4-26 素晴らしき戦い
『選び、導く絶対秩序』を握ったマリアは、アレスターを睨み付けたまま動けずにいた。双方の背後には両陣営の兵士がいたが、これから始まるであろう壮絶なる戦いを前に息を潜めている事しかできない。
「のう、マリアよ」
誰もが緊張感に縛られる中、唯一人アレスターだけが平静を保っていた。少女へ語り掛ける言葉にも落ち着きがあり、佇まいにも余裕が見える。
「なんですか・・・?」
返すマリアは全身で警戒心を露わにしていた。目の前の強敵の思惑が理解できず、こちらの隙を作るつもりなのかと疑惑を持つ。
「ああ、そんな警戒せんでよいぞ。儂は、お前さんと戦うつもりなぞないからのう」
「え・・・?ど、どういう事ですか・・・?」
戦場に出ていながら戦うつもりがないとは。
噂に聞くアレスターの戦歴からは、想像もできない台詞であった。
「無論、相手が娘でなければ容赦はせぬ。しかし、儂にも孫娘がおってのう。――ああ、そうじゃ。つかぬ事を聞くが、マリアよ。お前さん、歳はいくつじゃ?」
それは世間話以外の何物でもなかった。さらに訳が分からなくなったと、マリアの頭が混乱していく。
それでも何か言い返そうと、無理矢理にでも口を開いた。
「お、女の子に年齢を聞くのは・・・失礼じゃないかな・・・!」
その発言もまた場に相応しくなく、アレスターは楽し気に笑う。
「若い娘がそのような事を気にせんでええ。若いうちは、自分の若さを誇るもんじゃ」
「じゃ、じゃあ・・・16歳です・・・」
老人の親し気な態度にマリアの警戒心も若干薄らいだのか、素直に自分の年齢を伝えた。それを聞いた干民達が、何故か「おお~!」と歓声を上げたため、少女は恥ずかしさに頬を染める。
「なるほどのう、儂の孫娘より1つ上か。それでもしっかりしておる。見習わせたいくらいじゃ。親御さんの育て方が良かったんじゃろうなあ。ご両親は健在かな?」
「え・・・?あ、はい・・・父と母は生きています・・・」
「そうかそうか。このような御時世じゃ、親孝行はしっかりせんといかんぞ。いや、『光の剣士』として活躍しておるのじゃから、それはもう十分か」
上機嫌に笑うアレスターの朗らかな表情に、マリアは猜疑心を募らせる。
分からない。何をしたいのかが分からない。
先ほど交戦の意思がないと言っていたが、それを鵜呑みにする程マリアは迂闊ではなかった。
だとしたら、何が目的なのか。
「い、いい加減にしてください!何が目的なんですか!?」
じれったくなったマリアは直接問い質すことにした。
アレスターも笑うのを止め、少女の顔を見つめる。
「そうじゃのう・・・。言うなれば、時間稼ぎといった所かの」
「時間稼ぎ!?な、何を企んでいるんですか!?」
「落ち着きなさい。この戦が終わるまでの時間稼ぎ、という意味じゃ。お前さんを嵌めるつもりなぞありはせんよ」
「お、お爺さんの言っている事は訳が分かりません!しっかり説明してください!」
まるで心理戦を仕掛けられているかのような状況に、マリアは混乱していた。今までこのような戦いは経験したことがなく、彼女としても対処の方法が思い付かなかったのだ。
それで敵に全部を聞こうとするのはどうかと思うが、親切にもアレスターは答えてくれる。
「さっき言うたじゃろう?お前さんと戦うつもりはない、とな。だから、こうして会話に興じておるという訳じゃ。そしてこのまま何事もなく決着が付けば、お互い無傷で帰れるというもの。誰もが傷つく戦いの中で、これ程の成果はあるまい?」
「それは・・・そうですけど・・・。そんな事をして、お爺さんは大丈夫なんですか・・・?」
同盟軍の狙いは、冥王を討ち取ることである。そのため、このままじっとしていても問題がないと言えばなかった。ここにいる敵兵が精鋭部隊の邪魔をしたり、他の味方を襲わなければ良いのだ。
しかし、彼らは違うだろう。
敵である同盟軍を攻めない理由がないため、命令違反になる恐れもある。実際、アレスターの後ろに控える彼の部下達は、互いに顔を見合わせて動揺を露わにしていた。
「ほう、優しい子じゃのう。じゃが、心配無用。ドレッドからは『殺す必要はない』と言われておる。儂としても、お前さんを傷つけるのは心苦しいからのう。戦が終わるまで、何もしないのが一番じゃ」
その言葉を聞いた時、マリアは少しだけむっとした。まるで戦っても自分が勝って当然と言わんばかりの態度である。
いくら先々代を倒したからと言って、少し調子に乗り過ぎなのでは、と思った。
「ああ、すまんすまん。お前さんを見くびっておる訳ではないぞ?先程の一撃を見て、お前さんに容易く勝てるなど思うはずがあるまい?言葉のあやじゃ、許しておくれ」
しかし、マリアの不機嫌を察したアレスターが即座に謝罪をしてくる。なんだか自分の祖父と話をしているような感覚に、少女の警戒心は完全に喪失した。
「お爺さんは・・・本当に冥王国の人なんですか?」
「んん?どういう事じゃ?まさか冥王国に住む者達が、誰も彼も極悪非道だとでも?」
「うっ・・・!ち、違うんですか・・・?」
マリアの素直な物言いに、アレスターはまたもや笑い声を上げる。
「そう誤解してもおかしくはないのう。儂らはお前さんらの国に、ひどい事をしてきたからのう」
「そうです、それです!一体、冥王国は何が目的で他の国を相手に宣戦布告なんてしたんですか!?」
「お前さん、勉強はしてきたかの?」
「ううっ・・・!あんまり・・・得意ではなかったですけど・・・!で、でも!昔から4か国で争っていた事くらいは知ってます!ボクが聞きたいのは、どうして他の3か国を相手にして、こんなにも大きな戦争を起こそうと思ったのかという事です!月食竜さんなんて、すごい戦力まで手に入れて!」
先程、アレスターは冥王の事を敬称も付けずに呼んだ。年齢も加味すれば、ドレッドと浅からぬ関係であることは想像に難くない。
その事から、当時の事情を知っているだろうと思われたのだ。
「さあてのう。お前さんに教えるにはまだ早い、とだけ言っておくとするか」
しかし、アレスターはそう言って煙に巻く。
もやもやした気持ちになったが、無理にでも知りたい訳ではないと、マリアは早々に諦めた。
「そのくらいでいいか・・・マリア・・・?」
それを会話の終わりと見たのか、手に持ったままのピースメイカーが彼に似合わない神妙な声色で語り掛けてくる。揶揄うことも躊躇われる程の雰囲気が感じられ、マリアは宝剣に視線を落とした。
「どうしたの、ピーちゃん・・・?」
「穏便に済まそうとしているところ悪いんだが・・・あいつ、俺の前の前の主様の仇なんだわ・・・!」
その一言でピースメイカーが何を望んでいるか、マリアはすぐに理解する。彼にしてみれば主人を殺した相手であり、怒りを抱かない方がおかしかった。
