4-27 交渉
同盟軍の精鋭部隊が冥王国のシガリット一族と繰り広げる激戦の最中、ジェイクの大剣が剣による攻撃を防ぐ。
「貴公ッ!天守国の英雄ジェイク・マックスとお見受けするッ!」
「いかにもッ!貴公の名はッ!?」
「我はビント・シガリット!ガロウ大将軍を退けたジェイク・マックスとあれば、相手にとって不足なしッ!いざ、尋常に勝負ッ!」
「応であるッ!」
先を急がねばならぬ身なれど、無視する事も誰かに託す事もできない。
ジェイクは相手の剣を弾き、すかさず大剣を振るう。それを防がれるも、反撃の暇を与えずに連続して攻撃を繰り出した。
並の者ならばこれで終わり。しかし、ビントと名乗った男は一瞬の隙を突いて反撃に転じてくる。
ジェイクは小さく呻きながらも、これをなんとか防いだ。
(見事なッ!)
そして重い。なんて重い一撃なのだろうと、目の前の剣士に尊敬の念を抱く。
この者もまた、殺さずに済ませられない相手。
ジェイクは再び剣を弾くと同時に、渾身の一振りを放った。今度は防ぎきれず、ビントの体が斬り裂かれる。
何故か満足気な表情を浮かべて倒れる男に向かって一礼をした後、ジェイクは馬を走らせた。
そんな彼の前に、またもや新手が現れる。
すれ違いざまに斬ろうとしたが、相手が驚愕の表情を浮かべた事と、その者の服装が記録係のものであったため、攻撃を防ぐだけで終わらせた。
位置を変え、2人は互いに向き直る。
「なぜ記録係の者が剣を取るのであるかッ!?」
記録係とは、後世に戦いの歴史を伝える重要な役割を担った存在である。それが激戦の最中に突入し、剣を取って戦うなど意味がないではないかとジェイクは思った。
しかしそれに答えるよりも、その記録係――エキノンは疑問を口にする。
「貴公はジェイク・マックスだろう!?ガロウ様はどうした!?」
エキノンは、すでにジェイクとガロウの再戦が始まっているとばかり思っていた。そのためジェイクが1人で現れたのを見て驚き、同時に大将軍の身を案じたのだ。
もしやすでに敗北したのかと、考えたくもない結末を頭に思い描く。
「ガロウ大将軍は今!ウェンウー三兄弟が相手をしているのである!」
そんな彼を安心させるような情報がジェイクから伝えられるが、エキノンは安堵よりも先に怒りを覚えた。
「なッ・・・!?という事は貴公ッ!ガロウ様との再戦を反故にしてきたという事かッ!?」
それに対して引け目を感じていたジェイクは、少しだけ怯んだ様子を見せる。それを目にしたエキノンは、自分の予測が正しかった事を理解した。
「ふ・・・ふざけるなよ、貴様ッ!ガロウ様が、貴様との再戦をどのような想いで待っていたと思っている!?俺はそれを記録に留める今日この日を!誇りと共に待ち望んでいたんだぞ!我ら2人の想いを、貴様は踏みにじるつもりかッ!?」
それは、ジェイクにとって関係のない事と言えた。
しかし、彼もまた誇り高き戦士であったため、エキノンの主張がどれだけの悲哀を含んでいるのかを理解してしまう。
それでも彼らの望みに応えることはできず、ジェイクはエキノンに背を向けた。
「待てッ!逃げるつもりかッ!?」
その背中に向かって怒声が浴びせられるが、天守国の英雄が振り返る気配はない。ただ一言だけ置いていく。
「ガロウ大将軍には、『すまなかった』と伝えておいて欲しいのである」
言い終えると、ジェイクは馬を走らせた。後ろでは未だ戦いの音が響くが、彼の前にもはや敵はいない。このまま、冥王のもとまで向かう事ができそうだ。
「止まれ、ジェイクッ!戻って来いッ!戻ってガロウ様と戦えッ!!戦ええええええッッ!!!」
喉が潰れそうになる程の声を上げ、エキノンは去りゆくジェイクを止めようとする。しかし次第に小さくなる彼の背中を見て、遂に口を閉ざした。
「――くそッ!!」
苛立たし気に地面に叩きつけたのは、彼の役職である記録係専用の冊子である。そこには今回の戦に関する情報が書き記されるはずであったが、彼が最も望んだ戦いを載せること叶わなくなった今、無用の物だと捨て去った。
ジェイクの残した『すまなかった』の一言。エキノンは、彼がガロウと戦わずに死ぬつもりなのだと気付いてしまったのだ。
「駆けよッ!駆けよ、轟嵐馬ッ!」
全ての心残りを頭の中から消し去るため、ジェイクは愛馬に語り掛ける。
天子、ランフィリカ、オングラウス、ウェンウー三兄弟、ガロウ、先程の記録係、そして全ての仲間。
ある者の命を背負い、ある者の願いを抱き、ある者の望みを踏みにじり、ジェイクは冥王のもとへと駆ける。
一騎、されど当千。天守国の英雄は今まさに、真の英雄と化していた。
右手に見える敵兵がジェイクの姿を見て声を上げるが、何一つ問題はない。隊列を外れ妨害を仕掛ける者も現れたが、先程のシガリット一族と比べれば脆弱で、容易に突破することができた。
敵陣を抜け、右へと進路を変える。
そして、遂に捉えた。
「冥王ッ!」
ここにいるぞと言わんばかりの椅子に座し、冥王ドレッドは戦場を眺めていた。かつて勇者と謳われていたのは伊達ではないのか、彼の右側面から近づくジェイクに一早く気付いたようで、周りにいる将軍に語り掛けている。
「おいおい!ガロウの旦那はどうなったんだ!?」
そう驚きの声を上げたのはセレであった。今こちらに迫って来るジェイクは、ガロウが相手取っているはずである。
もしかしたら、といった不安が生まれたが、確認を取った方が早いと仲間に問う。
「おい、ミシェーラ!ガロウの旦那はどうなった!?まさか、負けちまったのか!?」
「いえ・・・別の者達と交戦中です・・・・」
戦場に『這い寄る影』を派遣していたミシェーラが即座に答える。それに安堵したセレは、気持ちも新たに拳を打ち合わせた。
「だったら、逃げてきたって事だな!?意外と臆病じゃねえか、ジェイク・マックス!」
そう言うと、セレはドレッドの方へ顔を向ける。まるで関心がないかのような冥王は、依然として戦場に意識を割いていた。
「王様!私が行っていいですよね!?」
「ん?ああ、行って来い」
尋ねられたドレッドは、一瞥してから許可を出す。彼の左隣にはウルカトーレが、右隣にはロキリックが付いており、他にも将軍がいる事から護衛が手薄になる心配はなかった。
「セレちゃん、強化は必要?」
そう聞くのはファディアであり、一応の心配を込めてセレに問う。まさかの事態がないように、万全を期したいと考えているようだ。
「いらねえよッ!あんな奴、私一人で十分だッ!」
「そうはいかん。小生も向かう」
意気込むセレの隣にカシューンが並ぶ。
天守国の英雄を討ったとあれば目立つ事は確実で、きっと良い感じに名を残せるだろうと考えていた。
「ああンッ!?カシューン、てめえッ!邪魔する気かよッ!?」
「ふふふッ・・・!これ程の相手・・・!独り占めは良くないぞッ・・・!」
「うわッ!なんか目付きやべえぞ、お前ッ!」
「2人とも頑張ってねー!」
ここにいる誰もが、彼女達の敗北を考えない。
この状況が予想だにしない展開だったのならば、心を乱し、隙が生じることもあっただろう。しかし全ては冥王国の手の平の上であり、可能性として誰かがここまで到達する事は予測済みであった。
そして、その『誰か』を打ち倒した瞬間が、冥王国の勝利になるのだ。
見事に辿り着いたのはジェイク・マックスであり、役者としては申し分ない。けれども、たった1人だけならば脅威とまでは言えなかった。
この場にいる将軍全員を相手にしては、流石の彼とて僅かな勝機もないと断言できる。
それを、ジェイク自身が一番よく理解していた。
(あそこにいる者達は、おそらく全員が将軍ッ!)
