東屋への誘い
本好きのお茶会を終えて寮に戻った途端、玄関ホールを歩きながらルイポルトが口を開きました。
「ハンネローレ様、ジャンシアーヌ様を紹介するとお約束した以上、今日のお茶会は報告書が必須ですよ。部屋に戻ったらすぐに書いてください」
「わたくしからの紹介にする以上、多少なりともジャンシアーヌ様の情報を得てから報告したいところですけれど……」
お茶会で上位領地へ嫁ぐための教育を受けているかどうか、それに加えて当人の覚悟を確認しました。けれど、これまでの交流を思い返しても、ジャンシアーヌ様がどのような方なのか、情報が多いとは言えません。
わたくしが躊躇いがちに意見を述べると、ルイポルトが軽く眉を上げました。何を言っているのかとやや呆れているのが伝わってきます。
「現時点でわかっている点に加え、これから情報収集すると書けば十分です。ジギスヴァルト様に関するマグダレーナ様の推測に関しては早く共有した方がよいでしょうし、お茶会の報告をするのにジャンシアーヌ様の件は省略できません」
「それはそうですけれど……お父様やお母様からジャンシアーヌ様の推薦理由を問われて答えられないのは困ります。わたくしの、ひいては貴方達の評価にも繋がりますもの」
明確な理由もなく次期領主の第一夫人の候補として推薦したと評価されたり、情報を集められない側近と思われたりすると後々にまで響きます。わたくしはお父様達から見て、将来的に次期領主夫妻の補佐になるか、ディッターの金庫番になるか分岐点に立っている状態なのです。これ以上の失態は避けなければなりません。
「お兄様の第一夫人の候補としてどういうところを相応しいと考えたのか、お父様やお母様に紹介するには情報が少ないのです」
「ハンネローレ様のお気持ちはわかりますけれど、領地対抗戦までそれほど時間的な余裕はありません。わたくし達が情報を揃えるまで待つのは難しいのでは?」
エルーシアの言葉にわたくしは「確かに待てませんね」と頷きました。しかし、情報が揃っていないのも、自分以外の者から領地へジャンシアーヌ様を推薦するつもりだと漏れるのも困ります。
「今の時点ではアウブも完璧な情報など求めませんよ。それより、報告が遅れる方が評価に影響します」
ルイポルトが溜息混じりに「アウブの評価を求めるならば、気にする点が違います」と軽く頭を左右に振りました。
「何より、それほど悩む必要がありますか? 紹介するとジャンシアーヌ様に請け負った以上、ハンネローレ様にも何かしら推薦しても構わないと感じた手応えがあったのでしょう?」
「上位領地の出身で、上位領地に嫁ぐ教育を受けていて、ダンケルフェルガーに馴染む努力をするとジャンシアーヌ様はおっしゃいました。紹介するための最低限は満たしています。ただ、それだけでは心許ないというか……。ジャンシアーヌ様である必要はないとお父様やお母様から指摘されませんか?」
紹介だけならばできますけれど、彼女の交流関係や領地での立場、ツェントとの関係など、細かい情報はありません。
「推薦するだけならば、本日初めて知った情報があれば十分ですよ」
「初めて知った情報と言われても……色々と出ていたではありませんか。どれがルイポルトの言っている新情報でしょう?」
「ジャンシアーヌ様がエグランティーヌ様を補佐するために育てられているという情報です。今後ダンケルフェルガーが第一位の領地としてツェント・エグランティーヌを支える上で、次期領主の第一夫人に相応しい理由になると思いませんか?」
……あ。
「そうですね。女神の降臨やディッターに関するお話をした中で、ツェントとダンケルフェルガーでは考え方に大きな違いがあるとよくわかりましたもの。ジャンシアーヌ様にお兄様を支えていただければ非常に心強いと思います」
目の前が開けたような明るい心地になって、わたくしは側近達を見回しました。皆も納得の表情をしています。
「それに、ジャンシアーヌ様はローゼマイン様が図書委員に招いたようですし、アレキサンドリアとの関係が悪くないことも付け加えれば更に心証が良くなるのでは?」
