深き森にて
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――颯手を撒いてから七日後。
零仁は木こり小屋で地図を見ながら、なけなしの干し肉をかじっていた。森で採れる木の実や果実のおかげで飢えは凌げているが、たまには塩辛いものが食べたい。
今いるのはダリア砦から北東に進んだところにある、丘陵地帯の端だった。丘と言っても小さな山ほどの箇所もあり、ここから北側にかけて広大な森が広がっている。
(やっと、ここまで来れたか……。あんのクソハゲ野郎め、散々追手かけてくれやがって)
ダリア砦からは直進すれば三日ほどの位置らしいが、追手を撒くために森の中を進んだおかげで、ずいぶんと時間を食った。それでも、騎馬の追手には三度ほど出くわした。【星眼の巫女】のおかげで二度は気づいてやり過ごしたが、一度はやむなく手にかけている。
二人乗りで駆けさせたおかげで、乗ってきた黒馬は潰れてしまった。だがここからは深い森の中を行くのだから、先だって問題はない。
これからの道のりを思い描いていると、木こり小屋の扉が開いた。
「ふぃ~、さっぱりした……。あ、お水汲んできたよ」
入ってきたのは言わずもがな、新治だった。制服のブレザーの下に鐙谷の荷物に入っていたジャージを着こんだ、いわゆる埴輪スタイルである。黒髪のボブカットが湿っているところを見ると、小屋の裏手にある湧き水で水浴びをしていたらしい。
革の水筒を置く新治に、零仁は呆れた視線を向けた。
「お前さあ。一応、お尋ね者だぜ? まったり水浴びとかどうなんだよ」
「もうバルサザールさんの領地の端だから、大丈夫だって。実際ここ数日、追手が来ないでしょ?」
ふくれっ面になった新治の言うとおり、バルサザールの領地は丘陵地帯から南の平野部らしい。以前いた位置から西にはダリア砦、南にはバルサザールの居城がある。東に進めば王都だが、バルサザールの息がかかった勢力圏だ。消去法で北に進んだのだが、零仁にはもうひとつの狙いがあった。
「……で。祓川くんは旧王派の陣地に行きたい、でいいんだよね?」
対面に座った新治に、頷きを以て応じる。
「ああ、傭兵として雇ってもらう。そうすりゃ新治を保護してもらうことだってできるだろ」
道中で新治から聞いた話によると、この戦争は王位継承権をかけた新王派と旧王派の争いらしい。
旧王派に雇い入れてもらえれば食い扶持に困ることはないし、なにより新王派のバルサザールに与する級友どもが勝手に寄ってくる。一人で当て所なく戦うより効率がいいし、新治を巻き込むこともない。
「その、さ。颯手さんに言ったこと、本気?」
「ああ、それさえできりゃ……後はなんだっていい」
級友、全員――俺がこの手で殺す。
颯手に言い放った言葉を反芻する。そうして、胸に宿ったドス黒い復讐の念を消し去る。何も生まれなくたっていい。この思いを抱え続けて負け犬として生きるより、よほどマシだ。
新治は悲しげな表情で俯いていたが、すぐに視線を戻して口を開いた。
「ねえ……復讐とか考えないでさ。どこか森の中で静かに暮らすとか、そういうのない?」
「ない。第一このままじゃ、ずっと追われることになっちまうからな。引っ込むにしても、最上位級のヤツらに勝てるくらいにならねえと」
目的を達するためには、まだ強くなる必要がある――。それが、今の正直な感想だった。
颯手と戦った限り、身体能力は大差ない。強化魔法のことまで考えれば、相手に分がある可能性すらあった。ろくに訓練をしなくてもあの強さなら、訓練や実戦経験を積んだ最上位級の面々には、いずれ”格”で負ける公算が高い。
戦場なら、荒木のような他の転移者たちもいるだろう。そいつらを喰って強くなるのが一番手っ取り早い。
「分かった、もう何も言わない。ええっとそしたら丘を大回りする形で西に行って、トリーシャ河を超えればいいよね……」
新治ははふぅ、とため息をつくと、地図に見入り始めた。
* * * *
――さらに三日後。
「……だああああっ! 森広すぎだろ、これっ!」
鬱蒼とした森に、零仁の声が響き渡る。
いきなりの大音声に驚いたのか、数羽の鳥たちが梢から飛び立った。
「文句言わないの。おかげで追手、来ないでしょ?」
「虫は出るし足は取られるし、飯もねえぞっ!」
後ろを歩く新治に喚き散らす。
