第百十二話 不足
三人が隣の部屋に移ったのを確認した後、俺はリースが解いた問題の採点を始めた。
学校の先生が使うような所謂「赤ペン」と呼ばれるマーカーペンはこの世界に存在しないため用意できなかったが、この時のために赤いインクを買っておいた。
ペン先も通常より太めのものだ。
「さて、まずは足し算……っと」
四枚ある紙の内、一枚目は加法についての問題が十問書かれているものだ。
初めは一桁同士、それから二桁と一桁、のように数の大きさを増やしていって、最終的には四桁同士の問題になっている。
簡単な小さい数の足し算は問題なくできているようだったが、三桁が混ざり始めてから二問間違いがあった。
どうやら繰り上げの時にミスがあったらしい間違え方だ。
二枚目の減法についての問題は、間違いが三か所。
加法の時と同じように桁をまたぐ計算の時にミスが目立った。
それと、少し意地悪をして答えが負の値になるような問題を作ったのだが、それも良く分かっていないようだった。
三枚目の乗法についての問題もミスは三か所。
これは単純に数が大きくなったからだろう。
間違っていたのが桁数が大きくなった最後の三問だったのだ。
筆算やそれに準ずる楽な計算方法を試した形跡がないことからして全て暗算でやったのだろうが、流石にそれで三桁の計算は難しかったようだ。
というか多分俺も間違えると思う。
四枚目の除法についての問題は、苦手なのか間違いが六か所。
小さい数字で割り切れる問題などは解けているようだったが、割り切れない問題や大きな数になった時の解き方や答え方を知らないようだ。
現代日本に生きていた身からするとこれでは心もとないような気もするが、奴隷として売られるくらいに貧しかった家の子供が、これだけ計算能力を持っているというのは十分すぎるくらいの結果だ。
正直驚いた。
現時点でこれだけの計算ができるなら、教えればすぐにできるようになりそうだ。
結果を受けて、これからどう教えていこうかと考えながら、俺は隣の部屋に三人を呼びに向かった。
まだ夕方と言うには少し早い時間だから、新入り二人の装備品などを見に行きたいのだ。
「おーい、もう終わったから一旦戻って来てくれ」
俺は特に考えもせずに扉を開けた。
すると、三人が酷く驚いた顔でこちらを見て固まっていた。
「ん? どうしたんだお前ら。なんかあったか」
「ないニャ! なんもないニャ! さ、早く戻るニャ!」
他の二人もやたら高速で頷いているし、これは明らかに何かあった時の反応だろう。
とは言え、ここで追及するのはよろしくない。
信用に関わってくるからだ。
それに、現状少し隠し事があったからと言って俺の不利益になるようなことに思い当たるものはない。
奴隷契約のお陰でそう簡単には俺の不利益になるようなことはできないはずだから、向こうから何を隠したのか言い出してくれるまでは放置しておこう。
そこで俺は採点結果を伝えるだけならリースだけ呼び戻せば良いことに気付いた。
新入りはここに残して出かける準備をしておいてもらおう。
そそくさと隣の部屋に移ろうとしているカーシュを引き留め、これから何をするのかを説明した。
「じゃ、すぐに戻ってくるから準備しとくんだぞ」
そう言って俺はオルとカーシュが残る部屋を後にした。
元いた部屋に戻ってすぐ、リースに採点結果を伝えた。
「これは、その、どうなんでしょうか。計算はできると言っていましたが、分からないところも多かったので……」
本人的には全問正解、あるいはそれができなくても一、二ミスくらいで答えられると考えていたのだろう。
自分が思っていたよりも難しい問題が思うように解けず、色々と心配しているみたいだ。
「上出来だと思うぞ。学校に通ってたりしたことはないんだろ? それでこれだけ計算できるなら十分だ。今分からない問題もこれから少しずつ教えるからその時に覚えてくれたら良い」
俺はそんなリースを励まし、褒める。
折角頭の良い子なのだから、ここでやる気を失わせてしまっては勿体ない。
「ですが、スマル様の方が計算はできますよね? 私って……その、必要なんでしょうか……」
確かに、現時点では俺の方が計算能力は高い。
数字に対する理解も上だろう。
だが、だからと言って他のパーティメンバーは計算ができなくても良いということにはならない。
「必要だよ。計算が必要な時にいつでも俺がいるとは限らないからな。今後別行動をする機会も増えるだろうし、そうなったら少なくとも計算のできる人材がもう一人は必要なんだ。それに、目的を達成した後もずっと俺の奴隷って訳にもいかないだろ? その時に計算ができる方が職も見付けやすいだろうからな。できて損はないぞ、計算は」
世界には色んな人がいるから一概には言えないが、奴隷が必要なくなった場合、取られる行動は大きく二種類に分けられる。
一つは奴隷商に再び奴隷として売る選択だ。これは要らなくなった奴隷を処分できる上、奴隷の質によって差はあれどお金が入る。多くの人がこうするだろう。
もう一つは奴隷契約を解消して自由の身にしてやる選択だ。解放なんて呼ばれている。これによって奴隷は自由の身になるが、それまで奴隷として生きて来た者が急に社会に放り出されても生きていけないことが多い。それに元の主に危害を加える可能性もあり、これをする人は少ない印象だ。
そんな訳で、今リースが目の前で驚いた顔をしているのは俺が目的を達成したら解放すると宣言したからだろう。
リースは特に奴隷という立場がとても下層にあるものだと考えている節があるから、それも手伝っていそうだ。
それが本当かどうかは、実際に目的を達成した後に確認すれば良い。
俺はそう思いながら部屋を出ようとする。
それを、リースの声が止めた。
「で、でもっ! 魔王と戦いに行って、帰ってこれるんですか? 私は戦えないのに、連れて行かれるんですか?」
振り返ると、リースが震えていた。
主人に対して取ってはいけない態度を取ってしまったと思っているのだろう。
それか、魔王に対する恐怖か。
いずれにしても、これは俺の説明不足が招いた事態だ。
こんなにストレスをためているとは思わなかったが、考えてみれば非戦闘員が魔王の住処に連れて行かれるというだけでも相当不安なことだろう。
単純に申し訳ない気持ちになった。
「連れて行く。だが、安心してくれ。死ぬことはない。絶対にだ。根拠は明日示すから、それまで待っててくれ」
俺はフォールに目線で合図を送り、それから部屋を出た。
俺には女児の頭の中がどうなっているか分からないが、フォールなら上手いこと落ち着かせてやれるはずだ。
暗い気分になってしまったのを頭を振って解消し、オルとカーシュのいる部屋の扉をノックした。