「本日のやり取りでクラッセンブルクがローゼマイン様と関係を深めたいと思っていることもわかりましたし、紹介したいと伝えてもアウブやジークリンデ様に一蹴されることはないと思いますよ」
アンドレアやコルドゥラの心強い言葉に、わたくしは頷きました。
「わたくし、自室で報告書を作成します。その間にルイポルトは会議室を予約し、お兄様の側近達に会議室で夕食後にお話をしたいと連絡してください。領地対抗戦で紹介するならば、お兄様の側近達と協力体制を取らなければなりませんから」
「かしこまりました」
ルイポルトが了承したので、わたくしは自室へ向かうために階段を上がり始めます。フフッ……と小さくコルドゥラが笑ったのがわかりました。
「何ですか?」
「いえ、成長されたものだと思っただけですよ」
作成した報告書を領地に送ると、夕食まではお茶会の招待状にお返事を書いたり、お茶会で借りた本を読んだりして過ごしました。上位領地の領主候補生が集まるもの、ダンケルフェルガー周辺の中小領地との交流を目的としたもの、恋物語を楽しむものなど、いくつもの招待状があります。
……とはいえ、これまでと違って講義を終えるのが遅かったですし、嫁盗りディッターの影響もあって今年は少ない方ですけれど。
夕食の食堂では今後の社交に役立てるため皆に本好きのお茶会で借りた本の紹介をし、『ディッター物語』の作者が新作を書いていることを伝えました。予想以上に期待の籠もった雄叫びが上がったので、作者にはぜひとも頑張っていただきたいものです。
そして、夕食後。わたくしはお兄様の側近に報告するため、会議室へ向かいました。お兄様の側近は側仕え見習いのグーラヘルト、文官見習いのケントリプス、護衛騎士見習いのフェシュテルトの三名しかいません。それぞれの代表というか、最上級生だけです。
「ずいぶんと少ないのですね。ルイポルトが厳選したのですか?」
「いいえ、せめて四年生以上は集まるように言ったのですが……」
「お茶会の報告にそれほど人数が必要ですか?」
グーラヘルトが軽く眉を上げると、ルイポルトが作り笑いを深めて「必要がなければ声をかけませんよ」と相手には聞こえない程度の声で呟きました。この二人はどうにも馬が合わないのか、寄ると触ると笑顔で牽制し合うのです。
「ハンネローレ様が会議室を準備した以上、重要な報告があることはわかりました。ただ、ローゼマイン様が参加した本好きのお茶会であるため、情報を隠蔽した方がよい可能性を考え、こちらで参加者を厳選しています」
女神の化身関係で色々と振り回されたケントリプスの判断に、わたくしは「隠蔽する必要があれば、こちらで厳選しますよ」と苦笑しました。
「それより、ラザンタルクがいないとは思いませんでした。また除け者にするのかと暴れそうですけれど……」
これまでのラザンタルクの言動を思い返し、押さえ込むのは手間がかかったのではないかと心配していると、フェシュテルトが苦笑しました。
「寮にいたら私の代わりに押しかけていたと思いますよ」
「あら、今はいないのですか?」
予想外の返事にわたくしが目を瞬かせると、ケントリプスが頷きます。
「本日何とか講義を全て終えて、領地に戻りました。父上と約束があるようです。約束した日までに講義を終えろ。改めて時間を作る気はないと言われていたらしく、ラザンタルクは必死で勉強していましたよ」
「ベシュトニス様は相変わらず厳しいですね」
ケントリプスとラザンタルクの父親であるベシュトニス様は、アウブであるお父様の補佐をしています。アウブと領地が最優先で、家族には厳しい方です。幼い頃はケントリプスやラザンタルクが、父親のとても厳しい態度に何度となく泣かされていました。
「おかげでラザンタルクが講義を終えられたようなものです。座学の教師役を任された私としてはベシュトニス様に感謝していますよ。ラザンタルクはおそらく明日か明後日には戻ってくるでしょうが、こんなふうに集まっていたと知ったら騒ぎそうです」
