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「週明けの月曜日の午前に主治医の診察があり、全ての検査の結果も踏まえて、早ければ、翌々日の水曜日には退院が許可されます」と看護師から伝え聞いてはいた。翌日ではなく、翌々日というところが「いかにも病院っぽい」と感じるとともに、やはり率直に「それなら翌日に退院させろよ」と思ったものだ。
この病院に救急車で運び込まれて三日目。点滴が効いたのか、注射が効いたのか、飲み薬が効いたのか、座薬が効いたのか、一体何が効いたのやら。それともそれ以外なのかの効果なのかは知らないが、激痛に悶絶するという状態ではなくなり小康状態になったところで、点滴を吊るした長い竿のようなものを杖代わりに、「立って歩けるか」と看護師に尋ねられた。立ち上がって、そこら辺を何歩か歩かされた後に、「いけそうだ」と判断されたら、病室の外に――ナースステーション脇にある簡易応接室の様なところに連れていかれ、病院の経理の担当者を名乗るOLにしか見えない人と会計の話をすることになった。持ち合わせではまるで足りない、払えないことは既に察しがついていた。一回救急車で運ばれたら最低でも一万円は取られることは個人的な経験則で知っていたから、それが搬送されそのまま入院ともなれば、「それはそうだろう」と。説明されるまでもなくわかってはいた。簡易応接室に先導された流れから、一通り入院に際しての合意事項とかが書かれた書類に、諸項目への記入とサインを促され、最後には、「必ず代金は支払います」という旨の念書を書かされることになった。ついでに、持ち合わせのうちからデポジットを支払う書類も書くことにもなった。金額は任意だったから四千円と書くことになった。その時の持ち合わせは千円札が五枚と数百円というところだった。推奨された額が四千円で、“身ぐるみデポジット”でなく済んだのは、その時に呈示を求められた保険証の住所から察して、「千円あれば家に帰りつけるだろう」と判断されたからだろう。小銭を免除してくれたのは病院なりの優しさだろうか。片道千円と見積られたところに、「一体何処まで連れていかれたんだよ」とか、「結構遠くまでたらいまわしにされたんだな」と感じるとともに、いや、それ以前にそもそも「病人にこんな話をさせるなよ」と思った。この時点でもそれなりに腹が痛くはあったのだ。因みに病院名を知ったのはこの書類に色々と書かされている時だった。つまり、自分が今、この建物の何階にいて、何号室の病室にいて、何なら自分の運び込まれた大部屋に何人いたのかを知る前に、書類に印刷してある活字で此処の――この病院の名前を知った訳である。
週明けの月曜日の診察で、採取された血やら便やら尿やら、胃カメラや直腸検査やMRIやらの検査(全ては把握してはいない。激痛で悶絶していたり、失神しているような状態の時に、何を調べられたかなどわからないし、全身麻酔の上で何らかの検査をされたりもした様だし)結果も踏まえた上での主治医の総合的な判断の下、結局は同週の水曜に退院することが決まったのだが、もしも私が現状を正直に答えていたら、おそらくそうはならなかっただろう。というのも、一番強い痛み止めが処方されるとの医者の言質を取った時点で、ひたすら最短での退院を目指しからである。現時点知覚している苦痛や違和感はないことにした。そういう受け答えをした。それだけ聞くと「それは駄目だろう」と言う方もいるだろうが、私の経験則的には必ずしもそうではない。大量流血そのものの様な血便というのは流石に初体験だったのだが、この時に近い同系統の――胃腸系だが消化器系だかの――悶絶するような激痛というのはこれが初めてではない。そういうことはここ数年で何回かあり、病院へも行き、検査を受けたりもしたのだが、健康体であることしか判明したことがなかったのだ。だから今回、色々な検査を受け、その結果が「異状が無いとまでは言えないが、問題はない」であったとしても、「そういうことだろう」と解釈した。過去の私的な経験則からして。私はこういう経験ばかりは豊富なのだ。
翌々日の水曜の午後に退院する時、請求書を受け取り金額を見た。請求金額に驚くというよりも、
「死んだ」
と、声が出た。
その翌日に実際に病院の会計まで赴き実際に代金を支払って、殆ど空になった財布を見て、
「詰んだな」
と、呟いていた。
それから入院三日目の、例の経理の担当者のOLから思い出し、デポジットの払い戻しを受け取ったところで改めて痛感させられた。
「これはどうにもならないな」と。
懐も痛ければ腹も痛かった。
いや、洒落でも何でもなくて。
なので素直に実家に電話して親に頼んだ。
「しばらくそちらで養生させて貰えないだろうか?」と。