ここで遭ったが、というものなのだろうか。マリアは、ピースメイカーから初めて本気の怒りを感じた。
「でも、お爺さんは争う気がないって・・・!」
「自分達で仕掛けておいて、今更それはねえだろ!理解しろ、マリア!アレスターの言ってる事は、結局のところ自分の気分次第だって事なんだ!気が乗らないからお前とは戦わない!だがな!他の奴らは別だって事だ!お前が今こいつを倒さなきゃ、いずれこいつに殺される仲間が出て来る!お前がこいつと呑気してる間にも、命懸けで戦っている仲間だっている!この戦が終わった後、お前はそいつらに誇れるのか!?自分は楽しく話し込んでいただけって、死んだ連中に言えんのかよ!?」
ピースメイカーの叱咤は、少女の胸を強く打った。例えそれが彼の恨みから来る考えだったとしても、言っている事には説得力があったのだ。
無論、命の奪い合いなどしない方が良い。
けれども、ここに立っている時点でそのような甘えは許されないはずだ。
「お爺さん・・・」
「ん?なんじゃ?」
マリアはアレスターに向かって、『選び、導く絶対秩序』を構える。豹変とも取れる少女の行動に、アレスターは焦りの色を見せた。
「『選び、導く絶対秩序』が何か言ったようじゃな・・・。大方、儂に恨みがあるといった所じゃろう?止めておきなさい。それは、お前さんには関係のない事じゃ」
「ごめんなさい、お爺さん。でも、ボクは1人で戦っている訳じゃないので」
「・・・・・・難儀な・・・」
ぼそりと、アレスターは溜め息と共に呟く。辛うじて聞こえたそれを最後に、老人が口を開くことはなかった。
こちらに顔を向けたまま、じっとしている。
かかって来いと言っているのか、それとも自分から手を出したくはないのか。いずれにせよ、向こうも覚悟を決めたようである。
「いいか、マリア・・・今から言うことに注意しろ・・・」
かつてアレスターと戦った事のあるピースメイカーが、持ち主に対して助言をする。これまでも戦闘中の指示はあったが、戦いの前の注意事項など初めての事であった。
目の前の老人がそこまでの脅威なのだと、マリアは深く理解する。
「アレスターの野郎が口を動かした瞬間、全速力で移動しろ・・・。暇があれば詳しく説明してやりてえが、今はそんな事よりも目の前の敵に集中だ・・・」
言われずとも、マリアにはその理由がなんとなく分かった。
アレスターと言えば、膨大な破壊をもたらす魔法使いとして有名である。そして魔法使いと言えば、口で魔法名を唱えるのを絶対としていた。使用者の力量によって変わるが、魔法には唱えてから発動までに時間差があり、その隙に避けろと言っているに違いない。
(それだったら、一気に距離を詰めた方が良いよね・・・!)
数々の戦闘が少女に戦い方を学ばせたようで、マリアはそう結論付ける。魔法使いの弱点は、接近されると魔法を唱える余裕がない事だ。
そのため距離を置いたり、護衛を連れているのを基本としているが、先程までマリアの説得を試みていたアレスターは少女のすぐ傍で孤立している。もはや格好の獲物であり、真の力を発揮したマリアならば圧倒できそうであった。
それでも油断はせず、ピースメイカーの指示通りに動くため、相手のことを慎重に見張る。先手を打って動くべきかとも思ったが、アレスターが無抵抗を決めた可能性も否定できない。そのような老人を斬ったとあれば後味が悪く、マリアは相手から動くのを望んでいた。
そして少女の望み通り、アレスターの口が僅かに動く。声が小さくてよく聞こえなかったが、魔法使いが口を動かしたのだから魔法を唱えたと見ていいだろう。
もし万が一違ったら、その時は「ごめんなさい」だ。
そう結論付け、マリアは飛翔し、全速力で地面に激突した。
「――えっ!?」
激突した際の痛みはないが、己の現状を把握できずに混乱する。なぜ自分は地に伏しているのだろうかという疑問が、少女の頭の中を支配していた。
立ち上がろうにも、体中が地面に縫い付けられているかのように重い。少し離れた位置へ目をやると、周辺の地面が窪んでいるようにも見える。
「野郎ッ・・・!!」
異常事態の答えの一片とも言うべき一言が、ピースメイカーから発せられた。彼の台詞はこの現象がアレスターによるものなのだという事を意味しており、加えてそこには想定外という意思も込められているように思える。
「『選び、導く絶対秩序』よ、お前が抱えているであろう疑問に答えてやろう。儂とて成長したという事じゃ。儂の『重力束縛すなわち不動』は、先々代と戦った時よりも強く、素早くなっておる。マリアに躱すよう指示を出したと思うが、そんな余裕なぞありゃせんよ」
声が聞こえないはずであるピースメイカーの思考を当て、自身の仕業だとアレスターは明確に告げる。数十年もの間、研鑽を積み重ねてきた到達点なのだと。
「さて、マリアよ。そして『選び、導く絶対秩序』よ。まだ戦う気はあるかの?お前さんらは大丈夫じゃろうが、後ろの連中はそろそろ死にそうじゃぞ?」
そう言われ、マリアは上体を起こし、慌てて後ろを振り返る。とは言っても体が重く、ぎこちない動きをしながら仲間の現状を確認した。
「マ・・・マリア・・・」
強力な重力によって地面と鎧に挟み潰されそうになりながら、ロイドが少女の名を呼ぶ。アレスターの魔法はマリアを中心としている訳ではなく、左翼部隊のある地点から少女にかけてまでを効果範囲としているようだった。
そのため、数百人程の兵士達が呻きながら地面に突っ伏しており、中には出血している者までいる。無事だった者の方が多いが、誰も近づけず、どうしようもないと呆然とするばかり。
その悲惨な光景にマリアは悲壮感を覚え、逆に冥王国の干民達は笑い声を上げていた。
それを、アレスターが苛立たし気に一瞥する事で黙らせる。同じ目に遭っては堪らないと、彼らも即座に口を閉ざした。
それにより生まれた僅かな静寂を、マリアの大声が突き破る。
「うわあああああああああああああああああッッ!!」
少女の口から溢れ出たそれは、恐怖による悲鳴ではない。仲間を救おうと立ち上がる、『光の剣士』の雄叫びであった。
彼女らしからぬ行動に、見る者全てが狼狽えるかのように沈黙する。しかしその実、美しく輝くマリアの姿に誰もが目を奪われていたのだ。
背負う光翼は大きさを増し、抑えきれない力の高まりを粒子と化して放出している。握る剣の輝きが迸り、遠く離れた者にも異変が起こった事を伝えていた。
その力の上昇を最も身近で感じるピースメイカーは、想定外の事態に唖然としてしまっている。
「おいおい、マリア・・・お前・・・・!ここから・・・さらに伸びるのかよ・・・・・!?」
マリアは強化された筋力を使って立ち上がっている訳ではない。光翼の飛翔能力によって、徐々にだが重力の束縛に押し勝っているのだ。
それを見たアレスターも、余裕をなくして目を見開く。
「こりゃ・・・まいったのう・・・」
