面会
その夜、僕たちは沖田さんの要請に従い、別々のタクシーで目黒のマンションに入った。
僕を乗せたタクシーは渋滞に巻き込まれ、いつもより時間がかかってしまった。だからリビングのドアを開けたとき、明かりが小さいままなのが意外だった。
あれ、僕のほうが先だった?
上着を脱ぎながら、部屋の明るさを変えようとリモコンを探し、ソファー脇のローテーブルに目を向けると、ふいに後ろから抱きしめられた。
「俊くん」
襟足の髪を吐息が揺らす。俊くんは無言のまま、首筋に顔を伏せてきた。
まるでしがみつくようなそれを、僕は胸に回された腕に手を添えながら受け止めた。
「なんでこんなに遅かったんだ」
彼は問い詰める口調で聞いてきた。
「タクシーが渋滞にはまっちゃったんだよ」
「おれの乗ったのは、そんなことはなかった」
「選んだ道が違ったんじゃないかな?」
俊くんは少しだけ腕の力を緩めた。
「……だから別々は嫌だって言ったのに」
「俊くん」
僕は体を返し、少しだけ低くなった彼を抱きしめた。
「僕が来ないと思ったの?」
「また拓巳に止められたのかと……」
「俊くんに断りもせず、僕が家に帰ると?」
ちょっと語気を強めると、俊くんは肩に顔を伏せた。
「……北斗に強く言えなかったから、拓巳に連れられてしまったかのと」
不安に揺れるのは、俊くん自身が小夜子さんの面影に揺れる自分を認めたからだ。そして、そんな自分では僕がまた連れ戻されてしまうと恐れている。それがわかるから、僕は俊くんに告げることができた。
「拓巳くんはもう、僕を連れていったりしないよ」
「どうしてそんなことが言い切れるんだ」
「僕が、はっきり決めているから」
顔を上げた俊くんを見つめ、心を込めて伝えた。
「たとえこの先、どんなに自分の未熟さを思い知らされても、もうあなたのそばを離れようとは思わない」
「和巳――」
「あの夜、心を見せてもらったから」
彼の中に咲いた美しい花。それはあの日の夜、僕に授けられた。
「勇気を出して受け取ることができたから」
だからもう心配しなくていいんだよ、と続けると、俊くんの瞳が色を濃くした。
「まだだ、和巳。まだ全然足りない」
僕を抱く腕に力がこもる。
「俊くん?」
「おれがおまえをどんなに必要としているのか」
両手が僕の顔を挟む。
「どれだけ想ってきたか。それを見ておまえが力を得るというのなら、もっと、もっと見せてやりたい――」
――その夜、彼の花がまたひとつ僕の中に宿った。
「本当に、二年も個展をやらないの?」
めくるめく時間のあと、すべらかな肌を添わせてくる俊くんに、僕は打ち上げで聞いた話を確めた。
「音楽のためだとしても、二年は長いよ……?」
それだけじゃないよね? と尋ねると、僕の額の前髪を指先でよけながら、俊くんは薄く微笑んだ。
「理由は色々あるんだ。でも、確かに北斗の影響はある」
「じゃあ……」
「おれはやっぱり、あいつの姿には弱いらしい」
認めたくはなかったが、と彼は続けた。
「小夜子とおれはすでにひとつなんだ。なのに最近の北斗を見ていると、おれの中の小夜子まで分離させられそうで恐い」
「………」
「情けないよな。あれだけおまえを求めておいて、自分がこれじゃ」
隣り合う顔に手のひらを添えると、俊くんはその手を上から包んだ。
「だから、おまえと揺るぎない土台を築くまでは、間を置こうと思う」
「俊くん……」
「正直にいうと、おまえの絵画からも北斗には外れてほしい。けど、そこまでの権利はおれにもない。だからせめて自分にできることをしたまでだ」
「わざわざそのために……俊くんは蒼雅でもあるのに」
僕がこぼすと、俊くんはククッと笑った。
「安心しろ。個展をやらなくたってちゃんと蒼雅はここにいる。おまえが必要ならいつでも蒼雅になれる――もちろん、夜も」