そのような事、元より覚悟の上である。そのため彼に動揺はなく、この逆境を打破するための手段は当然の如く用意してあった。
勝負は一瞬。そうでなければ使命は果たせない。
このような状況下で、悠長に全ての敵と戦うつもりなどなかった。
「覚悟しろやあああああッ!!ジェイク・マックスッ!!」
「討たせてもらうぞッ!」
2人の将軍――セレとカシューンが、ジェイクに迫る。
単純な疾走であるが、並の才能では一生かかっても敵わない速度であった。
「――『神速の旋風』ッッ!!」
対するジェイクは自身の愛馬に加速魔法を掛け、接近する2人に最高速度で突っ込んだ。
彼から見て、左手側にセレ、右手側にカシューンがいる。その配置は対応がしやすく、ジェイクにとって都合が良かった。
3人の距離は瞬く間に縮まり、馬上にいるジェイク目掛けてセレとカシューンが飛ぶ。
「おらあッ!!」
「ふんッ!」
セレは右回し蹴りを、カシューンは長刀を抜き放ち即座に振るう。
直後、剣戟の音と骨の砕ける音が響いた。
「なっ!?」
「むうっ!?」
2人の攻撃を前に、ジェイクは左腕でセレの蹴りを受け、右手に持つ大剣でカシューンの刀を受ける。左腕は鎧を身に着けていても完全な防御とはならず、骨にまで及ぶ程の損傷を負っていた。
しかし構わず、ジェイクは突破する。
着地した将軍2人との距離が、一気に開いた。
「野郎ッ!私達を無視する気かッ!?」
「不覚ッ!戻るぞ、セレ!」
「分かってるよッ!」
しかし、脚力を強化したジェイクの轟嵐馬には追い付けない。
最早2人の手は届かず、セレは仲間に向かって大声を出した。
「お前らッ!ジェイクが行ったぞッ!止めろおおおおおッ!!」
言われるまでもなく、将軍であるファディアとウルカトーレ、ならびにロキリックとミシェーラが迎撃を試みようと動き出す。
「――『月夜の光』!」
最初に攻撃を加えたのは魔法使いであるファディアだ。
彼女の両腕には金色の腕輪が1つずつ填められており、杖の代わりにそれを使って魔力を体外に放出する。両手を突き出し、まるで手の平から放たれたかのような光弾がジェイクに迫った。
「すまぬッ!轟嵐馬ッ!」
自身の速度が仇となってしまい、方向を変えて避けるような時間はない。辛いが、ジェイクは愛馬を犠牲にする事を決める。
彼が馬上から跳躍した瞬間、轟嵐馬に魔法が直撃した。
背中で爆風を受け、空中にいるジェイクの体がさらに飛ぶ。
偶然だが勝機。彼の着地点には、横目でこちらを見る冥王ドレッドがいた。
見える余裕。生じる違和感。だが、そのまま行く。
「させんッ!!」
ウルカトーレが剣を抜き放ち、ジェイクを迎撃しようと身構えた。そこにはロキリックもおり、僅かに使える短剣を手にしている。
そんな彼らに対して、ジェイクは大剣を向けた。
「――『全てを終わらせるために』ッッ!!」
それこそが彼の秘策。冥王ドレッドを討つために、これまで一度も使用した事のない独自魔法。
範囲は小さいが、掛かった者全ての動きを一瞬だけ止めることができる。
ジェイクの視界の中で、ドレッドを中心にウルカトーレとロキリック、計3人が微かにも動かなくなった。
千載一遇。これをおいて他にない絶対の好機。
「冥王ドレッド・オーバーロードッ!お命頂戴であるッッッ!!!!」
右手に握る『正義をもたらす者』を振りかぶり、万感の想いと満身の力を込めて、ドレッドに向かって振り下ろす。
落下しながらの直撃――冥王の右肩から腹部までを、彼の座る椅子ごと見事に斬り裂いた。
一刀両断といかなかったのは、冥王が強固な鎧を身に着けていたからだろう。
それでも、ジェイクは使命を全うした。
「ち・・・父上えええええええええええええッ!」
体の自由を取り戻したウルカトーレの悲痛な叫び声が聞こえる。傍に立つロキリックも、彼らしくない激情に駆られた表情をしながらジェイクを睨み付けていた。
その視界の中では、大地に滴り落ちる夥しいまでの血が広がっている。そしてそれは、2人の人間の体から流れ出ていた。
ドレッドと――ジェイクの物だ。
「ぐふッ・・・!」
ジェイクが斬り付けた時、すでに彼の魔法の効果は切れていたようで、その僅かな時間を使ってドレッドは反撃を仕掛けていたのだ。
流石は冥王。彼の右手には黒い柄の剣が握られており、それがジェイクの腹部に深々と突き刺さっている。
相打ち、けれども失う者の差は大きい。
英雄と冥王では、同盟軍の完全勝利と言って良い結果だろう。
そう、本来ならば。
「流石だ、ジェイク。ガロウを倒しただけはある」
ジェイクの耳に、驚愕の台詞が飛び込んできた。霞がかった意識の中でも否定できない現実がそこにはあり、彼の体に嫌な汗が流れる。
先程の言葉は、紛うことなく冥王ドレッドの口から発せられていたのだ。
大剣が彼の体を深々と斬り裂いているのにも関わらず、ドレッドはジェイクに向かって笑みを浮かべていた。
「やはり・・・で・・・・あるか・・・ッ!」
しかし、ジェイクの驚きはすぐに掻き消える。それは同盟国の誰もが最悪の事態として頭の片隅で考慮していた事であり、発した言葉通りの感想しか持たなかった。
冥王ドレッドは不老であるらしいが、それに似たもう1つの特性も持っているのではないか。そういった単純な発想ではあったが、漠然とした不安として心の中に抱えていたのだ。
確証など何もなかった。しかしそれは現実となり、ジェイクはドレッドの全貌を知る。
それがどれだけ残酷な真実かは、語るまでもないだろう。
「なんだ、あまり驚かないんだな。しかし、その通りだ。俺の体には『不老』ではなく、『不老不死』の力が宿っている」
「そ、そうだったのですか・・・!?」
先ほど悲鳴を上げたウルカトーレが、未だ呆然としたまま問い掛ける。目に少しだけ涙を浮かべているのを見て、ドレッドは父親として嬉しくなった。
「知らなかったのか?将軍や側近には教える事なんだが」
何故だ――と考えた時、娘の教育係に任命した大将軍の顔が浮かんだ。
「ガロウめ・・・。ウルカが将軍になりたてだから時期尚早と考えたな・・・。まったく・・・性格とは言え、細かい所にこだわる奴だ・・・」
「そ、それは仕方ないとして・・・と、とにかく・・・父上が御無事で何よりです・・・」
父親が死んだと思ったウルカトーレの心臓は激しく鼓動しており、まだ上手く言葉を発する事ができなかった。そんな彼女と代わるように、震える声で怒りを露わにする者が現れる。
「ですが・・・ッ!それで良いはずがないッ・・・!」
それはロキリックであり、額に青筋を浮かべている様は誰が見ても恐ろしい程であった。彼にとって、冥王を傷付けられるという事態はそれ程の事だったのだ。
「落ち着け、ロキ。この前も『もしもの事』と言っていたが、そんなに苛立つ事ではないだろう?」
「いいえッ!冥王様を御守りするのが我らの使命ッ!不老不死など関係ありませんッ!仮に冥王様が不死の力を持っていなかったら、我らは主君を失ったのですよッ!?」
相変わらずの大袈裟ぶりだ、とドレッドは思った。
自分に対して絶大なる敬意を抱いているのは分かるが、それが原因で彼の利点である冷静さを失うのは問題だな、と苦笑いを浮かべる。
「セレッ!カシューンッ!ファディアッ!将軍として経験を積んだ貴方達がそんな体たらくで、どうすると言うんですかッ!?」
そして、ロキリックはその怒りを若い将軍へとぶつける。
「ちッ・・・悪かったよ」
「面目ない」
「ごめんねー、ロキリック君」
それぞれ謝罪の言葉を口にするが、そのどれにも心からの罪の意識が見られなかった。彼らはドレッドが不死である事を知っており、今回の護衛にもロキリックやウルカトーレ程に本気で取り組んでいなかったのだ。
無論、冥王のことは主君として慕っている。
けれども死なない人間を狙われたからと言って、何か問題でもあるのか。そういった考えを、彼らは共通して持っていた。
「反省の色がないッ!冥王様ッ!彼らに厳しい処罰をッ!」
「だから気にするな。そして落ち着け。お前にはあいつらを叱りつけるよりも前に、やらなければならない事があるだろう?」
「え・・・?」