実の所、アレスターの独自魔法は対『光の剣士』を想定して作られている。
最も厄介な敵への対抗策を練るのは自然で、彼はドレッドが冥王となる以前より、それを念頭に鍛錬を積んできた。
今使用している魔法も、飛翔できる『光の剣士』を地に留まらせるための魔法である。戦闘において、空を飛べるというのは恐ろしい程の利点であり、4か国で争い始めた時代からの変わらぬ脅威であったのだ。
しかし、アレスターだけはそれを克服できている。そして『光の剣士』を苦しめるという事は、他の人間に対しては圧倒できるという事であった。
今まで誰一人として、彼の魔法から逃れ出た者などいない。
そう、今までは――。
「マリアよ・・・お前さんは一体、どれほどの・・・」
強大な重力の中、自身に向かって敵意を燃やす少女にアレスターは恐怖を覚える。
彼とて勝算があったからこそ、ドレッドからの指示に拒否感が芽生えたのだ。負けるから戦うのを嫌ったのではなく、勝ててしまうだろうから従うのを渋った。
子供を傷付けるなど、老人に許される行為ではない。あの時はそう考えた。
だが、目の前の少女は最早、自身の全力を以って当たらなければならない存在になっている。そういった結論に達したアレスターは、臨戦態勢へと瞬時に気持ちを切り替えた。
そして、次なる魔法を唱える。
「――『流星直撃すなわち破滅』・・・!」
アレスターが空に向かって掲げた杖から、一筋の魔力が放たれる。天高く伸びゆくそれは、しかしながら最終的に何事もなく淡く消えた。
「来るぞおおおおッ!マリアアアアアッ!!」
しかし、ピースメイカーは全力の警戒を声にする。かつてアレスターと戦い、そして生き残った彼だからこそ、これから何が起こるのかを理解していた。
そして、すぐに誰もがそれを理解する。
まず始めに知覚できた変化は音だ。体中を震わせる地鳴りのような音が、瞬く間に戦場を満たし始めた。
そして、次なる変化は空だ。日の光が広がる青空の中に、1つの真っ赤な輝きが見え始める。それは音とともに次第に大きくなっていき、遂にはその全貌を明らかにさせた。
巨大な――巨大すぎる魔力の塊。それが今、天から降って来たのだ。
「よく聞け、マリアよ。あれには儂の魔力を、最早どれだけか忘れた程に蓄積させておる。予め核を空へと打ち上げ、余力のある時に逐次溜め込んでいったものじゃ。その威力は儂でも分からん。じゃが、これだけは言える。『光の剣士』の盾でも、あれを防ぐのは容易ではない」
自身の放った魔法の説明を、アレスターは重力に抗うマリアに始める。それは自分の実力を知ってもらいたいのではなく、少女の戦う気力を削ごうとしていたのだ。
「しかし、今ならば止める事はできる。お前さんが剣を納め、この場を丸く収めると言うのならばそうしよう。未だ儂の魔法から逃れえぬその身、その若さ、惜しかろう?」
『流星直撃すなわち破滅』は莫大な威力を誇るが、落ちてくるまでに時間が掛かる。『重力束縛すなわち不動』は、それまでの時間稼ぎにもなっていた。
この2つの魔法を組み合わせ、アレスターは先々代の『光の剣士』を破っている。『選び、導く絶対秩序』が無事だったのは、先々代が最後の最後に、彼を庇ったからだ。
『君だけは・・・死んではいけないよ・・・』
かつての主の最後の言葉を、ピースメイカーは今でも覚えている。あの時の彼の顔を思い出す度に、アレスターへの恨みが募っていった。
故に、仇の提案を受け入れる訳にはいかない。
「聞く耳を持つな、マリアッ!今のお前だったら防ぎきれるッ!あんな魔力の塊、そう易々と2つ3つ作れる訳ねえんだッ!あれに耐えられたら奴に対抗手段はないッ!お前の勝ちだッ!」
もちろん確証はない。
けれど、もし駄目だったのならば再び自分が犠牲になればいいと考えており、ピースメイカーはマリアに戦闘の継続を促した。
アレスターの提案。ピースメイカーの激励。刻一刻と近づく仲間の死。
そのどれもが、マリアの頭の中には入って来なかった。
「ううううう・・・・・!」
唸るような声を上げ、少女は剣の柄を力強く握る。その行動を、ピースメイカーは自分の指示に従ってくれるものだと判断した。
少し様子がおかしいが、覚悟を決めた時というのは誰でもこうなる。
竜の『咆哮破』を防ごうとした際にも、似たような感じだった。
「良い気迫だ、マリアッ!俺達の力ッ!アレスターの野郎に見せて――」
「うううううううううううううううわああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
ピースメイカーの言葉を遮り、マリアは2度目の咆哮を上げる。それはもはや正常とは言い難く、少女の身に何かが起こった事を告げていた。
「ええッ!?ちょ、マリアさんッ!?」
怨敵アレスターが相手とあって、かなり真剣に構えていたピースメイカーも主の異常事態に大いに戸惑う。声を掛けるが反応はなく、少女は混乱したままの宝剣を力一杯振り上げていた。
重力による束縛など消え去ったかのような身軽な動き。しかしそれはピースメイカーの指示とは異なり、攻撃に移る態勢である。
「な、なるほどッ!アレスター本人を叩こうって訳かッ!確かに、そっちの方が――」
などと納得しかけた直後、『選び、導く絶対秩序』の輝く刀身が更なる発光を見せる。光刃が瞬時に上空にまで伸びきり、マリアが何を為そうとしているかを彼も理解した。
「あ、そっちッ!?」
間違いなく、マリアはアレスターの『流星直撃すなわち破滅』を両断しようとしているのだ。
宝剣の言う通り、直接使用者を攻撃した方が早くはある。しかし、今のマリアは興奮状態にあり、まともな思考ができていなかった。
今までの戦闘で見せた事のない少女の一面。それは、今までにない大規模な戦闘と、今までにない力と、今までにない重責とが混ざり合った結果であろう。
場数を踏んだとは言っても、マリアはまだ若干16歳の少女なのだから、それくらいの不安定さは致し方ない。そしてそれが導く結果がどのようなものになっても、仕方のない事なのである。
「やめなさい、マリア!」
アレスターの制止も間に合わず、マリアは剣を振り下ろす。実を言うと老人は、マリアの返答に関わりなく、地面に激突する手前で自身の魔法を消す予定だったのだ。
最初から言っていた「マリアと戦う気はない」は依然変わらず、全てはそれを為すための見せかけである。
だが、マリアは老人の予測を上回る行動を取り、今まさに魔力の流星を両断してみせた。
この戦が始まって以来、上空で2度目の爆発音。
1度目ほどの大きさではないが、凄まじい衝撃が直下の者達を襲う。アレスターも大きく吹き飛び、老体にはこたえる激痛が全身を駆け巡った。
周辺を土煙が覆い、誰がどこにいるのかも分からない。埃と痛みに咳き込んでいるため、アレスターは自身に回復魔法を唱える余裕もなかった。
