28
親がお茶を入れてお盆で持ってきてくれた。きちんとお茶菓子を添えて。本当に有り難いものだ。テレビをつけたままに、お茶をずずっと啜りながらぼんやりと本棚に詰まった本を眺めていると、
!
聞き覚えのある音が聞こえてきた。
サイレンである。旋回する赤いランプまで容易に想像がつく。
それは私にとっては救急車しか連想させない。それというのはサイレンだけである。警察車両のものかもしれないが。救急車――私には良い印象がない。苦しいやら痛いやらで悶絶している状態で搬入された時は勿論のこと、意識がない状態で病院に運び込まれて、その日のうちに“釈放”された場合でも。救急車自体は無料であっても、運び込まれた先の病院で少なくとも点滴一本はうたれ、会計では決まって最低でも一万円は取られるのだから。
サイレンは増々大きくなり、移動を停止したと思しき時点では、個人的な経験からして、それこそ“(私を)迎えに来た時の間合い”である。
「ど、どういう」
「何が起こっているんだ?」とは思ったが、健康――「果たして(私が)本当にそうなのか?」と言われれば、「まあ……」としか応えようがないのではあるが――な時くらいは、あれに会いたくない。
すると間もなくサイレンが止んだ。
「どういうこと?」
私が階段を下りてゆくと、表の通りの様子が伺える所に親が立っていた。柱に凭れ掛かり腕を組んで、呆れた様な顔をして外の様子を眺めていた。
車が去ってゆくエンジン音が聞こえてきた。
私の位置からでは表の様子は伺えていないので、
「救急車じゃないの?」
親に訊いてみた。
「救急車だよ」
「でも、救急車って、患者を収容しても、サイレンなんか途中で止めない筈だよ」
経験からしてよく知っているのである。
「もしかして、向かいのおじさんかおばさんに何か……」
私が過去経験した場合よりも“深刻”な場合は……、
「お向かいの旦那さん」
「おじさんの方か」
「でも、そういうんじゃないよ。ちょっと腰が痛かったりとか、ちょっと足が痛かったりとか、そんな感じだと思うよ。それで、『歩けない』って」
「歩けないって、ちょっと腰が痛いとか、足が痛いとかってレベルじゃないよ」
身に染みて解っている経験者の言葉である。
ただ親の次の一言は予想外であった。




