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その一方で、
「それにしても、英語の点数は随分酷いね」
「はい」
私はテストで点数をとることはそれなりに出来た――五教科のうちの四教科に関してはそう言っても差し支えなかったとは思う。但し残りの一教科、英語に関してはその限りではなかった。地元の学区は県内では最下位かブービーを争うレベルであったにも関わらず、私の英語の点数は其処での平均点にさえも遥かに及ばなかったのである。他の四教科に対しては「知っているから出来る」「考えれば出来る」で良かった。ところが、「これまで見たことや聞いたことがあるから分かる(ページのすみっこにパラパラマンガを書くにしても、それ以外の落書きをするにしても、教科書を見ていない訳ではないし、授業中に居眠りをしている場合はともかく、マンガを読んでいる際にも、授業をちゃんと聞いている訳ではなくても、聞こえてはいる――耳栓をしてまで拒絶している訳ではない――多分、そういうことだろう。それならば、特に社会の得点がより高くより安定していたことに説明がつく。社会科の教科書――公民はちょっと違うかもしれないが――を思い起こしてみて欲しい。図はともかく、イラストや写真の類――国宝やら文化遺産やら、芸術品や建築物、その他――の掲載量が他の科目よりも圧倒的に多い。此のことは必然として「落書きをする場所が多い」「落書きのし甲斐がある」ということでもあり、無意識に「よく見ている」ということにもなる。掲載されている写真やイラストの補足説明や其の周辺や比較的近くや隣りのページの文章等も含めて)」「その場で考えれば解かる(此方は其のままでしかない。捕捉説明しようにも、「そんなふうだった」とぼやっとした表現しか出来ない。もちろん、どんな問題でも出来た訳ではないし、どれだけ試験時間が残っていても、数分考えてみて取っ掛かりすらわからない様ならば、飽きたり、面倒くさくなったりで投げ出していたし、実際、じっくり考えたところで解けたりはしなかっただろうと思う。ただでさえ学力レベルの低い片田舎であり、その中でも県でブービーか最下位を争う学区の田舎だったおかげで、そんな風でも通用したとしか言い様がない。『数字に色がついている』という感覚は何となくわかるが、『数字に匂いがある』という感覚までは流石に理解出来ない)」が英語には通用しなかったのである。此の国で生活するには此の国の言葉だけで十分であったし、それで何の不自由も感じなかった。日本語に訳してあるものをわざわざ英語で読もうとも聞こうとも微塵も思ったことなどなかった。数字を知っていれば数学や理科は何とかなったのが、単語や文法などを知らなければ、英語はその場で考えれば問題が解けるというものではなかった。映画はそれなりに観ていたが、字幕か吹き替えで事足りていたし、同級生達の様に洋楽に興味をもったりすることもなかった。そして勿論、他の四教科同様全く勉強などしないのだから、点数が取れる筈がなかった。