一方、無傷のマリアは上空へと高速で飛翔し、戦場を見下ろす。そして、土煙の合間に老人の姿を捉えた。
即座に急降下して着地。アレスターの眼前に『選び、導く絶対秩序』を突き付ける。
「ボクの勝ちです、お爺さん」
幾分か精神が落ち着いたのか、マリアは静かにそう言った。未だ咳き込む老人の答えを待つように、じっと睨み付ける。
しばらくの時間を要して呼吸を整え、アレスターはマリアへ視線を向けた。
「驚愕じゃよ、マリア・・・。予想以上じゃ・・・。今のお前さんは、間違いなく歴代で最強の『光の剣士』じゃろうな・・・」
「お世辞はいりません。負けを認めて、撤退してください」
「優しいのう・・・。命までは奪わんか・・・」
「お爺さんも、ボクに対して慈悲を見せました。これはそのお返しです。でも、まだ戦うと言うのなら容赦はしません。この距離なら、お爺さんの魔法が発動するよりも前に斬れます」
剣士と魔法使いの戦いというものは、いつでも大味なものだ。剣士が接近して斬るか、その前に魔法使いが仕留めるか。
アレスターはこれまで、戦いに負けた事がほとんどない。
しかしマリアには遂に接近を許し、久しぶりの敗北を経験しようとしている。これが私的な決闘だったならば、それも受け入れられただろう。
だが彼は今、己の王であり親友であるドレッドのために戦っている。彼の理想に共感し、それを実現しようと何十年と共に歩んできたのだ。
もし自分がここで負けを認めてしまえば、強大な敵戦力であるマリアが戦況を変える恐れがある。竜がいるため負けはしないだろうが、最悪将軍の1人や2人は殺される可能性があった。
その中に、元教え子が含まれると考えただけで恐怖が生まれる。老い先短い自分が生き長らえ、あの子達が死ぬような事態だけは絶対に避けなければならない。
追いつめられたアレスターは覚悟を決めた。
「マリアよ・・・お前さんは本当に強い・・・。しかし、『光の剣士』の戦い方をまるで分かっておらん・・・」
少女の隙を作るため、老人はマリアに語り掛ける。
「何を言っているんですか・・・?負け惜しみですか・・・?」
「そう聞こえるかもしれんが、そうではない・・・・。お前さん――いや、お前さんの国は『光の剣士』という存在を間違って解釈しておる・・・。それは、1人で国を守る戦士ではない・・・」
「じゃ、じゃあ何だって言うんですか?」
「考えてもみなさい・・・。『光の剣士』の能力には、仲間を癒す力の他に、仲間を強化する力もあったじゃろう・・・。今まで使っている者を見た事はないが、確かあったはずじゃ・・・」
彼の言う通り、確かにあった。
それは『神、宿す光円』と言い、『選び、導く絶対秩序』を地面に突き刺す事で味方を大幅に強化する円状の領域を作り出す能力である。
通常ならば率先して使用されてもおかしくない力であるが、その効果範囲が極端に狭いのが問題点として挙げられた。
『光の剣士』を中心にして、半径50m程しか効果が及ばないのだ。
加えて、剣を突き刺している間『光の剣士』自身が移動できず、ほとんどの戦況において強大な戦力を持て余す結果となってしまう。そのため、今まで使用された実績が全くと言っていい程にない。
『選び、導く絶対秩序』を完成形へと導いたアズラが、宝剣をして『未完成の駄作』と評した理由にはそういった部分も含まれている。
癒しの力を含めれば無敵の軍団を作り出す事もできる『光の剣士』であったが、そのような事情があって孤軍奮闘する展開が多く見られた。
それをアレスターも当然理解していたが、今の『光の剣士』にそれが当てはまるとは到底思えない。今のマリアならば、そして今の『選び、導く絶対秩序』ならば、その力すらも今まで以上の効果で発揮できるはずだ。
では、何故そうしないか。
それこそが『光の剣士』を守護者として祭り上げてきた弊害である。ブリアンダ光国民の中では、『光の剣士』が最前線に立つことを大前提としており、他の者達はその後ろに下がるのが当たり前の行動とされているのだ。
マリアもピースメイカーも同様の考えを持っており、だからこそ仲間の強化を試す選択肢を思い浮かばなかった。
自分達が頑張るのが当たり前だと考え、仲間はその後ろをついて来るのが普通だと考えた。
そして、アレスターはそれが間違っていると指摘している。
「何故、それを使わない?何故、仲間を戦わせない?儂の魔法も、それを使えば被害を抑えられたのではないか?」
「そ、それは!皆が傷つくのが嫌だから――!」
「お前さんは、それでええ。じゃが、お前さんらの仲間はそれではいかんじゃろう?誰か1人くらい、試してみようと言うべきじゃ。少なくとも、儂の国ならばそうする」
「そ、そんなの!ボク達の勝手です!お爺さんにとやかく言われる筋合いはありません!」
「いいや、ある。孫娘と年の近しい娘が、何の助力も得ずに戦う姿を見て、痛ましいと思わぬはずがないじゃろう?――そうじゃ、マリアよ。冥王国に来る気はないか?」
唐突な提案に、マリアは怯む。
ピースメイカーの「なに言ってやがる、この野郎ッ!」という罵声が聞こえるが、少女も似たような感想を抱いていた。
「ば、馬鹿な事を言わないでください!どうしてボクが冥王国になんか!」
「儂らの国もそう悪いものではないぞ?国土もあれば富もある。将軍の地位に辿り着けば、何不自由ない暮らしもできる。無論ドレッドの理想のために動く必要は出て来るが、お前さんならば真面目に働くじゃろう?」
「意味が分かりません!どうしてボクが、自分の国を侵略する手助けをしなければならないんですか!?」
「ん?ああ、そうか。そうじゃったな。お前さんらは知らなんだか。マリアよ、ドレッドの理想とは『世界平和の実現』なのじゃよ」
「は、はい・・・?世界・・・平和・・・・?」
今までのアレスターの言動の中で、最も理解不能な単語であった。同盟国の間では、シオン冥王国は残酷な国として認識されており、今までそれが覆されるような事が起こったことはない。
それが『世界平和』なのだと言う。
はっきり言って、嘘を吐いているとしか思えなかった。
「嘘を言わないでください!今まで散々皆を苦しめて来て、何が『世界平和』ですか!?」
「怒るのも無理はない。事情を説明してやりたいが、そのためには多くの時間が必要じゃ。残念じゃが、その時間はなさそうじゃのう」
「な、なんでですか!?」
「考えてもみなさい。儂らは今、戦闘中なのじゃぞ?そろそろ、儂の部下がお前さんの仲間を襲っていてもおかしくない頃じゃ。仲間を傷付けたくないと言ったのは、お前さんじゃろう?」
「そんな!」
叫び、マリアは土煙の中を振り返る。その視線の先には仲間がいるはずであったが、やはり視界が悪く、何も分からなかった。
そして、その行動はあまりにも迂闊だと言わざるを得ない。
