黒き暴威
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零仁が内廓の広場に戻ってくると、皆がざわついている。
思えば勝利の凱旋で騒ぎそうなものなのに、誰も迎えに来ていなかった。
(大騒ぎされるのは苦手だから、このくらいでいいんだが……そういう雰囲気でもねえな)
広場の中央まで行くと、指揮官組が神妙な表情で顔を突き合わせていた。
零仁の姿を認めるなり、輝良とアリシャが険しい表情で駆け寄ってくる。
「……お疲れ、終わったぜ」
「【星眼の巫女】で見てたよ。けれど今は、それどころじゃないの」
「はぁ? 【武極大帝】よりヤバいヤツいるか? 【業嵐の魔女】でも出てきたか」
「王竜騎士団よ……。さっき通信想石に、ボレアのライナルト公から連絡が入ったの。北街道を封鎖してた王竜騎士団が、まるっと反転したみたい」
アリシャが首を振る傍らで、輝良が南に目を向けた。
「ご丁寧に陣形魔法で幻影まで作ってね。ちょうど霧が出る季節だったから、気づくのが遅れたんだと思う……」
「そこも織り込み済みだろうな。で、その反転した王竜騎士団の数は? 今、どこにいる?」
「数は二〇〇〇、もうアウザーグからこっちに向かってる。魔草を食ませた馬に、陣形強化魔法をかけてね」
「偵察からの情報からして、あと一時間もかからない……」
そこへ、賽原とマティアスが近づいてきた。
二人ともやはり笑顔はない。
「人数の確認が終わった。神剣騎士団は三〇〇〇、ってところだ」
「山の民は二〇〇〇だ。転移者部隊は損害ないが、手負いが結構いる」
「そんだけいるなら、追っ払えるんじゃないすか」
「損害を考慮に入れなければね。多分、この王竜騎士団は決死隊……。少しでも損害を与えて、こちらの足を止めるつもりなのでしょう」
「東にはまだ兵を出し切ってない諸侯がたくさんいる。消耗しきったところに波状攻撃されたら、いくらなんでも保たないよ」
「なるほどね。【神代の花園】の最後っ屁ってとこか」
おそらく今頃、北街道の端に位置するカールヴィッツあたりに、後詰の兵が大挙して集結しているだろう。
ボレア砦に陣取っていたライナルト公は進軍できるものの、丘に隔てられた南側の中央街道、南街道の封鎖は続けられる。
地神の恵帯に入られる前に、北側に戦力を集中して決着をつける、という算段と見えた。
零仁は軽く息を吐くと、皆のほうに向き直った。
「……俺が行きます」
途端、周囲の空気が一変した。
皆の顔が一斉に、零仁のほうを向く。
「ちょっ、ちょっと待って……話聞いてた⁉ 王竜騎士団だよ⁉ しかも準備万端、士気最高潮の決死隊なんだよ⁉ 砦の正門ぶち抜いちゃったから、立て籠もることもできないしっ!」
「あなたの強さは十分すぎるほど分かっています。けれど、いくら何でも無茶ですっ!」
輝良とアリシャが血相を変える横で、マティアスも頷く。
「【遺灰喰らい】殿……その意気は買おう。だが轡を並べた者として、戦友が死地に赴くことを見過ごすことはできない。砦を捨てて聖地に撤収すれば、王竜騎士団も無理に追ってはこないかもしれん」