フェシュテルトが仕方なさそうな顔でそう言うと、グーラヘルトが同意するように頷いてわたくしを見ました。
「講義を終えたので、ラザンタルクはきっとハンネローレ様に東屋に行きたいとねだると思います。婚約者候補なのですから、一度くらいは相手をしてやってください」
「ヴィルフリート様やオルトヴィーン様がいたとはいえ、私が先に行ったと何度も突っかかられて面倒……んんっ、少々心苦しいのでぜひ」
ケントリプスに後押しをされれば、わたくしとしては了承するしかありません。少しだけ、ほんの少しだけ、婚約者候補として二人だけではケントリプスとも行っていないのに……と不満に思ったのですが、約束したのはラザンタルクが先です。
「……わかりました。わたくしも約束が延期されていることは気になっていました。ラザンタルクが戻ったら連絡するように伝えてください」
ラザンタルクと東屋へ行くことを了承すると、わたくしは三人に本題であるお茶会での報告を始めました。どのように話題が移り変わっていったのか、お母様へ報告書を書く際に側近達とまとめたものを見せながら。
「……そういう話の流れで、わたくしは領地対抗戦でお兄様の第一夫人候補としてジャンシアーヌ様を紹介することになりました」
「いくら何でも突然すぎませんか!?」
本当にグーラヘルトの言う通りです。ケントリプスもフェシュテルトも唖然としています。本来はお兄様やその関係者に対して何の前触れも、根回しもなく、決めることではありませんから。
「唐突であることはわたくしもわかっています。だからこそ、側近である貴方達の意見を聞きたくて会議室を押さえたのです。ジャンシアーヌ様をお兄様の第一夫人候補として、どう思いますか?」
わたくしが問うと、お兄様の側近の三人は眉を寄せて考え始めました。最初に口を開いたのはグーラヘルトでした。
「私はよいと思いますよ。クラッセンブルクの領主候補生で、上位領地に嫁げるように教育を受けているならば、最低限の基準を満たしています。ジークリンデ様がダンケルフェルガー出身なので、レスティラウト様は他領との関係がどうしても薄いです。クラッセンブルクと関係を深められるのは大きいでしょう」
「しかし、レスティラウト様はルングターゼ様のご学友から第一夫人を選ぶおつもりではありませんでしたか?」
フェシュテルトの言葉に、わたくしは軽く目を見張りました。ルングターゼは異母妹です。母親の失脚によってお母様が養子縁組して保護することになったと聞いています。お兄様の第一夫人候補をどうするのかは領地にとって重要な話です。その紹介をルングターゼに任せるなど、わたくしは聞いていません。自領に残ることが決まった今も尚、それほど重要な情報を共有する対象から外されていると思いませんでした。
「……わたくしにはそのような連絡や報告が届いていません。ならば、本日送ったお茶会の報告書を読んだら、皆の想定と外れた提案をしたわたくしにお母様達は困るかもしれませんね」
「レスティラウト様が何となくそう考えているだけで、アウブと話し合った正式な決定ではないと思いますよ。ルングターゼ様がジークリンデ様の庇護下に入った際、派閥内での立場を確立するためにも、第一夫人候補との年回りを考えると丁度よかろうという意味合いの報告書があっただけなので」
ケントリプスはそう言いますが、お兄様がルングターゼに……と思っているのであれば、わたくしからジャンシアーヌ様を紹介するという話は受け入れられないかもしれません。
「ルングターゼ様のお立場を考えると、お任せした方がよいかもしれません。しかし、私は今の在学生から第一夫人候補を選んだ方がよいと思います」
「何故ですか、ケントリプス?」
「シュタープの質に関して境目を知る者でなければ、後々劣ったシュタープという理由だけでレスティラウト様が侮られるかもしれませんから」
どのような理由であっても、第一夫人になる方がお兄様を見下すような意識を持っていては困ります。
