ロープ・ア・ドープ
ロープを背にした吉川へと、保科の容赦無い連打が雨霰の様に襲いかかるっ!
ガードの上からでもお構い無し、、、ガードごとへし折らんばかりに渾身のパンチを打ち込んで行く。
「足使って回れっ!!」
崇の声が響くが、保科もそんな事は百も承知である。左右のフックを放ち、横への逃げ道を塞ぐ。
レフリーの朝倉は迷っていた。
スタンディングダウンを取るべきか、、、と。
しかしダメージを受ける様な決定打は入っておらず、ガードの隙間から時折覗く吉川の目は、未だ力強く死んではいない。
(どうするか、、、)
朝倉が決めかねていると、突然保科の動きがガクンと落ちた。
連打の回転は著しく鈍り、その顎は溺れし者の様に上がっている。明らかなガス欠、、、
打撃を放つ時、人は息を吐く。
つまり連打を重ねる程、大量の酸素を消費するのだ。まして保科の身体は太く重い。
完全に速筋の持ち主であり、有酸素運動には向いていない。
スタミナ切れによる疲労の度合いが窺い知れる。
それでも息を弾ませながら右のストレートを放った保科。
しかしそれはスピードも威力も、明らかに先程までのそれでは無かった。
吉川はこの時を待っていた。
ロープに身を預け、その弾力を利用する事で打撃の威力を殺し、貝の様に身を縮めながら機を窺っていたのだ。
それはモハメド・アリがジョージ・フォアマン戦で見せた防御テクニック「ロープ・ア・ドープ」、、、これは危険な賭けとも言える技法だが、吉川もアリと同じく、その賭けに勝ったのだ。
ヘロヘロと迫り来る拳をスウェーで見切った吉川。そして背にしたロープの反動を利用し、伸びきった右ストレートを一気に潜った。
カウンターのタックル。
保科も一応は反応し、そこへ膝蹴りを合わせようとするが、疲労から脳での反応と肉体の動きの連動が狂っている。
膝を突き出した時にはもう、吉川に懐への侵入を許していた。
踏ん張る事すら出来ず、されるがままに倒された保科。
そこへ吉川が横四方固めに入り、直ぐさま縦四方固めへと移行した。
吉川の上半身が保科の顔を塞ぎ、呼吸を妨げる。
スタミナ切れの保科はたまった物では無い、我慢しきれず即座にロープへと手を伸ばした。
「エスケープッ!」
アナウンスが響き、2つ目のポイントを奪った吉川がそそくさと立ち上がる。
対する保科は、肩を上下させてなかなか立ち上がる事が出来ない、、、
すると吉川が保科の眼前にしゃがみ込み、こんな事を口にした。
「アンタ、、、私の事、嫌いだって言うたよな?ならチャッチャと立って、私をブチのめしてみなっ!!」
この言葉に保科の顔色が変わった。
血が出んばかりに唇を噛み、眉間には深い皺を何本も刻んでいる。
そしてその鬼の形相のまま、雄叫びにも似た声を上げると、渾身の力で一気に立ち上がった。
それを見届けた吉川も再び立ち上がり、笑顔を向けながらこう呟いた。
「そう。それでいい」
そしてレフリーの朝倉は又も迷っていた。
私語を謹む気の無い吉川にイエローカードを呈示するべきかを、、、