「ノリノリの決死隊が、背を向けて逃げる敵を逃がすとは思えませんがね。第一それじゃ、仮にうまくいっても地神の恵帯まで行けないでしょ。負けたのと同じだ」
「それはそうだが……!」
「俺、【武極大帝】を喰った後で元気なんすよ。こいつもありますし……今ならやれる気がするんです」
そう言って、右手の轟牙裂戟を持ち上げてみせた。黒を基調とした斧に刃こぼれはなく、穂先は凛と輝いている。
それを見た賽原はやや俯いた後、零仁を見た。
「隊長殿、せめて我らを連れていけ。いかな王竜騎士団といえど、百ほどの転移者ともなれば勢いを削ぐことは出来よう」
「皆、へばってるんじゃ無駄死にになるだけだ。賽原さんだって、【武極大帝】と戦り合って相当疲れてんじゃないすか?」
にへらと笑って言うと、賽原が悔しげに顔をしかめた。
【心身合一】は長時間の使用が叶わないほど、体力と集中力を消耗する。内門で舘岡と刃を交えた後、内廓で制圧戦の指揮を執っていた賽原は、すでに限界に近いはずだ。
他の者たちも皆、朝から黄昏時までずっと気を張り、動き回っている。先ほどの報告にあった兵数も、まともに戦える者となれば話が別になるだろう。
「まあどうしてもって言うなら、動ける人たちで外壁の守りを固めておいてください。さて、移動手段をどうするか……」
【残影疾駆】で行くしかないか、と考えた時。
門のほうから、アディンが飛んできた。死んだ軍馬でも喰らったのか、戦いが始まる前より体が大きくなっている気がする。
「聞イタ、聞イタ! マタ戦ウ?」
「ああ、ちょっと行ってくる。お前はここでみんなを守ってくれ」
「ツマラン! ケド分カッタ! 代ワリニ、アイツヲ連レテケ!」
「あいつ……?」
訝しんでいると、アディンが来た方からガウルが歩いてきた。
その脇を歩く灰色の軍馬を見た瞬間――
「……ウンブラ⁉」
名を呼び、大きく目を見開いた。
致命傷になったはずの矢傷は、すっかり塞がっていた。身体はひと回り大きくなり、目には魔物の証である赤に染まっていた。
「魔物化した……? どうして……」
「マダ走リタイッテ言ウカラ! 俺ノ血、飲マセタ!」
「ははぁ……なるほどね」
得意げに言うアディンの口元からは、一筋の血が流れ出ていた。
竜の血は膨大な魔力の凝縮体だ。飲めば不老不死、などというのはさすがに迷信らしいが、軍馬を魔物化するくらいなら訳はない。
ウンブラに近づき頭をなでると、以前と同じく額を寄せてきた。
馬具はそのままだった。記憶もしっかり残っているなら、主のクセも覚えていることだろう。
「ウンブラ。もうひと暴れしに行くが、お前も来るか?」
するとウンブラは、前脚の蹄を蹴立ててみせた。
「ブルルルッ! ブヒヒヒインッ!」
「よしよし。新しいお前の力……見せてくれ」
零仁はひらりとウンブラに跨り、腹を締める。
ウンブラは大きく嘶くと、正門へと駆け始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
王竜騎士団所属、ハンス・フォン・シンディは、己の目を疑っていた。
目の前で先輩にあたる騎士スヴェンが、頭から胴の半ばまでを、ただの一撃で薙ぎ切られたところだ。
(あのスヴェン殿が……っ⁉ 何故、何故こんな……!)