そう言われても思い付かず、ロキリックの動きが止まる。こいつもこいつで自分の不死を頼っているな、とドレッドは小さく笑った。
「いい加減、この剣を抜いてくれないか?死なないからと言って、痛みを感じない訳ではないんだ」
「こ、これは失礼いたしましたッ!――ウルカトーレ王女、手伝ってくださいッ!」
「あ、ああッ!」
2人して慌てて大剣に手を掛ける。
ロキリックは刃を、ウルカトーレは柄をそれぞれ持ち、ゆっくりと腹部から肩に向かって大剣を外していった。
「うッ!もう少し丁寧にやれ・・・かなり痛い・・・」
「申し訳ありませんッ!」
「父上、王なのですから少しくらい我慢してください・・・!」
などといった会話を済ませ、ドレッドの体から異物が取り除かれる。すると、見る見るうちに彼の体が修復を始め、あっという間に肉体が元通りになった。
切断された鎧は直っていないため、その部分がしっかりと確認できる。
「さて・・・待たせてすまなかったな、ジェイク。と言うよりも、『待つしかなかった』か?」
ドレッド達のやり取りが交わされる中、ジェイクは黙ったまま地に膝を突いていた。腹部に刺さった冥王の剣が原因なのだが、その理由は単純な傷だけではない。
「この・・・剣は・・・!」
「その通りだ。こいつは『深く沈む傷』と言って、こいつに付けられた傷は回復魔法でも回復薬でも治すことはできない。自然治癒ならば別だがな」
損傷を受けたからと言って、ドレッドが不老不死と知ったからと言って、ジェイクは勝利を諦めた訳ではなかった。そのため、魔法剣士である彼は今まで回復魔法を唱えていたのだが、腹部の傷には癒しの効果が一向に現れなかったのだ。
セレに折られた左腕は治ったため、原因はすぐに分かった。忌々しい剣を抜こうにも激痛が走り続け、ジェイクは体を動かす事もままならない。
苦しそうに、荒い呼吸を繰り返すのみである。
そんな彼の横顔を見ながら、ドレッドは語り掛けた。
「ジェイク、それ程の傷でもお前ならばまだ大丈夫だろう?少し話をしないか?」
どういう事だ、と言うように、ジェイクは横目で冥王の表情を伺った。そこには敗れた自分に対する蔑みは見えず、純粋な興味が見て取れる。
「まず、俺がどうやって『不老不死』になったかを話そう。――お前も気になるだろう、ウルカ?」
ドレッドが娘に確認を取ると、ウルカトーレは何度も力強く頷いた。
その光景を目にし、口の端を僅かに上げると、冥王は話し始めようとする。
「竜の・・・血肉であるか・・・」
しかし、それよりも前にジェイクが言葉を発した。
冥王の特異体質についてはエンデバーから推測を聞いており、ジェイクも竜の血肉が人間に超常の力を授けることを学んでいたのだ。
「ほう、意外と賢しいな。それとも誰かの入れ知恵か?まあ、どちらにしても正解だ。・・・いや、少し違うか」
自分で自分の言葉を否定し、ドレッドは椅子の背もたれに体を深く預ける。今でも信じられないという想いと共に、事実を口にした。
「俺が取り込んだのは、竜王の血だ」
「竜王・・・!?」
その声はウルカトーレの物であったが、ジェイクも同様の驚愕を覚えていた。
竜とは人間よりも上位の存在であり、その王ともなれば遥か高みにいる事は明白である。それが人間に血を与えるという行為がどれほど稀有な出来事なのかは言うまでもなく、そのような扱いを受けた者は、掛け値なしで選ばれた存在と言っていいだろう。
つまり、目の前にいる冥王がそうなのである。
「これは、まだ俺がシオン聖王国の勇者であった時の話だ。国のため、王のため、俺は来る日も来る日も戦い続けていた。当時の俺は若く、それが民の笑顔のためになると信じていたんだ」
そこで、ドレッドは少しだけ目を伏せた。
「だがな、幾人の敵を倒そうとも、幾度の勝利を重ねようとも、国に平和が訪れる事はなかった。俺のやっている事は結局、長い歴史の中における『その場しのぎ』でしかなかったということだ。正直、当時は軽く絶望したよ」
父親の過去を聞き、ウルカトーレの顔に悲しみが生まれる。ジェイクの顔は苦痛に歪んでいたが、ドレッドの話はしっかりと聞いていた。
「だから俺は聖王に直談判した。『このまま戦いを続けていても無意味です。敵対する3か国と和解し、共に平和へと歩みましょう』とな。しかし、一笑に付されて終わったよ。『お前の考えは誰もが望み、誰もが追い求める理想だ。だからこそ、誰も信じない』といった感じにな」
「なるほど・・・。それで父上は聖王を討ったのですね・・・?」
冥王ドレッドは、かつて仕えていた聖王を殺して王座を奪い取っている。それは周知の事実であり、当然ウルカトーレも知っていた。
故にそれが切っ掛けなのだと思ったが、ドレッドは首を横に振る。
「いや、それはもう少し後の話だ。その時の俺は聖王の言葉を単純に鵜呑みにし、人間全体に絶望してしまったんだ。『だから、こんなにも醜く争うのか』とな」
「それは・・・随分と飛躍した考えをお持ちになりましたね・・・」
「言うな。若気の至りだ」
娘の苦言に苦笑いを浮かべると、ドレッドは続きを話す。
「そこで俺は『竜の国』を目指した。人間同士の争いを止めるには、人間以外の敵を作るしかないと考えたんだ。『竜の国』に赴き、人間に対して総攻撃を仕掛けるよう頼みに行った」
「父上・・・」
「そんな目で見るな。若気の至りだと言っただろう」
ドレッドは恥ずかしそうに咳ばらいをして仕切り直す。
「共に行くと言ってくれたアレスターを引き連れ、俺は『竜の国』へと向かった。険しい道のりだったが、俺達2人は順調に進んで行った。そして、俺達を侵入者と見做した1人の竜に出会ったんだ。いきなり殺されそうになったが、事情を話して事なきを得た。その竜は聞き分けが良かったんだな。今思えば、あれが最初の幸運だった」
そのあたりの事情を知っている者達は、手持無沙汰気味に話が終わるのを待っていた。セレなどは欠伸をしていたが、ドレッドは気にしていない。
「そして、俺達は巨大な洞窟に連れて行かれた。真っ暗で何も見えなかったが、『奥に行け』と言われたため仕方なく進んだ。しばらく黙って歩き続けると、その奥でまたもや別の竜と出会う。恐ろしいまでの存在感を放っていた。俺は直感したよ、その者こそが――」
「竜王だってんでしょ?」
美味しい所を横取りしたセレが、悪戯っぽく笑う。それをファディアが窘めているのを横目に、ドレッドは軽く笑みを浮かべてから話を続けた。
「そういう事だ。俺は竜王に事情を話し、協力を仰いだ。敵対を希望しているのに『協力を仰ぐ』というのもおかしな話だが、とにかく俺は竜に人間を攻めるよう頼み込んだんだ。しかし、その時は回答をもらえず、『明日、またここに来い』と言われた。『竜の国』と言っても、人間の国のように宿や店がある訳ではないからな。俺達は野宿をして一夜を明かした。そして再び竜王のもとへ訪れると、彼の前に1つの杯が置いてあったんだ。その中には、一口分の真っ赤な液体が入っていた」
「それが・・・竜王の血なのですね・・・」
まるで就寝前に物語を聞かせてもらっているかのように、ウルカトーレは父の話に夢中になっている。傍で死に近づいて行くジェイクのことなど、彼女を含め、最早ほとんどの者が気にしていなかった。
「『お前の望みには応えられん。しかし、力をくれてやろう。それを飲めば、お前には永遠の命が備わる。その命を使って、己が理想を叶えてみせよ。それが、この血を与える条件だ』――と、竜王は語った。どういった風の吹き回しか分からんが、その時の俺は歓喜し飛びついた。だが、少しくらい躊躇すべきだったと、当時を振り返って思う」
そう言って、ドレッドは自虐的な笑みを作る。
「やはり・・・永遠に生きるというのは、おつらいですか・・・?」
それをウルカトーレは現状に対する不満と受け取ったが、ドレッドは否定するように、今度は軽やかに笑った。
「そういう事ではない。俺はまだ生きるのに苦痛を感じていないからな」
「では、何を後悔なさっているのですか・・・?」
「それはだな、竜王の血を飲んだ後のことだ。竜の血肉は、そこらにいる獣とは訳が違うようでな。血を飲んだ直後に、俺の中に凄まじい力が溢れ出したんだ。それはもう膨大な力だった。俺の体がそれに耐え切れず、崩壊を始めたくらいにな」
