再び走り出す天才
サッカー界でもっとも名誉ある賞、バロンドール。
南米やヨーロッパでトッププレイヤーがひしめくなか、日本人がとることは不可能とさえ言われた。
そのバロンドールを一人の天才日本人少年が弱冠二十歳にして獲得した。
その才能に世界中の誰もが注目した。
ある者は羨み、ある者は憧れ、ある者は……妬んだ。
だが、少年に未来はなかった。突然の悲劇が少年を襲った。
オフシーズンのなんでもない日、少年は車に引かれて未来を失った。
何もない暗闇のなか、少年が願ったのはただひとつ。
どんな体でもいいからサッカーがしたい。
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「ママー! こっちこっち!」
「はいはい」
元気よく少女が母親を手招いて急かす。
向かう先は公園。少女が手に持つのは昨日五歳の誕生日プレゼントで買ってもらったサッカーボールだった。
「まったく誰に似たんだか」
母親、一色緑は苦笑いを浮かべながらも元気な我が子を温かく見守る。
緑はサッカーには無知だった。一方で父親、一色昇吾はサッカー選手で、ベテランの域に差し掛かっているものの、第一線で戦うそこそこ名の知れたプレイヤーだった。
「みーちゃんはどのポジションがやりたいの?」
少女、一色雅を呼んで母親が尋ねると、雅は曇りのない目で迷いなく答えた。
「パパと同じボランチ!」
「そう」
ちんぷんかんぷんな緑だったが、やはり父親に憧れるのだなと微笑ましくなる。
このとき、緑は素人だったため気づかなかったが、とても五歳とは思えないボール捌きにフェイントなど披露し、雅はとてつもない才能を持っていた。
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夜、雅と母の緑は父昇吾の試合を観戦するためにスタジアムへ足を運んでいた。
「パパ出るかな?」
「どうかしらね、出るといいわね」
「うん!」
ウキウキとする娘を横目に、緑も密かにサッカー観戦は楽しみにしていた。サッカーはさっぱりわからなくても、一生懸命ボールを追い、常に勝利を目指して走り続ける夫を見ることが大好きだった。
「あ、パパだ! パパー!!」
娘の声援に気づいた背番号七を背負う昇吾が雅と緑に軽く手を振る。気づいてくれたことが嬉しくて雅が立ち上がってピョンピョンと跳ねる。
「パパこっち見てたよ! あんなに遠いのにパパすごい!」
「そうね。でも、後ろの人が見えなくなるから座っておきましょうね?」
「あ、ごめんなさい」
そんなこんなとあり、やがて試合は始まる。
昇吾のポジションはボランチでスタートした。
前半から押し込まれる展開が続くも、ギリギリのところで押し返す。
「うう……、もっとハッシーがあの十番をちゃんと押さえてくれたらいいのに」
「橋本さん、でしょ?」
「ハッシーはハッシーだもん」
ハッシーとは昇吾とともにダブルボランチを組む橋本宏のことで、ポジションが近いこともあり昇吾と仲がよく、かなり若い橋本を昇吾がよく家に連れてきている。
その際、雅もよく橋本に遊んでもらい、父と同じように橋本のことをハッシーと呼んでいた。
「ハッシーがもっと中に寄って、それで……」
ぶつぶつと戦況を分析する雅。
緑はもう見慣れたものの、わずか五歳の少女があれこれと考えているのだから異様な光景と言える。これも昇吾の影響で、いつも家のテレビの前で昇吾が試合の分析していたところをいつのまにか雅も真似るようになっていた。
「……点が入るよ」
「え?」
緑からするといまだに戦況は拮抗しているようにしか見えない。
しかし、敵の横パスを見事に昇吾がカットする。
「パパ! 前!」
雅の声が昇吾の耳に届いたのか、昇吾は一気に前線にボールを蹴り出す。すると、一人前線に残っていたフォワードに渡り、一人を抜き去りキーパーと一対一になる。
そしてなんなくボールをゴールに流し込む。
「やったー! さすがパパ!」
「すごいわね。みーちゃんどうしてわかったの?」
「パパ今日はずっとあれ狙ってたから」
「あれ?」
「横パスとって前にどーんって」
「そ、そうなんだ」
やっぱり緑にはわからなかった。ただ父の活躍を嬉しそうに見つめる娘を見て、その気持ちだけは共有できた。
その後、試合は完全に昇吾のチームのペースとなり、終わってみれば三対一の快勝だった。
「うーん、ハッシーのあのミスはやっぱりダメ」
「橋本さんでしょ?」
勝ったものの終了間際、橋本が相手を倒してしまいフリーキックを与えて失点してしまった。それがどうも雅にはご不満の様子だった。
「ハハハ。そういってやらないでくれ。あそこにいたからハッシーも追いつけたんだから」
「あ、パパだ!」
待ち人がやってきてタタタっと昇吾のもとへ駆け寄る。
「あなたお疲れ様」
「ああ。二人が見ている前で無様な試合は見せられないからな」
「うん! パパはすっごくかっこよかった! ハッシーと違って」
昇吾に抱き抱えられた雅は、ジト目で昇吾の後ろについてきていた橋本を見る。
「あはは……、こりゃ手厳しい」
「こらみーちゃん。橋本さんに失礼でしょ?」
「緑さん、いいんです。実際最後のは完全に俺のミスですし」
そういうと、橋本はペコリと頭を下げて立ち去る。
「今日はうちでご飯食べないか?」
「いえ、今日は遠慮しときます。雅お嬢様のご機嫌も損ねちゃったみたいですしね」
「ふん、ハッシーはせいぜいもっと練習することね」
「こら」
「あいたっ」
ポカッと軽く緑に頭を叩かれる。
そんな様子を見て苦笑しながら今度こそ橋本は帰っていった。
「じゃあ俺たちも帰るか」
「うん!」
父の大きな腕に抱えられ、幼心に今日はいい夢が見られそうだと雅は思った。