騙してしまって申し訳ない気持ちが芽生えたが、アレスターはその隙を突いて魔法を唱える。
「――『重力束縛すなわち不動』・・・」
「え!?」
しまったと態勢を直した時にはもう遅く、アレスターの魔法がマリアを襲う。
先程まで空中を漂っていた土埃が一斉に地面に戻り、2人の視界が唐突に鮮明になった。マリアの目には冥王国の兵士達が、アレスターの目には同盟軍の兵士の姿が映り、戦況が全く変わっていない事を察する。
「お、お爺さん・・・!ひどいです・・・!」
再び重力による束縛を受けながら、マリアが苦しそうに非難した。アレスターが落とした魔力の塊を斬り裂くのに力を大きく消費してしまったようで、剣を支えに辛うじて膝を付いている。
「す、すまんの・・・友のためじゃ・・・」
返すアレスターの言葉も絶え絶えであり、彼自身も魔法に押し潰されそうになっているのが分かった。しかし、ある程度は抵抗しているのか、老人の身でありながら耐える事ができるようだ。
そして、その余力を使って口を開く。
「――『流星直撃すなわち破滅』・・・」
杖の先から一筋の魔力が空へと向かう。それは先程の再現であり、その後の展開も同様であった。
「や、野郎ッ・・・!もう1発あったのかよッ・・・!」
落ちて来る魔力の塊は1つ目よりも小さいが、それでも十分な威力を秘めているのが分かる。ピースメイカーと同じ驚愕を覚えたマリアが視線を向けると、アレスターは苦しさに汗を流しながらも揶揄うように笑って見せた。
「誰も・・・1回しか撃てないとは・・・・言っとらんじゃろう・・・・・?」
表情から思考を読み取り、老人はそう答える。
その間にも流星は勢いを増し、地鳴りのような音が徐々に大きくなっていくのが聞こえた。
「このままじゃ・・・!お爺さんも道ずれですよ・・・!?」
流星は一直線にマリア目掛けて落ちている。という事は、近くにいるアレスターも被害を受けるのは明白であり、少女はそれを警告した。
「安心せい・・・。自分の魔法で・・・死にはせんよ・・・」
アレスターは自分の魔法に関する弱点を見抜いている。
それは『重力束縛すなわち不動』しろ『流星直撃すなわち破滅』しろ、攻撃範囲が広いことだ。
ならば自分にも被害が及ぶ可能性を考慮するのは当然であり、そのための備えは万全でなければならない。彼の服の下には、そのための魔法道具が多く隠されている。
「どうする、マリア・・・!?」
緊迫感に満ちたピースメイカーの問いに、マリアは強気に微笑んだ。
「もちろん・・・!あれも何とかするよ・・・!」
「へッ・・・!だろうな・・・!けどよ、さっきみたいな事は無理だぜッ・・・!?」
「じゃあ、目一杯引き付けてから・・・だね・・・!」
刀身の輝きはまだ失われてはいない。そのため力が残っているのは分かるが、先程と同等のものを発現するには足らなかった。
精々が近距離一撃分。ならば、それに全てを賭けるしかない。
「頑張るのう、マリアや・・・」
すでに自身のできる事をやり終えたアレスターは、それを間近で見ているだけだ。妨害や逃亡といった行動に移る気はなさそうである。
「お爺さんがこの魔法を解いてくれたら、ボクも無茶をしなくて済むんだけどな・・・」
「それは無理じゃ・・・。儂とて守りたい仲間がおる・・・。お前さんと一緒じゃよ・・・」
「ほんと・・・冥王国って分からないですね・・・」
「ならば・・・この戦が終わった後で・・・遊びに来るといい・・・。軍配がどちらに上がるにせよ・・・これまでの関係とは大きく変わるはずじゃ・・・」
それにマリアは答えない。最早、そのような猶予は残っていなかったからだ。
頭上を見上げれば、すぐそこに魔力の塊が迫る。
ふと月食竜の『咆哮破』を思い出し、あの時と比べると全く絶望感を抱いていない事に気付いた。それはつまり、今の自分ならば大丈夫と信じられているという事だ。
自然と、マリアの顔に笑みが生まれる。
「いくよ、ピーちゃん・・・!」
「おうよ・・・!」
なけなしの力を集め、僅かに光の刃を伸ばす。そして振りかぶり、躊躇うことなく振り下ろした。
「いっけえええええええええッ!!」
迫りくる流星に負けない大きさの咆哮は、少女の勇気の現れか。
攻撃に移った直後、ふいに体が軽くなったのはアレスターが魔法を解除したからだろう。本当によく分からないお爺さんだと、考えている内に刃が流星に到達する。
そして、3度目の爆発が起こった。これまでの物と比べると弱い衝撃だが、傍にいたマリアとアレスター、そしてピースメイカーは大きく転がる。
「マリアアアアアアアアアアッ!!」
圧倒的な2人の戦いを、固唾を飲んで見守っている事しかできなかったロイドが叫ぶ。彼の体は部下に持たせておいた回復薬によって治癒されており、鎧の所々がへこんでいる以外は異常がないように見えた。
それも全て、マリアが1人で戦ってくれていたからである。
「全軍ッ!マリアの所へ向かえッ!」
土煙の向こうで、地面に転がるマリアに動きがない。そのため、ロイドは少女の救援を部隊に指示した。
しかし、即座に応じる者はいない。
「何をしているッ!?行くぞッ!」
率先してロイドは駆け出すが、後をついて来る足音も聞こえない。理由が分からず振り返ると、そこには恐怖で顔を真っ青にした情けない戦士達がいた。
ロイドの部下である彼らは、ブリアンダ光国の人間である。冥王国の圧倒的戦力を知っても最終決戦に臨めたのは、『光の剣士』が復活したからだ。
そう、彼らは『光の剣士』であるマリアを絶対的に信頼していた。だからこそここまで来れたのだが、その寄る辺が今、たった1人の人間と相打ちになっている。
それはブリアンダ光国の人間にしてみれば、あってはならない現実であった。
「『光の剣士』が・・・引き分け・・・・?」
「それは駄目だろ・・・・。相手が竜なら分かるけど・・・人間相手にそれは駄目だろ・・・」
「おいおい・・・じゃあ、俺達は『光の剣士』抜きで奴らと戦わなくっちゃいけないのか・・・?」
あまりにも不甲斐無い戯言を発する部下を見て、ロイドは眩暈がする程の衝撃を受ける。自国民が『光の剣士』に頼り切りなのは理解していたつもりであったが、ここまでとは思っておらず、一瞬言葉を失った。
「な、何を言っているッ!?マリアは私達全員のために命懸けで戦ったんだぞッ!!」
「だ、だったら・・・逃げた方が・・・その想いを無駄にしなくて済むのでは・・・?」
もはや吐き気すら覚える程に、ロイドは仲間に失望した。
自分の命が惜しいのは分かる。あれだけの数に立ち向かうのが怖いのも分かる。
しかし、今ここでそれに恐怖するなど、これまでマリアの何を見てきたのか。
「馬鹿共がッ!!」
説得している時間が惜しいと、ロイドは部下を貶して駆け出す。離れていく蹄の音を背中で聞くが、もう振り返る気力も湧かなかった。