その時のことを思い出し、ドレッドは古傷が疼くような感覚を全身に味わう。すでに多くの時間が過ぎ去っていたが、忘れることなどできない悪夢のような時間だった。
「体中の肉が裂け、内と外が一緒になったと言えば分かりやすいか?それ程の崩壊だ」
「よく・・・ご無事でしたね・・・・」
「それも竜王の血のおかげだ。いや、『せいだ』と言った方が正しいな。そのせいで俺は崩壊と再生、気絶と覚醒を何度も繰り返す事になったんだからな」
その光景を想像し、ウルカトーレは息を呑んだ。
「一体、どれ程の時間を・・・?」
「分からん。だが、少なくとも数日は苦しんだのだろうな。その時にアレスターがいてくれて本当に助かった。あいつが俺を付きっ切りで癒してくれていなければ、俺は間違いなく竜王の血に負けていただろう」
先程、その友人が放った魔法を目にした。何があったのか詳細は分からないが、余程の戦いがあったのだと理解できる。
今はただ、無事を祈って待つばかりだ。
「だが、俺はついに『血の試練』を乗り越える。そうして手に入れた『不老不死』の力と共に、俺は国に帰った。少し時間は経つが、その後は知られている通りに聖王を殺して国を奪った。そして、他の3か国に宣戦布告をしたという訳だ」
そこでドレッドは居住まいを正し、ジェイクの横顔を見る。
「さてジェイク、まだ生きているか?ここからが本題だ。お前と話がしたいのは、ここから」
その前置きを、ジェイクは辛うじて聞いていた。すでに少なくない血が流れ出ており、意識はさらに朦朧としていたが、ドレッドの話を聞けるだけの余力はまだあった。
「ジェイク、俺達がなぜ4か国で争っていたか分かるか?俺達の国々は『破壊の女神シグラス』亡き後、互いに大陸の盟主だという主張をぶつけ合ってはいた。しかし、そんな物はすでに形骸化してしまっている。俺達は、ただ『昔からそうだった』から戦いを続けていたんだ」
そんな馬鹿な、と思うのは、話を聞いている者達が若いからである。
ドレッドが宣戦布告をしてからすでに60年。その歳月によって、4か国の争いは冥王国を軸とするものへと変貌している。
若者たちは、それ以前を知らないのだ。
「俺はまず、そういった意味のない戦いを終わらせるために宣戦布告をした。理由も分からず戦うのではなく、冥王国に抵抗するための戦争へと変えるためにな。そうすることで、他の3か国間の争いも止まるだろうと考えた。狙いは上手くいき、3か国の敵意を冥王国に集めることに成功した」
この台詞を聞き、ジェイクの中に違和感が生まれる。
これではまるで、敵対する国々を慮っているようではないか。生まれてからこれまで聞いてきた冥王国の実状とかけ離れたドレッドの話に、ジェイクは猜疑心を募らせる。
「嘘・・・なのである・・・!」
その想いを、血と共に吐き出した。
ドレッドはすぐに反論せず、ジェイクの言葉を待つ。
「貴殿は・・・自分の行いを・・・・正当化しているだけなのである・・・!他の3か国を・・・侵略する・・・大義名分を・・・・言い換えているだけなのであるよ・・・!」
その発言を聞いても、ドレッドの表情にあまり変化は見られない。しかし、傍に立つロキリックは苛立たし気に溜息を吐いた。
「天守国の英雄よ、貴方は何も知らない。何も知らないから、そのような思い違いを言葉にできる。冥王様の理想はすでにこの地域に留まってはいません。心して聞きなさい。冥王様の最終目標は『大陸統一』、ならびに『世界の安定』です」
「なっ・・・!?」
信じられない、といった驚愕の声がジェイクの口から漏れる。痛みさえ忘れてドレッドの顔を見ると、そこには至って平然とした感情があった。
余裕のある笑みを見せられたのならば嘘と考えただろう。しかし、すでに何度も話した事のように、ロキリックの語った内容を肯定している表情であった。
「そんなに驚くような話でもないだろう?元々、4か国は大陸の覇権を理由に争い始めたんだ。先程も言ったように、確かに形骸化してしまっているが、それほど異常な理由でもない」
「世界征服・・・そのような・・・野望を・・・・!」
自身の言葉に返したジェイクの言い様に、ドレッドは思わず笑ってしまう。それは嘲笑ではなく、単純に愉快と思ったために出た笑いであった。
「面白いな。捉え方が違うと、そのような表現になるのか」
「笑い事ではありません、冥王様。冥王様が『不老不死』の力を手に入れてまで叶えようとした理想なのですよ?」
「違うぞ、ロキ。逆だ逆。『世界平和』を叶えるために『不老不死』の力を手に入れたのではなく、『不老不死』の力を手に入れたから『世界平和』を目指そうと考えたんだ。お前達はよく俺を美化するが、俺はそこまで聖人ではない」
「同じ事です。己以外の大勢の安寧を願える者が、この世にどれだけいましょう。そのような理想を叶えようとしているだけで、冥王様はこの大陸の覇者である資格を持ち合わせております」
恭しく一礼する臣下に対して、ドレッドは笑みを浮かべた。自然と出て来たような笑顔は、やはりその話が真実であるかのような印象を聞く者に与える。
しかし反対に、ジェイクは怒りを感じていた。それは、ドレッドとロキリックの話を嘘と断じたからである。
「嘘を吐くなである・・・ッ!」
発する声にも力があり、自分の命を消耗してでも否定しようとする意志が感じられた。
言われたドレッドは興味深げにジェイクを観察しているが、ロキリックは深い怒りを感じている。
「愚かな。何が嘘だと?」
「そのような気高き理想を抱いているのならば・・・!どうして・・・武力行使を選んだのであるか・・・!?もっと穏便に・・・済ますことが出来たはずなのである・・・!吾輩達の国にも、平和を望む者は何人もいるのであるよ・・・!どうして・・・その者達と手を結ぼうとしないのであるか・・・!?結局・・・貴殿は争いを好んでいるだけなのである・・・ッ!」
それは、至極真っ当な意見であった。
平和を望む者が戦争を仕掛けるという矛盾。例えそれが必要な犠牲だったとしても、最善手とは程遠いとジェイクは考えた。
どこの国にも争いを嫌う者はいるし、誰であっても戦って死にたいとは考えないはずである。そのような発想に至らず、戦争状態を60年も維持し続けてきた者が『世界平和』を語ると言うのだ。
信じるに値しないと、ジェイクは斬り捨てる。
しかし、それすらもドレッドは上回った。
「ああ、それか。それならば、もうとっくに何度もやった」
自身の反論を否定され、ジェイクは驚きに目を見開く。ドレッドの表情に勝ち誇ったような色はなく、ただ事実を事実として伝えたような面持ちである。
「苦い思い出だからあまり話したくはないんだが、それではお前も納得しないだろう?聞かせてやる」
そう前置きをして、ドレッドは再び己の過去を話し始める。
「お前の言う通り、俺もそう考えた。きっと同じ理想を抱いている者がいるはずだろう、とな。だから、戦場で出会った敵国の指揮官には片っ端から声を掛けた。平和のために力を貸してくれ、と。宣戦布告をして戦争状態を維持したのもそのためだ。敵国の人間と会うには、戦場が一番手っ取り早い」
現に今、ドレッドはジェイクと対面している。
正しいだろう、とでも言うように冥王は肩を竦めた。
「だが、話を聞いてくれる者などいなかった。当然だ。敵国の人間が戦場で『平和のために協力してくれ』などと言ってきて、信じる奴はいない。それでも俺は語り続けた。俺には時間があったからな。そして1年が経った頃、ついに同志が現れる」
それを聞いたジェイクの中に期待感が生まれたのは、彼もまた平和を望んでいるが故だろう。それを見て取ったドレッドは、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「そう期待するな。苦い思い出だと言っただろう?当然、全て罠だった。俺の意見に賛同したかのように振る舞い、実際には俺を殺そうと考えていたんだ。まんまと誘き出され、窮地に追いやられたよ。そんな経験を何度もした。こう言うからには、俺も何度も他人を信じた訳なんだが」
