い人が、人でない何かのような気がしてならない。
「私だって頑張ったんだよ? 零仁くんが戻れるように周りを説得したり、村に隠れてないか探したり……」
「……だからドミナで舘岡を使って新治を捕まえたのか。勝ちを捨ててまで」
「だって良平とかがみんなで突っかかってって、零仁くんが死んじゃったら嫌だもん。そしたら室沢たちが説得する~、とか言うから、それをダシに良平たちを出させないようにしたの。いつもウルサイ人だけど、あの時ばかりは感謝しちゃった」
「……こうなるまで見てたのも、俺が消耗するのを待つためか」
「砦の布陣、けっこう自信あったのになあ。自棄になって突撃したとこ見計らって捕まえてあげようと思ってたら、あっさり砦に入り込んでるんだもん。びっくりしたよ」
「……見てたなら、俺を取り押さえることもできたはずだ」
「ん~とね? 零仁くんを私のものにするには、圧倒的な軍功が必要なんです。私がひとりで零仁くんと新治さんを捕えたら、一発で英雄になれるでしょ?」
颯手は風に揺られるように、くるりと回った。その仕草には、罪悪感など微塵もない。
「【業嵐の魔女】があるから、元の世界よりよっぽど楽。あとは雑に戦って終わらせて、零仁くんと一緒にいられたら、私はそれでいい」
この上なく理不尽で、この上なく自由。
もし元の世界で語らえていたとしたら、ある種の憧憬すら感じたかもしれない。
「だからさ、私と行こう? なんなら新治さんも一緒に……」
「……断る」
颯手の顔から笑みが消えた。穏やかな風が、ぴたりと止む。
「なんで? ここで断ったら新治さん、死ぬよ?」
「お前を討てばいいだけだ」
歪な風が吹きはじめた。夜空の星や満月が、妙に霞んで見える。
「ねえ、なんでそんなに意地張るの? あの時だって、私と戻ればよかった。能力だって使えるようになったじゃない」
「お前は俺を想ってるんじゃない。ただ手に入れて、オモチャにしたいだけだ」
「知った顔を嬉々として殺した人がそれ言っちゃう? 復讐のためとか言って、結局は手に入れた力を振り回したいだけじゃん」
「最初はそうだったかもな。ただそんな俺でも……助けてくれる人がいた。信じることを、教えてくれた人たちがいたんだ」
颯手の顔が歪んだ。怒りや悲しみではなく、妬心からくる表情に。
「汚れた手は戻らない。正しくなんかなくたっていい……。俺は、俺を信じてくれた人たちのために生きる。そのために、級友を討つ!」
「私だって零仁くんのこと助けたよ⁉ 信じてたよっ!! 零仁くんのことを想ってやったのに……それなのに、なんで……っ!」
「だったらなんであの時、俺たちと一緒に行こうとしなかった? 脱走だって、説得だって、なんでもできたはずだ」
「……ッ!」
「お前は自分の世界から出たくないだけ。自分のところに、降りてきてほしいだけ。そのために力を振るい、すべてを犠牲にできるケダモノだっ! そんなヤツに信じてくれた人を……新治を渡すなんてできるかっ!」
瞬間。
星が、月が、夜空が撓んだ。否――颯手が放つ気配によって、すべての景色がひしゃげて見える。
「……ダメだよ。そんな顔しちゃ」
唸る風になぶられた、草たちが哭く。颯手を中心に、世界が歪んでいく。
「私の零仁くんは……もっと卑屈で、情けなくて、じっとりしてるんだよ……?」
空が轟と鳴った。渦巻く気配が颯手を包み、その身が宙に浮かびあがる。
「なのに、なのにっ! そんな顔したら……ダメなんだからっ!」
殺気とも、執着ともつかぬ感情が、豪風となって零仁に吹きつけた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