「そ、そんなこと言ってるんじゃ」
「それもおれたちには大事なことだから」
唇がひとつ、頬に柔らかく落ちた。
「おれの二面性を受け止めてもらうんだから、ちゃんと時間も倍かけないとな」
だから二年なのさと俊くんは笑いながら僕を腕に寄せた。
一月が終わり、春の息吹が僅かに感じられてきた二月のはじめに、ようやく真嶋さんの心が動いた。
「二週間後、〈クレスト〉のファッションショーのときに彼女と会う」
平日の夜、食事中に拓巳くんから突然告げられ、思わず口に入れたポテトサラダが喉に詰まりそうになった。
「っ、と、あの、真嶋さんは……?」
「むろん一緒だ」
食卓には、セラからもらってきた惣菜の数々が並んでいる。拓巳くんはお気に入りの春雨サラダを食べながら続けた。
「取りあえずショーの会場に招待して、終わったら楽屋で顔合わせをすることになった」
「よくそこまで……」
前に聞いた優花の話から長期戦を覚悟していたので、嬉しくも意外だった。すると拓巳くんはこう続けた。
「協力な助っ人が芳弘をバックアップしてくれる」
「助っ人?」
「まあ、詳しい話は優花に聞け。これは優花のお手柄だ」
次の日の昼休みに、さっそく健吾と連れだって優花のクラスを訪ねると、廊下に出てきた彼女は僕たちを隅に寄せ、誇らしげに胸を張った。
「綾瀬さんよ」
「綾瀬って、僕の伯母のアヤセ・トベ?」
「〈クレスト〉のデザイナーで社長の、あのチョー美人な?」
僕たちの質問に優花は頷いた。
「そうよ。お父さんの昔の恋人なの」
「えっ!」
僕はふと、前に拓巳くんが教えてくれた話を思い出した。
「もしかして、拓巳くんのために身を引いた女性って……」
「知ってたの?」
僕が頷くと、優花はポニーテールを揺らし、少し憂い顔で俯いた。
「お父さんは私に遠慮して口には出さないけど、本当はずっと綾瀬さんを好きでいるんだと思う。たぶん綾瀬さんも。仕事だけの付き合いを貫いているけど、私にだってわかるもの」
優花の母親は、真嶋さんと結婚する前から拓巳くんと真嶋さんの仲を疑い、拓巳くんに嫉妬したあげく、あの暴行事件の手伝いをして捕まったのだという。その後、離婚してから生まれた優花を捨て、別の男のもとに走ったのだそうで、あとからそれを知った真嶋さんが優花を引き取ったのだ。顔も知らない母親のことを、優花は母とは認めていない。
「私のおかーさんはタクミくんなの」
美貌の拓巳くんのことを、小さい頃の優花はそう言っていた。それはやがて〈お兄さん〉になり、今では〈手のかかる弟〉ぐらいに思っているかもしれない……。
「だから、思い切って連絡して、会社を訪ねたの。私の話をよく聞いてくれて……。そうしたら、すぐに説得してくれたみたい」
「凄いな。僕もお礼を言わなきゃ」
多忙な綾瀬さんとはなかなか言葉を交わす機会がない。当日も忙しいだろう。
「大丈夫。セラさんとの対面に付き合ってくれることになったから。綾瀬さんの控え室で会えるわ」
「本当? わざわざそのために」
「うん。ショーの前に一度、セラさんと連絡を取ってくれるって」
「へえぇ……」
間違いなく、綾瀬伯母にとって真嶋さんはかなり特別な存在なのだ。
「それならセラさんを見て、拓巳くんと顔が似てるって勘ぐる人がいても、近寄れないから安心だ」
なにしろファッション界の重鎮、芸能界にも顔の広い彼女の怒りを買うと、しばらくメディアの仕事が取れなくなると恐れられる人なのだ。
「よかったな、和巳」
笑顔の健吾に頷きながら、一日も早くその日が来ることを願った。
そのメールが届いたのはそれからさらに十日後、ファッションショーの三日前のことだった。
〈先方の改装が終わったと連絡が来ました。できれば早いうちに一度見にきてほしいとのことです。希望は金曜日の午後とのことでした。返事をお願いします〉