痛ましい思い出話に、ウルカトーレとロキリックは悲し気な表情をしている。すぐ傍で戦闘が行われているのにも関わらず、ジェイクの耳にはドレッドの言葉しか届いていない。
それ程までに、彼の話に集中していた。
「それで諦めたと思うだろう?そうではない。不老不死の身であるが故に、襲われたとしても諦める理由がなかった。いずれは必ず真の同志が現れるだろうと、信じて疑わなかった。そして、遂にその者達と出会う。今度こそ正真正銘、嘘偽りなしの平和を愛する者たちだ。彼らは俺の話を熱心に聞いてくれ、手を貸してくれると約束してくれた。俺は歓喜し、何度も頭を下げたよ。そんな俺に対し、彼らは笑みを浮かべてくれた。そして国に帰り、上の人間に掛け合ってくれたようだった。それで、どうなったと思う?」
ジェイクは、そのような話を聞いた事がなかった。
それがつまり何を意味するのかも、すでに理解してしまっている。
「その通りだ、ジェイク。全員、反逆者として処刑されたよ。分かるか?自国の平和を望んだ人間が、自国の人間に殺されたんだ。冥王に誑かされたという理由でな。彼らの無念を思うだけで、当時の俺は胸が締め付けられる想いだったよ。――いや、それは今も変わらないか」
ここで初めて、ドレッドの顔に明確な悲哀が浮かぶ。
作り話を語った者では絶対に生み出せない感情がそこにはあり、ジェイクは彼の話が全て真実だと悟った。
「そこまで至ると、流石の俺も穏便な手段を諦めた。これ以上、そういった者達を出したくなかったしな。自分の理想を叶えるためには、力で制するしかないと結論付けたんだ。そして俺はそれを為すために、再び『竜の国』を訪れる。竜王の血を頂いた間柄だからな。協力を求めたんだ。それはある条件と引き換えに受け入れられ、50年の歳月を費やして1人の竜を貸し与えられた。その威力は、お前も知っているだろう?」
月食竜が放った『咆哮破』を思い出し、ジェイクはあれならば世界を制することも可能だと断言できた。
3か国を相手取るには過剰な戦力だと思ったが、それが理由ならば納得できる。
「だがな、ジェイク。俺はまだ足りないと考えている。結局の所、平和を為した後に維持するのは人間だ。竜ではない。俺にはもっと多くの協力者が必要なんだ。ジェイク、俺に協力する気はないか?」
それこそがドレッドの話の本題なのだと分かった。
その提案を聞いたジェイクの心臓は強く脈打ち、否定と肯定が思考を駆け巡る。
「お前のような人間は特に必要だ。敵すら傷付けるのを嫌う、お前のような人間が俺は欲しい。その優しさは、間違いなく平和を導くことになるだろう」
今、ドレッドは『優しさ』と言った。ジェイクの仲間ですら『甘さ』と表現する彼の性根を、冥王は『優しさ』と言ったのだ。
それは、ジェイクの心を揺さぶるには十分な言葉であった。
しかし、受け入れられはしない。
「申し訳ないが・・・無理なのである・・・。吾輩には・・・天子様という守るべき存在がいるのであるよ・・・」
先程までの否定的な感情はなく、ジェイクは心の底から謝罪するかのように語る。最早、ドレッドが平和を望んでいるという事に疑いはなかった。
「何故そこまで天子を慕う?最も安全な場所に籠り、労いの言葉を語るしか能のない天子がお前の人生において何になる?俺は違うぞ。お前と共に戦い、お前が生きている限り忠誠を尽くすことが出来る。俺に力を貸せ、ジェイク。そうすれば、お前の愛する天子も悪いようにはしない」
そう言われた瞬間、ジェイクの中に言い様もない不安感が生まれる。何故だか分からないが、天子の身に危険が迫っているような気がしたのだ。
当然、この戦いに負ければ天子の身も危ういだろう。しかし、ここにいる冥王国軍が天示京に辿り着くまでには逃げ延びられるはずである。
そう考えたジェイクの希望を、ドレッドは否定した。
「仕方ないとは言え、天示京の警護を手薄にしたのはまずかったな。そこはすでに制圧済みだ」
冥王の言葉は、ジェイクの鼓動を加速させた。
しかし、こちらを動揺させるための虚言だと、そればかりは信じられない。
「う、嘘なのである・・・!天示京には・・・天子様の親衛隊であるライムダル殿とフィジン殿が・・・いるのである・・・!あの2人が・・・近づいて来る敵に気付かず・・・簡単に侵入を許すはずが・・・!」
それこそ2、3日は持たせるだろう。最終的には追いつめられるだろうが、すでに天子が窮地に陥っているなど信じられなかった。
「あの街には水路があっただろう?あそこから侵入させた」
「無理なのである・・・!水路を閉じる門が・・・下ろされているに・・・!」
「ああ。だから、それを上げさせた」
「何を・・・馬鹿なことを・・・!」
それでは、わざと敵を侵入させた事になる。そのような愚を――親衛隊だけでなく――天守国の民が犯すとは考えられなかった。
第一、敵国の船が近づいて来たら警戒に当たるだろう。ドレッドの話には、不可解な点が多すぎる。
「確かに馬鹿げた行動だ。敵を街に招き入れるなど、罠に嵌める以外に理由がない。だが、味方ならばどうだ?」
「味方・・・!?」
「そうだ。天示京に近づいてきた船が、街に住む貴族達の物だったらどうする?しかも、戦力を集めておいたといった知らせを受けた状況でだ。増援が来たと思い、快く迎え入れるだろう?その中に、俺の国の兵士が隠れているとも知らずにな」
愕然としながらも、ジェイクは声を上げた。
「あ、ありえないのである・・・!そのような行いは・・・天子様への裏切り行為・・・ッ!天守国に生まれた者が・・・そのような事を――否・・・ッ!そのような・・・考えを持つ事など・・・ッ!」
ジェイクの必死の否定に、ドレッドは悲しみを募らせる。
それでも真実を告げようと、仕方なく口を開いた。
「今の天子は、お前を愛し過ぎた。それ以外を蔑ろにしたために、貴族達から反感を買ったんだ。『今の天子はもう駄目だ』という事らしい」
「吾輩・・・達は・・・!見返りを求めて・・・天子様に・・・お仕えしている訳では・・・ないのである・・・!それは・・・貴族の方々とて同じ・・・!そのような戯言を・・・仰るはずないのである・・・!」
「今の天子には兄が2人いただろう?あいつらが唆してくれたおかげだ」
頭を殴られたような衝撃がジェイクを襲う。
天子の兄――あの者たちならばやりかねないと、ジェイクは知っていた。
「いの一番に天守国を裏切ったのがあいつらだ。接触した者の話では、『今の天子を引きずり下ろすためならば何でも協力する』と言っていたようだぞ。他国の事に口を挟むのもどうかと思うが、何故あんな奴らを野放しにしておいた?俺ならば即座に排除していたぞ?」
そうしたかったのは山々だが、そう出来なかった事情もある。今となってはもう遅いが、どのような罪を被ってでも強行しておくべきだったと、ジェイクは激しい後悔の念に襲われていた。
「しかし・・・悲しいと思わないか、ジェイク?俺がいくら平和のために協力を求めても聞き入れなかったくせに、争うために裏切れと言ったらすぐに頷いてくれる。人間とは、平和よりも闘争を求める生き物なのかも知れんな」
そう結論付け、ドレッドはミシェーラに問い掛ける。
「ミシェーラ、天示京の状況はどうなっている?」
「現在・・・天子の住処である悠久御殿を包囲しています・・・」
「――だそうだ、ジェイク。俺が行くまで手を出すなとは言っているが、あの2人のことだ、何をするか分かったものではないぞ?」
それは最悪、天子であるミコトの身に危険が及ぶことを示唆していた。
命を奪われるという事ではない。女性であるミコトを失墜させるには、新たな天子を身籠らせればいいだけなのである。
天子の兄である2人ならば、それを望んで適当な男にミコトを襲わせるだろう。それはすでに実行された過去があるのだから、危惧すべき事態としては妥当だ。
そう考えたジェイクの中に、大きな焦りと絶望が生まれる。
「急いで天子のもとに向かいたいだろう、ジェイク?そこで提案だ。同盟軍を説得してくれないか?」
「なっ・・・!?」