今はただ、マリアのもとへ急ぐのみだ。
「ん・・・・」
ロイド達のやり取りを、少女が聞いていなかったのがせめてもの救いである。マリアは少しだけ気を失っており、地に手を付き上体を起こした所であった。
「ピーちゃん・・・?」
今、マリアの手には何も握られていない。そのためピースメイカーの所在を確かめようと、朦朧とする意識で辺りを見渡そうとする。
そんな彼女の両腕を、何者かが力強く掴んだ。
「マリアちゃん、つ~かま~えた~」
驚いて視線を向けると、醜悪な顔が少女の瞳に映る。
「ひッ・・・!」
思わず恐怖の声が漏れ出てしまい、それを聞いた男は下卑た笑いを浮かべた。こういった人種をマリアは知っている。この男はきっと干民に違いない。
「間近で見るとやっぱ可愛いな~。こんな子を好きにできるんだから、戦争は最高だぜ」
男が何を考えているのかを察し、マリアは今までにない恐怖を覚える。頼もしい相棒を探そうと、少女は必死になって『選び、導く絶対秩序』を探した。
「ピーちゃん・・・!ピーちゃん・・・!」
「ピーちゃん・・・?あ、もしかして、あの剣のこと?可愛いな~、マリアちゃん!剣に渾名つけてるんだ!」
男が興奮しながら示した方へ、マリアも急いで顔を向ける。そこには確かに『選び、導く絶対秩序』があったが、すでに冥王国の兵士に回収された後であった。
「へ~、これがマリアちゃんの剣か~」
「おっも!なに!マリアちゃん、こんな重い剣を振るってたの!?」
「流石は『光の剣士』ちゃんだ。ま、それも今やあの様だけど」
干民達の視線がマリアに突き刺さる。そのどれもが欲に塗れており、マリアは背筋に悪寒を走らせた。
「マリアッ!俺を置いて逃げろッ!」
主に魔の手が迫るのを見て、ピースメイカーが叫ぶ。
「お前の中には、まだ俺の鞘が宿ってるッ!そいつ1人くらいなら、問題なくぶっ飛ばせるはずだッ!俺の事は気にすんなッ!逃げろッ!」
「嫌だよ!ピーちゃんを置いて逃げるなんて出来ない!」
「我がまま言うんじゃねえッ!自分の体の心配をしろおッ!」
ピースメイカーの言葉により、マリアは自分が男に捕らえられている事を思い出す。自分と宝剣、そのどちらかに優劣を付けなければならない状況に、少女は混乱した。
「マリアちゃん、剣と喋ってんの?もしかして、変わってる?ま、それでも構わないけど」
事情を知らない干民の男が馬鹿にしながら、こちらに顔を近づけて来る。何をするつもりなのかは分からなかったが、恐怖のあまりマリアは暴れた。
それでも激闘の後であったため、本来の力は出せていない。
「うお!すっげえ力!」
男もそう驚くだけで、マリアの両腕を掴む手を放そうとはしなかった。
「貴様あッ!マリアを放せッ!」
その時、ロイドが駆け付ける。剣を抜き放ち、男に向かって吠えた。
「ロイドさん!」
「あ~?なんだ、てめえ?めんどくせ。――お~い、てめえら。ちょっとこいつの相手しといてくれ」
男が声を掛けたのは、他の干民達であった。まるで順番待ちをしていたかのように周りに屯していた男達は、面倒臭そうではあったがロイドに向かって歩いて行く。
このままでは彼も危ないと思った矢先、別の者が怒声を上げた。
「貴様らッ!なに勝手な真似をしているッ!」
それは冥王国の兵士であり、他の者よりも装備が上等なことから高い地位に就く人物だと思われた。複数の正規兵を連れ、馬を急がせ騒ぎの場に辿り着く。
「アレスター様から撤退の指示が出ているッ!これ以上の騒ぎを起こすようならば、相応の罰を与えるぞッ!」
マリアと同様、アレスターも命を取り止めており、つい先ほど部下が持っていた回復薬を飲むことで立て直している。しかし魔力は底をついてしまったため、これ以上の戦闘は出来そうになかった。
故に、まだ大勢の部下が残っていたが、同盟軍が逃走したとの報告を受けたため、自軍にも撤退の指示を出している。結果として、彼の望みに近い結末となったのだ。
「ふざけんなッ!俺達がなんで命懸けで戦ってると思ってんだッ!こういった『おこぼれ』をもらうためだろうがッ!邪魔すんじゃねえッ!」
「帰りたかったら、てめえらだけで帰れッ!俺達はまだ戦ってくぜッ!」
だが、欲望を露わにした干民が正規兵に抗議する。圧倒的に有利な戦況を前に、彼らの戦意は極限にまで高まっていた。
「貴様らッ・・・!それ以上の反抗は、極刑に値するぞッ・・・!」
「ああ、やってみろッ!この数を相手に出来るんならなッ!」
正に一触即発。
数の多い干民には正規兵も手が出しづらく、毅然とした態度を取ってはいるが、この場でどうこうできる訳ではなかった。
マリアの腕を掴んでいる男はそれを理解しており、彼らを無視して目の前の獲物に集中する。
「ったく、邪魔しやがって。んじゃ、マリアちゃん。さっさと始めようか」
男の言葉にマリアは体を震わせる。
なんとか逃げようと暴れるが、やはり体は素直に動いてくれなかった。
「やだ・・・!やだやだやだ・・・!」
「あ。顔面ぐちゃぐちゃになりたくなかったら、大人しくしておいた方が良いよ?――つっても無理だよな。んじゃ、可愛くなくなる前に唇でも奪っとくか」
そう言って、男は顔を近づけて来る。完全に逃げられないと分かっていたが、マリアは必死になって顔を背けた。
自分の体が穢される恐怖に、少女の瞳には涙が滲む。
「マリアアアアアッ!逃げろッ!逃げてくれえええッ!」
「貴様ら、どけえッ!!――マリアアアアッ!」
ピースメイカーとロイドの声が聞こえる。
けれども彼らでは助けに来ることはできず、それを理解しているマリアの頭の中は真っ白になり始めていた。
少女として死ぬ事を、もはや避けられない。
そう諦めた時、マリアの前方で強烈な打撃音が響いた。
「・・・・・・・え?」
理解するのに少し時間が掛かる。
掴まれていた腕はすでに自由になっており、その結果が何を意味するのか、マリアは気付いていた。そして、それを為した人物に目を向ける。
「お・・・お爺さん・・・?」
それは、『選び、導く絶対秩序』を失った時に自分を慰めてくれた老人――そう、ヴァルジであった。憤怒に燃える老人の右足は空に向かって綺麗に蹴り上げられており、それが通過した軌道には自分の腕を掴んでいた男がいたはずである。
どこに行ったのかと自然な流れで上へ目を向けると、男は地上から10m程の地点に浮いていた。いや、当然浮いているのではない。ヴァルジによって蹴り飛ばされたのだ。
「せっかくの素晴らしい戦いに、よくも水を差してくれましたね・・・!」
あの優しい老人の喉から発せられたとは思えない、怒りに震えた声がマリアの耳に届く。しかし不思議と恐怖は感じず、むしろ頼もしさが上回った。
「お、お爺さん・・・?」
足を下ろすヴァルジに向かって、マリアは再び声を掛ける。彼も漸く気付いたのか、今度は打って変わって済まなさそうな表情をした。