目黒での土曜日、ダイニンクテーブルを片付けながらそのことを俊くんに告げると、ソファーで足を組んだ彼は眉根を寄せた。
「今週は無理だ。もうスケジュールが入ってる。セラとも会うし。次の金曜日なら空くだろう」
「俊くんも行くの?」
「そりゃ、師匠だから。……なんだ?」
動きを止めた僕を俊くんが見た。
「北斗さんも同行すると思う」
「それは承知している。現地集合、現地解散にすればいい。公の場ならあいつにも建前があるさ」
「でも………」
なおも僕がためらうと、俊くんは片方の眉を上げた。
「不安か?」
僕は片付けをやめ、俊くんの隣に座った。
「正直に言うと、そう」
俊くんは背もたれから体を起こした。
「おれもだ。けど和巳と北斗を二人きりにするのはもっと不安だ」
真顔で返され、僕は少しドギマギしながら続けた。
「それだけじゃないよ。疲れてるでしょう。ずっと忙しいから」
五月のはじめに予定している二十周年記念コンサートの準備が始まっていた。企画、プロデュースも兼ねる俊くんは、他の二人にもまして忙しい。
目黒に来るようになって気がついたのは、意外と服用している薬が多いということだった。性ホルモンが不安定なため、成長期には様々な薬を飲んでいて、副作用も凄かったという。今はそれほどでもないと聞いていたけれど、それでも一日に五錠は飲んでいる。アトリエでは、そういうところまでは見えなかったのだ。
クオリティにこだわる彼は、コンサートの采配をほとんど自分で仕切る。それがあるからだろう。このところは床に就くと気を失ったように眠ることが多い。僕がいる日はまだしも寝室を使っているけれど、平日などはソファーでごろ寝している節がある。
腕を伸ばして肩を抱き寄せると、俊くんは巻き毛の頭を僕の肩に落とした。
「……顔色の悪い日があるから心配なんだ。そんなときに、気を張る相手に会わせたくないよ。内装を見せてもらうだけなんだから、僕一人でも大丈夫だよ? 住所も横浜に近いし、写真を取らせてもらうから。ね?」
「おれのことはいい。おまえを心配しながら待つのが嫌なんだ。でも、気遣ってくれるのは嬉しいよ」
俊くんの手が僕の胸に置かれた。
「自分のやりたいように仕事をして、疲れて帰ってきたら、おまえがいてくれる――十分癒されてる」
吐息混じりのつぶやきを聞きながら、肩にもたれる頭に手をやり、巻き毛の髪をなでていると、やがて体の力が抜け、規則正しい息遣いが聞こえてきた。
アトリエで見てきたよりも遥かに無防備な姿――彼の心が直に伝わってくる。こうして過ごすたびにそれが深まっていく。
ここに来てよかった。
そう思えることが嬉しかった。
二月の半ば過ぎの週末、とうとうその日は来た。
「来てるよ、セラさん。アパレル関係者の席のすぐそば。俊くんと一緒だよ」
関係者が行き交う中、舞台袖に控える拓巳くんに報告すると、脇に佇む真嶋さんがこちらを向いた。
「ああ、前列に近いところだね。いい席だ」
「綾瀬さんが用意してくれたんだって」
俊くんは蒼雅の姿でセラに付き添っている。
ショーの最初を飾るパールグレーのスーツを着こなした拓巳くんは、長く片側に垂らした前髪の奥からけぶるような眼差しで真嶋さんを見た。
「芳弘。本当によかったのか?」
真嶋さんは拓巳くんの前髪を指先でよけ、手持ちのコーム(櫛)で少し直しながら頷いた。
「大丈夫だよ。君と、なによりも自分が進むために、僕も区切りをつけたいんだ」
真嶋さんはコームをシャツの胸ポケットにしまうと、拓巳くんの肩に手を置いた。
「僕の底にいつの間にか溜っていた、あの辛かった日々への怒りを、理不尽との戦いの記憶を乗り越えたいんだ」
「――そうだな」
「時間です。出てください」