「見れば分かると思うが、この戦はすでにこちらの勝利が確定している。だが、天守国の人間は強情な者が多いからな。これ以上の抵抗は、こちらとしても好ましくない」
この発言の後半部分を、ジェイクは聞いていなかった。視線を戦場へと向け、自軍の状況を確認している。
すでに右翼は壊滅、左翼の姿もなく、中央の軍勢も撤退を始めている所であった。
空を見れば、魔法で作られた竜が落ちていく。おそらく、オングラウスが死んだのだろう。
完敗。それ以外の言葉が浮かばない程の敗北であった。
「どうする、ジェイク?」
同じ光景を見届けたドレッドが尋ねる。しかし、ジェイクに反応はなかった。
ここで頷いてしまえば、それは天守国を売り渡したことになり、天子を裏切る事になる。しかし拒否しても同様に、馳せ参じることができず、天子を見捨てた事になる。
どちらを選んでも君主に対して不義を働く結果となり、ジェイクの思考は完全に止まってしまっていた。
(こういった時・・・考えるのは吾輩の仕事ではないと・・・あの御仁は言っていたであるな・・・)
朦朧とする意識の中、ジェイクは場にそぐわない事を思い出す。そして一度だけ軽く笑みを浮かべると、それ以降は口を開かなくなった。
どちらの道を選んでも間違っていると言うのならば、このまま黙って死のうと考えたのだ。
「第3の選択か・・・それが何も生み出さないのは、分かっているだろう?」
ジェイクの覚悟を見て取ったドレッドが、説得するように語り掛ける。それでもジェイクは答えず、冥王は諦めたように頭を振った。
「――という結末になったぞ、ガロウ」
ドレッドが声を掛けた先には、ウェンウー三兄弟との戦いを終えたガロウ大将軍がいた。大した外傷も見受けられず、確かな足取りで近づいて来る。
「ジェイク・・・」
しかし、その面持ちは悲しみに塗れていた。
好敵手と定めた者が自分以外の前で膝を付いている姿は、彼にしてみれば望んでいなかった光景だからである。
「ドレッド様・・・すでに、終わっていたのですね・・・」
「ああ。お前には悪いと思ったが討たせてもらった。一応勧誘もしてみたが、拒否されてしまったよ」
「そうですか・・・」
地に跪くジェイクを見下ろしながら、ガロウは呟く。
これで借りを返す機会がなくなり、彼の中に失意が生まれた。
「ガロウ、ジェイクを殺してやれ。そうすれば、こいつもこれ以上苦しまずに済むだろう。痛みを感じないよう、出来るだけあっさりとな」
本音を言えば、従いたくない命令である。ジェイクを介抱し、万全な状態となった上で再度勝負を挑みたいとガロウは考えていた。
しかし、それは許されない願い。
ガロウは腕輪を変形させ、両手で大剣を握り、大きく振りかぶる。
狙いは頭を垂れるジェイクの首筋。そこを一瞬で斬れば、痛みを感じさせずに絶命させられるだろうと考えた。
「ジェイク・・・お前とは、一騎打ちで決着を付けたかった・・・」
大将軍ガロウの別れの言葉に、天守国の英雄ジェイクは最後の力を振り絞って小さく笑い声を上げた。それが謝罪だと彼は即座に理解し、同時にジェイクにもはや話すだけの力が残っていない事を察する。
気を失うのも時間の問題だろう。ならば、剣を振り下ろすのはその時でいい。
そう判断したガロウは動きを止める。その慈悲を、見ている誰もが理解していた。
だからこそ、ドレッドも急かそうとは考えていない。
「あ~あ、終わった終わった。さ、帰ろうぜ、ファディア」
その時、セレが呑気な口調で声を出す。場の雰囲気を乱そうとしたのではなく、全てはガロウを想っての行動だ。
「セレちゃん・・・!こんな大事な時にそんな――!」
「いや、セレの言う通りだ。小生達は帰るとしよう」
彼女の考えを汲み取ったカシューンも、それに同調する。訳が分からないファディアであったが、2人がそう言ったために移動を始めた。
ドレッドの傍に仕えるウルカトーレ、ロキリック、ミシェーラの3人は視線を逸らす。敵との別れを惜しむ、悲しみに暮れた戦士の姿を捉えないために。
ドレッドも同様であった。ただ目を閉じ、避けようもない結末を待つばかり。
そして、ジェイクの体が傾く。
どさり、と彼の体が地に伏す音が聞こえた。
「・・・・・・あ?」
その違和感に、セレが怪訝な声を出す。
ガロウがジェイクを殺すのを躊躇っていたのは分かる。しかし、ドレッドの命に背く行動を取るはずもなく、大将軍が大剣を振るう音がまず始めに聞こえなければならなかった。
そうではない理由。それは、ガロウ本人の口から告げられる。
「な、何者だ!?貴様ッ!?」
驚愕するガロウの声に、全ての者が反応した。
ある者は振り返り、ある者は視線を移し、ある者は目を開く。そして、ガロウの大剣を背後から捕らえる大男を目にした。
大将軍よりもやや低い身長ではあるが筋骨隆々。左腰に大太刀を差し、右手だけでガロウが振り下ろそうとした大剣の動きを止めている。
その者の顔には誰も見覚えがない。いや、ミシェーラだけがその男の名前を知っていた。
同盟軍の者からは確か――グレンと。
「野あああああ郎おおおおおおおおおおおッッ!!!何者だ、てめええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!」
突如として現れた乱入者に、セレが大声を上げる。
「待ってくれ・・・!争うつもりはない・・・!」
グレンが慌てて言葉を発し、そして言い終わるまでに、このような攻防があった。
まず、怒りに駆られたセレが自身の脚甲『爆速戦翔』に魔力を注ぎ、猛烈な勢いで飛ぶ。まるで放たれた矢のように、体を伸ばした蹴りをグレンの頭部めがけて繰り出した。
これは、ジェイクの時には出さなかった彼女の本気である。
初速から最高速。グレンにはそれが相応しいと判断した。
しかし、それはいとも容易く彼の空いた左手に捕らえられる。頭部なら兜ごと、岩ならば粉々に粉砕するセレの最速の蹴りを、グレンは素手で防いでみせた。
当然、セレの中には驚愕が生まれる。だが、それを頭が理解するよりも早く、彼女は次の攻撃に移る。
グレンの側頭部を、掴まれた右足を軸にした左の蹴りが襲った。それも、グレンは右手で捕らえる。
しかしそれは両手が塞がったという事であり、加えてガロウの大剣が自由になったという事である。大将軍は即座に剣を振り下ろし、その間に武器を長剣に変え、振り返ると同時に斬り上げた。
それに合わせるように、カシューンも逆方向から長刀を振り下ろす。手加減など一切ない、あらゆる物を両断する2つの殺刃がグレンに迫った。
流石の彼も直撃を受ければ無事では済まないため、セレの両足を解放してそれぞれを片手で防ぐ。常人ならば見ることすら叶わない速度の一振りを、グレンはほとんど見もしないで捕らえた。
ガロウとカシューンにとって、それがどれだけ屈辱的で驚愕な事態であったかは言うまでもない。しかし、グレンの動きを止めることは出来ている。
再び両手を塞ぎ、今度は手放すこともできない。
それを見たセレは空中で体勢を立て直すと、着地したと同時に右回し蹴りを放つ。渾身の力を込めた全力の蹴りが、がら空きの脇腹に襲い掛かった。
それを防ぐため、グレンは左足を上げる。不格好で不安定な姿勢だが、セレの蹴りを難なく受け止めた。
しかしその衝撃によって、彼女の右足の脚甲と骨が砕ける。
それを最後に攻撃は止まり、セレは逃げるように大きく後ろへ飛び退いた。空中で体を回転させ、両手を突いてさらに後方へ。
左足のみで着地し、忌々し気にグレンを睨み付ける。右足の激痛ゆえか、その目には涙が見え、全身からは汗を噴き出していた。
「セレちゃんッ!」
仲間の悲劇を目にし、ファディアが急いで駆け付ける。
グレンを睨み付けたまま、セレは傍にまで来たファディアに向かって苦しそうに呟いた。
「ごめん、ファディア・・・治して・・・・・!」
普段は強気なセレの涙声に、ファディアは泣きそうな表情になる。それでも戸惑ってはいられないと、すぐに行動を起こした。
「待っててッ!すぐ!すぐに治してあげるからねッ!――『白蓮の癒し』ッ!」
