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久しぶりに帰る田舎だが、特に何も変わったところはなかった。と、言いたいところだが、そうでもなかった。在来線の車窓の景色から実家の最寄り駅のプラットフォームに降りたあたりまでの風景は何にも変わり映えなどしていなかったのだが、自動改札を二歩三歩と通り抜けたところでそうでもないことに気付いた。商店街がシャッター通りになっていたことではない。そんなのはその前に帰郷した時には既にそういう風だった。多少の変化はあったが、そういうのは概ねそのままである。変わり映えしていたのは駅前も駅前の様子だった。前回帰ってきた時には、そこはバス停を除けば、ほぼアスファルトで舗装されているだけの場所だった。ところがいつの間にか、何だか自動車教習所の一部を切り取ったみたいなデザインに変更されていたのだ。
「…こんなところに何税金使ってるんだ?」
余っている訳ではなかろうに。
(それともこの駅の前庭のようなところの管轄は市ではなく駅なのだろうか?)
ならば血税を費やしているということでもないのではあるが。
(ただね……)
どちらにしろ、何故こんなところに明らかな無駄金を費やしているのだろうか?
何十年もただのアスファルトで舗装されているだけ――それで誰からも何も文句などなかった。それがここ数年で急に地元の住民から「何だか殺風景だからインスタ映えしそうな場所にしておくれ」とでも要望が出たのだろうか? 全くそうだとは思えないのだが。
眼の前の変わりよう――アスファルトが敷かれていただけだった場所の中央に、そこには明らかに不似合いが過ぎる、大きくて立派なベンチ、おまけに貴族のベットのような、それ相応な高くて素敵な天蓋というおまけ付き――は、何だか滑稽だし悪趣味ですらあった。。
「『あのベンチ』のつもりなのか」
琵琶湖の。訪れる者の絶えない“あの”である。
だが、あそこは確かに映えのするところではあるが、それはベンチ自体(それ自体は質素なもので屋根もない)などではなく、そこからの眺め(癒しを与える琵琶湖の穏やかな湖面)が、である。それに対してこの俗っぽいことこの上もないベンチから見えるものといえば……。
「…片田舎の駅前の、寂れたシャッター通り見て、何が嬉しいんだか……」
つくづく実感させられる。
「まったく。偉い人間というのは、一体何を考えているんだか……」
更に二三歩歩みを進めたところで、見苦しく一新されていた駅の“前庭”の端に見覚えのある車が停まっていて、その脇にはよく知っている人が立っていることに気がついた。
「そこまでしてくれなくてもいいのに」
私の親――母親であった。