「ケントリプスはジャンシアーヌ様を紹介してもよいと思いますか?」
「悪くないと思います。ただ、私はハンネローレ様の意見をもう少し伺いたいです。紹介を引き受けるに当たって、どのような利を感じたのですか? ただ流されただけではありませんよね?」
お兄様の文官見習いとしての立場でわたくしを見定めようとする灰色の目に、去年の冷たい隔意を思い出してわずかに怯みました。けれど、わたくしはもうその目が冷たいだけではないことを知っています。
「ジャンシアーヌ様はエグランティーヌ様の補佐をするために育てられているそうです。ならば、今後ツェントを支えるダンケルフェルガーの次期領主に相応しいのではないかと考えました」
「なるほど。ならば、クラッセンブルクの領主候補生の中でもツェントとの関係は深そうですね」
頷いているケントリプスを見ながら、わたくしは更に付け加えます。
「あと、ツェントがグルトリスハイトを得て代替わりしたことで、お兄様の在学時と勢力図が変わりましたよね? 当時次期領主に内定していた方々もシュタープの問題でどうなるか不明ですもの。お兄様は貴族院で将来を見据えて人間関係を築きましたが、それが役立たなくなる可能性は高いと言えます」
わたくしの言葉にお兄様の側近達はわずかに表情を変えました。今年の貴族院で出ている話題で、懸念点の一つでもあります。
「それに、クラッセンブルクはダンケルフェルガーより順位が下になりました。今後コリンツダウムと手を組んでダンケルフェルガーを下したり貶めたりするために遠回しなことを企みそうなので、ジャンシアーヌ様を第一夫人にすれば多少は回避できないかと……」
わたくしが思いつく限りの領地の利を主張していると、ルイポルトが軽く手を上げました。
「ちなみに、私は将来的な利はともかく、嫁盗りディッター前にコリンツダウムがクラッセンブルクと裏で手を組んだら面倒臭いので、領地対抗戦でジャンシアーヌ様をレスティラウト様に紹介するという形で両領地の接触を阻止したいと思っています」
あまりにも明け透けなルイポルトの言葉に皆の注目が集まります。ジャンシアーヌ様を紹介することを一番渋っていたフェシュテルトが「あぁ」と納得したような声を出しました。
「そうか。紹介するだけでコリンツダウムを牽制しつつ、自然にアウブ同士で話ができるのだな。……そこを前面に出せば、アウブやレスティラウト様は拒否しないのでは?」
フェシュテルトの呟きに、グーラヘルトとケントリプスも同意して頷きます。
「確かに、領地対抗戦でジャンシアーヌ様を紹介するには情報と時間が足りなすぎると思っていましたが、嫁盗りディッターへの対策だと考えれば……。後々のことは考えず、ひとまず紹介だけはできるように動きましょうか」
「そうですね。ジギスヴァルト様は世論を動かしたり、規則の穴を突いたりする情報戦が得意な方です。できるだけ油断しない方がよいでしょう。ディッターが始まる前に勝負が決まっているような形に持ち込まれるのは避けたいです」
過半数の領地を嫁盗りディッターに参加させることでダンケルフェルガーを一斉に攻撃しようとしたり、噂を流してオルトヴィーン様を辞退させることでディッター自体をなくそうとしたり、自分が優位に立つためには手段を選ばない方だとケントリプスは言います。
……わたくし、正直なことを言うと情報戦は得意ではないのです。
ディッター前の情報戦は側仕え見習いや文官見習い達に任せたいと思います。
「三人とも合意できたようですし、ジャンシアーヌ様を紹介する方向で進めてよろしいですか? 領地対抗戦まであまり日がありません。できるだけ情報を集めるためにもお互いに協力した方がよいと思うのですけれど……」
わたくしはお父様とお母様に、お兄様の側近達はお兄様とアインリーベに、調べて報告すべきことがたくさんあります。
「情報収集の協力ですか?」
「はい。本当に突然のことだったので、わたくしもジャンシアーヌ様の情報はまだ少ないのです。今から情報収集を始めますが、お兄様の側近には難しいでしょう? 異性である以上、側仕え達に探りを入れるにしても細かく聞きすぎると警戒されますから」