道なき道なのは百歩譲って許せるとしても、問題は食料だった。森の奥深くに立ち入ると植生が変わったのか、これまで主食にしていた木の実が採れる木々が少なくなったのだ。代わりになるものもなく、持ってきたストックをちまちまと消費している。ところどころにある湧き水や作業小屋が、せめてもの救いだった。
「おまけにお前の能力、魔物相手にまるで役立たずじゃねえかっ!」
極めつけは、新治の【星眼の巫女】がまるで役に立たないことだった。
どうやら他の生物の位置は、申し訳程度に分かる、といった性能らしい。仮に分かったところで、新治の索敵や声掛けといった処理能力が追い付くとは限らない。おかげで木の陰や樹上から襲い来る魔物たちは、零仁が反射神経にものを言わせて掃除する羽目になっている。
新治はなおも俯いていたが、やがてキッとした表情で零仁を睨みつけた。
「ああっもうっ! しょうがないでしょ、そういう能力なんだからっ! そんなに言うなら、もっと北に進んで街道に行くっ⁉ 追手がバンバン来ると思いますけどっ!」
「誰もそんなことは言ってねえっ! 森が広すぎるって言っただけだっ!」
「能力にケチつけたじゃないっ! そもそも旧王派に行きたいなんて言うから、こんな回りくどい道行く羽目に……!」
新治にしては珍しく、口から唾を飛ばして言い返してくる。
その時――。
『きゃああああああっ!』
森の奥から、悲鳴が聞こえてきた。声からして少女だ。
一瞬だけ顔を見合わせた後、どちらからともなく駆け出した。周囲に人の影はない。だが声がした方角は、大体分かる。
「先に行ってっ!」
新治の声で、一気に速度を上げた。
今の身体能力では、本気で走ると新治を軽々ぶっちぎってしまう。追手が来ない森の中なら一人になっても構わないと、新治なりに判断したのだろう。
木々の合間を縫って進むと、程なく前方から銀髪の女の子が走ってくる。年の頃なら中学生くらいだろうか。その後ろからは赤い目をした巨大なリスの魔物が二匹、迫ってきている。
「そのまま走れっ!」
バルサザールに言葉が通じていたように、この異世界に言葉の壁はない。女の子もすぐに察してくれたらしく、意を決した表情で零仁の横を走り抜けた。
前方のリスの魔物は近くで見ると、女の子より少し小さいくらいの大きさだった。口から覗く前歯は、剣の切先のように鋭い。
「【強迫の縛鎖】!」
赤い目を見て放った能力によって、一匹の動きが止まった。動揺したのか、もう一匹の動きも足を止める。
その機に乗じて、零仁は短剣を抜き放った。森の中では、短剣のほうが取り回しがよかった。しかも宍戸から奪ったこの短剣、制式の長剣より質が良い。
「【音速剣刃】!」
振るった刃から飛んだ白雲の弧が、止まった一匹の首を刎ね飛ばした。無言で近づき、震えたまま動かない一匹の喉を掻き切る。
あたりが、ふたたび静かになった。程なくして、胸を弾ませた新治が女の子を連れて追いついてくる。
「ふぅ、ひぃ~……。こっちは無事だよ~。そっち、大丈夫だった?」
「あの……助けていただいて、ありがとうございました。私、この近くの村に住んでるカテリーナと申します」
魔物たちの死骸を見た女の子――もといカテリーナが、ぺこりと頭を下げた。村娘のわりには丁寧な口調である。
北欧系の顔立ちで、近くで見ると結構な美人だった。霞色の簡素なワンピースに前掛けをしているあたり、木の実の採取にでも来たのだろう。
「もしよければ、村にいらっしゃいませんか? 御礼もしたいですし」
カテリーナはそう言って、にっこりと笑って見せる。
本来なら飛びつくべきであろう申し出に、零仁は新治と顔を見合わせた。
「……村、か」
「村、ねえ……」
バルサザールが捜索の手をどこまで広げているか分からないが、村ともなれば手配書くらいは回っているだろう。迷惑をかけるのは気が引けるし、下手すれば褒賞を目当てに売り飛ばされる恐れまである。
そんな零仁たちの心配をよそに、カテリーナはふたたび笑った。
「大丈夫ですよ。村には、転移者だからってああだこうだ言う人はいません。それに私のお父様、村の領主ですし」
「えっ、なんで分かったんだ……?」
「走り抜けた時、肩越しに魔物の動きを止めているのを見たんです。魔法の詠唱も聞こえなかったから、あ~能力だなあ、って。……さ、行きましょう。この先から林道に出れます」
カテリーナはそう言うと、答えを待たずにさっさと歩き出す。零仁たちは少し逡巡したが、すぐにその後を追い始めた。
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