第七十話 酒場
イタリアンレストランを後にした俺たちは、午後の残った時間で何をするのかを話しながら街の中を歩いていた。
本当は昼食を食べる時に話せればそれが良かったのだが、俺が食べることに夢中になってしまったせいで時間をとることができなかったのだ。
急いで決めなければならない議題があったとか、無駄の多いスケジュールを嫌うとか、そういうことはないのでまだ良かったのだが、こうしてああだこうだ言いながら歩いているだけでなんとなく迷惑をかけてしまったかなという思いが込み上げてくる。
別に誰かが明確に嫌だとか迷惑だとか言ったわけではないし、怒ってもいなければ責められるということもないので掘り返すべきことではないのだが、俺は心の中で次からは気を付けることを約束して謝った。
さて、話し合いの結果だが、今こうして歩いているのだから、特に何かしようというわけでもなく街の中を歩き回ってみようということになった。
言ってしまえば観光なのだが、単純に楽しむ以外にどこにどんな建物、店、施設があるのかというのを詳しく調べようという意図もある。
今楽しむというよりは、今後楽しむために街並みについて把握しておこうというわけだ。
と言っても、いつまで勇者たちに教えているのかとか、それが終わったとして次はどこに行こうかとか、観光する以前に決めておかなくてはならないことも多くあるので、今日見たものを活かせる日が来るかというのは微妙なところである。
悲観的なことを言っても仕方がないし、事前調査にも楽しいと思えることはある。
俺は自分なりに楽しみを見出して、街の中を歩いた。
肝心の注目ポイントだが、モミジは建物や娯楽施設、衣料品店などに意識を裂いていて、ユキは食料品店やレストラン、屋台などを熱心に見ていた。
フォールが何を考えているのかは分からなかったが、俺は売っている物の相場を眺めることをメインにして街の景色を眺めていた。
俺たちはお金に困るほど貧乏ではない――どころか今現在使い切ろうとしない限りはなくならない程度にはお金を持っている。
だから特にものの値段を気にしながら買い物をするということはないのだが、一般的な考えからすると、ものの相場を知っておくというのは、とても大切なことである。
同じ製品でも値段の高いものは品質も良い、なんてことを言うつもりはないが、値段と品質を比較できるというのは確かな強みである。
例を挙げられるほど実際に体感したことはないが、きっとぼったくりや不良品に気付けるようになったりするのだろう。
そうして、あれは何円、これは何円、こっちの店はあっちの店はと見て回っていたら、いつの間にかすっかり日が傾いていて、空腹を感じるようになっていた。
最初は時間潰しになれば良いと思ってやっていた市場調査だったが、思いの外楽しく、時間の感覚がズレてしまったようだ。
それはモミジとユキも同じようで、二人とも上機嫌である。
ここで、何か食べるのならずっと食べ物に関して見ていたユキに意見を仰ぐのが普通、と言うか流れだとは思ったのだが、俺はふと気になって、二人にとある提案をした。
「今日の夕飯のことなんだが、酒場に行ってみないか?」
酒場、字面の通り酒が飲める場所である。
勿論、酒しかないなんてことはなく、店によって多少の差異はあれど基本的には酒に合うつまみや食事を提供している店だ。
「私は別にそれでも良いけど、どうしたの? 急に」
モミジの疑問もごもっとも、俺たちは今まで、酒場に入ったことはおろか、入ろうとしたことさえなかったのだ。
前世からの知識で、酒場は情報や仲間を集めるのに良い場所として認識しているが、その実態はまだ何も知らない。
なんとなくまだ子供気分でいたし、酔った悪質おっさん冒険者に絡まれると思うと足が向かなかったのだが、考えてみれば、俺はもう十五歳なのである。
日本では二十歳になるまで飲酒はできない決まりになっていたからそんなに縁のあるものではなかったが、こっちの世界ではその辺の決まりが明確にされていない。
何歳以上と決めている国もあるようだが、少なくとも俺たちが今滞在している帝国では酔っている間にしたことにも責任がとれるのなら飲んでも良しとされている。
つまり、俺たちは酒を飲めるのだ。
それはモミジとユキだって同じだ。
俺と違ってまだ子供だと言っても通る年齢ではあるが、この二人なら大人として扱っても大丈夫だろう。
「まだ酒って飲んだことないなって思ってな。酔うってのがどんな感覚なのか知りたくないか?」
世間知らずなのは今のところ仕方のないことである。
だが、いつまでもそれに甘えていられるかと言うとそういうわけでもない。
今日市場調査をしたように、まだ知らないことがあって、目の前に知るチャンスが転がっているというなら、それは掴みに行った方が良いだろう。
酒場に関しては別に今目の前に転がってきたと言うわけではないが、こういうのは気付いた時にやってしまうのが良いのだ。
先延ばしにしたら、きっといつまでもズルズルとやらないまま引きずってしまうだろう。
「……なら、良さそうなところ、あった」
俺の話を聞いて、ユキは乗り気なのか今日見ていた店の中から一つピックアップして、俺たちに教えてくれた。
「でも、フォールは大丈夫かしら……」
確かに、荒くれ者がいるかもしれないような場所にフォールを連れて行くのは危ないような気もする。
普段なら俺たちが守ってやれるのだが、さすがに酔っぱらった状態で万全な動きができるかと言われるとかなり危ういところがある。
「それは、俺が事前に結界を張っておこう。俺と、モミジとユキにも。二人だって酔った状態で暴漢に襲われたらどうなるか分からないんだからな」
しかし、そんなことを言い始めたら自分たちの身も危ないから行けないということになってしまう。
別に間違ってはいないのだが、それではいつまでたっても酒場には行けないし、知りたいことも分からないままだ。
俺たちはユキの案内に従って良さそうな雰囲気の酒場に入った。
そして、驚いた。
そこはバカ騒ぎしているイメージとは違い、節度のある空間のように見えた。
アルコールのせいで声が大きかったり、若干羽目が外れている感じはしたが、それでも喧嘩が始まりそうであったり、耳を塞ぎたくなるくらいの喧騒というものは一切なかった。
木目調の店内は酒場とバーの間くらいという印象で、カウンターの他には肘くらいの高さまである丸テーブルがいくつか並んでいた。
そこに食べ物や酒を置き、何人かで喋りながら楽しんでいるようである。
俺たちは一旦人が少ない方に向かい、空いたテーブルを囲んだ。
周りを見てみると、注文は店員――ウエイターとかウエイトレスというんだったか――にするようだ。
俺は近くにいたウエイターに声をかけようとする。
だが、俺はそのウエイターの向こうに見知った顔がいるのに気付き、声を失う。
「あれは、ヴォルム……?」
俺は自分の目を疑い、一度擦ってからもう一度視線を戻す。
そこにいたのは、見間違いでもなんでもなく、紛れもないヴォルムその人だった。