セレの折れている右足に両手をかざし、ファディアが独自の回復魔法を唱える。瞬時と表現するのも憚れる程に、間を置かずセレの怪我は治った。
何故かその部分に口づけをすると、ファディアはグレンを睨み付ける。
「お前ええええッ!よくもセレちゃんの綺麗な足をおおおおおッ!!」
友人を傷付けられた怒りのせいか、ファディアは彼女らしくない怒号を上げた。
そのせいではないが、グレンは正反対な申し訳ない表情をしている。と言うのも、未だガロウとカシューンの刃を捕らえているため説得力はないが、彼のこの介入は完全に予定外であったからだ。
当初の考えとしては、彼もジェイクの戦いぶりを見るだけで手を出す気など更々なかったのである。それはジェイクが冥王の襲撃に失敗した時も同様であり、同盟軍の敗北を確信した時も変わらなかった。
しかし、彼の死に際を目にした瞬間、心に妙なざわつきを覚える。
それはおそらくジェイクに対する友情だとか、これまで協力してくれた事に対する恩だとかが混ざり合って生まれた感情であり、ガロウの大剣が動いた直後、体が勝手に動いてしまったのだ。
それが何を意味するのか、グレンも当然理解している。
今回の戦――延いては冥王国と同盟軍の戦争は、ジェイクの死をもって終結となるに違いなかった。それを彼は妨害しており、有終の美に陰りを与えてしまっている。
だからこそグレンは、ジェイクを救ったという達成感以上に、ここまで死闘を演じてきた全ての戦士に申し訳ないという罪悪感と、出過ぎた真似をしたという後悔の念を抱いていた。
だが、もう遅い。
この場にいる者のほとんどが、彼を完全なる敵と認識した。
「てめえらッ!そのままそいつを抑え付けとけッ!私とファディアで仕留めるッ!」
特に、不可抗力とは言え右足を折られたセレの闘争心は凄まじく、グレンに対して強烈な殺意を向ける。ファディアも同じ気持ちであり、頭の中では彼を殺すための魔法を列挙していた。
「待て、お前達」
そんな中、ドレッドの静かな制止の声が掛けられる。落ち着いた口調であったが、その顔にジェイクとの会話で見えていた笑みはなく、余裕のないことが伺えた。
大将軍と将軍による攻撃を簡単に防いだとあっては、少なくとも3人の実力を合わせた以上の力を持っていることは確定であるからだ。
そんな人間がいるとは、今まで思ってもみなかった。
「なんッでだよ、王様ッ!?やられっぱなしじゃ気が収まらねえッ!こいつは今すぐ殺すッ!!」
「セレ、お前は少し黙っていろッ・・・!」
自分の闘志を見せつけたつもりのセレであったが、ドレッドの苛立ちを含んだ声に堪らず怯む。冥王たる彼にここまでの感情をぶつけられたのは初めてであり、立場だけでなく、存在としての格の違いから恐怖を覚えた。
「な・・・何だよッ・・・!?そこまで怒ること・・・ねえだろ・・・!?」
「すまん、セレ。今のは俺が悪かった。この男と話がしたいから、少し静かにしてくれと言いたかったんだ」
衝撃を受けたセレに対し、ドレッドは即座に気持ちを切り替えて言い聞かせる。遥か年下の女性に対して声を荒げてしまい、彼は自分を恥ずかしく思った。
優しさを求めるようにファディアに抱き付くセレには後で言葉を掛けるとして、ドレッドは未だ膠着状態の3人に意識を向ける。
「ガロウ、カシューン、とりあえず剣を引け。そいつは、お前達では敵わん相手だ」
「しかし、ドレッド様ッ・・・!」
「友を傷付けられた恨みは、小生にもッ・・・!」
セレ同様、指示に従わない2人に対してもドレッドは不快感を覚える。しかし先程のように声は荒げまいと、心を落ち着かせた。
「お前達のためだ。それに、そいつは敵ではない」
そう言われ、剣を向ける2人は渋々といった感じではあったが力を抜く。それを受け、グレンも両手を放した。
「ご理解いただき、感謝します」
いくら目の前にいる冥王が同盟軍の敵だとは言っても、グレン自身の敵ではないため、他国の王に接する際に適した態度を取った。
一礼し、自分に戦う気がない事を察してくれたドレッドに感謝を告げる。
「なるほど、礼儀は弁えているようだ。だが、まずは名を名乗れ」
「これは失礼を。グレンと申します」
グレンの名を聞き、ドレッドは記憶の中から敵対国家にそのような人物がいたかを探る。
しかし、これ程の実力を持っている者ならば忘れる事はないため、すぐに聞いた事がないと判断した。
「ふむ・・・知らん名だ。という事は、同盟軍の者ではないな。どこの国の者だ?」
その問いに対して、グレンはすぐには答えない。
ここでフォートレス王国の名前を出す資格が彼にはないし、最悪の場合シオン冥王国と王国が敵対関係になる恐れがあるからだ。
正直に答えるのは危険すぎると、グレンは考えた。
「申し訳ありません。それには答えられません」
「という事は国家規模の介入ではないな。あくまで個人的な助力か」
ドレッドがそう分析した時、ミシェーラが彼に耳打ちをする。グレンがエルフ族の護衛であった事を伝えたのだ。
「なるほど、エルフ族の協力者か。それでこの戦にも参加した――という訳ではないようだな。それならば『争うつもりはない』などと発言しない。ジェイクを助けるにしても、ガロウを後ろから斬れば済むこと。俺達の前に姿を現したのは予定外の行動・・・思わず、といった感じだろう?違うか?」
ドレッドの的確な分析に、グレンは称賛を覚える。同盟軍を苦しめる国を率いているだけはあるのだなと、彼に対する評価を改めた。
「その通りです。お若いのに、素晴らしい洞察力をお持ちで」
その台詞を聞いた瞬間、ドレッドは少しの間だけ呆けた表情をした。そしてすぐに笑い声を上げる様を見て、何か可笑しなことを言っただろうかとグレンは訝しむ。
「グレンとやら。さてはお前、俺について何も知らないな?それだけこの戦に興味がなかったという事か。いや、自分の中に明確な線引きをしていると言った方が正しいのか?」
「どういう意味でしょうか?」
「俺は『不老』だ。すでに80歳を超えている。いや、隠す必要もないか。俺は『不老不死』だ」
「なっ・・・!?」
ドレッドの暴露に、グレンは目を見開いて驚いた。
そう、彼は冥王国について、冥王についてほとんど何も知らなかったのだ。ただ漠然と、冥王率いる冥王国が、同盟軍と戦っているという認識しか持っていなかった。
今まで出会った誰とも深く入り込んだ話をした事はなく、それこそがグレンの中での明確な立場を表している。全ての決着は4か国とエルフ族の者達で付けなればならず、自分が必要以上の情報を知る必要はない――といった感じだ。
「その反応。もしや俺が『不老』である事も知らなかったのか?これは敢えて広めようとしたんだがな」
笑いながら言う通り、ドレッドは国内外を問わず自分が不老である事を故意に広めていた。昔から彼を知っている者ならば気付くことであり、それを信じる者は数多く存在している。
そして、それを快く思わない者達が少なからずいた。いずれ死ぬのならば待てばいいだけだが、不老とあっては殺すために動かなくてはならない、そう考える者が現れたのだ。
当然、ドレッドはそれを狙って自身の秘密を漏洩させている。その情報は、特に国内にいる裏切り者を炙り出すために機能し、不死の特性を知らない者達は様々な手段でドレッドの命を狙った。
その中でも毒殺が多く、「毒の味を覚えてしまった」と自虐的に彼は言う。
だが、そのおかげで冥王国内の自浄は完遂できた。不死の情報が知られていないのも、そういった連中を余さず殺してきたからだ。
別に知られても構わなかったが、返し技としては最上であるため秘密のままにしておいた。
今ここでグレンにそれを教えたのは、ジェイクに殺されたはずの自分が瞬く間に傷を癒したのを見られたと思ったからだ。
「な、なるほど・・・それで、そんなにも若く・・・。ジェイクの攻撃を受けたのにも関わらず命を取り止めたのは、身に着けている魔法道具のせいではなかったのですね・・・」
グレンはドレッドが魔法道具を装備しているのを見抜いており、その効果で傷が癒えたと判断していた。彼の特技が、勘違いを誘発した形である。
「なんだ、そう考えていたか。それならば教えなくとも良かったな。と言うか、普通はそう考えるか。俺もまだまだ詰めが甘い」