スタッフの声が響き、ステージが一瞬、白熱したライトの光で埋まった。拓巳くんは真嶋さんから目線を外すと、場内の音楽が一気に音量を増す中、他のモデルたちとともに踏み出していった。
まだ舞台の喧騒も覚めやらぬ会場の奥。花で埋まる控え室のひとつで、私服に着替えてサングラスをかけた拓巳くんと真嶋さんと三人で待っていると、まもなくその人が現れた。
「お待たせしたわね」
デザイナー、アヤセ・トベ。僕の産みの親、若砂の姉、綾瀬伯母だ。
相変わらずこちらも妖艶な美貌は健在で、花の溢れる控え室の中、抜けるような白い肌に定番の黒に金を配したドレスをまとい、艶やかな黒髪をショートボブに整えた姿はまるで女王のような風格だった。
「拓巳。今日も申し分なかったわ。さすがにベテランね。ますます輝くようなモデルぶりだこと」
彼女は拓巳くんに声をかけると、脇に控える僕に目を留めて目線を和らげた。
「お久しぶりね、和巳。また背が伸びたのではなくて?」
「ご無沙汰しています、綾瀬さん。今日はありがとうございます」
綾瀬さんは赤い口元をほころばせると、拓巳くんの隣に立つ真嶋さんの前に進んだ。すらりとした姿が、長身の真嶋さんを前にして気配を変えた。
「芳弘さん――」
孤高の女王が、慈愛の聖母になった。その溢れるような労りの眼差しだけで、彼女が真嶋さんの苦悩を深く理解していることが知れた。
そうか。綾瀬さんは当時のこともすべて一緒に経験しているんだ。
だからこそ、早くの説得が可能だったのだ。
「どんなに喪失の痛みが辛くても、勇気をもって私たちは見守るのだったわね」
「綾瀬……」
彼女は真嶋さんの手を包むように取った。
「若砂を失ってから十六年。家族の縁薄いこの二人に、深い愛を注いでくれる人がようやく見つかったのよ」
「ええ……そうです」
「全うしましょう。私たちの役目を。あなたならできるはずよ」
そして包み込んだ手をそっと離した。
「紹介するわ。拓巳の母、セラ・オースティンよ」
振り返った綾瀬さんが入り口に向かって声をかけた。
「さあこちらへ、セラ」
すでに打ち解けた様子の綾瀬さんに呼ばれ、シックな黒いワンピース姿の俊くんに付き添われたセラが入ってきた。
わぁ……。
綾瀬さんの心遣いだろうか、今日のセラはまた一段と華麗な美しさだった。
ひとつにまとめがちなライトブラウンの髪は、サイドだけ留めてふわりと肩上で巻かれ、落ち着いたグリーンベースに黒を配したスリムなワンピースを着ている。その端麗な細面に、こちらもごく薄い色のサングラスをかけていた。
綾瀬さんに促され、セラは真嶋さんの前に立った。
「初めてお目にかかります。セラ・内田・オースティンです。この度はお会いいただけまして、本当に嬉しく……」
セラの言葉が詰まった。真嶋さんはそんなセラの姿を薄茶色の瞳でじっと見下ろし、そして口を開いた。
「真嶋芳弘です。すぐにお会いできなかったことを許してください」
「いいえ、いいえ」
セラは首を横に振りながら答えた。
「私にこんなことを言う資格などないことは百も承知しています。それでも言わずにはおれません。本当にありがとうございます。私の――」
セラは手にしていたハンカチを握った。
「私の産んだ子を、救っていただいて感謝いたします」
そしてサングラスの下の目元を押さえながら彼女は深く頭を下げた。
「―――」
その姿を複雑そうな表情で見続けた真嶋さんは、やがて大きく息を吐き出すと、頭を戻したセラに告げた。
「どうぞ。拓巳とお話しください。念のため、今日はサングラスを外さないようにしていただければと思っています」
セラは頷くと、真嶋さんの横に立っていた拓巳くんを向いた。
「拓巳……」
歩み寄ろうとしたセラを、拓巳くんは手を上げて止め、後ろに一歩下がった。セラの顔が戸惑いの表情を浮かべた。
拓巳くん……?