わたくしの提案にケントリプスはすぐに「それは助かりますね」と言いました。けれど、グーラヘルトとフェシュテルトはわたくしから少し視線を逸らし、「それはそうですが……」とどうにも煮え切らない態度を見せました。未だに拭い切れてない不信感を見せる二人に、ルイポルトが面倒臭そうに息を吐きました。
「次期領主の第一夫人候補は、将来的に補佐をするハンネローレ様が協力し合わなければならない相手です。情報収集で手を抜くなどしませんし、側近である我々も次代の第一夫人として仰げる方なのか吟味しますよ」
ルイポルトの言葉に、グーラヘルトとフェシュテルトが顔を見合わせます。
「では、ジャンシアーヌ様個人の情報をハンネローレ様にお任せします。会話の糸口になりそうな趣味や好み、家族関係や生い立ちなどを優先的に集めてください」
「わかりました」
「我々は交流関係の調査を優先したいと思います。レスティラウト様に紹介するならば、後々の領主会議での交流をハンネローレ様と分担できる形が望ましいので」
わたくしはアレキサンドリア、エーレンフェスト、ブルーメフェルトと図書委員として交流があります。また、ダンケルフェルガー周辺の小領地はお兄様から引き継ぐ形で交流を続けています。今年は嫁盗りディッターの関係で交流していませんが、去年まではハウフレッツェやギレッセンマイアーの領主候補生とも上位領地として交流していました。
「ユルゲンシュミットの北側はクラッセンブルクの勢力が強いので、ダンケルフェルガーはどうしても交流が少なめです。ジャンシアーヌ様にお願いできると助かりますね」
他領の方々と最も関わりを持てるのは貴族院時代です。成人して領主会議で……となると、どうしても緊張感の方が強くなりますから。将来を見据えて交流相手を選べるならば、早々に婚約者が決まるのも悪いことではないと思います。
……魔力の釣り合いだったり、突然ツェントが代替わりしたり、早くに決めた時の弊害もありますけれど。
「何か情報が入る度に会議室に全員を集めるのは難しいので、普段の情報共有は文官見習いで行いましょう」
「アインリーベ様やルングターゼ様の側近にも声をかけますか?」
「……それは、お父様やお母様から色よいお返事をいただけてからにしましょう。紹介は不要と言われる可能性もありますもの」
決めるべきことを決め終えると解散です。席を立ったところで、何となくケントリプスと目が合いました。最近のケントリプスは非常に忙しいようで、食事の時間も少し眉を寄せた厳しい表情をしていますし、早々に食事を終えて自室へ戻ります。多目的ホールにいることも滅多にないため、寮内で顔を合わせる機会があまりありません。
「騎士コースの試験はどうですか? 終えられそうですか?」
「ご安心ください。予定通りに進んでいます」
「ケントリプスならばやれると思っているので心配はしていませんが、応援はしています。頑張ってくださいね」
少し驚いたように目を見張った後、フッと浮かべられたケントリプスの笑顔に満足し、わたくしは会議室を出ました。
翌々日、周辺領地の代表者とのお茶会を終えて寮に戻ると、階段前の待合場所にラザンタルクとケントリプスがいました。「ハンネローレ様!」と笑顔で駆けてくるラザンタルクと、「やれやれ」と言わんばかりの様子で椅子から立ち上がるケントリプスは見慣れた光景です。
「あら、ラザンタルク。戻ってきたのですね」
「はい。……それで、フェシュテルトやケントリプスから不在の間の会議について聞きました。ジャンシアーヌ様の件です」
ラザンタルクは少し申し訳なさそうな、不本意そうな表情をわたくしに向けます。
「推薦しようとしているハンネローレ様には悪いのですが、婚姻を求める理由がジギスヴァルト様から逃れるためだけならば、私は歓迎できません。ジャンシアーヌ様にはレスティラウト様に対して好意を持っていてほしいです」
……それは無理では?