「申し訳ありません、マリアお嬢様。差し出がましい行為だとは思いましたが、手を出させていただきました。どうにもこの者達の行動が目に余り、居ても立ってもいられなかったのです」
この発言から分かる通り、ヴァルジはマリアの戦いに介入する気など更々なかった。そのため、事ここに至るまで、ずっと静観を決め込んでいたのだ。
もし助力をするつもりであったのならば、1撃目の『流星直撃すなわち破滅』が唱えられた時に、隙だらけのアレスターを仕留めていたはずである。マリアに対する信頼も理由の1つではあったが、彼は絶対に手出しはしないと固く心に決めていた。
その誓いが覆ったのは、偏に干民の愚行のせいである。
うら若き乙女に乱暴を働こうとする男に対して、怒りを覚えない紳士がいるだろうか。そしてそれ以上に、ヴァルジはマリアとアレスターの戦いを台無しにされた事に腹を立てた。
老人の生まれ故郷であるヴォアグニック武国は、『義と武と勇』を重んじる戦士の国である。故に強者には敬意を表し、戦いには正々堂々と臨むことを良しとしていた。
土煙が上がっている最中の出来事は分からないが、それでもマリアとアレスターが見事な戦いを繰り広げた事は確かである。それを、干民達は己の欲望のために滅茶苦茶にした。
ヴァルジにとって、それは許してはならない行為だったのだ。
「あ・・・いえ・・・ありがとうございます・・・」
老人の謝罪に対して、マリアは訳が分からないままであったが感謝を告げた。その瞬間、ヴァルジに蹴り飛ばされた男が離れた所で地面に激突する。
それを見た誰もが男の死を直感したが、それよりも前に彼はすでに死んでいた。
「さて、マリアお嬢様。大変伝えにくいのですが、お嬢様は敗北なさってしまいました。『選び、導く絶対秩序』を失った今では、逃げる他に道はありません。どうぞ、撤退なさってください」
狼藉者のことなど最早どうでもいいとでも言うように、ヴァルジは話を進める。介入はあくまで最低限。勝敗に関わるまで手を貸すつもりはなかった。
しかし、それはマリアにとって受け入れられない話である。
「待ってください!まだ、ピーちゃんを取り戻していません!」
「ああ、それでしたら。こちらに」
「ほえええ!」
あまりに予想外の事態が流れるように展開されたため、マリアの口から変な驚きの声が発せられる。いつの間に取り戻していたのか、ヴァルジの手には確かに『選び、導く絶対秩序』が握られていた。
先程までそれがあった場所に視線を移すと、複数の男達が地面に寝転がっているのが見える。あれも、ヴァルジがやったに違いない。
「うおおおおおお~・・・!良かったよ~・・・!マリアが傷物にならないで本当に良かったよ~・・・!」
マリアが無事だった事にピースメイカーが感涙しているような声を上げるが、それに対して反応を返すことができない。ただ、目の前の老人の正体に気が回っていた。
「あ、あの・・・お爺さんは一体・・・?」
「以前に御説明した通りの者でございます。そんな事よりも、早くお逃げになってください。そのための時間稼ぎくらいでしたら、私がなんとかしますので」
かつて見せた優しい笑顔を浮かべ、ヴァルジはマリアに言う。
しかし『選び、導く絶対秩序』が戻った今、少女には戦うだけの力と心が戻っていた。
「だ、だったらボクも戦います!ピーちゃんと一緒なら、あんな人達――!」
素晴らしい闘志であったが、ヴァルジは首を横に振る。
「それはいけません、マリアお嬢様。先程も申し上げた通り、すでにお嬢様は敗北しております。私が介入しなければ、『選び、導く絶対秩序』を取り戻す事も出来ませんでした。お仲間もロイド殿を除き全員が逃走。純粋な戦いはすでに終わっているのです。ここは撤退するのが道理かと思われますぞ」
静かに語り掛けて来る老人の声色に強制はない。ただただ諭すような物言いであり、色々な恩義もあってか、マリアは素直に言う事を聞くことにした。
「分かり・・・ました・・・・」
しかし、それを見過ごせないのが干民達である。
「おいおい、爺さんッ!なに勝手に話進めてくれちゃってんのッ!」
「こっちはまだ全然楽しんでないんだよッ!行かせる訳ねえだろッ!」
「ジジイだからって容赦しねえぞ、おらあッ!」
そう言う男達の方へヴァルジが体を向けると、彼らは瞬時に後ろへ吹き飛んだ。少し遅れて干民達がそれを目で追い、驚愕も露わに声を上げる。
「な、なにしやがった、テメエッ!」
「うわ!顔面がへこんでやがる!魔法かッ!?」
「この野郎ッ!いつの間に唱えやがったッ!?」
言うまでもなく、それは事実とは異なる。
「おや、見えませんでしたか。本気の5歩手前でしたが、それでも貴方方には過剰なようですな。まあ、容赦など、こちらこそしませんが」
ヴァルジが何をしたのかを、視力が強化されているマリアだけは知覚する事ができた。老人は高速で男達に駆け寄り、そして恐ろしい速度の拳を打ち込んだ後、即座に元の位置に戻ったのだ。
彼らを怯ませるための行動だろうが、人間とは思えない速さである。しかしそれよりも、マリアには気になる事があった。
少女の瞳には、老人の拳が輝いていたように見えたのだ。ほとんど一瞬であったため断言はできないが、まるで自分が戦う時のような光景を目にした。
輝きの強さこそ『光の剣士』たる自分の方が上だが、その色が美しい。そう、美しいまでの黄金色であった。
それが老人の強さの証なのだと、マリアは勝手に納得する。
「さあ、急ぎ撤退を」
そのヴァルジから最後の勧告をされ、マリアは頷いてロイドのもとまで駆けて行った。彼の周りには数人の干民が転がっており、戦闘は終わっているようだ。
「ちょっ、ちょっと待ったあ!」
しかし、今度は冥王国の正規兵が制止を掛けて来る。戦う気なのかとヴァルジは睨むが、その者は愛想笑いを浮かべて老人に近づいてきた。
「待ってくれッ!戦う気はねえよ!と言うか、俺のことを覚えてねえか、爺さん!?」
そう言われても覚えがなく、ヴァルジは首を傾げる。
「はて。どこかでお会いしましたかな?」
「ああ・・・まあ、覚えてねえよな。エルフの森がある山で、干民を引き連れてた指揮官なんだけどよ」
そう言われ、ヴァルジは記憶を頼りに男のことを思い出そうとする。しかし、そこそこ前の話であり、今まで色々な出来事があったため、全くと言って良いほど覚えていなかった。
それが表情に出ていたようで、男が必死になって説明する。
「ほら!あんたと連れの大男を冥王国に勧誘しただろう!?あの時の男だよ!」
そう言われ、しばらく考えた末に、
「ああ!確かにおりましたな。今、思い出しました」
と、ヴァルジは手を打つ。
「で、そのような方が何用ですかな?」
しかし思い出した感動とかはないようで、ヴァルジはあっさりと現在の用事に切り替えた。それに脱力しかけた男だったが、仕方ないと本題を話す。