「はあ・・・」
なんだこの会話は、と思いながらグレンは相槌を打つ。
だがそこで、倒れたジェイクが呻き声を上げたために、彼も自分が為したい事を思い出した。
「陛下。貴殿と言葉を交わせることは光栄ですが、ジェイクには時間がありません。彼を連れ帰ることの許可を頂きたい」
「ジェイク?――ああ、そうか。そう言えば、お前はこいつを助けたんだったな。確かに、急いで応急処置をしなければ死ぬような状態だ」
ジェイクの姿を視界に納めながら、ドレッドは考える。この者との交渉はすでに決裂しており、生かしておいても後々の脅威となる可能性があった。
そのため、この場で殺してしまった方が得策ではあるが、それをグレンが許すかどうか。もし許さないとして、こちらがどのような被害を受けるか。
それを思考するため、ドレッドは黙る。グレンとしては急いで許可して欲しかったが、急かすことは出来ないと待った。
そんな2人の間に、ロキリックが割って入る。
「冥王様、よろしいでしょうか?」
「ん?どうした?」
問われたロキリックは答えず、勇敢にもグレンに対して面と向かう。彼が冥王に対して敬意を持って接しているのを見て、力で全てを解決するような人物ではないと判断したからだ。
「グレン殿と仰いましたか?申し訳ありませんが、こちらとしてもそのような要求を安易に受け入れる訳にはいきません。この者はすでに我が国の捕虜となっています。解放して欲しいと言うのならば、それなりの対価を支払うべきかと」
「対価?」
「はい。多額の身代金や捕虜の交換。我が国はそれを要求します」
無論、グレンにそのような事はできないと理解しての発言であった。しかしこれは正当な申し出であり、正常な判断ができる者であるならば無視はできない事柄である。
冥王との会話でグレンの性格を見抜いたロキリックは、こう言えば彼が大人しく引き下がるだろうと考えたのだ。つまり、ロキリックはジェイクをこのまま始末するつもりなのである。
「すまないが、私にそのような物はない。いや、国に帰ればなんとかなるが、今は持ち合わせがないんだ。天守国の者に掛け合おうにも時間が掛かる。このままではジェイクの命が危うい。彼の安全を確保できたのならば、身代金でも捕虜でも望み通りに渡すと約束する。だから、今はジェイクの身を引き渡してくれないか?」
グレンの懇願に対して、ロキリックはわざと呆れたように頭を振る。
「論外ですね。そのような約束を信じられる訳がない。それとも、対価も支払っていないのに個人的な要求を聞き入れてもらえると思っているんですか?もしそう思っているのならば、貴方はとんだ愚か者だ。我々だけでなく、天守国の英雄に対しても無礼だと言わざるを得ない」
敢えて厳しい言い方をしたのは、グレンの性格を完全に把握しようとしたからである。そして、このような物言いをされても困って唸るだけの所を見るに、強大な力を持ちながらも彼が内面に関しては一般的な常識の範囲に収まっているという事が分かった。
暴れられる危険性もかなり低い。それならば御しやすいと、ロキリックは満足気に微笑む。
「そこまでだ、ロキ。お前は大きな勘違いをしている」
しかし、他の誰でもないドレッドが彼の言葉を否定した。
慌てたように振り向く臣下に対して、冥王は諭すように言う。
「こいつには武力がある。それも、おそらくは圧倒的な。それを対価とするならば、ジェイクを引き渡そう」
「冥王様・・・!?」
「分かっている。グレンが無闇に力を振るうような男ではない事くらいな。だが、それはこの場での話だ。今後を考えて、釘を刺しておく必要がある」
何を要求するつもりなんだと、グレンとロキリックはドレッドの言葉を待つ。
そして発せられた彼の望みは、至極単純なものであった。
「本来ならば『冥王国に力を貸せ』と言う所だが、そこまではお前も応じないだろう。だから望む事は唯一つだ。今後一切、この戦争の勝敗を覆すような真似はするな。それを誓えると言うのならば、ジェイクを渡す」
分かりました、と即答できる条件であったが、その直前でグレンは考える。
言われるまでもなく勝敗を覆す気などないのだが、それでは結局ジェイクたち同盟軍に属する者の命が失われる可能性があった。
それでは彼を助けた意味がなく、その要求をそのまま受け入れては元の木阿弥である。
かと言って加勢する意志はないため、グレンはある提案を思い付いた。それはかつて忌避したものだが、今となっては仕方ないと思える行動である。
「分かりました。ですが、ジェイクの他に時間も頂きたい」
「時間だと?どういう事だ?」
不服そうなロキリックをよそに、ドレッドは興味深げに問い掛ける。
「ジェイクを連れ帰り、冥王国との戦闘を終わらせるよう同盟軍に対し説得させたいと思います。今回の戦いで、彼らもそちらの力を思い知ったでしょう。これ以上の戦闘は無駄な犠牲を増やすだけです」
「ほう、なるほどな」
それはドレッドにとって願ってもない提案であった。
実際、つい先程ジェイクにそう持ち掛けた所なのである。グレンを命の恩人と知れば彼も従う可能性があり、ドレッドは快く頷いた。
「いいだろう。ただし、1日だけだ。待つのは1日だけ。壊滅状態の同盟軍は、どうせどこかの砦に籠るだろう。そこを包囲して待つ。もし約束の時間にも降伏がなされないのであれば、その時は心苦しいが皆殺しだ。お前も、それで納得してくれるか?」
「はい。寛大な御配慮、感謝します」
そう言って頭を下げるグレンに対し、ドレッドは満足気に微笑む。
あれ程の力を持ちながら、この低姿勢。きっと教育の行き届いた国で育ったに違いない。
「ならば交渉成立だ。ジェイクを連れて行け」
ドレッドの言葉にもう一度だけ軽く頭を下げると、グレンはジェイクのもとまで歩いて行く。そして彼を抱き起こし、その腹部に刺さったままの『深く沈む傷』を抜こうとした。
「ああ、それはそのままの方がいいぞ。抜くと出血がひどくなる」
「・・・分かりました」
「後で返しに来てくれ」
冗談なのか本気なのか、ドレッドは最後にそう言った。
それを含めたこれまでのやり取りで、グレンは自身の中にあった冥王への印象が大きく変わったのを実感する。案外、話せば分かる人物なのかもしれないと、密かに思ってしまっていた。
しかしそれ以降は何も言わず、ジェイクを抱えて走り出す。彼の身を案じて比較的ゆっくりな速度であり、次第にドレッド達の視界から消えて行った。
「グレン・・・か。この土壇場でとんでもない奴が出てきたものだ」
「宜しかったのですか、冥王様?」
何がだ、と言うように、ドレッドは発言者であるロキリックに視線を向ける。
「あの者が約束を守る保証などありません。同盟軍を説得させるというのも、単なる時間稼ぎである可能性があります。それに――」
「それ以上はいい。何も言うな」
その時ロキリックは、将軍たちの敗北についても言及しようとしていた。
足を折られたセレ、剣を止められたガロウとカシューン。彼らが持っていた自分に対する信頼に大きな傷ができたのでは、と言いたかったのだ。
それは事実であったが、その発言が彼らを傷付けるのもまた事実である。そのため、ドレッドは臣下の言葉を遮った。
「これは・・・失礼いたしました」
彼もそれを理解し、すぐに謝罪をする。
「まあ、そう気を張るな。もしグレンの奴が約束を守るつもりも同盟軍を説得するつもりもないのならば、ここにいる者は俺以外全員死んでいる」
「御冗談を・・・!」
「俺が冗談でお前達の死に言及すると思うか?」
そう言われ、ロキリックは口を噤む。すでに冥王の中では、グレンがここにいる者達を合わせた以上の戦力となっているのだ。
何がそうさせたのかは分からない。単純に気に入ったがために贔屓目に見ているのかもしれない。
しかし、王として君臨する者の言葉を軽んじる事も愚かである。
「分かりました。全ては冥王様の望みのままに」
深々としたロキリックの一礼を見届け、ドレッドは敗走した同盟軍を追走するよう自軍に指示を出した。
平原を舞台にした大決戦は、冥王国の勝利で終わったのである。