わたくしはラザンタルクの言葉を理解できなくて思わず首を傾げました。
「ジャンシアーヌ様は二年生です。お兄様の卒業後に入学していて、これまで個人的な交流がないのですよ。さすがに今の時点で好意を持つのは無理でしょう。好意を持つかどうかは紹介した後のお話になりますね」
去年の領地対抗戦や卒業式、ツェント・エグランティーヌの就任式で貴族院を訪れたお兄様と挨拶をしたかどうか程度の接触しかジャンシアーヌ様にはないのです。遠くから見て一目惚れでもしなければ、今の時点でお兄様に好意を抱いているはずがありません。
「お兄様への好意を紹介の条件にされると、お兄様が在学時に交流した方でなければ第一夫人候補になれないでしょう? あまり現実的ではありませんよ」
お兄様の在学時に交流のあった方を第一夫人にお迎えするのは、年齢的に難しいです。それに、ローゼマイン様を巡ってエーレンフェストに嫁盗りディッターを仕掛けたと直接知っている方が多いのです。
上位領地の次期領主に嫁ぐために教育を受けている方で、あと三年から五年ほど婚姻を待てて、あのディッターを知っているのにお兄様に好意を持っている方などいるでしょうか。
「ハンネローレ様は何の想いもなく、主やダンケルフェルガーの立場を利用するような女性が第一夫人になってもよいのですか!?」
「ラザンタルク、落ち着け!」
予想しなかった方向で興奮しているラザンタルクに驚いていると、ケントリプスがわたくし達の間に割って入りました。ラザンタルクに少し距離を取らせます。
「其方の言う通り、想いがあるに超したことはない。それはレスティラウト様にも言えることだ。仮にアウブが紹介すると決めたとして、レスティラウト様は顔を合わせる前からジャンシアーヌ様に好意を持つと思うか? 好意を持たなければ紹介に値しないと其方が言ったら受け入れると思うか?」
「いや、それは……」
お兄様が受け入れるとはとても思えません。「側近からの情報だけで好意など持てるか。会いもせずにわかるわけがなかろう」と言われるだけでしょう。
「ラザンタルクはジャンシアーヌ様からの好意ばかりに気が向いているが、婚姻後の生活を考えると、レスティラウト様がジャンシアーヌ様に好意を持てるかどうかの方が大事ではないか」
「何故だ? 我々が出入りする領主居住区の居心地に直結するからか?」
領主居住区はアウブと第一夫人、次期領主とその第一夫人、洗礼式前の第一夫人の子供が住むところです。アウブと第一夫人の仲が悪いと、付き従う側近達も大変だと聞いたことがあります。
……お父様とお母様が仲違いすると、側近は否応なく巻き込まれますからね。
「私が言いたいのはそれではない」
ケントリプスは真面目な顔でラザンタルクに向き直りました。
「他領から嫁いできた女性は孤立しがちになる。婚姻後の生活がどうなるのかは、妻ではなく夫からの好意に左右されると、私達はとっくに知っているだろう?」
「あ……」
ケントリプスとラザンタルクの母親も他領から嫁いできました。他領の出身だから母親同士は仲が良いと聞いていますが、それぞれに思うことがあるのでしょう。
「それに、王命や親同士が決めた婚約者であれば、嫁いでくる者の事情や心情など関係ないこともある。何より、次期領主の第一夫人ともなれば、領地の利が最優先だ。利用するのはお互い様ではないか」
わかっていたはずのことを改めて突きつけられたような顔をした後、ラザンタルクが肩を落としてわたくしを見ました。
「……ハンネローレ様も同じようにお考えですか?」
「そうですね。わたくしもお父様が婚約者候補を決めました。幸いなことに選択肢を与えられましたし、幼い頃から親しくしていた相手でした。けれど、もし他領へ嫁げと相手を決められてもそれに従ったでしょう。心情より立場や領地の利を優先すると思います」
婚約などは親同士が決めるのに、相手の側近から「相手への好意がなければ紹介はできない」と言われれば困惑すると思います。
「そうですか……」
ハァ……と重い溜息をついた後、ラザンタルクは落ち込んでいるのを隠すような、少し無理をした笑顔でわたくしを見つめました。
「ハンネローレ様、講義を終えました。ずっと後回しになっていた約束ですが、私と東屋へご一緒いただけませんか?」
玄関ホールでの誘いに、わたくしは思わず周囲を見回しました。通りすがる学生達がこちらへそれとなく注意を向けているのがわかります。
……うぅ、時と場所を選んでくださいませ。
事前にグーラヘルトやケントリプスに言われていたので了承するつもりではいましたが、注目されると一歩退きたくなってしまいます。
そんなわたくしの心情を読み取ったのか、ラザンタルクは「お願いします!」と大きな声を出しました。栗色の目が縋るように見てきます。
「……わたくし、皆に注目されたくないだけで、約束を破るつもりはありませんよ。コルドゥラ、社交の予定がないのはいつですか?」
「明日の午前ならば空いています」
パッとラザンタルクの表情が明るくなりました。
「では、明日の午前に必ず東屋を押さえます」
お茶会の流れで決まったジャンシアーヌの紹介も本来は根回し必須です。
特にレスティラウトの側近と協力し合わなければなりません。
講義を終えて領地へ帰還していたラザンタルクは父親と何を話したのか。
講義を終えたラザンタルクはようやく東屋へ行けます。
次回は、覚悟と決断です。




