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私の実家は、最寄り駅から商店街を抜けて橋を渡って、右へ行ったり左へ行ったり――当たり前なのだが――して、実家までは徒歩十一、二分というところである。歩けない距離ではない。右足の踵と膝の裏の感覚が多少麻痺しているくらいなら問題はない。歩いて行ける。ただ歩いているうちに痛くなってきたりすると、ちょっと困ったことにはなるのだが。それはまあ「歩いてみないと」なのが、また困ったものなのではあるが。大抵の場合は何とかはちゃんと歩ける。腰にはいつもそれなりの痛みがあるのは仕方がないことだけれども。一度目に腰をぶっ壊したその昔――今が二回目というよりは古傷がまた痛み出したというのが正確であろうが――は、もっとずっと酷いものだった。七、八分歩くと足の感覚が無くなるところから始まって、やがて無感覚が一気に激痛に変貌し、ニ、三分も歩けないどころか、その後しばらくは痛くて蹲っていないではいられない有様だったのだから。当時、私は大学生だったのだが、歩行不能となってしまっては学校に通うどころではなくなった。回復する見通しも立たなかったから、在学していた理工学部は二年で退学し、田舎に引き籠ることとなった。結局、様々な治療法――その中には、特殊なカイロプラクティックから、強烈な足つぼマッサージまで含まれる――や、手術やらリハビリやらで、社会復帰までには三年ほどを費やすこととなり、そういう次第で、二十歳前後は寝たきりか、ほとんど寝たきりで過ごしたことになった。腰の調子が良くなってからは、編入試験を経て別のところの三年生に文転し、再び上京。卒業した後、現在に至っている。いや、今は確かに田舎に帰ってきてはいるのだけれども。二度目の腰痛は腰から下で右足の一か所から三、四か所くらいまでのどこかが何の規則性もなく感覚が鈍くなるか、せいぜい麻痺するかまでが基本なので、歩くこと自体にはあまり差支えはない。歩ける。歩けはする。大概は。足の指先の感覚がない時は階段が――特に降りるのが――バランスがとれず転んでそのまま転げ落ちそうで怖くはあるのだが。何はともあれ歩けてはいる。まあ、今のところはそんなところである。痛み止めを貰いに通っている病院では「(腰の)手術は無理だ」と聞かされてはいる。セカンド・オピニオンとか、サード・オピニオンとかを聞く機会があれば違ってくるのかもしれないのだけど。
親の車に乗り込みながら、
「わざわざ迎えに来てくれなくても良かったのに」
と、バタンとドアを閉めると、
「もう、本っ当にイヤ。何考えてこんなセンスのないことするんだろうね。見栄えが悪くなっただけじゃなくて、車だって止められやしない。ちょっと止めたいだけなのに、ほんと不便。本当に何考えてんだろうね。此処をこんな風にした連中」
言われてみて思い付いたことを言ってみた。
「駅前に停められるのが嫌なんじゃないの? 車とか。通行人の迷惑になるとか」
「だったら、昔からそうでしょ。もっと栄えていた時なら、尚更そうだった筈なのに、そんなこと問題になったことないよ。だって、あんたがこっちにいた頃からそうでしょ?」
「そら、まあ」
言われてみればその通りである。