「撤退するんだったら馬が要るだろう?俺のを貸してやるよ」
「ほう」
思いがけない提案にヴァルジは感心する。ロイドとマリアが乗っていた馬はアレスターの攻撃によって失われており、確かに逃げるには不便な状況であった。
「それは助かりますな。しかし、よろしいのですか?」
「いいっていいって。あんたの強さに最初に惚れ込んだのは俺だ。なんつうか、見込んだ通りで嬉しいんだよ」
本当に嬉しそうに笑う男に向かって、ヴァルジも笑みを返す。男は先ほど干民を制した上官と思われる者に事情を話し、許可をもらったようで頭を下げていた。
なんとなくだが、上の人間に取り入るのが上手い人物なように思えた。
「ほら。持って行きな」
連れてきた馬の手綱を差し出され、ヴァルジは感謝を告げて受け取る。そして、それをロイドとマリアのもとまで届けに行った。
その間、干民達が手を出してこないのは、ヴァルジを警戒しているからだろう。例え邪魔されようとも、問題はなかったが。
「良かったですな、お二人とも。有り難く使わせていただくとしましょう」
傍まで来たヴァルジに言われ、ロイドとマリアは顔を見合わせる。
まるで貴族の執事が主人を迎えに来たかのような光景であり、戦場には似つかわしくなかった。
「ヴァルジ殿・・・貴方は一体・・・?」
マリアと同じ質問をロイドにされるが、ヴァルジは笑って誤魔化す。それでは納得できないと、少女が食い下がった。
「誤魔化さないでください、お爺さん・・・!さっきの攻撃の時、お爺さんの手が光ったように見えました・・・!お爺さんは、何者なんですか・・・!?」
「おお、マリアお嬢様には見えましたか。これは私の技でございます」
そう言ったヴァルジの右拳が黄金色に輝く。凄まじいまでの力の奔流が生まれるが、それはすぐになくなった。
「す、すごい・・・!」
「正に技の極致ッ・・・!ヴァルジ殿、貴方はもしや名のある武人なのではないですか!?」
「嬉しい事を言ってくださいますな。ですが、その話はまた後日といたしましょう。そろそろ向こうも痺れを切らす頃。のんびりとはしていられません」
見れば、数で攻めれば何とかなると判断した干民達の一部が怪しい動きをしている。確かに時間はなさそうだと、ロイドは急いで馬に跨った。
「さあ、マリア」
「で、でも・・・・!」
ヴァルジを置いて行くという行為に、マリアは逡巡を見せる。それでも老人が笑顔のままなのを見て、決心して飛び乗った。
「ありがとうございます、お爺さん・・・!」
「この御恩はいずれ!」
「いえいえ、お気になさらず」
ヴァルジの言葉を最後に、2人が乗った馬は駆け出す。それが去って行くのを見送った後、ヴァルジは冥王国兵に向き直った。
「さて、まだ文句がおありの方は掛かって来てください。本気の7歩手前でお相手しましょう」
老人の挑発的な態度を受け、干民達は一斉に襲い掛かる。それを見た上官の男が必死になって止めようとするが、聞く耳を持つ気はないようだ。
「動かんと思ったら、何をしておる・・・!?」
その時、騒ぎを聞きつけたアレスターが杖を片手に近づいて来た。彼の問いは上官の男に対してされており、高見は無礼だと急いで下馬する。
「アレスター様ッ!お体の方は、もう大丈夫なのでッ!?」
「大丈夫な訳なかろう。それよりも、この騒ぎは何事じゃ?」
「はっ!謎の老人が現れまして、現在干民共と交戦中です!」
「謎の・・・?」
なんだそれは、とアレスターは騒ぎの中心に目を向ける。そこには大勢の干民に囲まれた老人――と言っても自分よりは若かったが――が1人おり、近づこうとする者を片っ端から迎撃している所であった。
全ての者が老人に近付けもせず数m手前で吹き飛ばされているが、その攻撃の動作が全く見えない。それでも数を重ねる内に攻撃の軌道も重なってきたようで、存在感を増した仄かな黄金色が見て取れた。
その光景を、アレスターはかつて目にしたことがある。
「まさか・・・!『黄金の拳士』かッ・・・!」
40年程前、アレスターはドレッドと共にある格闘家と戦ったことがあった。あまりにも唐突に登場し、いきなり勝負を挑まれたのだ。
歳は20代と思われ、自分を鍛えるために旅をしていると言っていた。2対1の状況でなんとか撃退したが、その技の練度には驚愕したものである。
名乗らなかったため勝手に『黄金の拳士』と名付けて厳重に警戒したが、その後は姿を見せることはなく、アレスターも過去の思い出として記憶の中に仕舞い込んでいた。
しかし今、その人物が再びこの地を訪れたようだ。
「何故ここにいるのか分からんが、懐かしい奴と出会ったものじゃ・・・当たり前じゃが、随分と老けたのう・・・」
「アレスター様、まさかあの老人とお知り合いなので!?」
だとしたら干民達を止めた方がいいか、と思った男に対して、アレスターは笑う。
「知り合いじゃが、庇う様な間柄でもない。干民達には好きにやらせても構わんぞ。命が惜しくなければ、じゃがの。おそらくじゃが、あれは40年前の数倍は強いぞ」
思わぬ再会に楽しくなってしまい、アレスターは自分の馬車へと軽やかな足取りで向かう。急いで戻り、この話をドレッドにしようと口元を緩めていた。
(ああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!)
時を同じくして、ピースメイカーがマリアにしか聞こえない絶叫を上げる。
彼はすでに少女の体の中に入っており、マリアは自分の胸に話し掛けるように尋ねた。
「びっくりした!どうしたの、ピーちゃん!?」
(思い出したッ!あの金色の拳ッ!あの爺さんッ!あの時のッ!あいつだったのかああああああッ!)
「え?なに?あのお爺さんとピーちゃん、知り合いだったの?」
この時、もしピースメイカーに首があったのならば、全力で否定の意思を見せただろう。それくらいの意味を込めて、宝剣は大声を出す。
(先々代の時の話だッ!なんかよく分かんねえ奴に、いきなり勝負を挑まれたんだよッ!俺を抜く前に攻撃を仕掛けて来やがってッ!気絶した先々代を前に『俺の勝ちだな』とか抜かしやがったんだッ!)
「ええ!?それがあのお爺さんだったってこと!?」
(あいつもあいつで老けやがってよおッ!見ただけじゃ分からねえって言ってんだろうがッ!あああああああッ!なんで因縁のある奴が2人も揃うんだよッ!気分が悪いわッ!!)
ピースメイカーの怒りを放置し、マリアは背後を振り返る。すでに遠くなったヴァルジの姿は見えなかったが、先々代を倒した程の実力を有していたのならば問題ないのではないかと、奇妙な安心感を抱いた。
(無事に戻ってきたら、詳しく話を聞きたいな・・・)
そう考えた後、マリアは姿勢を戻す。
それ以降、少女が後ろを向くことはなかった。