僕や真嶋さん、綾瀬さんが目を向ける中で彼は告げた。
「申し訳ない。この前のようなことが起こると周りに迷惑をかける」
サングラス越しの表情は硬質で動かず、いつにも増して感情が読めない。
「あ……」
セラの顔が僅かに曇り、僕は思わず二人のほうに一歩近づいた。
「セラ。セラと呼ばせてもらうが、いいか」
拓巳くんは続けた。
「俺はあんたのことを、まだ母とは呼べない」
「―――」
セラが胸の前でハンカチ握り締めた。僕はいたたまれずについ口を挟んだ。
「拓巳くん。もう少し言い方を」
「どんな言い方をしても事実は変わらない」
思いのほか硬い声が返ってきた。
「俺は、絆を感じない相手を親と呼ぶことはできない」
「拓巳くん!」
胸中がささくれ立つ。
「それが、長い間耐え忍んできた人にかける言葉なの? 他にいくらでも」
「いいえ、いいの。当然よ」
言い募ろうとした僕をセラは手を上げて止めた。
「セラさん」
「まだ会えたばかりなのですもの。まして、私は母とは名ばかりで、何もしてあげられなかったどころか……」
俯くセラに歩み寄り、背中に手を添えてから拓巳くんに顔を向けると、彼は少し視線を外してから口を開いた。
「和巳がよくお邪魔しているようで、世話をかける」
素っ気なさに気が揉めるが、どうやら会話を続行する気はあるようだ。
励ますように背中を軽く叩くと、セラは顔を上げた。
「いいえ。和巳さんは何でも手伝ってくれるから、世話なんて……」
「いただいた料理はいつも夕食に食べた。美味しかった」
それを聞いたセラの瞳が潤んだように見えた。
「よかったわ。嫌いなものが多いと聞いていたから。何か好きなものがあるなら次はそれを……」
「気遣いは無用だ。特に好きなものはない」
「―――」
断ち切るような声にセラの表情が再び陰った。
なんて無神経な。いくらなんでもこれじゃ……。
サングラスを僅かに上げ、俯いて目元を押さえるセラの姿が胸に迫り、なんとか言葉を継ごうと拓巳くんを見た僕は、そこで接ぎ穂を失ってしまった。
「あ……」
拓巳くんの額には汗が浮いていた。舞台用の化粧を取り、汗を拭いてさっぱりしてから来たはずなので、その意味するところは明白――フラッシュバックの予兆だった。
もう、限界。――これでおしまい。
拓巳くんは真嶋さんを向いた。気がついた真嶋さんは拓巳くんに寄り添いながら綾瀬さんを見、心得た彼女がセラに言った。
「さあ、今日はこのくらいにしましょう。私たちは慣れているけれど、あなたは驚いてしまったわね。この人は誰にでもこんな口調だから、どうか気にしないでね」
嘘だ。誰にでもではない。一部の親しい人を除いては、だ。
けれどもそれを聞いたセラは、拓巳くんと同じ大きな切れ長の瞳に僅かな光を浮かべ、再び彼に目を向けた。拓巳くんは真嶋さんに少し寄りかかったまま、無言で彼女を見返していた。
距離にして僅か二歩。けれども果てしなく遠い二歩――。
セラはサングラスの向こうに見えるはずの素顔を探すように見つめてから、拓巳くんに寄り添って立つ真嶋さんに深く頭を下げた。
「また、少しずつ会う機会を作りましょう、セラさん。今度はマンションのほうにおいでください」
真嶋さんが告げると、顔を上げたセラは儚げに微笑んだ。
「ありがとう。その日を心待ちにしています」
そして再び会釈をすると、綾瀬さんに伴われて部屋を去っていった。




