大脱出①
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――命がけの防衛戦を経験した後だからか、村人たちは思いの外あっさりと、村の放棄に同意した。脱出の準備と睡眠を交代で行った後の、翌日の払暁。零仁たちはアウザーグの村を発った。
わずかに届く朝日と旧王派の騎兵たちの先導を頼りに、林道を南の方角へと進む。なんでも丘陵地帯と森の間にある、今は使われていない街道を通るらしい。
(いや、しかし……。まさしく大脱出だな、こりゃ)
ぞろぞろと歩く村人たちを見つめながら、零仁は馬上で独り言ちた。今いるのは、行列の最後尾。戦闘力を買われて、めでたく殿軍の大役を仰せつかったのだ。
援兵の騎兵は二つの隊に分かれ、メイアの隊が先導と先行偵察、クルトの隊が行列周囲の護衛と後方の警戒に当たっている。カークスは列の中心で、全体の指示役。新治は【星眼の巫女】によるレーダー役兼、護衛対象としてカークスの傍らについてもらっている。
のろのろと進む村人たちを追い越さないように気を付けて進んでいると、行列の横についていたクルトが歩調を合わせてきた。
「あと少しで丘陵の陰に出ます。道幅も広くなるから、少しは楽になるでしょう」
「そりゃ、ありがたいっすね。さすがにこのペースだと追手が来なくても、いつになったら着くか分かりゃしない」
クルトの言うとおり、体感で五分もしないうちに風景が変わった。道が徐々に広くなり、朝日が右手から正面へと移っていく。いつの間にか右手が森のまま、左手はなだらかな丘になっていた。
村の住人といっても、老若男女あわせて百名近くはいる。それが各々の荷を担ぎ、列をなして進むのだ。さながら死者の行進のようだった。
ややげんなりした気分になっていると、横にいるクルトが口を開いた。
「……そうだ。まだお礼を言ってませんでしたね」
「礼、って……?」
「昼間の会談のことです。あなた方の一声があったからこそ、カークス殿が決断してくださった。感謝しています」
「当たり前のこと言っただけですよ。それに……色々あったんでね。世話になった人たちは、大事にしたいんです」
面と向かって礼を言われると、さすがに少々照れくさい。
いつの間にか、行列との間が空いていた。照れ隠しも兼ねて、馬の歩調をわずかに早める。
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
クルトはしれっと歩調を合わせてくると、なおも言葉を続ける。
「聞いた通りの目に逢われて、なおその”当たり前”を貫けるのであれば……。あなたは大した御仁です」
村人たちの準備を手伝う間――。クルトには、指名手配に至った経緯をざっと説明してあった。なにせ旧王派への橋渡し役である。変な誤解を受けるのは避けたかったのだ。
どうやら旧王派側も、バルサザール領に降り立った転移者たちのことは探りを入れていたらしい。思っていた以上の情報を持っていた。クルトは零仁の言い分に納得していたようだし、脇で黙って聞いていたメイアも何も言わなかった。
「そんなことないです。復讐してやりたい、って気持ちは変わってませんし。丘の北側に出てきてる級友が、最低でもあと一人いる。正直、追ってこないか……って思ってるくらいです」
「……気持ちは分かりますよ。私にも、そういう相手はいますから」
ゆるりと馬を進めるクルトの糸のように細い目が、一瞬だけ開く。遠くを見つめる瞳がわずかに届く朝日を受けて、ちらちらと燃えているように見えた。
「それって……って、ああっ! 聞こうと思ってたこと、忘れてた!」
「いきなり、どうしました?」
「転移者っすよねっ⁉ なんで二つ名を名乗らないんですかっ! てか、どんな能力持ってるんです⁉ 俺や新治は教えたんだから、そっちも教えてくださいよ!」
クルトはきょとんとした顔をしていたが、すぐにくつくつと笑い始めた。
「ああ、なるほど……。私の魔法を見ていたんでしたね」
「そうそう、詠唱してなかったでしょ⁉」
「あいにく私は転移者ではありません。混血者、というものをご存じですか?」
「混血? 転移者と、こっちの世界の……?」
「はい。能力こそ発現しませんが、恵まれた身体能力や、魔法の詠唱破棄といった恩恵にあやかることができます。私は転移者の父と、この世界で生まれた母の間に生まれました。あの魔法の正体は、そういうことです」
その言葉に、メイアが放つ凄まじい威力の弓射が思い起こされる。
「……ひょっとして、メイアさんも?」
「察しがいいですね、その通りです。転移者として十全な力を持たぬ、この世界の半端者……。それが我々、というわけですよ」
この世界の転移者に対する畏怖と敬意は、その尋常ならざる能力に依るところが非常に大きい。逆に言えば力を持たぬ転移者は、この世界の者でもない半端者として忌み嫌われる。当初、能力を持たぬとされた零仁が追放されたのも、ひとえにこの不文律によるものらしい。
その上さらに混血という不浄な条件がつくとなれば、どれほどの迫害を受けるか。
「戦争や……それでなくても、色々便利そうなのに」
「だからこそですよ。人は己が持たぬものを持つ存在を妬み、憎むのが常ですから」
クルトはそう言うと、着ている鈍色の軍服の端をつまんでみせる。
「そんな鼻つまみ者の我々を拾ってくださったのが、グランス公爵でした。我らは落胤たる主と、グランス公爵を守るために存在します。光護隊……あなた方の世界の言葉で、光を守る者、という意だそうです」
「光を守るための影、か……。それでいいんですか?」
「光が射さなければ、影が差すこともありません。私は私であるためにも、今在る光を守る所存です」
なんで、そんな話を自分に――。
そう言いかけた時、丘の上から馬蹄の音が聞こえた。見ればメイアが長い髪をたなびかせ、馬を飛ばして迫ってくる。
「中央より伝令! 騎兵の小隊が向かってきてる! うちひとりは転移者、【吶喊する騎手】!」
その言葉を皮切りに、心の中で黒い炎が燃え盛る。
【吶喊する騎手】、森谷祐樹――。アウザーグ村で喰った塩田の彼氏にして、テニス部のエースである。クラスではカースト中位に属していたが、彼女持ちというステータスも相まって中々良いポジションだった。
だが今の記憶に残っているのは追放された日、塩田の隣で嗤っている顔だけだ。
「感づきましたか、思ったより早かったですね。しかもあの狭い林道をかっ飛ばしてくるとは……。中々の手練れのようだ」
「やっぱり来たな、森谷……ッ!」
「おや、例の級友ですか?」
「ええ……! 森谷は、俺が殺る……!」
「頼もしいことです。では仕事のついでに、級友討ちのお手伝いといきましょうか」
話している間にも、最後尾付近の村人たちがにわかに慌て始めた。周囲の騎兵たちに宥めているおかげで、行列の形が辛うじて保たれている。
「……最後尾に食いつかれると面倒だな」
「同感です。打って出ましょう。名にし負う【遺灰喰らい】……その力、改めて見せていただく」
「見たけりゃ好きにしてください。ただご存じの通り、あんまりお上品じゃないっすよ」
言いながら馬首を巡らせる零仁を見て、クルトは糸目のまま笑う。
それが、合図だった。零仁とクルトは、元来た方角へと馬を走らせた。
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