物言わぬ骸となった馴染みの姿から逃避するためか、昨日からの出来事がハンスの脳裏に浮かび上がる――。
北街道封鎖の任に当たっていたハンスの部隊に、『転進しアウザーグに集結せよ』との令が下ったのが昨日の昼だった。
しかもトリーシャ上流の濃霧に乗じた、幻影の陣形魔法による大規模な偽装工作のおまけつきである。
楽な仕事だったのに、と嘆く先輩たちに合わせながらも、ハンスの内心は燃えていた。
旧王派に対する封鎖作戦を捨ててまでの転進となれば、何かしら重大な作戦行動に他ならぬからだ。
『――ついに機が巡ってきた……! この一戦で、私にふさわしい武勲を立ててやる!』
代々の子爵であるシンディ家の次男坊に生まれ、家督を継ぐ兄に負けじと武芸の稽古に励んできた。
同格の家の令嬢を嫁に貰いのうのうと暮らすなど、男に生まれた身として情けない。そんな風に思っていた。
故にこそ父に口利きしてもらい、精鋭を以て鳴る王竜騎士団に入団したのだ。
だが厳しい演習によって力が着く実感はあったものの、任務の実態は王都周辺の野盗や魔物を狩るばかり。
そんな日常だったからこそ、トリーシャ以西の反乱勢力を抑える部隊に抜擢された時には胸が躍ったものだ。
――だが。
(今度こそ手柄を立てられる……そう思っていたのに……! あれは、あれは一体、何なのだっ⁉)
黒い刃が振り下ろされるたび、先輩たちの首や腕が飛ぶ。
戦闘機動を維持しながらの陣形魔法すら使いこなす猛者たちが、ただの一撃のもとに数人単位で吹き飛んでいく。
死の旋風を巻き起こしているのは、ヴァイスハイトから駆けてきた一騎だった。
黒い鉢金に軽装の革防具。手にした黒い斧槍は、【武極大帝】なる転移者の得物と聞いていた。
駆る軍馬も魔物と化しているのか、脚を地に叩きつけるたびに周囲の者がひしゃげていく。
馬を狙う者もあったが、いずれも騎手の攻撃や、攻撃を逸らす不可思議な力場の前に呆気なく散った。
「【遺灰喰らい】だっ!」
「手はず通りやれっ! 拘束の陣形魔法を……うぎゃああっ⁉」
「バカな、矢も魔法も逸れていくっ⁉!」
「ええいティモ隊、側面からヴァイスハイトをぐぉはあっ⁉」
アウザーグを発った時の数はおよそ二〇〇〇騎。
それがものの数瞬で、たった一騎を相手に壊滅の憂き目にあっている。
(噂には聞いていた……! とてつもない転移者がいると……! だがこれは、こんなのは……!)
いつの間にか、生き残っているのは最後尾にいたハンスの部隊のみになっていた。
黒い影の目がハンスを捕らえた瞬間、ハンスは馬首を南へと巡らせた。
周りを見れば、他の者たちも我先にと続いてくる。
(陣形も戦法も、意味を成していない……! こんなの、もう戦いじゃ……)
その時、黒い影を乗せた馬が行く手を阻んだ。
助走のない跳躍だけで、一団の頭上を飛び越えたのだ。
「ひっ……⁉」
息が詰まる間に距離を詰めた影が、斧槍を振り下ろす。
視界いっぱいに迫る斧の刃が、ハンスの最期の記憶となった。
◆ ◆ ◆ ◆
夜を目前にした空の下で、零仁は轟牙裂戟の血を払った。
周囲には金の鎧を着た騎士たちと、同じ色どりの馬具をつけた軍馬の屍が、累々と転がっている。
(使ったのは強化魔法と、【惑歪の帳】だけか。さすがに対多数で馬もいるとなると、【変幻自在】よりこっちのほうがいい)
【武極大帝】の能力とともに記憶に流れ込んできた強化魔法は、なかなか使い出があった。
もう少し使い方を研究すれば、舘岡がやったように疑似的な能力に昇華することもできるかもしれない。
内省していると、ウンブラがぶるると首を振った。俺も頑張ったぞ、と言わんばかりだ。
「はは、そうだな。ひとりでやっちまおうかと思ったけど……お前と一緒のほうが早かった。ありがとな」
鞍の上から頭を掻くように撫でてやると、ウンブラは気持ちよさそうに首を振る。
――ウオオオオオオオッ!!
――【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!!
ヴァイスハイト砦の方角から、天も割れんばかりの大歓声が上がった。
見れば外壁の上では、幾人もの騎士や山の民たちが拳を突き上げて熱狂している。
「へばってたと思ったら、もうこれか。元気だねえ」
苦笑しながら、馬首を砦の方角に巡らせる。
歓声は落ち着くばかりか、さらに大きくなっていく。
その時、舘岡の記憶が脳裏をよぎった。
夕焼けの中、倒れ伏した者たちの中にひとり在る姿――。
(舘岡……これが、お前の見た景色か?)
応える者なき問いを空に放ると、零仁はウンブラを駆けさせた。




